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二章 覚醒の夜

2-6 地下での攻防

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「今のうちに、ここから出るよ……!」

 ウィスタリアが急いで地上に向かった直後。二人は早速、檻からの脱出を試みた。

 体内に宿っている龍の魔力を引き上げて、それを右腕に集中させる。

「くっ……!」

 苦虫を噛んだような顔を浮かべる。人でもなく龍でもない中立を保っていた精神が龍の方へと傾き、牧野楓としての意識を蝕んでいた。

「癒月、少し離れてて……!!」

「う、うん」

 右腕が、禍々しい黒がかった赤いオーラに包まれる。

 拳を握り、鉄格子を殴りつけた。くの字に曲がりはしたが、破壊するには至れない。

「が、ああああああ!!」

 鉄格子に施された仕掛けが発動。楓の全身を、雷魔法が駆ける。

 全身を蝕む激痛に耐えながら。龍に意識を乗っ取られないように抗いながら。力を更に込める。目の前の障害を、なんとしてもぶち壊す為に。

 そして遂に、脱出を阻む鉄の一本を破壊するに至った。

 いつ彼女が戻ってくるかわからない以上、破壊するのに時間をかけるのは得策とは言えない。

「だったら、一気にいく……!!」

 左腕にも、龍の力を込める。楓の意識は更に遠退くが、今はどうだっていい。

「ぅ、ぐ、ガアアアアアアアアアッッ!!」

 人ではない。まるで獣のような咆哮を上げながら、両腕の打撃を連続で叩き込む。何度も何度も何度も何度も何度も!!

 結果的に四本が破壊され、人が一人通れる隙間が出来上がった。……しかし。

「アアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 龍の力を使い過ぎた代償だ。

 楓の意識は完全に乗っ取られ、背中から骨が突き破り、翼を形成する。歯は刃の様に尖り、整った顔の左半分の肉が溶け落ち、骨を曝け出した。

「か、楓っち……!?」

 困惑する癒月。彼女は、楓がどのような存在になったのかを知らない。その反応は、当然だ。

 檻から出た勢いで、そのまま癒月を突き飛ばす。後方の壁に背中を打ち付けた。身体能力の高い亜人でなければ、今ので死んでいただろう。

 目にも留まらぬ速さで距離を詰め、倒れ込む前に癒月の首を掴んだ。

「か、え……で……」

「グギェリャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 癒月の声は、今の楓には届かない。欲望に忠実に動く『ヒトデナシ』へと成り果てた楓の目には、かつての親友が、単なるご馳走にしか見えていないのだから。

『駄目だよ!!』

「っ……!?」

 頭の中に、声が響いた。

 聞き覚えのない。しかし何故か自分のものだと思えてしまう、声。それが、楓の意識を引き戻した。

「……っ! ご、ごめんなさい!!」

 元の姿に戻った途端。楓は慌てて首元から手を離した。

「ごめんなさい、私の……私の、せいで……」

「けほっ、げほっ……! だ、大丈夫だよ。……気にしてないから」

 首元に手をやりながら咳き込む。その目には、涙が溜まっていた。

 やってしまった。意識が無かったと言え、親友を手にかけようとした。喰らおうとしていた。

 こんなどうしようもない化物に成り果てて尚、自分はまだ、元の世界に帰るつもりでいたのか。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、笑えてくる。

