有栖川探偵事務所〜白百合は殺意のメッセージ

409号室

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第一話 白百合の依頼人

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純潔の象徴として古来から人々から愛されてきた白い百合の花。

聖母マリアのシンボルであり、あのジャンヌ・ダルクが御旗に掲げて戦ったこの花が、
悲しい殺意の墓標に供えられるとは、いったい誰が予想したのだろう……。





その日、マンチェスターでは珍しく雪だった。

一面、白に覆われた街角で、小さな影が揺れていた。

それは、まだ幼い兄妹だった。

「お兄ちゃま。どこへ行くの?わたしを置いて、どこへ行くの?」

「これから君は母さんと暮らすんだ。僕たちは離れ離れになってしまうけど、
 よく母さんを助けて、幸せになるんだよ」

「いやあ。お兄ちゃま。置いていかないで」

「さようなら。どうか、元気で……」

「待って。待ってよ。置いていかないで。お兄ちゃまああ!!」





「輝~。お前、毎度毎度、こんな真昼間から何しに来てるんだよ。

だいたい、お前、公僕のくせしてこんなとこで油売ってていい訳?」

目の前で紅茶をすするのは、信じたくないけど、あたしの幼馴染みで相田 輝そうだ ひかる

あたしと同い年だけど、坊ちゃん坊ちゃんした童顔のため、高校生くらいにしか見えない。

スーツもお世辞にも似合っているとは言えず、リクルートの新米どころか、下手すると、
子供がお父さんのスーツを着て遊んでいるみたいな感じだ。

これでも天下の警視庁捜査一課の刑事だっていうんだから、世の中わからないものだ。

「うるさいなあ。いいじゃないか。お前たちだって、暇っぽいんだし」

「生憎、あたしたちはお前の相手なんてしてる暇なんてないんだよ。

ここは探偵事務所なんだぜ?警察官が来るべきところじゃないだろ?」

そう。ここは、「有栖川探偵事務所」。

自慢じゃないけど、日本でも最強の探偵が集まる事務所。

まず、その筆頭が、このアタシ、城金香津美しろかね かつみ

悪いが、武道じゃその辺の男たちになんて負けないぜ?

他にもスゴ腕のメンバーがいるんだけど……紹介は追々……ね。

あたしは、不満げに何か言いたそうな幼馴染みの前に人差し指を突き出した。

「ま。どうせ、お前がここに来てる理由も想像つくけどな」

輝は、すすっていたカップから慌てて口を離すと、

「うっ!?……ど、どういう意味だよ」

とあたしを上目遣いで見上げた。その顔には、なぜか焦りが見て取れた。

「ちっちっちっ。あたしたちは探偵なんだぜ?

お前の心ん中くらい、かる~くお見通しだよ」

「な、な、な……」

「ズバリいくぜ?心の準備はいいか?」

「だ~っ!!……それはお前の誤解だぞ?俺はな、お前のことなんか……」

「ズバリ!!……タダでお茶できるからだろ?」

「へ?」

「図星か」

なぜか輝は、あたしから顔を背けると、ほっとしたようにまた紅茶に口付けた。

「なんだよ。ぐうの音も出ないか。ざまあみやがれってんだ!!

だいたい、お前はいつだって、うちの事務所を頼りすぎなんだよ。

こないだの現金輸送車強奪事件も、T区連続通り魔事件も、

全部久子の推理の賜物だろ?たまには一人で事件解決してみろよな」

「なんだと~!?」

「事実だろ?そろそろ自立ちまちょ~ね~。輝く~ん」

「うああああっ!!ガキ扱いするな!!だいたい、警察に協力するのは、
市民の義務だろう!?」

「は~。そういう高圧的で前時代的な態度はよくないねぇ……。

輝君。『愛される警察』っていうキャッチフレーズが泣いてるぞ~」

「うっ……」

「まあ、我々の支払っている税金くらいは、きっちりとお仕事して頂きたいわね。
うふふ……」

そう言うと、我が事務所のお色気担当は髪をセクシーに掻き揚げた。

彼女は山岸麗やまぎし れい

ボンキュッボンって感じのナイスバディを誇り、諜報部隊にでも所属しているんじゃないかってくらいの情報通だ。

「麗さんまで……ひどいなあ……。俺達だって日夜靴底すり減らして
がんばっているんですよ」

「はいはい。わかってますわよ。うふふ……」

「とにかく、麗さんはともかく、お前に言われるのは許せん!!」

「なんだよ!!それ!!」

「お前もそろそろ自覚しろよ。その色気のなさとか、ガサツさとか。

嫁の貰い手……ないぞ」

「何~!!お前こそ、嫁の来るあてなんてないからな。このとっちゃん坊や!!」

「なんだと~!?とっちゃん坊やは許せないぞ!!撤回しろ!!」

「やなこった!!」

「やれやれ……いつもながら、騒がしいなあ。

紅茶くらい、ゆっくりと楽しませてくれないものかねぇ?」

そう言うと、短髪の麗人はゆっくりとした仕草で湯気の立ち上る琥珀色の液体に砂糖を落とした。

彼女は我らが有栖川探偵事務所の所長・有栖川久子ありすがわ ひさこ

男装の麗人を気取る、天下無敵の名探偵。

常に冷静沈着で、物事を的確に見守る観察力と抜群の推理力を誇るあたし達のリーダー。

「あらあら、では、元気なお二人に、先ほど完成したばかりの新薬の実験台になっていただきましょうかしら?うふふ」

目の前の一見可愛らしい眼鏡っ子の発言にアタシは思わず、カップを取り落としそうになった。

彼女は別所 海べっしょ うみ

のほほんとした語り口ながら、こんな風に恐ろしいことをさらっと言ってのける、最強のマッドサイエンティストだ。

彼女の母親は細胞学の権威でアタシたちの恩師。

最強の変人って感じのあの人を見れば……あの親にしてこの子ありって感じなのか……。

黙っていれば、可愛いんだけどなあ……。


「もう、名物ねぇ。うふふ……。

まあ、ケンカするほど、仲がいいとも言いますけどねぇ」

「や、やめてくれよ!!麗、あたしはこんなガキなんて、ぜんぜん好みじゃないぜ?

