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二章 覚醒の夜
2-1 ヒトデナシ≠人で無し
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『お母さん、いつもありがとう』
それは記憶。いつかの記憶。手を伸ばしたって届かない、幸せな記憶。
母の日に、頑張って貯めたお小遣いで買った花束をプレゼントした時だ。この時はまだお父さんの仕事もあまり忙しくなかったから、家族三人で過ごす事が多かったっけ。
思い出に浸っていたら、突然記憶に亀裂が走った。それから間も無くして、粉々に砕け散った。
ねぇ、行かないで! 置いていかないでよ!
どうかその温もりを、私から奪わないで……!!
……。
…………。
………………あれ?
私は今、何を見ていたんだろう?
**
牧野楓が『ヒトデナシ』になってから、数日が過ぎた。
彼女は自身が人間ではない事に慣れ、人間に戻る事をとっくに諦めていた。
「カエデ様、食事の時間です」
鉄格子の向こうから、魔導士の女が告げる。楓は重たい腰を持ち上げ、気怠げに、髪を掻きむしりながら檻の外へと出た。
今の楓なら、魔導士の一人や二人なら容易く殺せるだろう。だがそうしないのは、当然理由がある。
彼女の首に嵌められている首輪は、宮廷魔導士団の人間に対して害意を向けた際、雷魔法が自動的に装着者を対象に発動する仕組みとなっている。
痛みに対して泣き叫ぶ程の恐怖心は無くなったが、痛覚は健在だ。痛みを耐えれば外せなくもないが、クラスメイト達を人質に取られている現状、迂闊に動く事も出来ない。
因みに、自力で鉄格子を破壊する事も可能だ。だが檻にも特定の人物が触れたら対象に雷魔法を放つ仕掛けが施されており、こちらも相応のダメージを覚悟すれば出来なくはないが、それをしない理由は首輪と同じだ。
連れて来られたのは、別の鉄格子の前。中には、獣の耳や尻尾を生やした幼い子供の姿が幾つもあった。
彼等は『亜人』だ。罪を犯した。もしくは借金などを返せなくなった人間の雌と、捕らえられた魔物の雄を強制的に交配させる事で生み出される、ハイブリッドである。
人の言葉を介し、容姿も獣耳と尻尾を除けば人間と大差無いが、驚異的な身体能力と魔力を持っている。また容姿に恵まれており、寿命も人間に比べて長い。しかし魔法を一切扱う事が出来ないように改造されている為、位の低い束縛魔法一つで完全に無力化させる事が出来る。
亜人族は人間の奴隷、家畜となるためだけに生を受けた都合の良い存在だ。当然ながら人権は無く、一方的な迫害をしても罪には問われる事はない。
そして檻の中に居る彼等は、楓の餌だ。彼女に喰われる為だけに、今日まで生きてきた。
楓はヒトデナシになって以来、人と同じ食事では味を感じず、腹も満たされなくなった。その代わりとなったのが、魔力を含んだ人間や魔物。特に大量の魔力を持つ亜人の肉は、頬が蕩ける程に美味しい。
今の楓には、食らった魔力をそのまま自身に加算する『暴食』という特異能力を持っている。ウィスタリア達は彼女をいち早く『完全体』にしたいと考えているらしく、一度の食事で多くの魔力と身体能力を得られる亜人が、餌として選ばれたのだ。
しばらく物色してから、一人の少年を指差す。
「……そこの子が、一番美味しそうだ」
死刑宣告を受けた少年の顔が、一気に青ざめる。当然の反応だった。
「わかりました」
魔導士が檻に入り、嫌がる少年を無理やり外に出した。
楓は左手で少年の首根っこを掴みと、か細い腕からは想像出来ない力で、彼の身体を持ち上げた。檻の中に残った亜人達は、それを見て恐怖に打ち震えている。
「ぁ、かっ……!!」
少年は宙に浮いた脚をバタつかせ、楓の腕を両手で掴んで抵抗するが、時間が経つに連れて少しずつ抵抗する力が弱まり、やがて完全に動かなくなった。白目を剥き、息絶えた。
もう片方の手を使って、少年の左腕を引き千切る。そして指数本を口に咥え、骨ごと噛み砕いた。楓の顎も歯も、今は龍と同じ。鉱石すら、容易に噛み砕く事ができた。
