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三章 監獄島の魔女

3-1 数日後

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 全ての生命の根源である大穴『アルケー』。その近海は絶えず荒れている。船一隻も、通る事は叶わない。

 監獄島デスカリュバス。通称『生き地獄』は、その海の上に建設された。

 そこに投獄されているのは、非道な罪を犯した大罪人ばかり。最近は七十人もの婦女を拉致監禁し、拷問の末に殺害した男がここに投獄された。

 彼は他の囚人の怒りに触れた為に、その日の夜に遺体で見つかった。彼が殺した女性達よりも、遥かに無残な姿をしていたという。

 そんな地獄よりも恐ろしいとされる監獄島を裏で支配するのが、監獄島の魔女──エマ・グランディス。灰色の髪を腰まで流し、黒い三角帽子を目深に被った大人びた雰囲気を持つ女性だ。

 彼女はあらゆる魔法を極め、世界の真理に近付き過ぎたあまりに倫理観が崩壊。自己欲求を満たす為だけに、大陸を消滅一歩手前まで追い込んだ、悪魔の如き存在と言われている。

 彼女は現在、地下深くに建設された特別牢獄の中で暮らしていた。本を読み耽る事に時間を費やし、退屈を紛らわせている。

「……ほぅ、珍しいな。こんな場所に客人が来るとは」

 気配を察知し、読んでいた本を閉じる。視線を前に向けた。

「アンタが、監獄の魔女だな」

 鉄格子を挟んだ向かい側に、二人の少女が立っていた。

 一人は頭頂部にアホ毛を生やした青い髪。もう一人は、黒いマントで首から下を覆い隠している。

「……だったらどうする?」

「ここから出してやる。その代わり、オレ達に力を貸せ」

 少女──ラザニアの提案に、エマは口元に弧を描いた。


**


 前後左右どちらを見ても、穢れのない白が視界を埋める空間に、楓は一人立ち尽くしていた。

「……酷いよ、楓っち」

 声がした。愛する親友の声が。

「癒月……!?」

 声のした方へ振り返る。しかしそこにあったのは癒月ではなく、かつて生命だった亡骸であった。

 癒月の遺体へと駆け寄り、抱える。そして嗚咽を漏らした。

「楓のせいで、私は死んじゃったんだよ」

 閉じていた目が突然開かれて、言葉を紡ぎ出した。

「ひっ……」

 思わず、声が漏れる。

「楓がちゃんとトドメを刺さなかったから、あんな事にはならなかった」

 手を伸ばし、楓の頬に触れる。そして笑った。嗤った。

「楓のせいだよ。楓が悪いんだ。楓が、私を殺したんだ……!」

「そうだ……わた、し……が……」

 ──癒月を、殺したんだ。

「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 涙を流しながら、懺悔する楓。彼女の醜態を、癒月は不気味に感じるくらいの真顔で、じっと見据えていた。

「どれだけ謝ったころで、私はもう生き返らない。それは無駄なんだよ」

「じゃあ、どうすれば……」

「死んでよ。死んで、私のところに来てよ」

「私が死ねば……癒月は、私を許してくれるんですか……?」

「うん。そうすれば、赦してあげる。……だから死のうよ」

 頬に触れていた手が、首元へと移動する。

「……わかり、ました」

 癒月の手首を、両手で掴んだ。

「私……死にます。死んで……罪を──」

「これ以上、『それ』に耳を貸しちゃ駄目だよ」

 その声がした瞬間。癒月が消滅した。

 顔を上げる。そしていつの間にか立っていたマカロニに、詰め寄った。

「どうして……どうして癒月を……!?」

「アレは癒月じゃない。単なる悪夢だよ」

「悪、夢……?」

「誰かが君に見せていたんだよ。癒月が君を恨んでいる、なんて極めて趣味の悪い夢をね」 

「そんな……」

 全身の力が抜け、その場で膝を崩す。

 平静を取り戻し、自分がどれだけ恐ろしい事を自分自身にやろうとしていたのか気付き、背筋が凍った。それと同時に、癒月を利用した悪夢を見せた犯人に対して、強い憤りを覚えた。

「私が気付けたから良かったけど、もう少しで死ぬところだったよ。……いや、楓ちゃんは不死だから死なないか」

「不死……?」

「そっか、楓ちゃんは知らないんだよね。君の持ってるアビリティは『不死』。死を無効化する、書き換え不可能の領域に位置する能力だよ。首を絞めた程度じゃ、いつまでも苦しいだけで天国にはとても旅立てやしない」

 つまり病気以外で死にたいと思えるほどの苦しみを味わったとしても、死ぬ事ができないという事だ。誰かが死に物狂いで望んだものかもしれないが、普通を望む楓にとってこれは、ただの呪いと変わらない。

