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三章 監獄島の魔女
3-5 遺跡の亡骸にて
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テュスカ村は、数十人程度しか暮らしていない小規模の村だ。道具屋もなければ宿もない。
付近には強い魔物が生息しておらず、村の周囲を五メティア程度の木柵で囲むだけで、安全を保障できた。
ラザニアは数年前に一度、この村を訪れていた。だからこそわかる。
「なんか、変じゃねーか?」
村は変貌していた。柵は壊れ、ゴミが地面に散乱している。余所者にも優しくしてくれた穏やかな雰囲気は、微塵も感じられない。
「まさか、何かに襲われたのか? 人の気配もしないし」
「その可能性は考えられるな……とりあえず、村人が居ないか探そう。話を聞きたい」
二人は手分けして、村の中を捜索する事にした。
家の扉をノックするが、返事はない。仕方なくそのまま部屋に入ってみると、中は埃臭く、おまけに屋根からは光が漏れていた。台所で見つけた幾つかの食材も既に腐っていて、使い物にならない。少なくとも一年以上は、誰もここを家として使っていないと考えていいだろう。
それからも数軒回ったが、結果は同じ。収穫も無いまま、ラザニアと村の中心で落ち合った。
「そっちは誰か居たか?」
楓の問いに、ラザニアは首を横に振る。
「いや、誰も居なかった。……ったく、何があったんだよ」
「……確認だが、この周辺の魔物はどれも弱いんだよな?」
「ああ。だからあんな木柵で大丈夫なんだ」
「何かの偶然で、強力な魔物がここを襲った可能性は?」
「ありえねーだろ。それなら家屋の損壊は酷いだろうし、血痕の一つや二つは残る筈だ」
「そうだよな……なら、エネミーかも」
「エネミー? なんだその、安直過ぎてつまんねー名前は」
「ウィスタリア達魔道士が開発していた、魔法が一切通用しない生物兵器みたいなもんだ。人間と同じ姿をしていて、自分の意志も持ってる。アイツらなら、建物をなるべく壊さず、村人を何処かに連れ去るくらいの芸当は出来る筈だ」
「──ご名答です、カエデさん」
いつの間にか二人の近くに立っていたロクナナが、楓に言葉を返した。
「びっ、びっくりした……!! そんな急に出てこないでくださいよぅ!」
あまりにも突拍子のない登場に、楓は幽霊にでも出くわしたかのような反応を見せ、口調も元に戻っていた。
「ごめんなさい。つい癖で」
後ろ髪に手を置きながら、ロクナナは苦笑する。
「お前、テュスカ村に何があったか知ってるみてーだな」
「当然です、私達を舐めないでください」
「なら今すぐ言え。でなければ殺す」
ラザニアが右手を突き出すと、ロクナナは両手を挙げた。
「そう急かさずとも、すぐにお教えしますよ。……それに、今の貴女じゃあ、私達は殺せないと思いますが」
「……へぇ。試してみるか?」
「やめろ二人とも。今は争ってる場合じゃない」
「ちっ。わーったよ」
舌打ちしながら、おもむろに手を下ろした。
「ありがとうございます、カエデさん」
「礼はいいから、話してくれ」
「……この村の人々は、カエデさんの言う通りエネミーの手によって連れ去られました」
「その連れ去られた人々は、今何処に?」
「ここから北西に進んだ所にある、ユーノン遺跡跡。その地下です」
「ユーノン遺跡跡だな。わかった」
手で庇を作りながら、空を仰ぐ。真っ青な空間に浮かぶ太陽の位置を把握し、北西がどちらなのかを確認した。
「助けに行くつもりか、カエデ」
「逆にお前は行く気が無かったのか?」
するとラザニアは顔を伏せ、どんな表情をしているのか確認できなくする。
「……急ぐぞ」
短く告げてから踵を返し、歩き出した。
『照れ隠しだね』
「照れ隠しだな」
小さくなっていく後ろ姿を見据え、楓とマカロニは微笑を零した。
「情報提供、感謝する」
「これが私達の仕事ですから。それでは、お気を付けて」
「ああ」
短く返事してから、楓はラザニアの後を追う。
視界から二人の姿が消えたところで、ロクナナは重い口を開いた。