止まる事なく左腕を食べ尽くし、今度は右腕を引き千切り、同様に喰らった。
その後は脚を喰らい、胴体を喰らい、最後に頭を喰らう。骨一つ残らず、全てが彼女の胃袋の中へと消えた。
以前の牧野楓なら、こんな残酷な事は絶対にしないし、出来なかっただろう。
だが今は違う。人間の身体で無くなったあの時から、人間らしい恐怖心や罪悪感が薄れ、強い食欲に駆られるようになった。
言ってしまえば、獣だ。
「……もう一人、喰べてもいいか?」
手に付着した血を舐めながら、魔導士に尋ねる。
「構いませんよ」
「じゃあ……今度はその子で」
表情筋一つ動かさずに、楓は少女を指差した。
食事を済ませた後は、すぐに戦闘実験が行われる。場所は地下にある小さな空間。周囲を、高位の結界魔法で覆われている。
相手は、ウィスタリアが召喚したジャイアントロル。緑色の巨人で、全長はおよそ三メティア。大きく膨れ上がった腹と丸太のように太い腕が特徴で、自分と同じくらいの大きさの棍棒を得物としている。
一撃一撃は非常に重いが、動きそのものは欠伸が出るほどに鈍い。そんな魔物だ。
「始めてください」
結界魔法の外に居るウィスタリアが、戦闘開始の合図を口にした。直後に楓は地面を蹴り、ジャイアントロルとの距離を詰める。
相手は棍棒を持ち上げ、振り下ろす。簡単に避けられるくらいに遅かった。
けれど楓は、棍棒の一撃が命中する位置で立ち止まった。敢えてその攻撃を受けようとしていた。
右手を掲げ、棍棒を軽々と受け止める。その時の衝撃が楓の身体を伝い、彼女の足下に亀裂を走らせた。ただ本人には、ほんの僅かなダメージも通っていない。
ジャイアントロルが、もう一度棍棒を振り上げる。
「はあああ!!」
そこで楓は、腹部にある脂肪の塊目掛けて、鋭い蹴りを浴びせる。巨体はバランスを崩して仰向けに倒れ、地面を揺らした。
「そこまでです」
更にもう一撃浴びせようとしていた楓を、ウィスタリアの声が止める。
「元の場所へと帰れ、ジャイアントロル」
ウィスタリアがそう唱えると、ジャイアントロルは消滅。結界魔法も解除された。
「今のジャイアントロルは、防御力を底上げする魔法を限界まで付与した強化個体。並みの攻撃では傷一つ付けられないのに、たったの一撃で倒すとは。かなり成長していますね」
「……アンタに褒められても、嬉しくない」
「つれないですね。もっと笑った方がいいと思いますよ?」
「私からそれを奪ったのは、アンタ達じゃない……!!」
掴みかかろうと手を伸ばしたところで、ウィスタリアは指を鳴らした。楓の首輪から雷魔法が発動され、彼女の全身に痛みをもたらした。
「ぐっ……!」
痛みに顔を歪め、動きを止める。
「今日の戦闘実験はこれでおしまいです。お疲れ様です、カエデ様」
「いつまで私を様付けするつもりなんだ?」
「いつまでも、ですよ。カエデ様」
「……お前よく、性格悪いって言われないか?」
ウィスタリアの眉が、僅かに動いた。
「ありますよ。なるべく気にしないようにしてますが」
「あ、そ」
踵を返し、自分の入られている檻へと戻る。
中に入ったところで、魔導士が魔法で施錠をかけた。
隅に腰を下ろし、目を閉じる。
「はぁ……」
あの日自分は、この世界とウィスタリア達に復讐を誓った。……誓っ筈なのに、あれから何も出来ない自分が、客観的に見て情けなかった。ため息も溢れる。
今頃地上では、クラスメイト達が自分たちを『勇者』だと信じて危険な戦いに身を投じているのだろう。
全てを知っている身としては、止めたい。全てウィスタリア達の計画の内だと。自分たちは掌の上で踊らせている道化師に過ぎないと、教えたい。
もどかしかった。真実を知っているのに、一番知らせなければならない人達に、伝えられない事が。
だから力任せに、壁を殴った。そこに亀裂こそ走るも、決して砕けはしなかった。
**
楓が行方不明になってから数日。癒月たちは宮廷魔導士団の目を盗んで、話し合いを行った。