 だってこのアビリティこそが、楓が『矛盾を抱えた龍ドラゴンゾンビ』に選ばれた要因なのだから。

「……なぁ、マカロニ。教えてくれ。癒月を殺したのは、私なのか……?」

「違うよ。殺したのはハウセンだ」

「……私があの時ちゃんとハウセンにトドメを刺していれば、あの子は死ななかった……!」

「そうかもね。でもそれは、あくまで要因に過ぎない。ユヅキの命を奪ったのは。心臓を貫いたのは、君の手じゃない」

「でもあの子は、私の事を恨んでいるかもしれない……!!」

「ありえないよ、そんなの」

「どうしてそう言い切れるの……!? アンタは癒月じゃないのに……!!」

「彼女は死に際に。人生最期の遺言に、君への好意の言葉を選んだんだよ? そんな子が、君を恨んでる筈がないよ」

「…………」

『だい……すき……だ……よ……』

 癒月の最期の言葉が、脳内で反芻する。

 そうだ。彼女がそんな事を言う筈がない。だというのに、どうして自分は偽物の言葉を信じて、死のうと思ったのだろうか。

 きっと楓自身が、それ程までに罰を望んでいたからだろう。

「ほら、もう少しで夜が明ける。何かに悩んだり、気分が落ち込んだ時は、日の出を見てみるといいよ。少しは気も晴れると思うから」

「……いや、それは多分無理だと思うな」

 楓の言葉にマカロニは少しの間首を傾げた後、ハッとした。

「あー、そうだったね」


**


 ゆっくりと、目を開ける。

 まず視界に映ったのは、低い土塊の天井だ。

 セフィリィア王国の北東に聳えるキャレラ山。危険な魔物が蔓延る為に、誰も足を踏み入れる事が無いらしい。

 ここはその山中。標高およそ八○○メートル地点にある小さな洞窟。ラザニアが、以前より寝泊りをしていた場所だ。

 硬い地面の上で寝ていたからか、背中が少し痛む。檻の中に居た頃は壁に背中を預けて眠っていたので、多少慣れはしたが、やっばり柔らかいベッドが恋しくなる。

 ここに来るまでは全裸だったが、今はちゃんと衣類を身に付けている。とは言っても、ラザニアから借りた服とパンツ。そしてその上に黒いマントを羽織っているだけだ。ブラジャーはちゃんとこの世界に存在しているのだが、いかんせん楓とラザニアは胸囲に差があり、ラザニアのでは小さすぎて着れなかった。

 ふと目線を右に向ける。自分の腕に、ラザニアが抱きついていた。とても幸せそうな寝顔を浮かべながら。

「んん……お母、さん……」

 楓の中には、彼女の母親であるマカロニの魔力が宿っている。だから近くに居るだけで。触れているだけで、凄く安心できるのだろう。

 彼女の腹部に空いていた大きな風穴は、今はもう塞がっている。

 ここに到着してすぐの事。『治癒の葉エイリーフ』という葉をそのまま齧った。たったそれだけで、傷が一気に塞がったのだ。

 回復魔法すら貴重とされているこの世界で、傷を瞬時に治す事の出来る『治癒の葉エイリーフ』はたいへんに貴重なものらしいが、このキャレラ山脈には群生しており、大量に採取する事ができた。

 ただ、ラザニア本人の驚異的は回復力は元に戻る事はなく、龍人態になる事も出来なくなっていた。メアリー・ダランシアのあの攻撃には、まだ多くの謎が残る。

 初めてこの洞窟で夜を過ごした時。今と同じように引っ付いてきたラザニアを、腕から引き剥がそうとしてみた。

『……いか、ないで……置いてかないで……』

 彼女は、今にも泣きそうな弱々しい声を上げた。

 屍龍として完全に覚醒した楓だったが、癒月とマカロニの影響で人間としての理性を保っている。つまり彼女の優しさは、健在だった。

 すぐに引き剥がすのを諦め、代わりにラザニアの頭を撫でた。そうすると彼女の表情が、とても穏やかなものに戻った。

「ふふ……可愛い……」

 あの時と同じように、ラザニアの頭を撫でてやる。口角が喜びで吊り上がった。

『でしょ? 私の娘は、世界一可愛いんだから』

「ひゃっ!? び、びっくりした……急に話し掛けないでくださいよ! お陰で変な声が出ちゃったじゃないですかっ……!」

『ごめんねー、ちょっとした出来心だったんだよ。まさか口調が戻るくらいに驚くなんて』

「……あっ」

 指摘されて、初めて口調が戻っている事に気付いた。恥ずかしさを紛らわすように、わざとらしく咳き込む。

「し、仕方ないだろ。十数年間使ってきた口調をいきなり変えられるものか!」

『ま、そうだよね。……私は、優しい口調の方が君に合ってると思うけどなー』

 楓は目を瞑り、自分に言い聞かせるように言った。

「……私は決めたんだ。優しいだけの自分は捨てるって。そうでもしないと、この世界では生きていけないから」

『優しさを捨てる、ね……』

「何か、変な事でも言ったか?」

『ううん、別に。ただどれだけ世界が残酷でだったとしても、自分の本心を偽るのは間違ってると、私は思うんだけれど』

「お前は強いから、そんな事が言えるんだよ。弱い者は、自分を捨てでも明日を掴み取るしかないんだ……」

『……そうだね。私に、弱い者の気持ちはわからないかも』

 その時のマカロニの声は、何故か寂しげだった。


**


 楓が、怒りと悲しみを引き金に『矛盾を抱えた龍ドラゴンゾンビ』として完全に覚醒したあの日から、数日が過ぎていた。

 ラザニアからの助力を受けながら、強力な魔物と何度も戦い、戦い方を身に付け、ある程度は力の制御が出来るようになっていた。もっとも、暴走の危険は未だ払拭できていないが。