「……さーてどうなりますかね。今の二人に、果たして『彼女』は倒せるのでしょうか?」
**
ユーノン遺跡は、大地を司る女神ユーノンを祀る為に建てられた。だが、今から数十年前に起きた地震の影響で崩壊。誰にも撤去される事なく、残骸だけが虚しく取り残されていた。
入り口前まで来た二人は、見上げる。
「これが、ユーノン遺跡跡……」
「アイツは地下だと言っていた。なら地下に続く入り口が中にあるはずだ。まずはそれを探さねーと」
遺跡の入り口に続く道の左右には、柱が等間隔で置いてある。古代文字が彫られているが、生憎と二人ともそれを読むことはできなかった。
中は薄暗く、積み上がった瓦礫が道を塞いでおり、穴の開いた天井から差し込む日光が、一点だけを照らしていた。
壁面には、外の柱と同じように古代文字が彫られている。こちらは劣化しており、たとえ読み方を心得ていたとしても、読む事は不可能だろう。
「ここからなら、地下に行けそうだな」
しばらく探索を続けていると、ラザニアが地面にぽっかりと空いた大きな穴を見つけた。穴の中は闇で塗り潰されていて、深さがどれくらいあるのか検討もつかない。
そこで楓が近くにあった石ころを拾い、穴の中へと放った。闇の中に消え、それからすぐに音がした。
「それほど深くはなさそうだ。念の為、警戒はしておこう」
「そうだな」
二人は周囲に魔力障壁を展開してから、穴の中へと飛び込む。自ら闇の中に飛び込むというのは、恐らくバンジージャンプよりも度胸が必要だ。
楓は絶叫マシンが大の苦手だったが、この短い期間で色々な出来事があったからだろうか。若干の抵抗こそあったが、あっさりと飛び降りる事ができた。
「うわ、真っ暗だな。本当にこんなところに村人は閉じ込められてるのかよ」
「彼女の言葉を信じるしかないな。……それにしても、まさか障壁の輝きが光源になってくれるとは思わなかった」
「本来の使い方とはえらくかけ離れてるけどな。ま、真っ暗闇の中をがむしゃらに進むよりは遥かにマシだな」
体内の魔力は、大気中の魔素と掛け合わさり、反応を起こす事で、属性に応じた色の光を放つ性質を持つ。楓は赤黒。ラザニアは水色だ。
「……おい、向こうに扉があるぞ」
ラザニアが指を差した先には、確かに扉があった。太陽のような模様が大きく彫られている。ドアノブらしきものはない。
「本当だ。……隙間から光が漏れてる。もしかしたら、この先に村人達が居るのかも……!」
楓は扉に触れ、軽く押してみる。微動だにしない。
「……これ、開くのか? ビクともしないぞ」
「押してダメならぶち壊せばいいんだよ。退け、カエデ」
「はいはい」
ラザニアの手の平から放出された水色の光が、扉を消し飛ばす。向こう側の光が、こちらの闇を照らしつけた。
扉によって遮られていた空間は、まるで何かの医療施設のようだった。左右に質素なベッドが幾つも並んでおり、そこに死んだように動かない人間が横たわっていたのだ。
「この人たちって、テュスカ村の……!」
「間違いない。ビンゴだ」
ラザニアは障壁を切ると、近くのベッドへ駆け寄り、そこに仰向けに眠る女性の脈を図る。
「よし、まだ息はあるな!」
「ここ、一体なんなんだ……」
「さあな。今は、コイツらの救助が先だ。急ぐぞ!」
女性の身体を軽々と持ち上げ、背中に乗せる。
そこで、拍手をする音が聞こえてきた。
「おいカエデ。何手ぇ叩いてんだよ!」
「わ、私じゃありませんよ……!?」
「なんだと? じゃあ誰が──」
「私です」
聞き慣れない声がした。少し甲高い、女の声だ。
「誰だッ!?」
声のした方を振り返る。
そこに佇んでいたのは、幼い容姿をした少女だ。緑色のおさげ髪。黄緑と白の二色の縞模様で構成された、芋虫のような触角を頭から二本生やしている。瞳はハイライトが失われていて、目が見えているのかどうか怪しい。何故かチアガールの衣装を身に付け、両手に黄色のポンポンを持っている。
楓は少女を見てすぐ、この世界にチアガールという概念があった事に驚きを隠せないでいた。
「こんにちは、虫ケラ達」
少女は口角を緩める。
「私の名前はロイディ・パラサイ。以後、お見知り置きを」
「コイツが、村人を攫ったっていうエネミーか……!!」
