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第八章 復讐するは我にあり
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『真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる
ーーフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ』
「先輩……大丈夫ですか?」
苗子がそうあたしを覗き込んだ。
幼少時代から咲沼美麻と知人だった苗子のショックは相当なもののようだった。
無理もない。
咲沼美麻は、浴室からあんな惨殺死体で発見されたのだから。
だが、今の苗子はだいぶ落ち着いているように見えた。
恐らく、「あの光景」のせいだろう。
先ほどのやり取りが鮮明に頭に蘇る。
まるで、地獄絵図のようなあの光景が。
その時。
あたしは必死になって彼を押さえつけていた。
―――しっかりして!!もう美麻ちゃんは死んでいるのよ?この世のものじゃないのよ!!
―――嘘だ!!美麻を連れて行くな!!僕からまた美麻を奪うつもりなのか?離してくれ!!
―――お願い!!しっかりして!!事実を受け止めて!!
―――やめろ!!美麻を連れて行くな!!
そう。
あたしはその時、錯乱した雪花海杜と対峙していた。
あたしたち警察の到着とほぼ同時に、雪花海杜はその場に現れた。
メイドの不知火李が警察に連絡した直後、彼に連絡したらしかった。
乱れた前髪に隠れ、彼の表情は窺い知れなかった。
彼は無言で室内に入ると、歩き出した。
苗子が思わず止めようと、声を上げた。
「あの……すみません、雪花さん。現場は捜査員以外、立ち入り禁止で……」
「どけ」
「えっ……?」
苗子が凍りついたように立ちすくむと、彼は苗子の肩にぶつかるように歩みを進めた。
その歩みは、明らかに奥のバスルームに向かっているようだった。
向かう途中、彼は、進行方向にあった床に倒れている更科恭平の遺体を踏みつけていた。
だが、そのことに、彼は全く気が付いていないようだった。
そもそもここは殺人現場である。
いわば、我々捜査官の聖域。
だが、今はこの闖入者を誰も止める気配がなかった。
誰も止めることができなかった。
時が止まったかのような静寂の中、誰もがただなりゆきを見つめているだけだった。
彼はそんな周りの様子を知ってか知らずか、バスルームに辿り付いた。
ドアが開いた。
蒸気と共にむっとした血の香りが室内に溢れた。
「海杜……さん」
あたしはようやく、彼の名前を口にしていた。
ようやく搾り出したそれが、ファーストネームだということを失念していた。
だが、誰もあたしが彼をそう呼んだことに気を留める者はいなかった。
あたしは金縛りから解き放たれると、彼の背中を追いかけた。
バスルームに入ると、彼は咲沼美麻の身体を抱き上げたところだった。
「美麻……?」
彼の小さな呟きが、バスルームに反響した。
彼は咲沼美麻の乱れた髪をそっと掻き分けた。
露になる血の気の失われた彼女の顔。
彼はその頬をそっと撫でた。
この上なく愛しそうに。
そして、彼は彼女の唇にそっと口付けた。
まるでそうすれば、おとぎ話のように彼女の目が開くことを確信しているかのように。
だが、当然、奇跡は起こらない。
彼女を強く抱き締める彼の白いワイシャツが鮮血を吸い、真っ赤に染まっていく。
彼は息絶えた咲沼美麻の手を取ると、自分の頬に当てた。
脈を探っているようだった。
どんなに探っても、もう聞こえることのないその音を……。
「どうして……どうしてこんなことに……私はただ……君を……愛して……」
あとは言葉にならないようだった。
彼は咲沼美麻の亡骸を抱き締めると、その身体に顔を埋めた。
静かなバスルームに、ただ、嗚咽のようなものだけが、微かにもれ聞こえてくる。
あたしがただ立ち尽くしていると、横から他の捜査員がバスルームに入り込んできた。
「さあ、君。ここは現場なんだ。出て行きたまえ」
捜査員はそう言うと、雪花海杜の腕を掴んで立ち上がらせようとした。
まさに、その瞬間だった。
「また僕から美麻を奪うつもりか?」
「……えっ?」
まるで暗い地の底からでも聞こえたかのような声だった。
そこからの彼は、まるで別人のようだった。
彼はあっという間もなく、捜査官の手を振り解き、彼を床に叩きつけていた。
「海杜さん!?」
「許さない……美麻を奪う奴は……絶対に……」
捜査官が、強かに打ったらしい右肩をさすりながら声を上げた。
「貴様……公務執行妨害でぶち込んでもいいんだぞ……?」
「好きにしろ!!だが、美麻にだけは……美麻にだけは誰にも手を触れさせない!!」
「やめて、海杜さん!!美麻ちゃんは、もう死んでいるのよ?」
「嘘だ……この子は死んでなどいない!!」
あたしは気が付いたら、彼の背中にしがみついていた。
「しっかりして!!美麻ちゃんは、もうこの世のものじゃないのよ!!」
「嘘だ!!黙れ!!そんなでたらめを言って僕からまた美麻を奪うつもりなのか?離してくれ!!」
「お願い!!しっかりして!!彼女は死んだのよ!!事実を受け止めて!!」
あたしはもう悲鳴を上げるように懇願していた。
こんな彼を見たくない。
どうか、こんな彼をもう見せないで!!
彼は決して咲沼美麻の身体を離そうとしなかった。
今この手を離したら、彼自身の身体も一緒に千切れてしまう。
そんなことを彼は考えているのか。
こんなにもこの人は、この少女を愛して……。
一体、この身体のどこにそんな力があるのか。
彼は警官達を次々と薙ぎ倒すと、彼女を守り続けた。
「医者を!!医者を呼べ!!」
誰かの叫びにより呼ばれた医者が、三人の警官に取り押さえられた彼に数本の安定剤を打ち、なんとかなだめたのだった。
彼が連れ去られた現場は静けさを取り戻した。
「先輩……」
「大丈夫よ。苗子。あたしは平気……」
あたしはそう勢いよく立ち上がった。
が、それと同時に強い眩暈を感じた。
「先輩!?」
慌てて受け止めようとした苗子より先にあたしの身体を受け止めた人間がいた。
「無理して粋がるのは君の悪い癖だよ?未央君」
「熊倉君……」
熊倉はいつものような笑みを浮かべたまま、あたしを椅子に座らせた。
「このあたしが現場でこのザマなんて……どうかしてしまったみたいね……」
「しかたがないさ。君も肩肘張らずにただの人間なんだと素直に認めたまえ。楽になるよ」
「考えておくわ」
「さて、そろそろ捜査主任の耳に検視報告についてお知らせしたいんだが?大丈夫かい?」
「臨むところよ。さ、お願い。あ……苗子、つらいだろうけど……」
「わたしは大丈夫ですよ。先輩」
「苗子……」
「わたし、美麻ちゃんのためにも、真実を絶対に見つけ出します。
そのためには……今回の結果を聞くのも……大切なことですから」
あたしは苗子の背中を強く叩いた。
*
熊倉の見解だと咲沼美麻に付けられた傷は少なくとも二十箇所以上。
特にひどいのは胸の傷で刃が貫通していたということだろう。
致命傷もこれらしい。
変わっている点として、凶器が上げられる。
この凶器は普通の包丁やナイフではなく、文字通り、剣なのだ。
どっからこんなもの……と思ったところ、もう一人の被害者・更科恭平の私物らしい。
なんでも、更科恭平はアンティークな刀剣を集めるのが趣味だったらしく、
奥の部屋のクローゼットから、腐るほどの刀剣が発見された。
発見した時感じたのだが、まるで十字架でも彼女に突き刺さっているかのような状態だった。
そう……餞のような……。
次に更科恭平は、腹部を包丁で刺されたことによる失血死。
彼はどういう訳か、両手で強く包丁を握り締めていた。
ちょうど、切腹でもした武士のように。
「だいたい、咲沼美麻ってお嬢さんは手を複雑骨折していたんだろう?
包丁を握り締めることなんてできないよ。たとえ握れたとしても、こんなに深々とは刺せない。
この被害者の人、引き締まったいい身体しているでしょう?
こういうスレンダーだけど、筋肉質な人は相当力を込めないと包丁なんて突き刺さらないよ。上滑りしちゃう」
「じゃあ、更科恭平が咲沼美麻を殺害した後、自殺。つまり、無理心中したって訳?それで間違いない?」
「状況的に見ればね」
そう言うと、熊倉は小さな箱のリボンをつまんで掲げた。
「気になるのは、このプレゼントらしいものだろうね……」
「で?この中身、なんなのかしら。ちょっと鑑識さん?これ、もう開けて大丈夫?」
馴染みの鑑識の技官が、OKサインを出した。
「さんきゅ。開けるわよ」
箱の中から現れたのは、シルバーに小さなダイヤのはまった……。
「指輪……?」
「そのようだねぇ……。故人のことをとやかくいうのもなんだが……イメージに合わないものだねぇ」
「これ……美麻ちゃんにですかね……?」
「それはそうじゃないのかな?こうして手元に持っているくらいだしねぇ」
「恋人への最期のプレゼントだったって訳?」
「あのう……。だったら、どうして美麻ちゃん、それをつけていないんでしょう?