あたしの好みはね、もっと渋くて頼りがいがあって……」

そうだ。

あたしの好みは……例えば……。

「か……香津美~」

「あらあら~、出番でございますわよ。KAZUHIKOさん。はい、『突っ込み』」

海がそう声を上げると、KAZUHIKOはゆっくりとした動作で、あたしの肩をはたくと、いつも通りの抑揚のない声で、

「……なんでやねん」

と言った。

女の園のような事務所の唯一の男性所員。

それがこのKAZUHIKO。

だけど、アタシは正直言ってこいつを「男性」って表現したくない。

だって、こいつはゾンビロボットなのである。

SFじゃあるまいしって声が聞こえてきそうだが、アタシだって好きでこんな紹介している訳ではない。

事実なんだから、仕方がないじゃないか。

こいつは海が拾ってきた死体を蘇生させたなれの果てなのである。

まったく……死人を蘇らせるなんて……今、一番、ノーベル賞に近いのはこの海なんじゃないのか……?

今が中世だったら、間違いなく魔女狩りで処刑されているな。うん。

「はい、大変よくできました。うふふ」

「海~!!あんた、このロボットに何教えてんのよ!!」

「あら!!ぶたないで下さいまし!!暴力反対ですわ~」

「皆さん。お客様のようよ?」

「えっ……?」

あたし達が慌ててドアの方に振り返ると、一人の女性が申し訳なさげに立っていた。

彼女は我々の『お客様』なのだから、何もそんなに恐縮する必要なないと思うんだけど、

元来そういう控えめな性格らしく、しきりに何度も頭を下げた。

まあ、ここが『探偵事務所』なんて、若い女性が普段訪れることなどない場所

だからというのも作用しているとは思うけれど。

それにしても客人は、綺麗な子だというのが第一印象だった。

女性というより、少女だ。

雪のように白い肌に、ふっさりと緩やかにウェーブした髪が映える。

薄い水色のワンピースと儚げな雰囲気が、彼女の可憐さを引き立てていた。


「ほらほら、依頼人のご来店なんだ。部外者は行った行った」

「うぐっ……なんだよ。事件性があることだったら、我々だって黙ってる訳には……!!」

そう力んだ輝を、あたし達四人の視線が突き刺した。


「ううっ……すみません……」

そう力なく肩を落とすと、輝はその少女と入れ違う形で事務所を後にした。

やっぱり、頼りない奴……。

「さあ、どうぞ。お入りなさいな」

麗が得意の営業スマイルを魅せると、ようやく彼女は、

「は、はい……」

としずしずといった感じで室内に入ってきた。

「失礼します!!」

そう元気に声を上げて、女性の後からしずしずと入ってきたのは、一人のメイド服の少女だった。

「KAZUHIKOさん~!!お茶をお持ちしてくださいまし」







「では、早速ですが……用件を承りましょうか?」

いつも通り、久子が相手の警戒心を解きほぐすような柔らかな笑みで言った。

だが、相手は元来から人見知りな性格らしく、何か口に出そうとはしているようだけど、
結局何も言い出せないという感じだった。

あたしはこういうのが一番イライラするんだけど、そこはさすが久子で、
彼女はKAZUHIKOが運んできた紅茶を二人に勧めると優しい声で言った。


「そうだな。まずは、あなたのお名前をお聞きしましょうか」

「あ、すみません!!私……吉良月香きら つきかと申します」


「吉良……?」

久子はその名前に反応した。

「ええ……。あのう……何か?」

「いえ、続けてください」

「こちらは……うちで住み込みで働いてもらっている、羽澤雅はざわ みやびさんです。

一人だと不安だったので、ついて来てもらいました」

そう月香が紹介すると、隣のメイド服の少女は、ぴょこんと頭を下げた。

くりくりとした瞳が特徴的な小動物みたいに可愛らしい子だった。

メイド服が悲しいくらいによく似合っている。

「それで、今日はどうされました?」

「あのう……こんなこと……探偵さんにお願いするのもどうかと思ったのですが……」

「なんでもどうぞ。気にかかることがおありなんですね?」

「はい……。あの……実は、我が家に毎日……花束が届くんですの」

「花束?」

あたしは一気に拍子抜けした。久子も同じだったらしい。

でも、そこはさすが久子で、そんなこと、おくびにも出さないように

「それは、あなたに密かに好意を寄せている方がいらっしゃる……
ということではないのですか?」

と、いつも通りの優雅な笑みで問うた。

「いえ……そういうことは……」

月香は少し顔を赤らめた。今時珍しい純情な子らしい。

海もこれくらい性格が可愛かったらなぁと、あたしは傍らの海に目をやった。

相手はおかまいなしに、いつも通り、得体の知れないニコニコとしたスマイルを
浮かべている。

「ふふふ……。あなたはお綺麗な方だ。私が男性だったら、

きっと放っておくことなどできなかったでしょう」

久子は女のあたしでさえ、蕩けそうな微笑でしゃあしゃあと言ってのけた。

こいつは探偵で食っていけなくなっても、きっと詐欺師で生きていけるに違いない。

「あの……そういうことではないと思います。

だって、その花束の宛先は……母宛なんですもの」

「えっ?」

久子はようやく月香の持ち込んだ話の意外性に気がついたらしく、真顔になった。

その目には、いつもの理知的な光が差していた。

「では、お母様のファンの方ではありませんの?」

「吉良」というキーワードですでに相手の素性に感づいたらしい麗が、そう水を向けた。

あたしは自分だけが取り残されたような気持ちになって、せがむように聞いていた。

「あの、お母様って、何かされているんですか?」

「ああ……。申し遅れました。まず、家族についてお話すべきでしたね。

私の母は上閻大学(じょうえんだいがく)学長をしておりまして……」

「ほう……では。やはり、あなたのお母様は、あの吉良万理乃きら まりのさんでしたか……」

「ご存知なんですか?母を……」

「ええ。この日本で……彼女を知らない人間を探す方が難しいと思いますがね」

「は、はあ……」

月香は恐縮したように、顔を伏せた。もしかしたら、彼女にとって、それはあまり嬉しいことではないのかもしれない。

まあ、あたしも母さんや父さんのことが雑誌やテレビなんかに出てたら、こう、恥ずかしいやら、照れくさいやらで、背中の辺りがむずがゆくなるかもしれない。

「続けて頂けますか?」