「どうやらそうみたいだ。……いちいち癪に触る二人称が、前に会った奴と同じだからな」
「これ二人称なのか……随分と変わってるんだな」
「虫ケラ達の事は、仲間を通じて知っていますよ。『矛盾を抱えた龍』カエデ・マキノに、龍族のラザニア=ドラゴン。主人からはこの二人に遭遇したら、迷わず始末しろと言われています」
「オレはわかるが、カエデもなのか? コイツ、お前の主人とやらにとっても重要な存在なんじゃないのかよ」
「それは私の口からは答え兼ねます」
「そーかい」
ラザニアは適当に返してから、今しがた背負った女性をベッドの上に戻そうとする。
「戦いは既に、始まっているんですよ?」
ロイディがそう口にすると、それまでに眠っていた女性が突然目を覚まし、両手を使ってラザニアの首を絞めた。
「ラザ!!」
『ラザちゃん!!』
「(なんだ、これッ!! 人間の、それも一村人が出せる力じゃねー……!!)」
「人は見かけによらないんですよ。いつから彼女達が虫ケラ共が救おうとしていた者達だと錯覚していたのです? 確かに見た目は同じですが、果たして中身も同じでしょうか?」
「お前、この人達に何をしたッ……!!」
「敵に答える義理はありません」
「くっ……!!」
首を強く絞められ、ラザニアの顔色が段々と変わってきている。再生能力を著しく損なっている今の彼女なら、これ程度でも死ねてしまう。加えて声が出せないため、軽い技すら使えない。絶体絶命だ。
今彼女を救う事が出来るのは、自分だけ。そう思った途端、両肩が重りでも載せられたかのように重くなった。
誰かの命を背負う。それがこれ程までに重たくて、辛いものだとは思わなかった。
でもだからと言って、立ち止まっている場合じゃない。
『楓ちゃん! 早くしないとラザちゃんが!!』
流石のマカロニも、焦燥した声を上げる。それが、合図になった。
「わかってますって!!」
口調を変える事も忘れ、女性を引き剥がそうと手を伸ばす。
「そんな事、許すわけがないでしょう」
近くで横たわっていた二人の村人が起き上がり、楓に襲いかかってきた。
『楓ちゃん!!』
「それもわかってますッ!!」
目を瞑り、赤黒い障壁を展開させる。そしてそれに触れた村人二人を、鋭利な棘によるカウンターで貫いた。
「くっ……うっ……!!」
直視なんて、到底出来やしなかった。恐らくは何も罪のない人間。それを傷付けるというのは、彼女にとってはあまりに酷い。
こういう時だけ、人間の感情が薄れて亜人を平気で殺せていた自分になりたいと、都合良く思ってしまう。
目を開き、再度手を伸ばす。
指の先が、女性に触れようとした……その時だった。
「……今、ですね」
ロイディの口角が、更に上がる。
女性の身体が突如爆発、四散。周囲に臓物と赤い液体が飛び散った。至近距離に居たラザニアと楓は、それを全身に浴びる事になる。
「かはっ……げほ、げほ!!」
窒息状態から解放されたラザニアは、喉元を押さえながらえずいた。
「あ、あぁ……っ」
一方で楓は、全身の力が抜け落ち、その場に跪いていた。
彼女の脳裏に、あの光景は強く焼き付けられた。どれだけ忘れようとしても、こびり付いて離れない。身の毛のよだつ恐怖も。鼻を劈くような血の臭いも。全て。
楓の精神は脆く崩れやすい。彼女を壊すのは、悲しい事にそこまで難しくないのだ。
「あああああああああ……!!」
両手で頭を抱え、呻き声を上げる。今はもうそれしか出来なかった。
「さぁ愛くるしい我が子たち。あの哀れな虫ケラを、私の新たな愛の巣にしましょう!」
ロイディは頭の触角を伸ばし、楓の首元を突き刺した。そして何かを、彼女の体内へと流し込んでいく。
「ドラゴニック・舞レードッ!!」
魔力で生成された剣で、触角を斬りつける。しかし切断に至れないどころか、傷一つ付けられなかった。
「無駄ですよ。私はエネミー。魔力を用いた攻撃手段の一切を受け付けません。つまり、今の虫ケラじゃ私に勝てないという事です」
「クソがッ!!」
怒りに任せて、もう一度触覚に魔力の剣を振り下ろす。結果は何も変わらなかった。
「くっ……最悪じゃねーかよ、この展開……!」
「虫ケラにとってはそうでしょうね。けれど私にとってこれは、この上なくハッピーな事なんですよ。