最期のプレゼントだったら、恭平さん、無理やりにでも美麻ちゃんにつけるんじゃないでしょうか?」
「ほお~。苗子君。君もなかなか大人な意見で核心を突いてくるようになったねぇ」
苗子はちょっと照れたように頭をかいた。
「う~ん。残りは解剖してからだね。あとで僕の研究室にきてくれないかい?」
「ええ。いつも通り、紅茶をたっぷり用意して待っていてね」
「ああ。わかったよ。君も疲れを癒しに我がオアシスへいらっしゃい」
*
「しかし……あなたもつくづく死体と縁があるようね」
「私だって、好きで発見者になっている訳じゃないですよ!!」
そう言うと、雪花家メイド・不知火李は涙に濡れた大きな瞳を上げた。
あたしは彼女をなだめるように、苗子が運んできたお茶を彼女の前に差し出した。
「先ほどお話しました通り……ワタクシは吉成専務のご命令で恭平様のマンションに伺ったんです」
「そのようね。で。警察と同時に彼……雪花海杜に連絡したのは、なぜ?」
「だって、海杜様は美麻様のこと……ずっと探していらっしゃいましたから。
こんな状況でも、お知らせしなくてはと、咄嗟に感じたんです」
そう言うと、不知火李は肩を落とした。
「海杜様は……どうされていますか?」
「……今、鎮静剤を打たれて眠っているところよ」
「そうですか……」
あたしはふと気になって聞いていた。
事件とは全く関係ないことだったけれど。
「ねえ、あなた。あの家にいるの……怖くないの?」
「怖いです……たまらなく……でも……」
「でも?」
「海杜様がいらっしゃいますから」
あたしははっとした。
どこか違う。
あのおどおどとした新米メイドという殻を破った一人の女性。
そんなオーラが彼女を包んでいる。
「そうです……。あの家には海杜様がいらっしゃいますから……」
そう言うと、彼女はさめざめと泣き出した。
*
あたしと苗子は法医学教室の廊下に踏み出した。
すると、ちょうど熊倉君が歩いてくるところだった。
「熊倉君!!」
「おお、未央君。早速、オアシスである僕に会いに来てくれたのかい?嬉しいなあ」
「あのねぇ。確かにあんたに会いには来たけど、用件はあんた自身じゃないわ」
「わかっているよぉ。僕だってね、叶わぬ夢を抱いていられるほど、若くないんだ」
「はいはい。で?」
熊倉はようやく真顔になると、解剖報告をはじめた。
書類も見ずに、ソラで暗記しているのだろう。
死因その他については、ほぼ先ほどの見解と変わっていないようだった。
ただ……。
「咲沼美麻さん?あの子……妊娠していたよ。ちょうど、三ヶ月ってとこだね」
「なん……ですって……?」
その事実に一番衝撃を受けたのは、苗子のようだった。
彼女は声もなく、ただ熊倉の顔を凝視していた。
あたしは続ける。
「子供の父親は?」
聞かなくても十中八九、雪花海杜だとは思った。
ただ、彼女が死んでいた状況を鑑みると、更科恭平との関係も洗わなければならない。
「それは今、鑑定中だよ。血液型鑑定だから、すぐ出ると思うよ」
すると、向こうから白衣をまとった女学生然した子が熊倉に手を振りながら走ってきた。
「ほら、来た。やあ、相沢君。結果は出たかい?」
彼女は息を切らしながら答えた。
「それが……先生……まだなんです」
「ん?どういうことだい?血液鑑定だったら、そんなにかかるはずないじゃないか」
「それが……今回、サンプルになっている雪花海杜と更科恭平、同じ血液型なんです。
あと、母親の咲沼美麻も同じなんです。
それも、とても珍しい型で、これでは、DNA鑑定じゃないと判断がつきません」
「なんだって……!?」
「ですから、このままサンプルをDNA鑑定に回そうと思うのですが……」
「ああ、それは大至急そうしてくれたまえ」
相沢という助手は、熊倉の指示を受けると、また駆け出した。
「これは……とんでもないことになってきたみたいだね。未央君……。
僕は……だんだん怖くなってきたよ……。ああ、相沢君!!」
熊倉の制止に、息を切らして走っていた相沢助手がつんのめるように止まった。
「……はい!?」
「DNA鑑定は、親子判定だけじゃなく、彼らの兄弟判定もしてもらえないか」
「彼ら……雪花海杜、更科恭平、咲沼美麻、全員のですか?」
「ああ。そうだ」
「熊倉君……!!あなた……まさか……」
「ああ、そのまさかだよ。僕は今、恐ろしい神の悪戯を暴こうとしているのかもしれない。
そして……これが真実だったら……僕の仮説も真実味を帯びてくるかもしれない……」
そう言うと、熊倉は笑ったようだけど、その頬は微かに引きつっていた。
「み……美麻ちゃん……。そんな……そんなぁ……」
察したらしい苗子がその場に崩れるようにしゃがみこんだ。
*
アタシは、喫煙室の編集長の背中に呼びかけた。
「あのう……あたし……」
「どうした?伊山。こんなモク臭いとこまで来て。お前までタバコやりだしたのか?
やめとけやめとけ。吸えば吸うほど税金と健康を逆に吸われてばかりでいいことなしだぜ?
それとも、腹減ったのか?冗談言うなよ?さっき奢ってやったばっかりだろう?」
「そうじゃないんです……。あの……あたし、考えたことがあって……」
編集長がタバコをくわえたまま、事件記者の顔になった。
「話してみな」
アタシは、美麻ちゃんの事故に関しての仮説を編集長に話した。
編集長は、腕組みをしたまま、じっと目をつぶってアタシの話を聞いていた。
「なるほどね。確かに……咲沼美麻の性格を考えると……その正妻を庇う可能性は純分に考えられるな」
「でしょう……?だいたい、あんな重たいピアノの蓋がひとりでに落ちてくるなんて……考えられませんよ!!」
「……雪花莢華ね……。今回の事件にどうかかわっているんだろうな」
喫煙室の中にいると、なんだか喉がいがらっぽくなってきた。
アタシはバッグの中にのど飴があったのを思い出して、手探りで中を漁った。
ふと、何かが当たった。
取り出すと、あの雪花菊珂が投身自殺を図った現場の写真だった。
写真はぐしゃぐしゃになっていた。
「あ~。入れっぱなしにしていたんだ~」
どうせ、意味ないんだから、さっさと捨てちゃえばよかった……。
あ、今捨てようかな?思い立ったが吉日……っていうか、今やらないと、また忘れそう……。
アタシがゴミ箱にシュートしようとした瞬間、物凄い力で腕をつかまれた。
「へっ?」
アタシが思わず顔を上げると、真剣な表情の編集長の顔にぶつかった。
「へ、編集長……?どうしました?」
編集長は、アタシの手から写真をひったくると、食い入るようにそれを見詰めた。
「あの~?編集長。どうかしたんですか?その写真、ぜんぜんダメって言ったの、編集長自身ですよ?」
「馬鹿。状況ってのはな。刻一刻と変化するんだ。
昨日重要じゃなかったはずのもんが、今日急に重要になるってこともザラなんだよ。この業界は。
それより、伊山……お前……事件記者の才能……あるかもしれねぇな」
「えっ……?」
「お前が撮ったこの写真……事件って名の迷宮の扉をぶち破る……最強奥義になるかもしれねぇぜ?」
「えええええええっ!?」
アタシの絶叫と携帯の呼び出し音が重なった。
「おっと、わりぃ電話だ。……はい。こちら矢保……ああ?お前か、あ?
とっておきの新鮮な情報をリークってか?ありがたくて涙が出るね。
持つべきものは、事件記者時代の友達か……って、何っ!?」
編集長がいきなりアタシの腕を掴んだ。
「ど、どうしたんですか!?」
「いいか、落ちついて聞けよ?咲沼美麻が死体で発見された」
アタシは次の瞬間のことを覚えていない。
*
あたしは苗子と事情聴取を終えた不知火李を送るため、廊下を歩いていた。
「大丈夫?元気を出して。今、雪花家はとても大変なんだから、あなたが支えてあげないとね」
「……はい」
「刑事さん!!」
そこに立ってたのは、確か伊山凛という名の女性記者だった。
「伊山さんだったかしら?何か御用?」
「あのう……美麻ちゃん……あ、咲沼美麻さんに……会わせてもらえませんか?」
真剣な目だった。
そう言えば、この記者と咲沼美麻は友人だったはずだ。
「わかったわ……。でも……」
不知火李が察したのか、
「いいですよ。刑事さん。わたし、ひとりで平気です」
と言った。
「あ、先輩。不知火さんはわたしが送りますよ。それでいいですよね。不知火さん」
「……そう?悪いわね。伊山さんだったかしら?今、咲沼美麻さんは霊安室に……」
その時、誰かが廊下を走ってくるのが見えた。
この春、採用されたばかりの新米の制服警官だった。
どうやら、彼は、あたしに向かって走っているようだった。
「ちょっとごめんなさい。ねえ、君。どうしたの?あたしに何か用?」
警官が叫んだ。
「羽鳥警部!!大変です!!霊安室から咲沼美麻の遺体が消えました!!」
「なんですって!?」
「ええっ!?」
不知火李が小さく呟いた。
「まさか……海杜様……」
*
今日は、僕の社長就任パーティだった。
この日を境に、僕は正式に雪花コーポレーションの社長として世間からも認められることとなるのだ。
この日をどれだけ待ち焦がれていたのだろう。
天から見ていてくれていますか?
父さん……母さん……。
微かに感じる胸の痛みを封じ込めるように、僕は笑顔を振りまいた。
もちろん、会長が倒れたことは極秘とされた。
「よかったわ。咲沼……いえ、社長。パーティに間に合っていらして下さって。
ずっと連絡が取れなかったから、心配していましたのよ」
吉成専務がそう胸をなでおろした。
「ええ……少し、やらなければならないことがあったものですから……」
「お若い方ねえ。それに、ずいぶん、綺麗な方だこと」
「異例の大出世だ。本当にシンデレラボーイだな」
この場の雰囲気というのは、ある意味恐ろしいものだ。
僕はすべてを忘れ、様々な人々から贈られる賛辞に有頂天になっていた。
僕はそっと呟いた。
「……僕はやったんだ……。ねえ?父さん……母さん……」
その時、ふいにざわめきが起こった。
僕が異変を感じて振り返った。
そして、凍り付いた。
まるで、音が全ての音が消え去ったような感覚。
あれだけ華やかだった色彩もまた、急速に僕から失われていた。
突如現れた、色褪せた世界。
そこには、雪花海杜が立っていた。
彼は何かを抱きかかえていた。
僕は彼が抱きかかえているものを見て、愕然とした。
それは、紛れもなく美麻だった。
白いシーツに包まれた美麻は目を閉じて、静かに彼に抱きかかえられていた。
「美麻……」
雪花海杜は静かに口を開いた。
「これが……これが君の望んだエンディングか……。私から全てを奪ってさぞ満足だろうね」
僕は言葉もなく、ただ二人の光景を見守ることしかできなかった。
「私はただ……彼女がいればそれで……それでよかったのに……。
君は……私から……この子さえ奪うというのか……。君は……君は……」
そう言うと、彼は美麻を静かに床に下ろし、優しく彼女の髪を撫でた。
この上なく愛しそうに。
そして、そのまま彼はその場に泣き崩れた。
まさに慟哭だった。
その肺腑を抉る様な声は、会場を震わせるほどの絶叫だった。
決して今まで人前で取り乱すことのなかった彼の激しさに、会場は完全に呑まれていた。
彼と一緒に泣き出す者まで現れた。
僕はふらふらと二人に近づいた。
「美麻……?」
美麻の頬に触れる。それは氷のように冷たかった。
そこに、生は感じられなかった。
美麻が……死んだ?