 それに覚醒してから食欲が微塵も湧かなくなり、飢える事もなくなった。ラザニアが推測するには空気中の魔素を取り入れ、それをエネルギーに変換しているのだろうという。

 幸いにも味覚は残っているので、いつも食事をしていた時間帯に、軽く何かを口にする事はある。食欲がないからと言って一切食事を摂らないのは、自分が人ではない怪物だと認めてしまうようで、少し怖かったからだ。

「そろそろ、山を降りようと思う」

 胡座で地面の上に座り頬杖をつくラザニアが、そう切り出した。

「オレの傷も完全に癒えたし、カエデの力も安定してきた。今のお前なら、大抵の人間には勝てるだろうよ」

 ラザニアと向かい合わせに座る楓。手本のように綺麗な星座だった。

「ありがとう、ここまで色々と手伝ってくれて」

「勘違いすんなよ。お前の中にお母さんが居なかったら、ここまでの事はしてねー」

「わかってる」

「山を降りたら予定通り、お前の故郷へと戻る方法を探る。それと、魔導士共の居場所も突き止めねーとな。アイツらは人の母親を弄んだ。絶対に許せねぇ」

「それは私も同じだ。今度会ったら、必ず殺す」

 彼女達の顔が脳裏に思い浮かぶ。両の手に、無意識に力が入った。

 許せない。許せるはずがない。目的の為に自分達をこの世界に呼び寄せなければ、こんな事にはなっていないのだから。

「あとはまあ、お前の下着と服を買わないといけねーな」

「……ごめん、私の胸が大きいせいで」

「それは嫌味かなお前!? 中にお母さんが居なかったら、今頃お前を半殺しにしてたところだぞ!」

「けど、胸が大きくても良い事無いぞ? 肩は凝るし。邪魔だし」

「大きい奴がそれを言うと嫌味に聞こえるんだよ。お金持ちが「お金沢山あっても良い事無いよ」とか言って、へーそうなんだーって感心するか? しないだろ!」

「……いや、お金と胸だと大分変わってきませんかねぇ!?」

「じゃあ身長で例え──ってお前、背もそこそこ高いじゃん! 羨ましいなぁ! 少しオレに分けてくれよ!」

『私は、ラザはそのままの方が可愛いと思うよ』

「あ、マカロニさんが今、ラザはそのままの方が可愛いって言ってますよ……!」

「本当か!? ……お母さんがそう言うなら、仕方ねぇ。背も胸も、やっぱこのままでいいや」

「(……ちょろすぎますね。流石はマザコン)」

『わかったでしょ。この子を連れて行かなかった私の気持ちが』

 マカロニの言う通り、確かに彼女は親離れをした方が良いのかもしれない。彼女の母への想いは親愛をとうに通り越して、依存心という沼に両脚を突っ込んでいる。この数日間、彼女と過ごしてそれを痛感した。

 ただその原因は、彼女自身よりも、母親の方にある気がした。

「(単にお前が、甘やかし過ぎただけだろ?)」

『正直、それはあると思う。……はあ、私ってば母親失格ね』

 マカロニは否定する事もなく素直に己の非を認め、ため息を吐く。

 この親にしてこの子あり、という訳だ。

「あー、話が脱線したな」

 ラザニアが続ける。

「とにかく、近いうちに山を降りる。だから今の内に、ここを出る準備しておけよ……とは言っても、私物なんて無いと思うけどな」

「了解した」

 楓は重い腰を持ち上げて、洞窟の外へと向かう。

「何処に行くんだ?」

「散歩がてらに、何体か魔物を狩ってくる」

「なるべく遠くには行くなよ。今のお前でも、ここの魔物に囲まれれば、生きては帰れないぞ」

「わかってる。いざとなったらマカロニに頼るさ」

「人の母親を、便利な愛人みたいに言うんじゃねー」

「冗談だ。じゃ、行ってくる」

 軽く手を挙げてから、楓は洞窟を出る。木漏れ日の眩しさに一瞬だけ目を細めるも、すぐに慣れた。

 視界いっぱいに広がる森林は、気温も平均的で過ごしやすく、一見穏やかな環境にも思える。

 だがここは、紛れもなく戦場だ。一瞬の油断と判断の遅れが生死を分ける、弱肉強食の世界だ。

「さて。始めようか」

 楓は挑発するかのように、開戦の宣言をした。
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