「はい……。あの……。今は、母が理事長も兼任しております。

理事長職にあった父が半年前に亡くなったばかりなものですから……」

「ああ、そうでしたわね。新聞で読みましたわ」

麗はそう言うと、細くて長い、女のあたしでも見とれてしまうような指を自分の顎に当てた。それが、依頼人の話を聞く時の彼女の癖だった。

「はい。一年前に父が倒れてから、事実上はそういう感じでしたから、

まあ、そのまま変わっていないと言えば、変わっていないのですが……」

「なるほど……。それで……?」

「はい……。母の補佐を行って下さっているのが、

母の妹で私のおばに当たる茅乃かやのさんですわ。彼女は副理事長です。

あと……私は三人姉妹の末っ子でして……。

一番上の姉、花音かのん姉さんが事務局長を、次女の風菜ふうな姉さんは経営にはタッチしておりません。

あとは……風菜姉さんの旦那様で上閻大学教授のたかし兄さん、

そして、上閻大学副学長の上総かずさ兄さん……」

「上総?」

あたしは、はっとした。

いつもポーカーフェイスを貫く久子の顔色が今、確かに変わったから。

本当に一瞬のことだったし、よく注意しないとわからないくらいだったけど、確かに変わった。

どうして……?

「はい……。あの……探偵さん。どうかされました?」

元来、敏感な子なのだろう。月香さんは、久子の異変に気がついたようで、あたしは素直に驚いた。

それは久子も同じだったようで、彼女にしては珍しく、少し狼狽したように、

「いえ……すみません。続けて下さい」

と言っただけだった。

「はあ……。あとは、住み込みで働いて下さっている、ここにいる雅ちゃんとコックの宮下君、女中頭の滝沢さんですわ。以上です」

「お嬢様。大切な方のこと、お忘れではありません?」

「えっ?」

「いやだ、お嬢様。三條さんのことですよ。うふふ……」

そう雅ちゃんが月香さんを小突くと、彼女はぽっと顔を赤らめた。

「三條さんとは?」

「ええ、お嬢様、三條康臣さんじょう やすおみ様とご婚約されているんですよ」

「雅ちゃん……」

そう言うと、月香は一層頬をほんのりと染めた。

「三條さんって、三條財閥の?」

情報通の麗には、すぐにその名前が思い当たったのだろう。三條財閥と聞いて、他の二人もすぐにピンと来たみたいだけど。

あたしはまた置いてけぼりをくらったみたいな気分になって、肩をすくめた。

メイドの子は、そんなあたしの反応に気がつかずに、嬉しそうに続ける。

まるで、自分のことのように。

「はい。以前、パーティでお知り合いになって。

もう三條様ったら、熱烈にお嬢様にアタックされて。

見ているこっちが恥ずかしいくらいでしたよ。きゃはは!!……あ、すみません……」

雅はこつんと自分の頭を拳骨で叩いて舌を出した。

ざっくばらんな子らしい。

「二人とも、仲がよろしいのね」

麗が二人をにこやかに見つめた。

確かに、この二人、使用人とそこの令嬢という間柄にしては親密のようだ。

「ええ。私と雅ちゃんは年齢も近いし、彼女がとても私を楽しませてくれるから……。

それに、親身なって相談にも乗ってくれて……

私、こんな性格だから、親しい友達もできなくて……。

だから、私、とても感謝しているんです」

「やだ。お嬢様、そんなこと言われたら、雅、嬉しくて舞い上がっちゃいますよ。

えへへ」

しばし、暖かな空気が事務所を支配した。

KAZUHIKOが換えの紅茶を運んできた。


「話を元に戻しますが、届くのは花だけなのですね?

カードなどは何も付いていない?」

「はい。何もありません。花束だけが毎朝、母宛に届きます。

あの……それに……その花束……毎日一本ずつ減っているんです」

「花が……減っている?」

久子の瞳にきらっと何かが光った。


「はい……どうしてなのかわからないんですけど……毎日減っているんです」

「なるほど……お母様は送り主に心当たりはないのですか?」

「はあ、ないと言っています。花束だから、特に気にかける必要もないだろうと……。

昨日はとうとう、三本になってしまいました。これでは花束ではありませんよね?」

そう言うと、月香はバックから問題になっている三本の白百合を取り出し、
ようやく、小さく笑みを見せた。打ち解けてきた証なのだろう。

だが、彼女の母の意見……それはまあ、正論だ。

脅迫状か何かだったらまだわかるが、届くのは花束なのだ。

嬉しいと思うことはあっても、不快に思うことなどないだろう。

まあ、誰から届いているのかわからないというのはやや気味が悪いが、
それを差し引いても、ただの好意と受け取るのが普通だ。

そう言えば……。

あたしはまた、ひらめいたことを口にした。


「確か、お母様はエッセイなども出されていますよね?
その方面のファンの方では?」

「はあ……そうかもしれないですけれど……」

月香は視線を落とした。あたしの説では納得いかないらしい。

「でも、あなたは気になるんですね?」

久子が彼女の思いを汲むように、真っ直ぐに月香を見据えて言った。

その瞳には、いつも通りの理知的な光が戻っていた。


「はい。誰も取り合ってはくれないのですが、私はなんだか恐ろしいのです。

この綺麗な花はその可憐さとは裏腹に何かを暗示しているのではないか。

そう。今に何か……恐ろしい何かが起こるのではないか……。

そう思うのですわ。……皆さんも……私が……おかしいと思われます?」

久子は顎の下に手をやると(これは彼女が考え込む時のクセだ)、ちょっと視線を落とした。が、すぐに自信に満ちた笑みを浮かべ、言った。

「わかりました。ご依頼、お引き受けしましょう」

あたしは思わず、声を上げそうになった。

でも、あたしは月香の顔にぱっと明るさが宿ったから、その思いを飲み込んだ。

水を差すのが嫌だったから。

だが、そんな久子の対応に、猛烈な勢いで喜んだのは……。

「お引き受け頂けるのですか!?きゃああ!!ありがとうございます!!」

例によって、メイドの雅だった。

彼女はあたしの両手を取ると、あたしをぐいっと引き寄せ、もう抱きつかんばかりだった。

意外と馬鹿力だな。この子……。

ようやく解放されたあたしは、やれやれと額の汗を拭った。

でも、心はほのかに暖かくなった。

使用人とそこの令嬢という間柄を超えた、二人の絆が感じられて……。

「どうか、よろしくお願い致しますね!!