「そんな……嘘だ……嘘だ……!!うわああああっ!!」
*
「いったい……どうすればいいの?」
あたしは思わず呟いていた。
痛々しいほどに傷ついた彼―――雪花海杜の静かな寝息を聴きながら。
ほんの数ヶ月前までは、雪花コーポレーションの長として眩いばかりに君臨していた青年。
あたしにとっても……全く係わり合いになることのない男のはずだった……。
でも、今は……。
あたしは必死に考えを巡らせる。
ただ一点の答えを求めて。
それは……。
いったいどうすれば、彼を救うことができるのか。
だけど、あたしにはその答えが見つからない。
彼を救うことができるたった一人の存在は、今はもうこの世にいない。
でも……きっと……きっとあたしがあなたを……。
あたしは痛む胸を押さえながら、再び鎮静剤を打たれて眠りについた雪花海杜の自室を後にした。
あたしには、あたしにしかできない彼の救い方があることを信じて……。
*
槌谷玉は、川沿いの土手をとぼとぼと一人歩いていた。
「美麻ちゃん……」
海杜が略奪した美麻の遺体と対面を果たした玉は、黄昏色に染まる空を見上げながら、そっと呟いた。
「僕は結局……美麻ちゃんに何もしてあげることができなかった……」
「まだ……やれることがあるよ。槌谷君」
「えっ……?」
玉が振り返ると、そこには伊山凛の姿があった。
「槌谷君。諦めちゃダメ。後ろ向きになっちゃダメだよ。
一緒に考えよう?美麻ちゃんにこれからアタシたちが何をしてあげられるのかを……」
「だけど……今更……」
そう顔を背けた玉の両肩を凛が力強く掴んだ。
「君らしくないぞ。槌谷君。必ずあるよ。できることが……。そう。美麻ちゃんの意思を汲んであげないと……。
ねえ……覚えてる?杉羅さんの話……」
玉ははっとして顔をあげた。そして、呟いた。
「忘れようとしても……忘れられませんよ……」
そうだ。
玉は杉羅からあの事実を知らされた瞬間、玉は美麻を絡め取る運命の恐ろしさに吐き気がしたほどだった。
だが、あのことに衝撃を受けたのは、何より美麻自身であったことも想像に難くなかった。
まして、美麻は……妊娠していたのだ。
恐らく、あの青年の子を。
決して、赦されない子を。
美麻はそのことを知った瞬間、どう感じたのだろうか。
自分などには想像も付かないほどの衝撃が、彼女を襲ったに違いない。
そして、瞬く間に彼女を、戻れない場所へと連れ去った。
「槌谷君……」
凛の声に顔を上げると、玉は自分の異変に気がついた。
彼は、泣いていた。
その涙が美麻の運命を儚んでのものなのか、自分の無力さへの悔恨なのか、彼自身にも判断がつかなかった。
だが、玉は拳を固め涙を拭うと、言った。
「伊山さん……僕に……僕にきること……なんでしょうか」
彼の中から、もう迷いは消えていた。
凛はそんな玉を見つめ、ただ頷いた。
*
僕は何を言ったのか、覚えていない。
何をしたのかも覚えていない。
ただ、今の僕の手には、氷のように冷たい美麻の肌の感触だけが、ありありと思い出されるだけだ。
そう。それは、美麻が死んだという事実。
同時にあの人の心が死んだという事実。
そして……僕の復讐が終わったという事実。
久々に戻った雪花家の自室の窓からは、よく手入れされた庭が何事もなかったかのように光を浴びて揺れている。
僕は居たたまれなくなって、窓辺を後にし、ドアノブに手をかけた。
僕の足は、自然と雪花海杜の眠る自室へと向かっていた。
無意味にノックをした後、ゆっくりとノブを回す。
カーテン越しに差し込む柔らかな光の中に、彼は静かに横たわっていた。
顔の陰影が、やつれ疲れ果てた彼の状況をつぶさに表わしていた。
「海杜……さん」
僕の呟きに、彼がそっと瞳を開けた。
「……英葵……?」
僕は、彼が眠っていると思っていたから、はっとした。
硝子のような瞳が僕を映して微かに揺れた。
僕はその瞬間、叫んでいた。
「どうして……どうしてあなただったんだ!!」
僕は続けた。
嗚咽のような叫びを。
「どうして……どうしてあなただったんだ。あなたが……復讐の標的だったんだ……!!」
とめどなく、言葉が、叫びが溢れ出してくる。
全ての感情の導火線に火を着けられたかのように、次々と僕の中で何かが弾けていく。
破裂していく。
「どうしてあの日、あなたは僕の前に現れたんです!?どうして、僕に優しくしてくれたんです!?
どうして……どうして……僕たちを……救ってくれなかったんです……」
どうして?
どうして……!?
僕の中には、無数の疑問詞が渦巻く。
だがそれは、彼への非難でもなく、疑問でもなく……ただ……虚しい自分に向けた暗中問答だった。
なぜなら、僕にはわかっていたから。
どうしようもなかったのだということが。
「どうして……どうして……」
彼はただ、僕を見上げているだけだった。
僕が顔を伏せると、彼の唇がゆっくりと動いた。
「……すまなかった」
どうして、あなたが謝る……!?
僕はその瞬間、泣き崩れていた。
彼のベッドにすがって泣いていた。
「あなたは優しすぎる……!!あなたは……!!あなたは!!」
僕は復讐鬼だ。
悪魔に魂を売った外道だ。
あなたの家庭を壊し、あなたの職を奪い、あなたから愛する者を奪った。
あなたからあらゆる全ての幸福を奪った憎まれるべき張本人なのだ。
なのに……。
どうして……。
どうして……!?
「あなたはどうしてそんなにも澄んだ瞳で僕を見るんだ!!」
わかっていた。
はじめから、勝ち目などないのだと。
そして、この復讐が完了したら、僕自身の心も死んでしまうであろうことも。
僕は、ずっと昔。あの少年の頃から、彼を自分に兄のように慕い、愛しているのだから。
「……すまなかった……」
そう繰り返した彼の瞳もまた、濡れていた。
「違う……」
違う……。
謝らなければならないのは……僕の方なのだ。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
そう言うと、涙が溢れた。
本当は……ずっと言いたかった一言……。
「ごめんなさい……」
ずっと言わなければならなかった一言。
取り返しのつかない現実へ、なんの効力もない一言。
僕が泣こうが叫ぼうが、この人の失った全ては……もう戻らない。
そして、僕が失った全ても、もう……。
だが、それでも伝えずにいられなかったその一言。
「ごめんなさい……海杜さん」
*
雪花家の離れに位置するぶち抜きの大広間。
里香さんや夕貴君の葬儀が行われたのも、ここだった。
広大な海のように広がる蒼い畳。
鮮やかな錦絵の描かれた襖。
遥か奥の床の間には、達筆すぎてなんて書かれているのかわからない肉筆の掛け軸がかけられていた。
今日はここに、今回の事件の関係者が勢ぞろいしていた。
勢ぞろいと言っても、ずいぶん寂しい顔ぶれであることは否めない。
実際、渦中の雪花家の人間は、英葵さん、海杜さん、莢華さん、メイドの李さんの四人しか出席していないし……。
雪花幸造氏は病床のため、ここにはいないが、他の人々は、鬼籍に入ったため、出席したくてもできない。
他にはピアニストの澤原柚生さん、会長の代理として出席している雪花コーポレーションの女専務・吉成水智さん、
玉君、女刑事さん二人組、編集長、そして、最後にアタシ・伊山凛。
「伊山さんと言ったかしら?あなた、私たちを集めて、一体何をなさろうとしている気なのかしら?」
そう口火を切ったのは、雪花莢華さんだった。
「あ、は、はい……。いきなりおよび立てしたにも関わらず、ご出席頂き、ありがとうございます。
特に雪花家の皆さんには、場所まで提供して頂いて……恐縮です」
普段使い慣れない敬語のオンパレードで、アタシは何度も舌を噛みそうになった。
「きょ、今日は……一連の事件について……皆さんにお聞き頂きたいことがありまして、こうしてお集まり頂きました」
「一連の事件について聞いて欲しいこと……?まさか、犯人がおわかりになったとでもおっしゃるのかしら?」
そう笑いながら言った莢華さんに、アタシは答えた。
「ええ……その……まさかだったりします」
「なんですって?」
莢華さんは片方の眉を上げた。
反応は他の人たちも似たり寄ったりだった。
ただ、海杜さんだけは、何の反応も示さずに、ただ俯いているだけだった。
影になって表情はよくわからないけど、まるで、生ける屍……。
隣に座るメイドの女の子と未央さんが、互いに左右から心配げに彼を見守っているのが印象的だった。
でも、すぐに莢華さんは、
「それはありがたいことですわね。では、早速、この忌まわしい出来事に幕を下して頂けないないかしら?」
と優雅な微笑みを取り戻した。
アタシは思わず、背後の編集長を振り返っていた。
編集長は無言で軽くウインクしてくれた。
そうだ。
これから、アタシが辿り付いた真実を語るんだ。
「事件記者」としてのアタシの……。
美麻ちゃん……天国から見ていて……!!
「あのう……まずは、美麻ちゃん……いえ、咲沼美麻さんへの傷害事件についてなんですけど……」
「え?あれは事故だったって美麻ちゃん本人がそう言ってたんじゃないの?」
真っ先に声を上げたのは、ピアニストの澤原さんだった。
彼女は、ピアニストらしい細くて長い指で顎を摩りながら言った。
「傷害事件……?あれは……事故ではなかったというんですか?伊山さん」
そう英葵さんに真っ直ぐに見つめられて、アタシはちょっとドキドキした。
っと、今はそれどころじゃない……!!
「はい……。あれは、事故ではありません。美麻ちゃんは、ある人を庇って事故だと主張していただけなんです」
莢華さんが声を上げた。
「あなた、咲沼さんご本人から事故じゃなくて事件だったんだとお聞きになったのかしら?」
「いいえ。美麻ちゃんは、事故だという一点張りで、事件だとは認めませんでした」
「じゃあ、そんな妄想……一体どこから生まれたのかしら?」
アタシはどこまでも突っかかる莢華さんに対して、少しムキになって言った。
「妄想なんかじゃありません。ちゃんと、目撃者だっているんです」
その瞬間、微かに莢華さんの顔色が変わった。
そして、彼女はまるで汚い物でも見るかのような目でアタシを見た。
「目撃者……?ねえ、刑事さん。この方の好きにさせていてよろしいの?警察の方でもないようなこんな一般人に……」
憤慨する莢華さんはそう言って、未央さんの方を見た。彼女は、
「我々公僕としましては、まず協力して下さる市民の皆様のご意見はよく拝聴しなければならないと肝に銘じております。
それに、あくまで民事不介入。犯罪行為が行われている訳でもありませんし、我々に彼女の行動を止める権利はありませんよ。奥様」
とにっこりと微笑んだ。
こういうとこが溜まらなくカッコいいっ!!
その微笑みに、さすがの莢華さんも黙るしかなかったようだった。
刑事さんのお墨付きも頂いたことだし……。
アタシが頷いて合図を送ると、編集長が襖をさっと開けた。
そこには、「ひまわり園」の美作園長の腕に抱かれるようにして、小さな目撃者がいた。
「彼女は槌谷君が見つけてくれた事件の目撃者です。ユカリちゃんだったよね?
お姉ちゃんにこないだとおんなじこと、また教えてもらっていいかな?」
ユカリちゃんは、居並ぶ見知らぬ大人たちに怯えているようだったけど、小さく頷いた。
「ありがとう。ユカリちゃんは、美麻お姉ちゃんが怪我をした日のこと、覚えている?」
「うん。ユカリね。本当は遠足に行きたかったんだけど、お熱があったから行けなかったの」
「そっか~。それは残念だったね。それで……ユカリちゃん、どこにいたの?」
「あのね。ユカリ、お遊戯室のお隣のお部屋でお布団の中にいたの」
「お遊戯室って……ピアノのあるお部屋?美麻お姉ちゃんが倒れていたお部屋だね?」
「うん」
「その隣の部屋にユカリちゃんはいたんだね?」
ユカリちゃんは、頷いた。
「ユカリちゃん……あの日、何があったのか、教えてもらっていいかな?」
「うん、いいよ」
「あのね。美麻お姉ちゃん、誰かとお話してたよ」
「お客さんってことかな?」
槌谷君が優しく問いかけた。
「うん。お客さん。だって、美麻お姉ちゃん、お茶出したもの」
槌谷君が続ける。
「なるほどね。それからどうなったのかな?教えてもらえるかい?」
「うん。あのね。美麻お姉ちゃん、ピアノを弾き始めたんだよ」
「ピアノか……。それから?」
「あのね。急に演奏終わっちゃった。ものすごく大きな音がして」
誰もが息を呑んだのがわかった。
なぜなら、その瞬間こそ、美麻ちゃんのピアニスト生命が絶たれた瞬間だったから……。
槌谷君は生唾を飲み込むと、核心部分に触れる問いをユカリちゃんに向けた。
「ユカリちゃん、じゃあ、美麻ちゃんとお話ていた人のこと……見ていないのかな?」
「ううん。ユカリ、見たよ」
ユカリちゃんがそう答えた瞬間、微かにざわめきが起こった。
アタシは武者震いを感じながら、言った。
「どんな人を見たか、教えてもらえる?」
ユカリちゃんは、頷くと、ゆっくり答えた。
「あのね。短い髪の綺麗なお姉さんだったよ」
「その人……この中にいるかな?」
するとユカリちゃんは、力強く頷いた。
「じゃあ、ユカリちゃんが見たってお姉さんのこと……指差してくれないかな?」
ユカリちゃんは、「うん」と頷くと、小さな指を伸ばしてある人物を指差した。
それは、紛れもなく雪花莢華さんだった。
「な……何を言い出すの……!?」
彼女の顔からは一気に血の気が引いていた。
「莢華さん……!?あなた……まさか……」
そう衝撃を隠せないらしい柚生さんに、莢華さんは答えた。
「悪い冗談は、やめて頂戴!!伊山さんとおっしゃいましたかしら?