そこで佐藤幹哉。並びに句読矢子が提案したのは、「この世界の人間を信じない事」。どれだけ些細な会話であっても、まずは疑う事を心掛けた方がいいと訴えた。
馬鹿の幹哉が言動した事に驚きを露わにしつつも、全員が賛成。更に、少しでも気になった事があれば誰かに報告する事に決まった。
話し合いを終え、各々の部屋に解散してから数時間が経過した。
「さっきからずっと外見てるよね、夜宵っち」
部屋のバルコニーに立ち、そこから見える街並みを眺める夜宵に、癒月が声をかける。
「……最初は、とてもワクワクしてたの」
「何に?」
「この世界そのものに、よ。……だけど牧野さんが居なくなってから、私の目に映る世界は、色を失ってしまったわ……」
自分の右手を見つめ、強く握り締めた。
「何処かで、諦めてしまっている自分が居るの。……彼女はもう、私の前に現れないって。微笑まないって。……少しでもそう考えてしまった自分が、憎らしくて仕方ない……!」
悔しさで震える夜宵の背中に、癒月は優しく触れた。
「大丈夫、楓っちはきっと帰ってくるよ。私も信じるから、夜宵っちも信じようよ。あの子が帰ってくるのを」
「…………ええ」
「ふふ、偉い偉い」
笑顔を浮かべながら、夜宵の頭を撫でた。
「ちょっ、いきなり何するのよ!?」
慌てて振り返り、夕陽のように赤くなった顔で癒月の事を睨んだ。
「元気になったね、夜宵っち」
「っ……!」
顔が更に赤みを増す。早歩きで部屋に戻り、ベッドの上に横たわった。
「貴方って、結構イジワルな性格してるわよね」
「そうかなー? ……夜宵っちがそう思うなら、きっとそうなんだろうね」
言い終えてから、癒月は扉の前まで向かう。
「何処行くの」
「お手洗い。一緒に来る?」
「ふざけないで。お断りに決まってるでしょ」
「冗談だって。すぐ戻るから」
部屋を出て、廊下を進む。
彼女が向かっていたのは厠などではなく、まったくの別の場所だった。
「……えっ」
その時突然、視界がぐにゃりと歪んだ。膝を崩し、倒れる。
どうしたんだろう、私。そんな疑問を抱く前に、抗う事がバカバカしいと思えるほどの強力な睡魔に襲われ、間も無く意識を失った。
それは記憶。いつかの記憶。手を伸ばしたって届かない、幸せな記憶。
母の日に、頑張って貯めたお小遣いで買った花束をプレゼントした時だ。この時はまだお父さんの仕事もあまり忙しくなかったから、家族三人で過ごす事が多かったっけ。
思い出に浸っていたら、突然記憶に亀裂が走った。それから間も無くして、粉々に砕け散った。
ねぇ、行かないで! 置いていかないでよ!
どうかその温もりを、私から奪わないで……!!
……。
…………。
………………あれ?
私は今、何を見ていたんだろう?
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牧野楓が『ヒトデナシ』になってから、数日が過ぎた。
彼女は自身が人間ではない事に慣れ、人間に戻る事をとっくに諦めていた。
「カエデ様、食事の時間です」
鉄格子の向こうから、魔導士の女が告げる。楓は重たい腰を持ち上げ、気怠げに、髪を掻きむしりながら檻の外へと出た。
今の楓なら、魔導士の一人や二人なら容易く殺せるだろう。だがそうしないのは、当然理由がある。
彼女の首に嵌められている首輪は、宮廷魔導士団の人間に対して害意を向けた際、雷魔法が自動的に装着者を対象に発動する仕組みとなっている。
痛みに対して泣き叫ぶ程の恐怖心は無くなったが、痛覚は健在だ。痛みを耐えれば外せなくもないが、クラスメイト達を人質に取られている現状、迂闊に動く事も出来ない。
因みに、自力で鉄格子を破壊する事も可能だ。だが檻にも特定の人物が触れたら対象に雷魔法を放つ仕掛けが施されており、こちらも相応のダメージを覚悟すれば出来なくはないが、それをしない理由は首輪と同じだ。
連れて来られたのは、別の鉄格子の前。中には、獣の耳や尻尾を生やした幼い子供の姿が幾つもあった。
彼等は『亜人』だ。罪を犯した。もしくは借金などを返せなくなった人間の雌と、捕らえられた魔物の雄を強制的に交配させる事で生み出される、ハイブリッドである。