……そこで指を咥えて見ててください。仲間が少しずつ自我を失い、私の傀儡となっていく様を。ケケケ」
付近には強い魔物が生息しておらず、村の周囲を五メティア程度の木柵で囲むだけで、安全を保障できた。
ラザニアは数年前に一度、この村を訪れていた。だからこそわかる。
「なんか、変じゃねーか?」
村は変貌していた。柵は壊れ、ゴミが地面に散乱している。余所者にも優しくしてくれた穏やかな雰囲気は、微塵も感じられない。
「まさか、何かに襲われたのか? 人の気配もしないし」
「その可能性は考えられるな……とりあえず、村人が居ないか探そう。話を聞きたい」
二人は手分けして、村の中を捜索する事にした。
家の扉をノックするが、返事はない。仕方なくそのまま部屋に入ってみると、中は埃臭く、おまけに屋根からは光が漏れていた。台所で見つけた幾つかの食材も既に腐っていて、使い物にならない。少なくとも一年以上は、誰もここを家として使っていないと考えていいだろう。
それからも数軒回ったが、結果は同じ。収穫も無いまま、ラザニアと村の中心で落ち合った。
「そっちは誰か居たか?」
楓の問いに、ラザニアは首を横に振る。
「いや、誰も居なかった。……ったく、何があったんだよ」
「……確認だが、この周辺の魔物はどれも弱いんだよな?」
「ああ。だからあんな木柵で大丈夫なんだ」
「何かの偶然で、強力な魔物がここを襲った可能性は?」
「ありえねーだろ。それなら家屋の損壊は酷いだろうし、血痕の一つや二つは残る筈だ」
「そうだよな……なら、エネミーかも」
「エネミー? なんだその、安直過ぎてつまんねー名前は」
「ウィスタリア達魔道士が開発していた、魔法が一切通用しない生物兵器みたいなもんだ。人間と同じ姿をしていて、自分の意志も持ってる。アイツらなら、建物をなるべく壊さず、村人を何処かに連れ去るくらいの芸当は出来る筈だ」
「──ご名答です、カエデさん」
いつの間にか二人の近くに立っていたロクナナが、楓に言葉を返した。
「びっ、びっくりした……!! そんな急に出てこないでくださいよぅ!」
あまりにも突拍子のない登場に、楓は幽霊にでも出くわしたかのような反応を見せ、口調も元に戻っていた。
「ごめんなさい。つい癖で」
後ろ髪に手を置きながら、ロクナナは苦笑する。
「お前、テュスカ村に何があったか知ってるみてーだな」
「当然です、私達を舐めないでください」
「なら今すぐ言え。でなければ殺す」
ラザニアが右手を突き出すと、ロクナナは両手を挙げた。
「そう急かさずとも、すぐにお教えしますよ。……それに、今の貴女じゃあ、私達は殺せないと思いますが」
「……へぇ。試してみるか?」
「やめろ二人とも。今は争ってる場合じゃない」
「ちっ。わーったよ」
舌打ちしながら、おもむろに手を下ろした。
「ありがとうございます、カエデさん」
「礼はいいから、話してくれ」
「……この村の人々は、カエデさんの言う通りエネミーの手によって連れ去られました」
「その連れ去られた人々は、今何処に?」
「ここから北西に進んだ所にある、ユーノン遺跡跡。その地下です」
「ユーノン遺跡跡だな。わかった」
手で庇を作りながら、空を仰ぐ。真っ青な空間に浮かぶ太陽の位置を把握し、北西がどちらなのかを確認した。
「助けに行くつもりか、カエデ」
「逆にお前は行く気が無かったのか?」
するとラザニアは顔を伏せ、どんな表情をしているのか確認できなくする。
「……急ぐぞ」
短く告げてから踵を返し、歩き出した。
『照れ隠しだね』
「照れ隠しだな」
小さくなっていく後ろ姿を見据え、楓とマカロニは微笑を零した。
「情報提供、感謝する」
「これが私達の仕事ですから。それでは、お気を付けて」
「ああ」
短く返事してから、楓はラザニアの後を追う。
視界から二人の姿が消えたところで、ロクナナは重い口を開いた。
「……さーてどうなりますかね。今の二人に、果たして『彼女』は倒せるのでしょうか?」
**
ユーノン遺跡は、大地を司る女神ユーノンを祀る為に建てられた。だが、今から数十年前に起きた地震の影響で崩壊。誰にも撤去される事なく、残骸だけが虚しく取り残されていた。