この私にこのような恥をかかせて……一体、どういうつもりですの!?」
そう彼女は引きつった笑みを見せた。
「これは冗談でもなんでもありませんよ。この子の証言だけでは不服ですか?では、もっとはっきりした証拠を提示します!!」
その瞬間、莢華さんの顔から笑みが消えた。
編集長がアタシにポータブルラジカセを放ってよこした。
「それが……一体、なんだっていうの……!?」
「あなたは、美麻ちゃんから今はみんな遠足に行っているから園には誰もいないと聞いてあの犯行を実行したのでしょうけど、
目撃者がいたんですよ。目撃者というのは正しくないですがね……。そう。このユカリちゃんともう一人……」
「もう一人……?」
「そう。事件現場の隣の部屋に置かれたラジカセですよ!!」
「…………!!」
「間違いありませんね、美作園長」
すると、座敷の隅に控えめに座っていた美作園長が口を開いた。
「ええ。美麻ちゃんがあんなことになってバタバタしていたせいで最近まで全く気が付かなかったんですが、
みんなで先月のお遊戯会の様子を録音したテープを聞いた時にその音声が途中から入り込んでいたんです」
「その……音……?」
「恐らく、一人で隣の部屋で遊んでいたユカリちゃんが何かの拍子にラジカセの録音ボタンを押したことによって、
たまたま入っていたこのテープに上書きされるカタチで録音されたんでしょうね」
「一体……一体なんの話ですの!?それが一体なんだっていうんですの!?はっきりおっしゃいなさいな!!」
「まだおわかりになりませんか?あなたと美麻ちゃんのやり取りは、全て録音されていたんですよ!!」
「なんですって!?」
「論より証拠……実際にお聞き頂きましょうか?」
「やめてええええっ!!」
アタシは莢華さんの声の制止を無視して再生ボタンを押した。
『だって、ピアノも恋愛もあなたが独り占めするなんて……不公平だと思いません?』
『えっ……?』
『だから、いいのよね?あなたがピアノを失うことになっても。ね?咲沼さん。』
続いてラジカセから響いたつんざくような美麻ちゃんの悲鳴と鍵盤の落下音とかぶさるように、莢華さんの声が上がった。
「いやあっ!!止めて!!もうやめて!!聞かないで!!お兄様あっ!!」
そう叫ぶと、莢華さんがラジカセに抱きついた。
アタシはその勢いに飛ばされて、少し畳の上を滑った。
莢華さんは、ラジカセを抱えたまま、呟くように言った。
「海杜お兄様……。あなたにだけは……知られたくなかった……。こんな……こんな私を……」
それが雪花莢華の紛れもない「自供」だった。
「私……どうかしていたんですわ。怒りに我を忘れて……どうかしていたんですわ。
あの人の忠告に従って……こんな恐ろしいことを……。うっ……ううっ……」
そう呟いた彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れ出した。
「莢華さん……君って人は……。君って人は……」
声を上げたのは、英葵さんだった。
肺腑からでも搾り出したかのような声だった。
大切な妹さんである美麻ちゃんが受けた痛みを、彼は自分のことのように受け止めているのだろう。
アタシは胸がひどく痛んだ。
一方、雪花さんは、無言でうな垂れたまま、頭を抱えただけだった。
もしかしたら、全てが自分のせいで引き起こされたと感じて、自分のことを攻めているのかもしれない。
「これは立派な傷害罪に当たりますね」
そう立ち上がったのは、未央さんだった。
「ううっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ピアニストにとって、ピアノが弾けなくなるということは、まさに命を奪われるようなものだわ。
あなたもピアノを志す者の一人だったら、それがどんなに惨いことか……一番よくわかっていたはずなのに……残念だわ」
そう言うと、柚生さんは泣き崩れた莢華さんを起した。
そして、アタシたちに向き直ると言った。
「さあ、探偵さんたち。続けてくれないかしら?そして、この終わりの見えない暗い迷宮に、光を与えてくれないかしら?」
*
「今回の事件を語るには、まず、第一の事件にさかのぼらなければならないと思います」
「第一の事件って、あのワインの砒素中毒のこと?」
柚生さんの問いにアタシは首を振った。
「いいえ、雪花菊珂さんの自殺です」
「あのう……自殺って……事件っていうんでしょうか」
苗子さんの問いに、アタシは最もな疑問だなと感じつつ、また首を振った。
「そもそも、その自殺ということが間違いなんですよ」
「えっ……?」
「ここからはあたしに説明させてもらっていいかしら?」
そう軽く手を挙げたのは、未央さんだった。
「実は、雪花菊珂の死因が自殺ではないと主張した人間は、ここにいる伊山さんや矢保編集長だけではないの。
ワイン砒素中毒事件で殺害された九十九出青年もその主張をかなり前からしていたんです」
「九十九君が……?」
英葵さんが怪訝そうに顔をあげた。
「ええ。彼はたった一人で聞き込みをしたりして証拠を集めていました。恐らく……菊珂さんの無念を晴らすために……」
玉君が、少し寂しげな顔をした。
報われない恋と知りつつも菊珂の無念を晴らそうと捜査を続けた九十九青年の姿が、
自分自身とだぶって感じられたのかもしれない。
「彼は、菊珂さんの死は第三者によって作られた殺人事件だと訴えていました」
「でも、菊珂さんは自分でフェンスを乗り越えて飛び降りたって……新聞で読んだわ。どういうことなの?」
「ご指摘は最もですわ。柚生さん。でも、九十九青年はある大胆な仮説でその問題をクリアしたんです」
「仮説……?」
「電報ですわ」
「電報……?電報って、あの祝電とかの電報?」
「ええ。九十九君は犯人がそれを凶器として用いたと考えたようなのです」
「そんな……」
「彼は言いましたわ。『祝電に書かれる文句が祝福を意味するものだけだなんて、誰が決めたんだ』と」
「あっ……」
「そう。雪花菊珂さんは、届けられた電報の内容を読んで自ら死を選んだ。自分から飛び降りたからと言って、これは立派な殺人ですわ」
「彼女は……電報に殺されたって訳ね。正確に言えば、その電報の差出人に……」
「そう。そして、この指摘が……九十九君の運命を決定付けてしまった……」
未央さんは、微かにうな垂れると、首を振った。
「伊山さん。後はお願いするわね」
「……あ、はい。では、今からあの日、雪花菊珂さんが飛び降りた当日、どのようなこをが行われていたのか、思い起こしてみましょう。
あの時、アタシは披露宴会場になったホテルの外で張り込んでいました。咲沼美麻さんの密着取材のためです。
定刻になったので、披露宴ははじめられました。
花嫁不在を悟られないように雪花さんがスピーチしたりして時間を稼いでいたらしいです。
式がはじまってからは、混乱を悟られないために、花嫁探しは心配した美麻さんと一部のホテル関係者のみで行われていたんです」
「覚えているわ。ま、私もまさか花嫁が消えているなんて露も知らなかったから、海杜君の長くて退屈なスピーチをただ聞いてたけど」
柚生さんがそう頷くと、吉成専務がメンソールに火を着けながら言った。
「あの時、裏は大混乱でしたのよ。何せ、主役の一人が消えてしまったんですからね。
それをお客様に悟られないようにするだけで精一杯でしたわ」
「で?それからどうしたのかしら?教えてちょうだい。探偵さん」
「あ!?はい」
さっきは何かと突っかかってくる莢華さんとだったけど、今度は柚生さんとの問答になった。
「披露宴がはじまってまもなく、菊珂さんが屋上から飛び降りたのですが、彼女が落下した現場、
そこに、本来いるはずのない人間がいたんです」
「いるはずのない……人間?」
「はい。正確に言えば、写っているはずのない人間です」
「どういうこと……?」
「この写真を見て下さい」
アタシは一枚の写真を提示した。説明用に大きく引き伸ばしたものである。
「ここに皆さんもご存知のある方が写っています」
真っ先に柚生さんが声を上げた。
「あっ……。この野次馬の中にいるの、河原崎さんじゃない?」
その声に反応するように一斉に視線が河原崎唯慧に集まる。
今まで空気のように誰からの干渉も受けておらず、
ただ静かに佇んでいた彼女は、注目を浴びても変わらずにただ凛とそこにいた。
「ねえ。伊山さん?事件を聞きつけたやじうまの中の一人として、河原崎さんがいたとしても何もおかしなことはないんじゃないかしら?」
「いいえ、それはありえないんです」
柚生さんが怪訝そうな顔をした。無理もない。
「これからそれをご説明します。河原崎さん。披露宴の最中、莢華さんについてあなたも当然、式場にいらしたはずですよね?」
「いいえ。ワタクシは……菊珂様を探しておりましたわ」
「そうです。確かに、その時、あなたは式場にはいなかった。
こうしてこの写真に写っている以上、会場にいられるはずがありませんよね。
そして、その理由として、『菊珂さんを探していた』ということがあなたの主張のようですが……本当にそうでしょうか……?」
その瞬間、唯慧さんがふいに目線をあげた。
その視線は、アタシとかっきりとかち合った。
でも、それは一瞬のことで、彼女はまた視線を正面に戻した。
「唯慧さん。あなたは前に言ったそうですね。『私は莢華様のご命令以外で動く気はございません』って」
「…………」
「あなたはどんな時でもそのポリシーを貫いたのではないですか。
莢華さんはあなたに菊珂さんを探すようにと命令は出さなかったでしょう。
つまり、あなたは本来なら菊珂さんを探しに出てはいないはずです。
それならば、当然、その時間、式会場にいたはずですよね、でも、あなたはいなかった。
では、あなたはどうして会場にいなかったのでしょうか」
唯慧さんは答えない。
ただ、なんの感情も宿らないような目で、正面を見つめているだけだった。
アタシは続ける。
その鉄仮面然した横面に思いをぶつけるように。
「あなたは莢華さんの命以外で会場を抜け出るはずはない。では、あなたは莢華さんの命令でどこに向かったのでしょうか。
そう。アタシが気になるのは、あなたの不在証明ではなく、存在証明なんです」
アタシは一枚の写真を取り出した。
これが、編集長の言っていた迷宮の扉をぶち破る最終奥義……!!
アタシの切り札……!!