「……見たでしょ。アレが今の私。……もう牧野楓じゃない。牧野楓という人間の皮を被った、ただの化物なんだ」

「……」

「ここから出られても、私はもうみんなのところには戻れない……元の世界にも、帰れない……辛いけど、受け入れるしかない。……だってこれが、私の運命らしいから……」

 声が震える。わかっていても、口に出す事が怖くて仕方なかった。

「……そんな事、ない!」

 癒月は立ち上がり、楓の手を握った。

「どんな姿になっても、楓は楓のままだよ。優しくて可愛い、私の大好きな親友の牧野楓だよ!!」

「癒月……」

「だから戻れないなんて言わないで! 帰れないなんて言わないで! 次そんな事言ったら、私メチャクチャ怒るんだから!」

 初めて見た。ここまで真剣な眼差しをした癒月を。

 胸を締め付けられる。どうしてか、癒月の顔を直視出来ない。

 この感情が何と呼ばれるものなのかを、今の楓には知る由もなかった。

「……もう怒ってるじゃないですか」

 楓が言うと、癒月は思わず吹き出した。

「そだね。確かに今、怒ってたかも」

 いつもの癒月に戻り、にししと笑った。

「その、ありがとうございます。私のために」

「お礼なんていいよ。私はただ、言いたい事を言っただけだから。それよりも、早くここから出よ」

「はい。必ず二人で、みんなの所に戻りましょう!」

「……やっぱり、その喋り方のほうが楓っちらしいよ」

「そうでしょうか?」

「うん。まあ、私としては頑張って悪ぶろうとしてる喋り方も可愛かったけどね」

「かわ……もうっ」

「あはは。さ、行くよ」

「はい」

 二人は手を繋ぎ、部屋の外へと飛び出した。

 扉の先は、少し広い空間になっていた。幾つかの部屋に繋がっている。

 この地下空間から外へ出る手段は、ある部屋に設置された転移魔法陣を使う以外にない。だが楓も癒月もそれを知らないし、魔法陣の場所なんてもってのほかだ。

「どうやって出る……?」

「立ち止まってる暇はありません。しらみ潰しに確認していきましょう」

「なるほど。ローラー作戦って奴だね」

「意味はどっちも同じですが……まあ、その通りですね」

 まず、一番近くの扉を開けた。中は、沢山の武器が保管されている武器庫になっていた。

「どうする。一応、武器とか持ってく?」

 人間のままなら武器を持っても猫に小判であったが、楓も癒月も、今は人ならざる者だ。魔導士を相手にしてと、少しは戦えるようになっているだろう。

「そうですね、一応持っていきましょうか。……でも、重いのはやめてくださいね」

「りょーかい。……じゃあ私は、これにするよ」

 癒月が手に取ったのは、使い古された短剣。とても良い品とは言えないが、今はわがままを言える状況ではない。

 一方で楓が選んだのは、片手剣。こちらも刀身が少し欠けていて、良質からは大分程遠い。

 それにしても、身体能力が強化されているお陰で、片手剣を軽々と持つ事ができた。本来は両手でも簡単には持ち上がらなかっただろう。

 力持ちになるというのは、女性としては少し複雑な感じだ。

「はあ……」

「どうしたの? 急にため息なんて」

「いえ、なんでもありません」

 武器庫を後にしてから、今度はその正面にある部屋へ向かう。

 縦長のテーブルが中央に設置されており、それ以外には何も無い。魔導士らが集まって会議する場所なのだと、容易に想像できた。

「…………」

「楓っちは、魔導士が憎い?」

 顔色を伺いながら、癒月が尋ねる。

「当然です。私をこんな化物に変え、癒月を亜人に変えた。その罪は重いです。万死に値します」

「私も憎く思ってるよ。親友を苦しめたんだもん。そんなの、許せる筈が無いよ」

「……復讐」

「え?」

「私は彼女達に、復讐したいです。……癒月は、反対しますか?」

「ううん。楓っちが自分で決めた事だもん。反対なんてしないよ。……けど、絶対に後悔はしないでね」

「後悔、ですか。……わかってますよ」

「……そっか」

 これ以上この部屋に止まっていても仕方ない。部屋を後にしようとした。

 その時、広間の方から大きな物音がした。急いで部屋を出てみれば、空間の中心に、見覚えのある、このタイミングで出来れば目にしたくなかった存在が佇んでいた。

 ワインレッドの髪に拘束具。見間違えるものか。

 数日前に王都を襲撃したエネミー、ハウセンだ。

「そんな……!!」

 もしかしたらここから出られるかもしれない。その希望が、一気に崩れ去ったのような気がした。

 楓が知るはずもないが、ハウセンは夜宵の手によって倒されている。ならば何故この場に居るのかといえば、エネミーには同一個体が存在するというのが、生じた疑問の答えだ。

 見た目も性格も同じだが、夜宵の倒したハウセンと今目の前に居るハウセンは、まったくの別物ということになる。双子、みたいなものだ。

「ハロー、虫ケラ共。元気にしてる──ようには、見えないな」

「楓っち、この子は一体……」

「エネミーですよ。勇者が倒さないといけない人類の敵……という設定でウィスタリア達が作った、化物です……!」

「化物とは失礼だなー。これでもわっちは恋に恋する乙女なのだぞ?」

 冗談交じりに呟き、笑う。

「癒月、先に逃げてください」

「そんな……嫌だよ! 楓っちを一人になんて出来ないもん……!」

「……でもまた、あなたを喰おうとするかもしれません」

 相手はエネミー。遊び感覚で人を殺せる化物に、人間としての意識を保ったまま勝てるとは到底思えない。

 自分が塗り潰される覚悟が必要だ。

 しかしここで力を使えば、また癒月を襲ってしまうかもしれない。それがどうしようもなく怖かった。

「それでもいいよ。私はもう、楓っちから離れたくないから」

「癒月……。……わかりました」

 楓は一歩前に立ち、軽く息を吐く。

「……ぁぁあああああああああああああ!!」

 全力を振り絞って叫ぶ。全身に赤黒いオーラが纏わりつき、黒目が紅く染まった。

「異世界人と龍の融合体……ご主人から話は聞いていたが、まさかこれ程とは」

「ガああああああああッッ!!」

 息もつかせぬ速さで接近し、右腕を大きく振り被る。

「速さ勝負か? いいだろう」

 ハウセンは口元に弧を描き、直後にその場から姿を消した。放たれた一撃は、虚しく空を切った。

「──後ろだよ」

 背後からハウセンの声。すかさず振り返り、回し蹴りを放つ。しかしそれは、またしても相手を捉える事は出来なかった。

 直後、右脇腹に衝撃。ハウセンの蹴りが命中していた。横に吹き飛び、壁に強く打ち付けられる。

「楓!」

 痛みはあまり感じなかった。というよりも、龍の魔力を引き出している間は、痛覚が鈍くなっている。

「遅いよ、全然遅い。そんなんじゃ、わっちの速度にはついてこれないよ?」

「だったら、無理やり追いついてやるだけ……!!」

 立ち上がり、再び加速。繰り出した右腕の攻撃は、果たしてハウセンには届かない。

 しかし楓は、ほんの微かにだが笑った。

 楓を包んでいたオーラが一度胸の辺りに凝縮したかと思えば、一気に膨張。彼女を護る、半透明の障壁と化した。

 隙をついたハウセンの攻撃が障壁に防がれる。仕返しとばかりに壁から伸びた一本の針が、肩へと突き刺さった。

 全方位に攻撃を防ぐ壁を展開し、それに攻撃を加えた相手へ自動的に反撃を加える技。名付けるなら──

「ダーク・トライアル」

「(楓っちが……なんか技名言ってる。可愛い)」

 自分の繰り出した技にわざわざ名前を付け、尚且つそれをドヤ顔で口にした親友に、癒月は何処か愛らしさを感じていた。

「お前……さっき追いつけばいいとか言ってたじゃんか……!」

「口にした事が全て本音な筈が無いでしょう? 信じたあなたが馬鹿なんですよ──虫ケラ」
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