人の言葉を介し、容姿も獣耳と尻尾を除けば人間と大差無いが、驚異的な身体能力と魔力を持っている。また容姿に恵まれており、寿命も人間に比べて長い。しかし魔法を一切扱う事が出来ないように改造されている為、位の低い束縛魔法一つで完全に無力化させる事が出来る。
亜人族は人間の奴隷、家畜となるためだけに生を受けた都合の良い存在だ。当然ながら人権は無く、一方的な迫害をしても罪には問われる事はない。
そして檻の中に居る彼等は、楓の餌だ。彼女に喰われる為だけに、今日まで生きてきた。
楓はヒトデナシになって以来、人と同じ食事では味を感じず、腹も満たされなくなった。その代わりとなったのが、魔力を含んだ人間や魔物。特に大量の魔力を持つ亜人の肉は、頬が蕩ける程に美味しい。
今の楓には、食らった魔力をそのまま自身に加算する『暴食』という特異能力を持っている。ウィスタリア達は彼女をいち早く『完全体』にしたいと考えているらしく、一度の食事で多くの魔力と身体能力を得られる亜人が、餌として選ばれたのだ。
しばらく物色してから、一人の少年を指差す。
「……そこの子が、一番美味しそうだ」
死刑宣告を受けた少年の顔が、一気に青ざめる。当然の反応だった。
「わかりました」
魔導士が檻に入り、嫌がる少年を無理やり外に出した。
楓は左手で少年の首根っこを掴みと、か細い腕からは想像出来ない力で、彼の身体を持ち上げた。檻の中に残った亜人達は、それを見て恐怖に打ち震えている。
「ぁ、かっ……!!」
少年は宙に浮いた脚をバタつかせ、楓の腕を両手で掴んで抵抗するが、時間が経つに連れて少しずつ抵抗する力が弱まり、やがて完全に動かなくなった。白目を剥き、息絶えた。
もう片方の手を使って、少年の左腕を引き千切る。そして指数本を口に咥え、骨ごと噛み砕いた。楓の顎も歯も、今は龍と同じ。鉱石すら、容易に噛み砕く事ができた。
止まる事なく左腕を食べ尽くし、今度は右腕を引き千切り、同様に喰らった。
その後は脚を喰らい、胴体を喰らい、最後に頭を喰らう。骨一つ残らず、全てが彼女の胃袋の中へと消えた。
以前の牧野楓なら、こんな残酷な事は絶対にしないし、出来なかっただろう。
だが今は違う。人間の身体で無くなったあの時から、人間らしい恐怖心や罪悪感が薄れ、強い食欲に駆られるようになった。
言ってしまえば、獣だ。
「……もう一人、喰べてもいいか?」
手に付着した血を舐めながら、魔導士に尋ねる。
「構いませんよ」
「じゃあ……今度はその子で」
表情筋一つ動かさずに、楓は少女を指差した。
食事を済ませた後は、すぐに戦闘実験が行われる。場所は地下にある小さな空間。周囲を、高位の結界魔法で覆われている。
相手は、ウィスタリアが召喚したジャイアントロル。緑色の巨人で、全長はおよそ三メティア。大きく膨れ上がった腹と丸太のように太い腕が特徴で、自分と同じくらいの大きさの棍棒を得物としている。
一撃一撃は非常に重いが、動きそのものは欠伸が出るほどに鈍い。そんな魔物だ。
「始めてください」
結界魔法の外に居るウィスタリアが、戦闘開始の合図を口にした。直後に楓は地面を蹴り、ジャイアントロルとの距離を詰める。
相手は棍棒を持ち上げ、振り下ろす。簡単に避けられるくらいに遅かった。
けれど楓は、棍棒の一撃が命中する位置で立ち止まった。敢えてその攻撃を受けようとしていた。
右手を掲げ、棍棒を軽々と受け止める。その時の衝撃が楓の身体を伝い、彼女の足下に亀裂を走らせた。ただ本人には、ほんの僅かなダメージも通っていない。
ジャイアントロルが、もう一度棍棒を振り上げる。
「はあああ!!」
そこで楓は、腹部にある脂肪の塊目掛けて、鋭い蹴りを浴びせる。巨体はバランスを崩して仰向けに倒れ、地面を揺らした。
「そこまでです」
更にもう一撃浴びせようとしていた楓を、ウィスタリアの声が止める。
「元の場所へと帰れ、ジャイアントロル」
ウィスタリアがそう唱えると、ジャイアントロルは消滅。結界魔法も解除された。