「これはアタシが現場で撮影した写真のうちの一枚です。
先ほどご覧頂いたものより前、ナンバリングで言えば、
一番初めのもので、恐らくアタシが慌てて現場に駆けつけようとした際に、誤ってシャッターを押してしまったのでしょうね」
「えっ……?何これ?ただのビルの写真じゃない?」
それは、アタシが撮影してボツにされた写真のうちの一枚だった。
ピンボケな上に、なぜかホテルの向えのビルが写った写真。
そのビルは全面ガラス張りのビルディングだった。
「そう見えますよね。これを大きく引き伸ばしたものをお見せします」
そうアタシが言うと、編集長と玉君が巻いてあった写真を広げた。
「この部分を見て下さい」
アタシはビルの側面の一部を指差した。
「えっ……!?これは……!!」
そこに写っているのは、紛れもなく落下した直後らしい菊珂さんとそれを見つめる河原崎さんの姿だった。
「ビルがガラス張りだったせいで、鏡のような役割を果たしたのだと思います」
「それにしても……よく見つけたわね……これ……」
「ここにいる矢保編集長が見つけて下さったんです。
でも、私には菊珂さんの意志が働いたのではないかと思われて仕方がありません。
無念を背負って逝った……菊珂さんの最期の意志が……」
アタシは唯慧さんに向き直った。
「あなたは、どうしてこの写真に写っているんですか?
つまり、あなたは菊珂さんが飛び降りる前から、野次馬が集まる前からこの現場にいたんです。
それは、どういうことなんですか?」
答えない唯慧さんの代わりに、アタシは続ける。
「自殺するとなると、手段は限られてきます。刃物はないでしょうし、菊珂さんはあの花嫁衣裳のまま外に出るなんてことはできなかった。
着替えるなんてことを考える精神的余裕もなかったでしょう。
自殺で真っ先に思いつくのが、屋上です。
このホテルは最上階が大ホールとなっており、そこで披露宴が行われることになっていた。
当然、控え室も最上階にありました。非常階段を使えば、菊珂さんは誰にも見つからずに屋上に向かうことは、わけなかったのです。
悲しいことですが、飛び降り自殺には、特別な道具も必要ありませんから……」
「………………」
「あなたは、菊珂さんが確実に飛び降りるのを確認しに来たんじゃないんですか?
あの電報によって菊珂さんが飛び降りたかどうかを……。
あの屋上は北側の部分だけフェンスが低かった。
だからあなたは、菊珂さんがどの辺りから飛び降りるかもだいたい予測がついていたのでしょう。
それであんなピンポイントの位置で彼女の落下を見届けることができた」
「………………」
「それに、あなたはあの毒ワイン事件の時にも、誰よりも早く使われた毒物を察知して処置をしたらしいじゃないですか。
それは、あらかじめその中身を知っていたからなのではないですか?どうなんですか?河原崎さん!?」
*
誰かがすっくと立ち上がっていた。
それは、河原崎唯慧本人だった。
彼女は能面のような顔で正面を見据えたまま、言った。
「私をお疑いなのですね」
なんの感情も感じさせない声だった。
その声には、疑われたことへの恐怖も怒りも驚きも何も含まれていなかった。
アタシは、何も答えられなかった。
すると、河原崎唯慧は唇の端をほんの少しだけ、上げた。
笑ったらしかった。
アタシは彼女の笑顔を初めて見た。
「面白いお話ですね」
相変わらず、何の感情も伺えない声で、彼女は言った。
アタシは、微かに恐ろしさを感じながら、続けた。
「あなたがわざわざ確認に外に出たということは……そこにある人物の示唆があったと思われます。
……それは当然、莢華さんですよね」
「ば、馬鹿なこと言わないで!!どうして私が……!!」
その莢華さんの金きり声と同時に、唯慧さんは正面を向いていた顔をアタシに向けて続けた。
「そうですわ。あなたのお考えの通りですわ」
「えっ……?」
アタシは、あんまりあっさりといわれたせいで、意味が飲み込めなかった。
「どうなさいました?こうして私は自白しているのですよ。私がこの事件の犯人だと」
「ほ……本当に……?」
「ふふふ……面白い方ですね。私が犯人だと告発なさったのは……他ならぬあなたではありませんか」
「そ……それはそうなんですけど……」
戸惑うアタシの反応を楽しむように、彼女は繰り返した。
「そうですわ。私が全てやりました。私が雪花菊珂、九十九出、雪花里香、雪花夕貴を殺害したのですわ」
「ど、どうして……どうしてこんなことを……」
槌谷君が訴えるように声を上げた。編集長がそれを引き受けるように続ける。
「そうだ。動機……。これだけが最後まであたしにもわからなかった。あんた、一体どうしてこんな大それたことをしたんだ?」
すると、河原崎さんは不思議そうな顔をした。そして、ちょっと小首を傾げると、
「動機……?菊珂お嬢様や里香奥様を殺した動機は……私には特にございません。
そう……強いて言えば……『雪花家の人間だったから』でしょうか?」
とまるで今日の天気でも答えるように言った。
その場にいた全員が凍りついた。
「九十九君は……?」
そう声を上げたのは、未央さんだった。この人にしては珍しく、やや放心したような魂の抜けたかのような顔をしている。
「なぜ彼も殺したの?彼はこの家とは何の関係も……」
すると、河原崎さんはあっさり答えた。
「邪魔だったからですわ。先ほど、あなたが話していた通り。彼はいささか詮索が過ぎましたわね」
「邪魔……」
女刑事さんは、オウムのように繰り返すことしかできないようだった。
だが、いくら口の中で繰り返しても、理解ができる内容ではないよね……。
「彼はいろいろと知りすぎました。このままだと私の計画の妨げになる……そう思ったのですわ。他にご質問は?」
「ど、どうしてこんなにたくさんの人を殺さなければなかったんですか!?」
次に声を上げたのは、苗子さんだった。
「あなたの目的は……目的は一体、なんなんですか?」
誰もがみんな、この事件の断末魔に言い知れぬ憤りと、悲しみと空しさを感じているのだろう。
途切れることなく発せられる犯人への質問に、それが如実に現れていた。
アタシだって……同じ。
河原崎さんは、それらの全てに答えるのが自分の使命とでも考えているように、淡々とそれに答えていく。
「だって、いきなり殺してはつまらないでしょう?」
いきなり……?
それは、どういう意味?
「そう……じわりじわりと追い詰めて、なぶり殺してやるつもりだった……。
まるで水際に追い詰められて逃げ場を失った憐れな蟻みたいに、
その手を足を一本一本引きちぎるみたいに、周りの人間をひとりひとり殺していってね」
誰……?
この人の憎悪は……一体誰に向けられているの……?
「うふふ……残念ですわ。まだまだ計画は終わってはおりませんでしたのにね」
「唯慧さん……あなた……一体……」
アタシがそう呼びかけた瞬間。
「雪花海杜……」
そう搾り出すような声が響いた。
まるで呪詛の言葉でも吐き出すかのように、河原崎さんはその名前を口にした。
顔を上げた彼女の顔は、今までの能面のような無表情なものではなく、
この世の全ての悪意を結実させたかのような、恐ろしい形相だった。
当の呼びかけられた本人―――雪花海杜は、ゆるゆると顔を上げただけだった。
「お前さえ、莢華様の前に現れなければ……お前さえ……。許せなかった!!私から莢華様を奪うあの男が!!」
そう血走った目で唯慧が指したのは、紛れもなく、雪花海杜だった。
何も答えず、虚ろな目を上げた彼の代わりに、傍らの未央さんが声を上げた。
「河原崎……さん……」
「憎い……!!あの男が憎い!!清らかな莢華様を……ただの醜い女に変えたあの男が……憎いぃ!!
莢華様は、私のもの!!私だけのものなのぉおっ!!」
そう叫ぶと、彼女は畳に這いつくばって泣き出した。
もしも、今、呪詛の言葉だけで人を殺すことができるのなら、雪花海杜は確実に死んでいただろう。
それくらい、河原崎唯慧の叫びは凄まじかった。
誰もがただ彼女の姿に圧倒され、ただ見守ることしかできなかった。
これが、多くの人間たちの命を奪った殺人鬼の姿……。
ふいに唯慧さんが顔をあげた。
涙に濡れたその顔を。
「ねえ、莢華様。唯慧はあなたに身も心も捧げているのです……」
「ゆ……唯慧……」
「全て、あなたのため……あなたのために行ったことですわ。
あなたを侮辱した菊珂だって、あなたの夫と関係を持っていた里香だって、あなたが殺して欲しいって言ったから。
あなたのご命令通りに」
「な、何を言っているの?唯慧。私はそんなこと……。望んでいないわ。言った覚えもないわ!!
そうよ!!望んでなんていなかった!!あなたは……あなたはなんてことをしてくれたの!?唯慧!!」
「莢華様……。全てはあなたのご命令通りに」
「何を言い出すの!?唯慧!?嫌よ!!私は関係ないわ!!何も関係ないわ!!」
そう叫ぶと、莢華は唯慧の身体を叩いた。
もうめちゃくちゃに叩いていた。
「ううっ……莢華様ぁ……」
「やめなさい!!莢華さん!!」
未央さんがそう叫んで莢華さんの身体を羽交い絞めにした。
その瞬間、莢華さんはぐったりと未央さんの身体にもたれた。
「あなたは私の全て……。私の全てなのぉ……うっうっ……」
そう言って、唯慧さんはまた泣き崩れた。
そして、莢華さんも魂が抜けたかのようにして、その場に崩れた。
*
「雪花莢華。殺人教唆の容疑、及び、咲沼美麻への傷害容疑であなたを逮捕します」
雪花莢華の手首に小さな音を立てて、手錠がはめられた。
彼女は、自分の身に何が起きたのかわからないのか、ただ黙ってその手錠を見下ろしていたけど、すぐに笑い声を上げた。
その笑い声は、どこか尋常なものではなかった。
とうとう彼女は、精神の均衡を失ってしまったのかもしれない。
彼女が美麻ちゃんに犯した罪を考えれば、当たり前のことかもしれない。
後日、莢華さんは精神の均衡を失い、現在、公判を受けられる状態でもなく、警察病院内の精神科に送られたらしい。
でも、アタシの中には、不思議と彼女への憎しみとかは感じられなかった。
そこにあったのは、ただ、空しさだけだった。
「ふふふ……ふふ……ふふ……ほほほ……ほほほほ……」
狂ったように笑う彼女を見つめながら、アタシは小さく呟いた。
「美麻ちゃん……。仇はとったよ……」
「河原崎唯慧……あなたを殺人容疑で緊急逮捕します」
次に苗子さんが河原崎唯慧にそう向き直った。
その手には、可愛らしい風貌の彼女に似つかわしくない手錠が握られている。
河原崎さんは、俯いたまま、なんの抵抗も見せる様子がなかった。
手錠が、彼女の手首にはまるその刹那。
「まだよ……」
「えっ?」
次の瞬間、苗子さんの姿が視界から消えていた。
「きゃあっ!?」
見ると、彼女は河原崎さんに突き飛ばされ、障子に衝突し、隣の部屋まで転がっていた。
「唯慧さん!?」
「そうよ……まだよ……。まだ……終わりじゃない……!!」
その瞬間、唯慧さんが胸ポケットから取り出したのは……。
拳銃!?