私……お嬢様が毎日お悩みになっているのが……もう見ていられなくて……」

「わかりました。この有栖川探偵事務所に万事お任せ下さい」

「はい!!」

「では、明日にでもお宅に伺わせて頂きたいのですが……よろしいですか?」

「はい!!どうぞ、よろしくお願いします!!」

そう月香さんの代わりに力一杯答えたのは、やっぱり、雅ちゃんだった。





二人が事務所を後にすると、一気に静寂が訪れた。

あたしは堪らなくなって、さっきからふつふつと湧き上がる思いを久子にぶつけた。

「なんだって、こんな依頼引き受けたりしたんだよ。全く事件性ゼロじゃないか!!」

久子はちらりとあたしに視線を寄越したけど、すぐにティーカップの中のハーブティーに没頭し始めた。

「久子!!」

「また、久子さんの気まぐれが始まりましたわね。うふふ……」

「笑い事じゃないぜ?麗。だいたい……何を捜査していいんだか、

さっぱりわかんないじゃないかよ。……もう」

だが、あたしはふと不思議に思った。

いつもだったら、笑って誤魔化すところなのに、今日の久子は何かひどく思いつめている。

そうだ。

久子の様子がおかしくなったのは、「上総」という名前が出てからだった。

一体、それがどうしたというのだろう。一体、その人物が久子のなんだというのだろう。

だがあたし達は、この久子の判断が正しかったことを思い知らされる。

突然幕を上げた、あの狂おしくももの悲しい連続殺人事件によって……。

そして、その開幕と共にあたし達は知ることとなったのだった……。

久子のこの不可解な様子の意味も……。






「なるほど……それはまた、変わった依頼だねぇ」

彼の名は、 神代 武かみしろ たける

有栖川探偵事務所の入っている有栖川ビルの一階で、カフェ・バー「clover」を開いている。

彼女たちはここの常連である。

武は、落ち着いたダンディな雰囲気のクラシックをこよなく愛す紳士であり、優しく四人を見守るよき理解者。

山岸麗とは何か古い因縁があるようだが、それはまた、別の話。

「ほんと。今回ばかりは久子さんのお気持ちがわかりませんわぁ」

海はそう言うと、武特製のブレックファースト(今日はパンケーキだった)にナイフとフォークを入れた。

「でも、久子のことですから、
  
きっと何かインスピレーションを感じたんだと思うわ」

それを受ける麗は、いつも通り、朝はコーヒーだけだった。

「そうですわね~。でも、ワタクシ、気になることがありますのよ」

「奇遇ね。海。実は私もなのよ」

「まあ、うふふ。じゃあ、せいのっでいいましょうか」

「せ~の!!吉良上総のこと!!」

「吉良……上総……?吉良家……?上総君……?まさか……」

「あら、マスター。この名前をご存知なの?」

「ああ、まあね。……そうか。それならば、
  
久子君が今回の依頼を引き受けたというのも、頷けるかもしれないな」

「どういうことですの?」

「それは……私の口からは話さない方がいいだろう。
  
まあ、そんなに慌てなくても、追々わかる日が来るさ」

「まあ、そんな風にもったいぶられたら、余計、気になりますわ~」

「いずれにしても……吉良上総という人と久子の間に
  
何かあることだけは、確かなようね」

「それにしても、気になりますわ。早く二人とも帰って来て下さいまし~!!」





吉良家は、噂に違わぬ馬鹿でかいお屋敷だった。

果てしなく続く立派な塀を久子の愛車・ポルシェ991で横切り、門の前に辿り着くと、計ったかのようにそれは、ゆっくりと口を開けた。

恐らく、監視カメラででも確認しているのだろう。

敷地内の駐車スペースに愛車を滑り込ませると、久子とあたしは、屋敷へと歩を進めた。

次第に近くなるそれは、まさに白亜の豪邸というのがぴったりな感じの洋館だった。

久子や麗や海と違って、一般家庭に育ったアタシは綺麗な彫刻みたいなものが施された扉を目にしただけで、ちょっと気後れした。

そんな自分が情けない……。

久子が呼び鈴を鳴らすと、月香自身が顔を出した。

「おはようございます。月香さん」

「ああ、探偵さん……よくいらして下さいました」

月香さんはそう笑顔を見せたけど、それはどこか痛々しさを感じさせるものだった。

今日もやっぱり例のモノは届いているのだろう。

「花は届いていますか?」

「ええ。今日は二本でした」

そう言うと、月香は寂しい花束……と言えないな。二輪の花を久子に手渡した。

「では、中を御案内頂けますか?」

「はい。どうぞ……」

そう月香さんの後について歩き出した時。

「あなた方はどちら様ですかしら?」

突然響いた鋭い声に振り向くと、
反対側の廊下の奥からかまきりのように痩せた中年女性がの姿が見えた。

「聞こえなかったのかしら?あなた方はどなたかと伺ったんですわよ」

「私たちは、有栖川探偵事務所の者です」

「探偵……?探偵なんて、頼んだ覚えはありませんよ?」

「茅乃おば様、私がお願して来て頂いたのです」

「まあ、月香。あなたはいつから探偵なんて野蛮な人種をこの家に入れるような子になったの?」

「や……野蛮!?」

あたしは思わず声を上げていた。

確かに探偵として活動してきた中で、いろいろなことは言われてきた。

でも、さすがに「野蛮」と言われたのは初めてのことだったから。

「人様の秘密を犬のように嗅ぎまわったりして、
   
そういう職業が野蛮以外の何物だと言うのかしら?
   