入り口前まで来た二人は、見上げる。
「これが、ユーノン遺跡跡……」
「アイツは地下だと言っていた。なら地下に続く入り口が中にあるはずだ。まずはそれを探さねーと」
遺跡の入り口に続く道の左右には、柱が等間隔で置いてある。古代文字が彫られているが、生憎と二人ともそれを読むことはできなかった。
中は薄暗く、積み上がった瓦礫が道を塞いでおり、穴の開いた天井から差し込む日光が、一点だけを照らしていた。
壁面には、外の柱と同じように古代文字が彫られている。こちらは劣化しており、たとえ読み方を心得ていたとしても、読む事は不可能だろう。
「ここからなら、地下に行けそうだな」
しばらく探索を続けていると、ラザニアが地面にぽっかりと空いた大きな穴を見つけた。穴の中は闇で塗り潰されていて、深さがどれくらいあるのか検討もつかない。
そこで楓が近くにあった石ころを拾い、穴の中へと放った。闇の中に消え、それからすぐに音がした。
「それほど深くはなさそうだ。念の為、警戒はしておこう」
「そうだな」
二人は周囲に魔力障壁を展開してから、穴の中へと飛び込む。自ら闇の中に飛び込むというのは、恐らくバンジージャンプよりも度胸が必要だ。
楓は絶叫マシンが大の苦手だったが、この短い期間で色々な出来事があったからだろうか。若干の抵抗こそあったが、あっさりと飛び降りる事ができた。
「うわ、真っ暗だな。本当にこんなところに村人は閉じ込められてるのかよ」
「彼女の言葉を信じるしかないな。……それにしても、まさか障壁の輝きが光源になってくれるとは思わなかった」
「本来の使い方とはえらくかけ離れてるけどな。ま、真っ暗闇の中をがむしゃらに進むよりは遥かにマシだな」
体内の魔力は、大気中の魔素と掛け合わさり、反応を起こす事で、属性に応じた色の光を放つ性質を持つ。楓は赤黒。ラザニアは水色だ。
「……おい、向こうに扉があるぞ」
ラザニアが指を差した先には、確かに扉があった。太陽のような模様が大きく彫られている。ドアノブらしきものはない。
「本当だ。……隙間から光が漏れてる。もしかしたら、この先に村人達が居るのかも……!」
楓は扉に触れ、軽く押してみる。微動だにしない。
「……これ、開くのか? ビクともしないぞ」
「押してダメならぶち壊せばいいんだよ。退け、カエデ」
「はいはい」
ラザニアの手の平から放出された水色の光が、扉を消し飛ばす。向こう側の光が、こちらの闇を照らしつけた。
扉によって遮られていた空間は、まるで何かの医療施設のようだった。左右に質素なベッドが幾つも並んでおり、そこに死んだように動かない人間が横たわっていたのだ。
「この人たちって、テュスカ村の……!」
「間違いない。ビンゴだ」
ラザニアは障壁を切ると、近くのベッドへ駆け寄り、そこに仰向けに眠る女性の脈を図る。
「よし、まだ息はあるな!」
「ここ、一体なんなんだ……」
「さあな。今は、コイツらの救助が先だ。急ぐぞ!」
女性の身体を軽々と持ち上げ、背中に乗せる。
そこで、拍手をする音が聞こえてきた。
「おいカエデ。何手ぇ叩いてんだよ!」
「わ、私じゃありませんよ……!?」
「なんだと? じゃあ誰が──」
「私です」
聞き慣れない声がした。少し甲高い、女の声だ。
「誰だッ!?」
声のした方を振り返る。
そこに佇んでいたのは、幼い容姿をした少女だ。緑色のおさげ髪。黄緑と白の二色の縞模様で構成された、芋虫のような触角を頭から二本生やしている。瞳はハイライトが失われていて、目が見えているのかどうか怪しい。何故かチアガールの衣装を身に付け、両手に黄色のポンポンを持っている。
楓は少女を見てすぐ、この世界にチアガールという概念があった事に驚きを隠せないでいた。
「こんにちは、虫ケラ達」
少女は口角を緩める。
「私の名前はロイディ・パラサイ。以後、お見知り置きを」
「コイツが、村人を攫ったっていうエネミーか……!!」
「どうやらそうみたいだ。……いちいち癪に触る二人称が、前に会った奴と同じだからな」
「これ二人称なのか……随分と変わってるんだな」
「虫ケラ達の事は、仲間を通じて知っていますよ。『矛盾を抱えた龍』カエデ・マキノに、龍族のラザニア=ドラゴン。主人からはこの二人に遭遇したら、迷わず始末しろと言われています」