「ひっ……!?唯慧さん……何をするんですか!?」
「無駄な真似はやめなさい!!河原崎唯慧!!」
「唯慧さん!!」
唯慧さんの持つ銃口は、ぴったりと雪花さんに向けられていた。
「河原崎さん!?」
「あんたを殺さなければ……終わらないのよ!!そうよ!!死になさい!!雪花海杜!!」
「撃てばいいだろう……」
アタシは思わず声を上げていた。
その暗い海のように落ち着いた声は、今まで一言の言葉も発しなかった男―――雪花海杜のものだった。
彼は言葉を続けた。真っ直ぐに銃を向けた唯慧さんの顔を見つめながら。
「そんなに僕が憎いのなら、その引き金を引けばいい……」
「海杜さん……!!」
悲鳴のような声が上がった。
アタシが、その声を上げたのが未央さんだってことに気が付いたのは、ずいぶんあとのことだった。
「僕にはもう、失うものも何もない。この世に未練もない」
「馬鹿なこと言わないで!!」
「僕を殺したいのか?結構だ。望むところだよ」
「海杜さん……!!」
「さあ、僕を……美麻のところに……送ってくれ!!」
その瞬間。
一瞬、唯慧さんが寂しげな顔を見せたのは……アタシの気のせいだったんだろうか?
誰かが「やめて」って叫んだ。
未央さんが唯慧さんの身体にさっと飛びかかろうとしたけど、遅かった。
アタシの疑念を吹き飛ばすように、劈くような轟きが唸った。
身体中が痺れるような感覚……!!
くるくると唯慧さんの身体が木の葉のように舞ったかと思うと、彼女はその場に崩れた。
まるでスローモーションでも見ているかのような光景だった。
一瞬、何がどうしたのか、わからなかった。
だって、拳銃を撃ったはずの河原崎唯慧の方が弾け飛ぶように、畳に叩きつけられていたのだから。
どうして……?
「これは……暴発……か」
編集長の驚嘆したような呟きが聞こえた。
暴発……?
辺りに立ち込めるのは、硝煙の臭いと血の臭い……。
アタシが唯慧さんに駆け寄ろうとした瞬間。
乾いた笑い声が響いた。
振り返ると、雪花さんが笑っていた。
その目から、涙がつるつると伝っていた。
「どうして誰も……僕を殺してくれないんだ?」
そんな雪花さんの身体をメイドの女の子(李ちゃんだっけ?)が背中からきつく抱き締めた。
彼女も大きな瞳から大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。
「海杜さまぁ……。そんな悲しいこと、おっしゃらないで下さいまし……。
李は……海杜様に何かあったら……ううっ……。海杜様が無事で……無事でよかった……ううっ……」
「唯慧さん!?救急車!!早く、救急車を!!」
顔面を真っ赤に染めた河原崎唯慧は。
明らかに、絶命していた。
そして、それを確認したアタシも次の瞬間にはその場に崩れていた。
*
軽い貧血ってことで、大量の鉄分を医者から処方してもらい、帰宅する途中で、アタシは考えていた。
もちろん、今回の事件のこと。
アタシは編集長と突き当たった結末に、自信を持っている。
真実がこの世にたったひとつしかないのなら、アタシはその真実に辿り付いたって思う。
でも……。
ただ、アタシの中で唯一引っかかったのは、河原崎唯慧が最期に一瞬だけ見せたあの顔……。
「たいした名推理だったじゃない?伊山さん?」
「あっ……」
そこに立っていたのは、あのカッコいい女刑事さんと小動物みたいにカワイイ刑事さんのコンビだった。
「えへへ。本当にびっくりしましたよ。すごいなあって。先輩と二人で話していたとこなんですよ」
「いいえ……。あれはほとんど……編集長の受け売りで……」
「いやいや。元はといえば、お前が撮ったあの写真のおかげなんだからな。もっと自信持っていいんだぜ?伊山」
振り返ると、編集長の羽交い絞めに遭った。
「相変わらずですね。薺さん。また事件記者に戻る気、ないんですか?」
「ああ、あたしはもうあんな殺伐とした中で生きる気にはならないね。
今回は特別さ。ああ~腹減ったな、伊山。飯食いに行こうぜ?未央ちゃんとコアラちゃんも一緒にな?」
*
ここは、馴染みの中華料理店。
編集長のお気に入り……というか、知り合いがいてツケがきくって理由らしいけど、最近はここばっかりにお世話になっている。
ご飯時には相応しくない話題……とは言え、やっぱりなりゆきで、アタシたちの会話は自然と今回の事件のことになる。
もちろん、振るのはこの人……。
我らが編集長・矢保薺……。
「なあ、あの拳銃、なんで暴発なんてしたんだ?」
苗子さんが箸を口に突っ込んだまま手帳を繰った。
「あの拳銃の銃口には、何か詰められていたらしいです」
「……!?河原崎唯慧はそのことを知らずに、その拳銃を持っていたってことですか?」
「そうですねぇ。撃った訳ですから。鑑識の話だと、薬莢がなんらかの作用で詰まってしまったんじゃないかって。
よく、拳銃の発砲数を増やすために、銃口に一発弾薬を詰めることがあるらしいんです。事故ですかねぇ」
「で。あの拳銃の元々の持ち主は?」
「それが……どうやら、雪花会長らしいんです」
「ええっ!?」
「雪花会長が護身用のためにアメリカで購入して来たものらしくて、先日紛失してしまったって話です。
型から見て、比較的手に入りやすいものらしいんですけど……」
「けど?」
編集長の疑問を受けて答えたのは、未央さんだった。
「それが……改造されたものだったんですよ。殺傷能力を上げるために……怖いわねぇ。
通常暴発でもあそこまで派手に破裂するものじゃないらしいんですけど。今回はこの細工のせいで、大爆発したらしいです」
「……なるほどねぇ……。でも、会長さん改造銃を持つなんて、ずいぶん素人にしては大胆なことしたもんだね」
「そうですね……。この犯行は、相当計画的に練られていたものだろうから……あらかじめ必要な凶器類は入手しておいたという線が濃厚ね。
恐らく、河原崎唯慧は雪花会長の元から拳銃を盗み出していたんだと思うわ」
アタシは、河原崎唯慧という人の執念に身震いした。
でも、最後のシュウマイはちゃっかりゲットした。
「とにかく、今回の事件は、被疑者死亡のまま、書類送検って言う感じですね。むぐ」
新しく追加された桃まんを苗子さんが頬張った。
「一件落着って訳か……」
なぜか、釈然としない顔をした未央さんと編集長の顔を見つめつつ、アタシも桃まんを頬張った。
「……あっつ!?」
苗子さん……なんでそんな平然とこの熱い桃まんを食べられているの!?
アタシは、リスみたいに可愛い彼女に敬礼したい気分になった。
*
夕食を囲み、苗子と伊山凛を帰したあと、あたしは薺さんと馴染みのバーで飲んでいた。
「未央ちゃん。あんたの恋の相手……わかっちゃったよ」
「えっ……?」
何気ない世間話のあと、いきなり振られた話題にあたしは面食らった。
「今日、雪花青年に銃口が向けられた時……ピンときた。あんたのあんなに血相変えた顔……見た事ないんでね」
あたしはため息交じりに言った。
「なんでもお見通しって訳ですか?そうだったら、なんだっていうんです?」
「やめろよ。あたしは別にあんたを攻めてる訳じゃない。ただ、あんたも因果な女だと思ってさ」
そう言うと、薺さんは一気にグラスの中身を煽った。
「あ~。マスター、もう一杯。……うちの兄貴といい、あの青年といい、どうしてあんたはごく普通の男に目を向けられないんだろって」
あたしは言葉に詰まった。
「でも、よかったじゃないか。もう全部終わったんだから。それに、今の彼には支えが必要だよ」
「支え……?」
「そ。あとは言わなくてもわかるよな?」
そう言うと、薺さんは手渡されたロックをまた一飲みした。
*
翌日、軽く二日酔いの頭を抱えてあたしは署内の廊下を歩いていた。
「未央さん」
その澄んだ声に顔を上げると、そこには雪花海杜が立っていた。
昨日、薺さんに指摘されたせいか、ちょっと鼓動が高鳴った。
いけない、いけない。
冷静にならないと。
「あら。もう身体の方はいいの?」
「未央さん……」
彼はどこか鎮痛そうな面持ちで、あたしを見下ろした。
「馬鹿ね。そんな顔されたら……困るわ。それとも、あたしとのこと……後悔してるってわざわざ言いに来たの?」
「そんな……」
彼は明らかに当惑の色を見せた。
根が真面目な彼は、あたしとのことを内心では後悔しているのだろう。
あたしは彼に笑顔を向けた。
「少し、歩きましょう」
あたしは行きつけの喫茶店に彼を誘った。
馴染みのウェイトレスに珈琲を注文すると、雪花海杜は頭を下げた。
「私のアリバイを証言なさったことで、未央さんが微妙な立場に立たされていると聞きました。……申し訳ありません」
「どうして謝る必要があるの?私は刑事よ。確固としたアリバイのある人間を罪に陥れる訳にはいかないわ。
たとえ、自分がどうなろうとね。見損なわないでちょうだいな」
「しかし……」
「もういいのよ。その話は……」
ジャストタイミングで珈琲が運ばれる。
やや気まずくなった雰囲気に、香ばしい香りが漂う。
「それより……どうするの?これから……」
あたしの問いに、彼はふと外の風景に視線を泳がせた。
「父もあんな状況ですし……僕が家を……守っていかなければなりません」
あたしが「大丈夫?」と声を上げようとした時、先回りした笑顔が答えた。
数ヶ月ぶりに見る彼の笑顔のような気がした。
「大丈夫ですよ。僕は……大丈夫です」
あたしはなんとなく眩しくて、でも目を逸らしたくなくて、ただ彼の笑顔を見つめていた。
すると、彼は少し照れたような顔をして言った。
「あなたと一緒にいると、あなたから元気が伝染するみたいですよ。本当に」
「やだ……何言っているのよ……」
「冗談ではありませんよ」
彼は真顔になっていた。
その真っ直ぐな視線に、言葉を失った。
ふいに薺さんの言葉が蘇った。
彼の支え……。
あたしが……なれるのかしら。
ううん。なってみせる。
あたしは彼を守ってみせる。
せめて心の中だけでも……。
そう誓いを立てて、あたしは彼を見返した。
「そろそろ行きましょう」
*
「突然、押しかけて……すみません」
アタシは雪花家の居間で、雪花英葵と向き合っていた。
「いや……こちらこそ、お世話になりました。伊山さん。あなたのおかげで、この事件も幕が下りた……」
彼はアタシを庭に連れ出した。
「綺麗なお庭ですね」
「ええ。僕はこの風景が好きなんです。やはり、自然は心を和ませてくれるものなのですね」
アタシはふと思って尋ねた。
「あのう……これから……どうされるんですか?」
すると、彼は少し厳しい顔になった。
「僕は社長職を辞任しようと思っています。そして……あの会社……雪花コーポレーションも退職するつもりです」
「えっ……?それじゃあ……」
これからどうするの?