月香。あなたもあなたですよ。
   
いったい、なんだってこんな人たちを呼んだりしたのです。
   
世間体が悪いじゃありませんか」

「むっ……。お言葉ですが……!!」

「香津美。やめるんだ」

「だって!!」

「さ、月香が何を言ったか知りませんが、我が家に探偵なんて不要ですわ。
   
お帰り下さいな」

「何事ですか?騒々しいですね」

その声の主は、貴族然とした優雅な足取りで、螺旋階段を降りてきた。

彼はゆっくりと視線をあたしたち全員に向けた。

背は高いが、ほっそりとした華奢な身体に、女性的な繊細で優雅な顔立ち。

あたしはこの男性の顔を見た瞬間。

昔、柄にもなく親に買ってもらったビスクドールを思い出した。

やがて、その視線が久子のところでぴたりと止まった。

彼はどういう訳か小さく微笑んだ。

次の瞬間に彼の口から飛び出したのは、異国の言葉だった。

久子もそれを受けて、流暢な英語で答えた。

英語がわからないあたしは、ただ二人を見ていることしかできなかった。

「失礼。僕は英語を解さない人間は信用しないことにしているんだ。
   
しかし、君の発音はいいね。基礎ができている。まあ、当然かもしれないがね。
   
有栖川久子君」

「久子、知り合いなのか?」

久子は、あたしの問いに答えずに、目の前の男性に声をかけた。

「……やはり君だったのか。
 上総と言う名前を聞いた時、もしかしたらと思ったんだがね。いつ、日本に?」

「五年になる。君も元気そうでよかったよ」

青年はそう言うと、柔らかそうな髪を掻き揚げ、目を細めた。

これが吉良家長女の夫・上総か。

予想外に美形の青年の登場で、ちょっとあたしはひるんだ。

「それに、変わらないな。だが……」

上総が何か言おうとした瞬間、久子がそれを遮った。

「君も元気そうで何よりだね」

彼はやれやれという風に首を振った。

「ところで、今日はどうしてここに?」

「あ、上総お兄様。探偵さん方には、
   
いつも母に届く花束の件で来ていただいたのですわ」

「ほう……。あの花束の件か……」

「ふん。馬鹿馬鹿しい。
   
姉さんだってあんなもの気にかける必要なんてないと
   
言っていたではありませんか」

「有栖川君。君はこの花束が届けられる理由を僕たちが
   
納得できるように説明できるという自信はあるのかい?」

「ええ。今すぐにとは難しい相談ですが、調査さえさせて頂ければ、
   
回答を出すのは可能だと考えています。
   
既にいくつかの仮説は組みあがっていますからね。
   
あとは、それを裏付けるパーツを見つけ出すことですね」

「なるほどね……。面白いじゃないですか。
   
彼女たちがあの実に不可解な花束の謎を解明してくれるというのですよ。副理事長。
   
ここは、僕に免じて彼女達の調査を許しては頂けませんでしょうか?」

「ふう……。上総さん。あなたの気まぐれには本当に手を焼きますよ。
   
何か起きた場合の責任は、すべてあなたに負っていただきますからね」

そうにらみつけるカマキリに、上総という男はケロリと答えた。

「ええ。構いませんとも」

カマキリはもう一度、ダメ押しとばかりに大きなため息をつくと、つかつかと廊下の奥へ消えてしまった。


「なんだよ。あいつ……。あたしたちのこと、ゴキブリかなんかみたいに」

「ごめんなさい。おばは何よりも世間体を重んじる方なんです。保守的というか……」

「構いませんよ。こういう対応には慣れています。
   
それに、彼女の言い分も一部当たっている。
   
確かに探偵という職業は、人の秘密に触れざるをえない職種ですからね」

「は、はあ……」

「我々はこれから、あなた方ご家族のプライベートにまで踏み込むことになります。
   
それにともなって、あなた自身でも予想のしなかった何かを知ることがあるかもしれません。
   
それはあなたにとってよいこととは限りません。覚悟はよろしいですね」

「は……はい……」

「おい。久子。お前、何か掴んでるのか?」

「はは……。いや。私だってエスパーじゃない。まだまだ五里霧中。
   
雲を掴むような話さ」

「なるほど。それは君の言ういくつかの仮説に関連があるのかな?」

「まあね……。ああ、上総さん。助かりましたよ。あなたのおかげで……」

「ふふ……君に礼を言われる言われはないよ。別に君たちのためじゃない。
   
そう、あくまで僕自身の好奇心のためだからね。
   
では、がんばってくれたまえ。探偵君たち」

そう片手を挙げる(この仕草もどこぞの英国人みたいであたしは気に入らなかった)と、吉良上総もまた廊下の奥に消えた。

「なんか、ひっかかるな。あいつ。
    
確かに、二枚目なのは認めるけど、キザったらしいっていうか……
    
苦手なタイプだね。あたしは」

「そんな……義兄は優しい方ですよ。とても……」

そう言うと、月香はほんのりと頬を染めた。

が、あたしの視線にぶつかると、慌ててその表情を引っ込めた。

「あ~。探偵さん、早速いらして下さったんですね!!」

そのノー天気な声に振り返ると、玄関に昨日、月香と共に探偵事務所に現れたメイドの雅が立っていた。

「すみません。私、庭掃除していたものですから~。
  
あっ。もう、調査はされたんですか?何かわかりました?」

「雅ちゃん。まだ、探偵さんたちはいらしたばかりなの」

「なんだ~。そうだったんですか。何かお手伝いできることありませんか?
  私、探偵さんのお仕事ってドラマでしか見たことないから、ワクワクします!!」

そう言うと、雅は瞳をキラキラとさせた。

やたらミーハーな子らしい。


「そうですね。お二人にはご家族をご紹介して頂きたいですね。
   
ああ、それと、我々が捜査しているということも皆さんに知って頂かなければならない。
   
さっきのようなやり取りを繰り返すことは、大切な時間と労力を徒に消費するだけですからね」

「わかりました。雅ちゃん。

申し訳ないんだけど、みんなを広間に呼んでもらえるかしら?」

「はい!!では、行ってきます!!」

「ああ、使用人の方も忘れずに」

「はい~!!」

そう走り去った雅ちゃんを見送ると、月香さんは、

「では、広間へどうぞ」

とあたしたちをひときわ大きな扉の前に誘った。