「オレはわかるが、カエデもなのか? コイツ、お前の主人とやらにとっても重要な存在なんじゃないのかよ」
「それは私の口からは答え兼ねます」
「そーかい」
ラザニアは適当に返してから、今しがた背負った女性をベッドの上に戻そうとする。
「戦いは既に、始まっているんですよ?」
ロイディがそう口にすると、それまでに眠っていた女性が突然目を覚まし、両手を使ってラザニアの首を絞めた。
「ラザ!!」
『ラザちゃん!!』
「(なんだ、これッ!! 人間の、それも一村人が出せる力じゃねー……!!)」
「人は見かけによらないんですよ。いつから彼女達が虫ケラ共が救おうとしていた者達だと錯覚していたのです? 確かに見た目は同じですが、果たして中身も同じでしょうか?」
「お前、この人達に何をしたッ……!!」
「敵に答える義理はありません」
「くっ……!!」
首を強く絞められ、ラザニアの顔色が段々と変わってきている。再生能力を著しく損なっている今の彼女なら、これ程度でも死ねてしまう。加えて声が出せないため、軽い技すら使えない。絶体絶命だ。
今彼女を救う事が出来るのは、自分だけ。そう思った途端、両肩が重りでも載せられたかのように重くなった。
誰かの命を背負う。それがこれ程までに重たくて、辛いものだとは思わなかった。
でもだからと言って、立ち止まっている場合じゃない。
『楓ちゃん! 早くしないとラザちゃんが!!』
流石のマカロニも、焦燥した声を上げる。それが、合図になった。
「わかってますって!!」
口調を変える事も忘れ、女性を引き剥がそうと手を伸ばす。
「そんな事、許すわけがないでしょう」
近くで横たわっていた二人の村人が起き上がり、楓に襲いかかってきた。
『楓ちゃん!!』
「それもわかってますッ!!」
目を瞑り、赤黒い障壁を展開させる。そしてそれに触れた村人二人を、鋭利な棘によるカウンターで貫いた。
「くっ……うっ……!!」
直視なんて、到底出来やしなかった。恐らくは何も罪のない人間。それを傷付けるというのは、彼女にとってはあまりに酷い。
こういう時だけ、人間の感情が薄れて亜人を平気で殺せていた自分になりたいと、都合良く思ってしまう。
目を開き、再度手を伸ばす。
指の先が、女性に触れようとした……その時だった。
「……今、ですね」
ロイディの口角が、更に上がる。
女性の身体が突如爆発、四散。周囲に臓物と赤い液体が飛び散った。至近距離に居たラザニアと楓は、それを全身に浴びる事になる。
「かはっ……げほ、げほ!!」
窒息状態から解放されたラザニアは、喉元を押さえながらえずいた。
「あ、あぁ……っ」
一方で楓は、全身の力が抜け落ち、その場に跪いていた。
彼女の脳裏に、あの光景は強く焼き付けられた。どれだけ忘れようとしても、こびり付いて離れない。身の毛のよだつ恐怖も。鼻を劈くような血の臭いも。全て。
楓の精神は脆く崩れやすい。彼女を壊すのは、悲しい事にそこまで難しくないのだ。
「あああああああああ……!!」
両手で頭を抱え、呻き声を上げる。今はもうそれしか出来なかった。
「さぁ愛くるしい我が子たち。あの哀れな虫ケラを、私の新たな愛の巣にしましょう!」
ロイディは頭の触角を伸ばし、楓の首元を突き刺した。そして何かを、彼女の体内へと流し込んでいく。
「ドラゴニック・舞レードッ!!」
魔力で生成された剣で、触角を斬りつける。しかし切断に至れないどころか、傷一つ付けられなかった。
「無駄ですよ。私はエネミー。魔力を用いた攻撃手段の一切を受け付けません。つまり、今の虫ケラじゃ私に勝てないという事です」
「クソがッ!!」
怒りに任せて、もう一度触覚に魔力の剣を振り下ろす。結果は何も変わらなかった。
「くっ……最悪じゃねーかよ、この展開……!」
「虫ケラにとってはそうでしょうね。けれど私にとってこれは、この上なくハッピーな事なんですよ。
……そこで指を咥えて見ててください。仲間が少しずつ自我を失い、私の傀儡となっていく様を。ケケケ」
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