アタシの問いかける内容を先回りするように、彼は答えた。
「少し……一人になって、自分を見つめ直そうと考えています」
「一人に……」
前髪に隠されて、彼の表情は伺いしれない……。
「ええ。旅にでも出ようと思います……」
「あの……いつ頃戻られるんですか?」
「さあ……僕にもまだわかりません……」
彼はそう言うと、天を仰いだ。
彼の栗色の髪が風にさっと舞い上げられる。
ふいに現れた横顔は、寂しげだけど、どこか吹っ切れたような様子だった。
「あの……」
いつでもかまわないから。
きっと帰って来て……そして……。
「どうかしましたか?伊山さん」
アタシは……ただ、「なんでもないです」と首を振っただけだった。
*
雪花英葵はその夜、社長職を辞した。
同時に、雪花幸造もまた容態が急変し、自宅療養から緊急入院を余儀なくされた。
心臓に爆弾を抱えているような状態のため、これ以上、会長職を続けることは無理だろうと医師のストップがかかった。
関係者は一様にあまりに多くのことが重なりすぎたせいだろうと噂した。
確かに、雪花家はあまりに不幸に遭いすぎた。
一夜にしての社長、会長の辞任劇に、雪花コーポレーションは混乱した。
雪花コーポレーションとしては、急いで時期社長の椅子を埋めなければならない事態へと追い込まれた。
一方、マスコミはパーティでの一件を知ると、手のひらを返したかのように、雪花海杜と咲沼美麻の不倫を純愛と書きたてた。
結果、彼らには多くの同情が寄せられ、雪花海杜の社長復帰も望まれるようになっていた。
「一度解任されたような私にどこまで務まるかわかりませんが……
父のためにもこの社のためにも、そして、社員の皆様のためにも精一杯この身を尽くしたいと考えています。
どうか、私に力を与えて下さい」
海杜がそう頭を下げると、割れんばかりの拍手が会議室を包み込んだ。
それが、雪花海杜が社長職に復帰した瞬間だった。
*
その翌日。
社長室では、悲鳴のような声が上がった。
「社長……!!このプロジェクトは……会長が長年かけて暖めてこられたものです……
もう先方とのセッションも始まっています。それを今更、無にするなんて……」
「会長が……?」
それまで、背を向けていた海杜が椅子ごと振り返った。
開放的な窓から差し込む光を背にした彼は、まるで後光がさしているかのような神々しささえ湛えていた。
その見まごうばかりの美しさに、一瞬目を奪われる。
だが、次の瞬間、彼は背筋に電撃が走るような衝撃を受けた。
ゆっくりと顔を上げた海杜の目が笑っていなかったのだ。
「あなたは、何か勘違いしておられるようだ……」
「は……?」
「今は、この私が会長兼社長なのですよ?」
海杜は少し困ったような顔をして、噛んで含めるように言った。
まるで、物を知らない幼児にでも教えるかのように。
「こんなプロジェクトでは利益は見込めない。そんなことは子どもにでもわかることだ。
父の面目のためだけの愚かな計画です。古い因習は取り去られねばならない。そうでしょう?新常務?」
「は……はあ」
優雅な海杜の微笑みとは裏腹に、新常務の肩書きを与えられた男性の背中には嫌な汗が流れた。
今までとは違う。何かが違う。何かが変わった。確実に。
それがなんなのか。彼には答えることができなかった。
その答えがどす黒い霧の中に包まれているかのようで。
「ね?」
そう微笑みながら、海杜はその計画書をゴミ箱に乱暴に放り投げた。
*
汗をハンカチで拭いながら、すごすごと立ち去る新たに常務という肩書きを与えられた男の背を見送りながら、
私はデスクからそっと封書を取った。
あの日残された美麻の置手紙だった。
ゆっくりとそこから便箋を取り出す。
『雪花海杜様』
私は手紙に視線を落とした。
そして、あの夜に思考をそっと泳がせた。
*
その晩、海杜さんは激しかった。
正直言って、怖いくらいだった。
いつもはあんなに優しいのに。
この人にこんな面があるなんて、信じられないと同時に不思議と納得している自分がいた。
それは「あのこと」があるから?
いいえ、違う……。
違う……。
その晩は、本当に海杜さんの中に溶けてしまいそうだった。
ううん。いっそ、そのまま彼の中に溶けて消えてしまいたかった。
そうすれば、もう悲しい言葉を告げることも告げられることもないから。
行為の後、わたしがただ天井を見上げていると、海杜さんがベッドを抜け出した。
どこに行くか気になったけど、今は起き上がれそうになかった。
相変わらず、雷鳴は轟いていた。
カーテンを閉め忘れた窓からは、絶えず稲光が差し込んでいる。
彼はすぐに冷えたボトルとグラスを持って帰ってきた。
「君も飲むかい?」
かろうじて頷いたけど、今は指の一本さえも動かせそうになかった。
彼はそれを察したのか、自分でグラスを空けると、わたしを抱き寄せ、唇を奪った。
海杜さんの唇から、冷たい雫が注がれていく。
少しずつ覚醒されていく意識と身体。
やがて、ゆっくりと解かれた唇。
少し悩ましげな彼の視線にぶつかった。
今しかない。
わたしはそう思った。
そう。
今聞かなければ、きっと永遠に聞けなくなってしまう。
「ねぇ。海杜さん。聞きたいことがあるんです」
彼がわたしの顔を覗き込んだ。
「ん?」
わたしと目が合うと、彼は子供をあやすように、そっと微笑んだ。
この上なく、優しい微笑み。
これが、本来のこの人の姿……。
そうよ。これが彼。
わたしは……信じている。
そして、同時に……。
稲光が、彼を閃光で染めた。
わたしは、決意を固めると海杜さんの目を見詰めたまま言った。
「海杜さん。人、殺すの……怖くなかった?」
その瞬間、海杜さんの手からグラスが滑り落ち、床に弾けた。
同時に、劈くような雷鳴が部屋を震わせた。
ーーフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ』
「先輩……大丈夫ですか?」
苗子がそうあたしを覗き込んだ。
幼少時代から咲沼美麻と知人だった苗子のショックは相当なもののようだった。
無理もない。
咲沼美麻は、浴室からあんな惨殺死体で発見されたのだから。
だが、今の苗子はだいぶ落ち着いているように見えた。
恐らく、「あの光景」のせいだろう。
先ほどのやり取りが鮮明に頭に蘇る。
まるで、地獄絵図のようなあの光景が。
その時。
あたしは必死になって彼を押さえつけていた。
―――しっかりして!!もう美麻ちゃんは死んでいるのよ?この世のものじゃないのよ!!
―――嘘だ!!美麻を連れて行くな!!僕からまた美麻を奪うつもりなのか?離してくれ!!
―――お願い!!しっかりして!!事実を受け止めて!!
―――やめろ!!美麻を連れて行くな!!
そう。
あたしはその時、錯乱した雪花海杜と対峙していた。
あたしたち警察の到着とほぼ同時に、雪花海杜はその場に現れた。
メイドの不知火李が警察に連絡した直後、彼に連絡したらしかった。
乱れた前髪に隠れ、彼の表情は窺い知れなかった。
彼は無言で室内に入ると、歩き出した。
苗子が思わず止めようと、声を上げた。
「あの……すみません、雪花さん。現場は捜査員以外、立ち入り禁止で……」
「どけ」
「えっ……?」
苗子が凍りついたように立ちすくむと、彼は苗子の肩にぶつかるように歩みを進めた。
その歩みは、明らかに奥のバスルームに向かっているようだった。
向かう途中、彼は、進行方向にあった床に倒れている更科恭平の遺体を踏みつけていた。
だが、そのことに、彼は全く気が付いていないようだった。
そもそもここは殺人現場である。
いわば、我々捜査官の聖域。
だが、今はこの闖入者を誰も止める気配がなかった。
誰も止めることができなかった。
時が止まったかのような静寂の中、誰もがただなりゆきを見つめているだけだった。
彼はそんな周りの様子を知ってか知らずか、バスルームに辿り付いた。
ドアが開いた。
蒸気と共にむっとした血の香りが室内に溢れた。
「海杜……さん」
あたしはようやく、彼の名前を口にしていた。
ようやく搾り出したそれが、ファーストネームだということを失念していた。
だが、誰もあたしが彼をそう呼んだことに気を留める者はいなかった。
あたしは金縛りから解き放たれると、彼の背中を追いかけた。
バスルームに入ると、彼は咲沼美麻の身体を抱き上げたところだった。
「美麻……?」
彼の小さな呟きが、バスルームに反響した。
彼は咲沼美麻の乱れた髪をそっと掻き分けた。
露になる血の気の失われた彼女の顔。
彼はその頬をそっと撫でた。
この上なく愛しそうに。
そして、彼は彼女の唇にそっと口付けた。
まるでそうすれば、おとぎ話のように彼女の目が開くことを確信しているかのように。
だが、当然、奇跡は起こらない。
彼女を強く抱き締める彼の白いワイシャツが鮮血を吸い、真っ赤に染まっていく。
彼は息絶えた咲沼美麻の手を取ると、自分の頬に当てた。
脈を探っているようだった。
どんなに探っても、もう聞こえることのないその音を……。
「どうして……どうしてこんなことに……私はただ……君を……愛して……」
あとは言葉にならないようだった。
彼は咲沼美麻の亡骸を抱き締めると、その身体に顔を埋めた。
静かなバスルームに、ただ、嗚咽のようなものだけが、微かにもれ聞こえてくる。
あたしがただ立ち尽くしていると、横から他の捜査員がバスルームに入り込んできた。
「さあ、君。ここは現場なんだ。出て行きたまえ」
捜査員はそう言うと、雪花海杜の腕を掴んで立ち上がらせようとした。
まさに、その瞬間だった。
「また僕から美麻を奪うつもりか?」
「……えっ?」
まるで暗い地の底からでも聞こえたかのような声だった。
そこからの彼は、まるで別人のようだった。
彼はあっという間もなく、捜査官の手を振り解き、彼を床に叩きつけていた。
「海杜さん!?」
「許さない……美麻を奪う奴は……絶対に……」
捜査官が、強かに打ったらしい右肩をさすりながら声を上げた。
「貴様……公務執行妨害でぶち込んでもいいんだぞ……?」
「好きにしろ!!だが、美麻にだけは……美麻にだけは誰にも手を触れさせない!!」
「やめて、海杜さん!!美麻ちゃんは、もう死んでいるのよ?」
「嘘だ……この子は死んでなどいない!!」
あたしは気が付いたら、彼の背中にしがみついていた。
「しっかりして!!美麻ちゃんは、もうこの世のものじゃないのよ!!」
「嘘だ!!黙れ!!そんなでたらめを言って僕からまた美麻を奪うつもりなのか?離してくれ!!」
「お願い!!しっかりして!!彼女は死んだのよ!!事実を受け止めて!!」
あたしはもう悲鳴を上げるように懇願していた。
こんな彼を見たくない。
どうか、こんな彼をもう見せないで!!