広間へ案内されると、先客がいた。

窓辺のソファにゆったりと腕を組んで座る二人の男女。

ひとりは、ほんわかした雰囲気のまだあどけない顔をした女性。

男性の方は、白髪交じりの髪を綺麗に撫で付けたひょろりとした紳士だった。

「岳お兄様、風菜お姉様。こちらが探偵さんですわ」

「へえ~。探偵さんねぇ。いやあ。
  
こんなに美しい方々が探偵さんだというので少々驚きましてねぇ。
  
いやあ、実に意外だったなぁ」

「本当ねぇ。うふふ……」

「いや、失礼、私は上閻大学で文学を教えております、吉良岳です。どうぞ、よろしく」

「わたしは風菜ですわ。ごきげんよう。うふふ……」

このなんとも言えないほんわかとした空気をぶち壊すように、いきなり背後から、バンっという激しいドアの音が響いた。

「月香。探偵を呼ぶなんて、あなた、いったいどういうつもりなの?」

そう怒鳴り込んできたのは、深紅のスーツがよく似合う背のすらりと高い美女だった。

美人だってことは認めるけど、なんかきつそうな雰囲気で……苦手なタイプかも……。


「花音お姉様……探偵さんの前ですわよ」

はは~ん。これがさっきの上総とかいういけ好かないイケメンの奥さんって訳か。

確か、上閻魔大学の事務局長って話だけど……。


「あら、探偵さん、もういらしていたの。失礼」

わざとやってるんじゃないのか?この女。くううっ!!


「まあまあ、花音さん。なかなか有能そうな方たちじゃないですか。うん」

「感心している場合ではありませんわよ。岳さん」

「いいじゃないですか。なかなか探偵さん方とお近づきになる機会なんて、ないですよ。
  
それに、こんなにお美しい方々じゃないですか。
  
探偵が来るって聞いたから僕はてっきり鳥打ち帽にパイプをくわえた紳士か、
  
トレンチコートのむさくるしい殿方をイメージしておりましたよ」

「ほんと。なんだか、ドラマの撮影みたい。
   
きっと面白いお話が沢山聞けるわね。うふふ」

あたしは、そんなほんわかとした雰囲気を漂わせる二人に思わず問うていた。

「あのう……お二人は……」

「夫婦ですわよ?」

あ……そんな当たり前のように言われても……。

「ご、ご夫婦ですか……」

「何かおかしいかしら?」

「いやあ……ずいぶん……お年が離れているように思ったものですから……」

「いやだわ。探偵さんまで私と岳さんのこと、そんな風に見るの?
   
みんな言いますのよ。でも、私達、本当に愛し合っているんですのよ。
   
愛があれば、年の差なんて……ですわよ。ねえ。岳さん。うふふ」

「その通りですよ。でも、我々としても楽しいですよ。
  
我々の関係を知った人々の反応がね。ははは……」

「は、はあ……それはそうでしょうねぇ……。ははは……」

なんだよぉ……この甘ったるい雰囲気は……。

あたしが救いを求めるように視線を泳がせると、隅の方でちんまりと座っている青年と目が合った。

「ああ、僕はコックの宮下といいます。宮下兎夢です」

彼は慌ててぴょこんと頭を下げた。

なんか、エプロンをしている意外は、これと言って特徴のない感じのいかにも気の弱そうな青年だな。

別に非難しているつもりはないんだけど、青年は申し訳なさそうな顔で続けた。


「僕なんかがこんな席でいいのかと思ったのですが、
   
使用人もみんな集まるように言われたものですから」

「やだ。兎夢君。そんなこと言ったら、私だって座ってること自体ダメじゃないですか。

 もう」

そう言うと、隣に座っていた雅は兎夢青年に向かってウインクした。

彼の緊張を解そうとしているらしい。

こういう面を見ると、月香が使用人ながら雅を頼りにする気持ちがよくわかる。

「失礼致します。遅くなりまして、申し訳ございません」

そこには、絣の着物をきちんと着込んで、髪をひっつめにした古風な女性が立っていた。

「ああ、志信さん。そちらが探偵さんですわ。一言ご挨拶を……」

「はい、月香お嬢様。わたくしは吉良家女中頭、滝沢志信です」

恐ろしく姿勢がいい。でも、あたしたちに紹介されても、愛想笑いもしてくれない。


「探偵さんだかなんだか、わたくしにはよくわかりませんが、
   
わたくしは家人から口止めされていることは、
   
一切申し上げる訳には参りませんので、そのつもりで」

「は、はあ……」

先制攻撃……。恐ろしい忠誠心だ。女中の鏡だね。

あたしたちにとっては、やりにくいことこの上ない相手だけど。


「どうしたの?月香さん?」

風菜がふわふわとした髪に指を絡ませ、妹に声をかけた。

「いえ……。お母様がいらっしゃらないものですから……」

それに答えたのは、さっきから仁王立ちのままの長女。

「お母様のことですから、こんなことに時間を割くなんて、
   
もったいないと思われているのではありませんの?」

「えっ……」

一気に月香さんの白い頬は、血の気を喪って、青白く見えた。

「そうでしょう?月香。こんな花が毎日届くからって、
   
いったいどうしたっていうのよ。私だって、本当はこんな場、願い下げよ。
   
ただでさえ、事務局長という仕事だけで手一杯ですのに」

「花音お姉様……」

なんか……やな雰囲気だなあ……。うむう……。

コックの青年が、心配げに月香さんを見つめているのが、歯がゆかった。

「ごめんなさい。母に連絡して参りますわね」

そう賭けだそうとした月香さんの前で、ふいにドアが開いた。

現れたのは、新顔の青年だった。

「こんにちは。皆さん。ごきげんいかがですか?」

「まあ、三條さんじゃありませんの」

これが月香の婚約者である三條財閥のボンボンか。

浅黒い肌に彫りの深い顔立ちのなかなか二枚目な子だけど、なんか落ち着きに欠けるかも。

「月香さんのご様子が気になりましてね」

「毎日熱心なことですわねぇ」

「ええ。僕の大切な月香さんが心配ですのでね。彼女はとても繊細な女性だ。
   
僕のような頼りがいのある男が彼女の側に常にいてあげなくちゃいけないんだ」

おいおい。

なんだよ。この自信は……。


「あれ?こちらの方々はどなたです?」

「ああ、康臣さん。
   
こちらは私がお願いした探偵の有栖川久子さんと城金香津美さんですわ」

「探偵?月香さん。まさか、まだあの百合の花を気にしているのかい?
   