「今のジャイアントロルは、防御力を底上げする魔法を限界まで付与した強化個体。並みの攻撃では傷一つ付けられないのに、たったの一撃で倒すとは。かなり成長していますね」
「……アンタに褒められても、嬉しくない」
「つれないですね。もっと笑った方がいいと思いますよ?」
「私からそれを奪ったのは、アンタ達じゃない……!!」
掴みかかろうと手を伸ばしたところで、ウィスタリアは指を鳴らした。楓の首輪から雷魔法が発動され、彼女の全身に痛みをもたらした。
「ぐっ……!」
痛みに顔を歪め、動きを止める。
「今日の戦闘実験はこれでおしまいです。お疲れ様です、カエデ様」
「いつまで私を様付けするつもりなんだ?」
「いつまでも、ですよ。カエデ様」
「……お前よく、性格悪いって言われないか?」
ウィスタリアの眉が、僅かに動いた。
「ありますよ。なるべく気にしないようにしてますが」
「あ、そ」
踵を返し、自分の入られている檻へと戻る。
中に入ったところで、魔導士が魔法で施錠をかけた。
隅に腰を下ろし、目を閉じる。
「はぁ……」
あの日自分は、この世界とウィスタリア達に復讐を誓った。……誓っ筈なのに、あれから何も出来ない自分が、客観的に見て情けなかった。ため息も溢れる。
今頃地上では、クラスメイト達が自分たちを『勇者』だと信じて危険な戦いに身を投じているのだろう。
全てを知っている身としては、止めたい。全てウィスタリア達の計画の内だと。自分たちは掌の上で踊らせている道化師に過ぎないと、教えたい。
もどかしかった。真実を知っているのに、一番知らせなければならない人達に、伝えられない事が。
だから力任せに、壁を殴った。そこに亀裂こそ走るも、決して砕けはしなかった。
**
楓が行方不明になってから数日。癒月たちは宮廷魔導士団の目を盗んで、話し合いを行った。
そこで佐藤幹哉。並びに句読矢子が提案したのは、「この世界の人間を信じない事」。どれだけ些細な会話であっても、まずは疑う事を心掛けた方がいいと訴えた。
馬鹿の幹哉が言動した事に驚きを露わにしつつも、全員が賛成。更に、少しでも気になった事があれば誰かに報告する事に決まった。
話し合いを終え、各々の部屋に解散してから数時間が経過した。
「さっきからずっと外見てるよね、夜宵っち」
部屋のバルコニーに立ち、そこから見える街並みを眺める夜宵に、癒月が声をかける。
「……最初は、とてもワクワクしてたの」
「何に?」
「この世界そのものに、よ。……だけど牧野さんが居なくなってから、私の目に映る世界は、色を失ってしまったわ……」
自分の右手を見つめ、強く握り締めた。
「何処かで、諦めてしまっている自分が居るの。……彼女はもう、私の前に現れないって。微笑まないって。……少しでもそう考えてしまった自分が、憎らしくて仕方ない……!」
悔しさで震える夜宵の背中に、癒月は優しく触れた。
「大丈夫、楓っちはきっと帰ってくるよ。私も信じるから、夜宵っちも信じようよ。あの子が帰ってくるのを」
「…………ええ」
「ふふ、偉い偉い」
笑顔を浮かべながら、夜宵の頭を撫でた。
「ちょっ、いきなり何するのよ!?」
慌てて振り返り、夕陽のように赤くなった顔で癒月の事を睨んだ。
「元気になったね、夜宵っち」
「っ……!」
顔が更に赤みを増す。早歩きで部屋に戻り、ベッドの上に横たわった。
「貴方って、結構イジワルな性格してるわよね」
「そうかなー? ……夜宵っちがそう思うなら、きっとそうなんだろうね」
言い終えてから、癒月は扉の前まで向かう。
「何処行くの」
「お手洗い。一緒に来る?」
「ふざけないで。お断りに決まってるでしょ」
「冗談だって。すぐ戻るから」
部屋を出て、廊下を進む。
彼女が向かっていたのは厠などではなく、まったくの別の場所だった。
「……えっ」
その時突然、視界がぐにゃりと歪んだ。膝を崩し、倒れる。
どうしたんだろう、私。そんな疑問を抱く前に、抗う事がバカバカしいと思えるほどの強力な睡魔に襲われ、間も無く意識を失った。
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