いやだなあ。そんなチンケな百合なんかどうだっていいじゃないか。
   
そうだ。君にはこの僕の心のように真っ赤に燃える薔薇を毎日届けてあげる」

ぐはあ……。

なんだよ。このキャラ……。ついていけないぞ。

財閥の御曹司だかなんだか知らないけど、あたしだったら、絶対ごめんだね。うん。

「あ、私、母に連絡して参りますわね」

そう言って、扉に駆け出した月香の身体が崩れた。


「月香さん!?」

あたしが賭けだそうとした瞬間、いつの間に現れたのか、月香を受け止めていたのは上総だった。

軽く三條が唇を噛んだのが印象的だった。


「大丈夫かい?」

「ああ……。ごめんなさい。上総兄さん」

「少し脈が速いね。休んだ方がいい」

「はい……」

そういうと、上総は月香をいきなり抱き上げた。

いわゆる、お姫様抱っこか。

その瞬間、明らかに三條の顔色が変わった。

そりゃ、無理もないか。ご愁傷様~。

「では、失礼」

そう言うと、貴公子とお姫様はドアに消えた。

「くっ……!!ねえ、花音さんはなんとも思わないのですか?

 
あんなあからさまな態度を取られて!!まるであの男が婚約者のようじゃないですか」

「いやですわね。妹に嫉妬しても始まりませんわよ。ふふ……」

そうは言うものの、花音の指先は微かに震えていた。

しっかり動揺してるんじゃん。


「いいえ。今日という今日ははっきりさせたいんだ。
   
ねえ、探偵さんご覧になったでしょう。あの男はいったい何様だというんだ。
   
花音さんという奥さんがありながら……!!
   
それに、この僕こそが月香さんの婚約者だというのに」

「いやだわ。およしなさいよ。三條さんったら。見苦しいですわよ。……うふふ」

風菜は、こんな時でも穏やかに微笑んでいる。

なんだか、空恐ろしい……。

「聞いて下さい、探偵さん。上総と月香さんは時折、
   
二人きりで過ごしていることが多いんですよ。
   
確かに、彼は大学での月香さんの担任教授だ。
   
でも、いくらなんでもあの親密さは異常ですよ。この間なんて……」

「いいかげんになさい。三條さん。あなたも三條財閥の跡取りなのでしょう。
   
もっと毅然としてらしたら?」

同じ境遇のため、援軍になるかと思われた花音の反撃に遭い、ボンボンは、悔しそうに唇を噛み締めた。


「しかし、なんかあの上総って人、手馴れてるなあ。脈取る手つきとかさ」

「ああ、上総様は医学の心得もおありなんですよ。
  
なんでも、イギリスでは医師免許もお持ちらしいですし」

雅ちゃんは、そう言うと、心配そうに二人が消えたドアに目をやった。

「文理両道って訳か……。羨ましい話だな。
    
久子、お前ともいい勝負なんじゃないのか?」

「まあね。私はただ、探偵という職業に必要な知識として
   
医学を修得したに過ぎないが……」

そうは言うものの、久子の医学の知識は半端じゃない。

数年前まで某大学の医学部に籍を置いていたらしいし、今でも最新の医学書をわざわざ取り寄せて読んでいるようだし。

なんか、英文のも多いから、よくわかんないんだけどね。

こいつは一度興味を持つと、極めないと気がすまないところがあるらしい。

ご苦労なこったね。

「でも、こんな花のために探偵さんにわざわざお越し頂いて、恐縮ですわねぇ?」


「まったく……妹の心配性には姉ながら、辟易しますわ」

「まあまあ、いいじゃないですか。僕はこういう些細な謎が大好きでしてねぇ。

  
わくわくしますよ。あなたがたがどういう解答を提示して見せてくれるのかね?」

「解答なんてあるのかしら?単なる悪戯にすぎないと思いますけど?」

「答えのない問いなど、この世には存在しないのですよ。花音さん」

「えっ?」

その自信に満ちた久子の声に、さすがの花音も虚を突かれたのか、間の抜けた声を上げた。

「答えはないのではない。見つけられないだけなのです」

広間の人々の視線が、久子に吸い寄せられる。

このなんとも言えない緊張感の中に、久子の冷静な声だけが響く。

「きちんとした筋道を辿りさえすれば、必ず謎は解けるのです。
   
そう。言い換えれば、この世の解けない謎など存在しない」

久子はそう言ってふっと笑った。

「なぜなら、真実はいつもたった一つなのですからね」

訪れる一瞬の沈黙。

誰もが久子の自信に満ちたコメントに、呑まれたのがわかる。

プライドを傷つけられたらしい花音が、片眉を上げた。


「あら。ずいぶんな自信ですのね。有栖川さんと言ったかしら?
   
では、この取るに足らない些細な謎にあなたはどんな解答を導いてくださるのかしら?」

「残念ですが、まだデータが少なすぎる。
   
多くの選択の余地のある可能性からひとつに絞り込むことは、まだできないようです」

「あらあら。ほほほ……。
   
たいそうなことを言った割にはずいぶん頼りないお答えだこと」

「では、まだ可能性の域は出ませんが、一つの仮説を提示してみましょう」

「ほう、それは興味深いね。ぜひ、お願いするよ」

教授は嬉しそうに目を細めた。

「期待されるような答えではありませんよ。
   
むしろ、もっとも回避されるべき解答だと思われますが……」

「もったいぶらないで早く言いなさいな」

久子はテーブルの上の問題の百合をそっと手にすると、言った。


「この百合は殺人予告かもしれません」

場がはっきりと凍り付いた。

たまに久子は眉ひとつ動かさないで、怖いことをさらっと言うことがある。

聞かされるこっちの身にもなってくれよ!!

ほら、シンとしちゃったじゃないかよぉ~!!


「いや、失礼。ひとつの可能性ですよ」

「……これは驚いたなあ。殺人予告とは……ははは。……聞かせてくれないか。
  
どのような根拠でその解答は導き出されたんだい?」

「花が毎日減っているということですよ」

「ほう……」

久子の答えに、壮年の教授はますます目を細めた。

「この百合の花は聞くところによると、毎日一本ずつ減っているようですね。
   
それは考えようによっては、まるで日めくりカレンダーのように、
   
残りの命の日数を万理乃さんに知らせているとも取れるでしょう」

「そんなことして、なんの得があるんだい。
  
わざわざ、お前を殺すぞと予告するなんて、犯人にとってはデメリットしか生まないと思うんだが」

「常識的に考えれば、そうでしょう。殺人を予告するなんて、まず考えられない。
   
何より岳さん。あなたのご指摘の通り、メリットがない。
   
そう、せいぜい相手を死の恐怖に誘い込むというチンケな心理効果しかない。
   
だが、裏を返せばそこには深い憎悪を読み取ることができるのです。
   
危険を冒してまで万理乃さんへ恐怖を与えようとするほどの深い憎しみが……」

「なるほど、面白い。実に面白い解答だね」

久子の回答が気に入ったのか、白髪の教授は何度も頷いた。


「ほんと……面白いですわねぇ。うふふ……。
   
早くお母様にお知らせしてあげたい解答ですわ。お母様、お気をつけになって、
   
どうやらお母様はお命が狙われているようですわよって。うふふ……ふふふ……」

風菜はそう微笑むと、傍らの夫の肩にもたれた。

「た……探偵さん……」

ボンボンは、内面はからっきし意気地が無いのか、怯えたように後ずさった。

いや、彼はこれから起こる惨劇を、無意識に感じ取っていたのかもしれない。

「君の考えでは、万理乃さんに警備でもつけた方がいいってことかな?」

「ひとつの可能性ですが……気をつけるにこしたことはないでしょう。
   
花が一本になるのは、明日ですからね」

「なるほど、花が0本になった時、万理乃さんの命もジ・エンドという意味ですか」

教授は小さく唸ると、腕を組んだ。

二人の問答が終わったのを見届けるように、花音が声を上げた。


「それにしても、探偵さん?まだ何も起きていないのに、
   
徒に依頼人の不安を煽るようなことをおっしゃらないで頂きたいものですわね」

「気を悪くされてしまいましたか。申し訳ありません。
   
ただ、我々はそれだけあらゆることを想定して動いているのだということを知って頂きたかっただけなのですよ」

「そう。それはありがとう。こちらとしましても、安心ですわね。
   
では、じっくりとお手並みを拝見させて頂こうかしら?」

「ええ。ぜひ……」

久子はそう言うと、この上なく、優雅に微笑んだ。






「やあ、おはよう。二人とも昨日は疲れただろう。
  
今朝は君たちの貸切にして特製のブレックファーストでも振舞おうと思ってね」

「それは、ありがとうございます」

「おはようございます。吉良家はいかがでしたの?うふふ」

「どうしたもこうしたもないぜ?なんだよ。あの一家は。
     
あたしたちを小馬鹿にしたような態度なんか取りやがってさ。
     
結局、万理乃とかいう親玉もこなかったしさあ」

「仕方がないわ。香津美さん。探偵とはそういうものですもの……。うふふ……」

「まあ、わかってはいるけどさ」

「さあ、教えて下さいまし~。久子さん」

「何をだい?」

「まあ、お惚けになるの?吉良上総さんという殿方のことですわよ」

「え?それは……」

その時、背後で電話のベルが鳴った。

「はい。「Clover」です。……はい……。はい……ええ。こちらで構いませんよ。……
  
久子君。君たち宛の電話だ。二階の事務所からこっちに転送されてきたようだね」

「あら。すみません。私が代わりますわ。
  
……もしもし。お電話代わりました。有栖川探偵事務所の者ですが……」

「さあ、続きですわよ。久子さん、白状しておしまいなさいまし。
  
あなたにとって、上総というのはどのような殿方なんですの?」

「よせよ。海」

「だって、考えてもみてもごらんなさいませ。
  
久子さんが殿方を気にかけているなんて、なんだか気になるではありませんか」

「まあ、確かに珍しい現象ではあるがねぇ。
    
おい、久子。結局、あの英語ベラベラのキザヤロウはお前とどういう関係なんだ?」

「おいおい。私には黙秘権という権利は残されていないのかい?」

「あらあら。では、自白薬でも作りましょうかしら。……うふふ……」

「海。お前が言うと、マジにしか聞こえねえから、やめろって」

「あら、よろしいですわよ。マジですから。うふふ……」

「あのなあ、君たち……」

「なんですって……!?」

突然響いた麗の声に、あたしは思わず振り返っていた。

なぜなら、麗がそんな声を上げるのを、あたしは聞いたことがなかったから。

「どうしたんですの?麗さん」

さすがの海も、異変を察知したのか、先ほどまでのニヤニヤとした笑みを消している。

いつも優美な笑顔を浮かべる麗が、珍しく笑みの消えた青褪めた顔をあげた。

「大変よ……。みんな。今、吉良家のメイドの雅さんからの電話なんだけど……。   
  
今朝、月香さんがお亡くなりになったそうなの……。
  
しかも……どうやら、毒物による中毒死らしいわ……」

「ええっ……!?嘘だろ?だってあたしたち……」

そうだ。つい昨日、あたしたちは……月香さんと……!!

その月香さんが……殺された!?

どうして!?

久子はゆっくりと額を押さえると、静かに呟いた。

「どうやら、嫌な方の可能性が的中してしまったようだね」


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