彼は決して咲沼美麻の身体を離そうとしなかった。
今この手を離したら、彼自身の身体も一緒に千切れてしまう。
そんなことを彼は考えているのか。
こんなにもこの人は、この少女を愛して……。
一体、この身体のどこにそんな力があるのか。
彼は警官達を次々と薙ぎ倒すと、彼女を守り続けた。
「医者を!!医者を呼べ!!」
誰かの叫びにより呼ばれた医者が、三人の警官に取り押さえられた彼に数本の安定剤を打ち、なんとかなだめたのだった。
彼が連れ去られた現場は静けさを取り戻した。
「先輩……」
「大丈夫よ。苗子。あたしは平気……」
あたしはそう勢いよく立ち上がった。
が、それと同時に強い眩暈を感じた。
「先輩!?」
慌てて受け止めようとした苗子より先にあたしの身体を受け止めた人間がいた。
「無理して粋がるのは君の悪い癖だよ?未央君」
「熊倉君……」
熊倉はいつものような笑みを浮かべたまま、あたしを椅子に座らせた。
「このあたしが現場でこのザマなんて……どうかしてしまったみたいね……」
「しかたがないさ。君も肩肘張らずにただの人間なんだと素直に認めたまえ。楽になるよ」
「考えておくわ」
「さて、そろそろ捜査主任の耳に検視報告についてお知らせしたいんだが?大丈夫かい?」
「臨むところよ。さ、お願い。あ……苗子、つらいだろうけど……」
「わたしは大丈夫ですよ。先輩」
「苗子……」
「わたし、美麻ちゃんのためにも、真実を絶対に見つけ出します。
そのためには……今回の結果を聞くのも……大切なことですから」
あたしは苗子の背中を強く叩いた。
*
熊倉の見解だと咲沼美麻に付けられた傷は少なくとも二十箇所以上。
特にひどいのは胸の傷で刃が貫通していたということだろう。
致命傷もこれらしい。
変わっている点として、凶器が上げられる。
この凶器は普通の包丁やナイフではなく、文字通り、剣なのだ。
どっからこんなもの……と思ったところ、もう一人の被害者・更科恭平の私物らしい。
なんでも、更科恭平はアンティークな刀剣を集めるのが趣味だったらしく、
奥の部屋のクローゼットから、腐るほどの刀剣が発見された。
発見した時感じたのだが、まるで十字架でも彼女に突き刺さっているかのような状態だった。
そう……餞のような……。
次に更科恭平は、腹部を包丁で刺されたことによる失血死。
彼はどういう訳か、両手で強く包丁を握り締めていた。
ちょうど、切腹でもした武士のように。
「だいたい、咲沼美麻ってお嬢さんは手を複雑骨折していたんだろう?
包丁を握り締めることなんてできないよ。たとえ握れたとしても、こんなに深々とは刺せない。
この被害者の人、引き締まったいい身体しているでしょう?
こういうスレンダーだけど、筋肉質な人は相当力を込めないと包丁なんて突き刺さらないよ。上滑りしちゃう」
「じゃあ、更科恭平が咲沼美麻を殺害した後、自殺。つまり、無理心中したって訳?それで間違いない?」
「状況的に見ればね」
そう言うと、熊倉は小さな箱のリボンをつまんで掲げた。
「気になるのは、このプレゼントらしいものだろうね……」
「で?この中身、なんなのかしら。ちょっと鑑識さん?これ、もう開けて大丈夫?」
馴染みの鑑識の技官が、OKサインを出した。
「さんきゅ。開けるわよ」
箱の中から現れたのは、シルバーに小さなダイヤのはまった……。
「指輪……?」
「そのようだねぇ……。故人のことをとやかくいうのもなんだが……イメージに合わないものだねぇ」
「これ……美麻ちゃんにですかね……?」
「それはそうじゃないのかな?こうして手元に持っているくらいだしねぇ」
「恋人への最期のプレゼントだったって訳?」
「あのう……。だったら、どうして美麻ちゃん、それをつけていないんでしょう?
最期のプレゼントだったら、恭平さん、無理やりにでも美麻ちゃんにつけるんじゃないでしょうか?」
「ほお~。苗子君。君もなかなか大人な意見で核心を突いてくるようになったねぇ」
苗子はちょっと照れたように頭をかいた。
「う~ん。残りは解剖してからだね。あとで僕の研究室にきてくれないかい?」
「ええ。いつも通り、紅茶をたっぷり用意して待っていてね」
「ああ。わかったよ。君も疲れを癒しに我がオアシスへいらっしゃい」
*
「しかし……あなたもつくづく死体と縁があるようね」
「私だって、好きで発見者になっている訳じゃないですよ!!」
そう言うと、雪花家メイド・不知火李は涙に濡れた大きな瞳を上げた。
あたしは彼女をなだめるように、苗子が運んできたお茶を彼女の前に差し出した。
「先ほどお話しました通り……ワタクシは吉成専務のご命令で恭平様のマンションに伺ったんです」
「そのようね。で。警察と同時に彼……雪花海杜に連絡したのは、なぜ?」
「だって、海杜様は美麻様のこと……ずっと探していらっしゃいましたから。
こんな状況でも、お知らせしなくてはと、咄嗟に感じたんです」
そう言うと、不知火李は肩を落とした。
「海杜様は……どうされていますか?」
「……今、鎮静剤を打たれて眠っているところよ」
「そうですか……」
あたしはふと気になって聞いていた。
事件とは全く関係ないことだったけれど。
「ねえ、あなた。あの家にいるの……怖くないの?」
「怖いです……たまらなく……でも……」
「でも?」
「海杜様がいらっしゃいますから」
あたしははっとした。
どこか違う。
あのおどおどとした新米メイドという殻を破った一人の女性。
そんなオーラが彼女を包んでいる。
「そうです……。あの家には海杜様がいらっしゃいますから……」
そう言うと、彼女はさめざめと泣き出した。
*
あたしと苗子は法医学教室の廊下に踏み出した。
すると、ちょうど熊倉君が歩いてくるところだった。
「熊倉君!!」
「おお、未央君。早速、オアシスである僕に会いに来てくれたのかい?嬉しいなあ」
「あのねぇ。確かにあんたに会いには来たけど、用件はあんた自身じゃないわ」
「わかっているよぉ。僕だってね、叶わぬ夢を抱いていられるほど、若くないんだ」
「はいはい。で?」
熊倉はようやく真顔になると、解剖報告をはじめた。
書類も見ずに、ソラで暗記しているのだろう。
死因その他については、ほぼ先ほどの見解と変わっていないようだった。
ただ……。
「咲沼美麻さん?あの子……妊娠していたよ。ちょうど、三ヶ月ってとこだね」
「なん……ですって……?」
その事実に一番衝撃を受けたのは、苗子のようだった。
彼女は声もなく、ただ熊倉の顔を凝視していた。
あたしは続ける。
「子供の父親は?」
聞かなくても十中八九、雪花海杜だとは思った。
ただ、彼女が死んでいた状況を鑑みると、更科恭平との関係も洗わなければならない。
「それは今、鑑定中だよ。血液型鑑定だから、すぐ出ると思うよ」
すると、向こうから白衣をまとった女学生然した子が熊倉に手を振りながら走ってきた。
「ほら、来た。やあ、相沢君。結果は出たかい?」
彼女は息を切らしながら答えた。
「それが……先生……まだなんです」
「ん?どういうことだい?血液鑑定だったら、そんなにかかるはずないじゃないか」
「それが……今回、サンプルになっている雪花海杜と更科恭平、同じ血液型なんです。
あと、母親の咲沼美麻も同じなんです。
それも、とても珍しい型で、これでは、DNA鑑定じゃないと判断がつきません」
「なんだって……!?」
「ですから、このままサンプルをDNA鑑定に回そうと思うのですが……」
「ああ、それは大至急そうしてくれたまえ」
相沢という助手は、熊倉の指示を受けると、また駆け出した。
「これは……とんでもないことになってきたみたいだね。未央君……。
僕は……だんだん怖くなってきたよ……。ああ、相沢君!!」
熊倉の制止に、息を切らして走っていた相沢助手がつんのめるように止まった。
「……はい!?」
「DNA鑑定は、親子判定だけじゃなく、彼らの兄弟判定もしてもらえないか」
「彼ら……雪花海杜、更科恭平、咲沼美麻、全員のですか?」
「ああ。そうだ」
「熊倉君……!!あなた……まさか……」
「ああ、そのまさかだよ。僕は今、恐ろしい神の悪戯を暴こうとしているのかもしれない。
そして……これが真実だったら……僕の仮説も真実味を帯びてくるかもしれない……」
そう言うと、熊倉は笑ったようだけど、その頬は微かに引きつっていた。
「み……美麻ちゃん……。そんな……そんなぁ……」
察したらしい苗子がその場に崩れるようにしゃがみこんだ。
*
アタシは、喫煙室の編集長の背中に呼びかけた。
「あのう……あたし……」
「どうした?伊山。こんなモク臭いとこまで来て。お前までタバコやりだしたのか?
やめとけやめとけ。吸えば吸うほど税金と健康を逆に吸われてばかりでいいことなしだぜ?
それとも、腹減ったのか?冗談言うなよ?さっき奢ってやったばっかりだろう?」
「そうじゃないんです……。あの……あたし、考えたことがあって……」
編集長がタバコをくわえたまま、事件記者の顔になった。
「話してみな」
アタシは、美麻ちゃんの事故に関しての仮説を編集長に話した。
編集長は、腕組みをしたまま、じっと目をつぶってアタシの話を聞いていた。
「なるほどね。確かに……咲沼美麻の性格を考えると……その正妻を庇う可能性は純分に考えられるな」
「でしょう……?だいたい、あんな重たいピアノの蓋がひとりでに落ちてくるなんて……考えられませんよ!!」
「……雪花莢華ね……。今回の事件にどうかかわっているんだろうな」
喫煙室の中にいると、なんだか喉がいがらっぽくなってきた。
アタシはバッグの中にのど飴があったのを思い出して、手探りで中を漁った。
ふと、何かが当たった。
取り出すと、あの雪花菊珂が投身自殺を図った現場の写真だった。
写真はぐしゃぐしゃになっていた。
「あ~。入れっぱなしにしていたんだ~」
どうせ、意味ないんだから、さっさと捨てちゃえばよかった……。
あ、今捨てようかな?思い立ったが吉日……っていうか、今やらないと、また忘れそう……。
アタシがゴミ箱にシュートしようとした瞬間、物凄い力で腕をつかまれた。
「へっ?」
アタシが思わず顔を上げると、真剣な表情の編集長の顔にぶつかった。
「へ、編集長……?どうしました?」
編集長は、アタシの手から写真をひったくると、食い入るようにそれを見詰めた。
「あの~?編集長。どうかしたんですか?その写真、ぜんぜんダメって言ったの、編集長自身ですよ?」
「馬鹿。状況ってのはな。刻一刻と変化するんだ。
昨日重要じゃなかったはずのもんが、今日急に重要になるってこともザラなんだよ。この業界は。
それより、伊山……お前……事件記者の才能……あるかもしれねぇな」
「えっ……?」
「お前が撮ったこの写真……事件って名の迷宮の扉をぶち破る……最強奥義になるかもしれねぇぜ?」
「えええええええっ!?」
アタシの絶叫と携帯の呼び出し音が重なった。
「おっと、わりぃ電話だ。……はい。こちら矢保……ああ?お前か、あ?
とっておきの新鮮な情報をリークってか?ありがたくて涙が出るね。
持つべきものは、事件記者時代の友達か……って、何っ!?」
編集長がいきなりアタシの腕を掴んだ。
「ど、どうしたんですか!?」
「いいか、落ちついて聞けよ?咲沼美麻が死体で発見された」
アタシは次の瞬間のことを覚えていない。
*
あたしは苗子と事情聴取を終えた不知火李を送るため、廊下を歩いていた。
「大丈夫?元気を出して。今、雪花家はとても大変なんだから、あなたが支えてあげないとね」
「……はい」
「刑事さん!!」
そこに立ってたのは、確か伊山凛という名の女性記者だった。
「伊山さんだったかしら?何か御用?」
「あのう……美麻ちゃん……あ、咲沼美麻さんに……会わせてもらえませんか?」
真剣な目だった。
そう言えば、この記者と咲沼美麻は友人だったはずだ。
「わかったわ……。でも……」
不知火李が察したのか、
「いいですよ。刑事さん。わたし、ひとりで平気です」
と言った。
「あ、先輩。不知火さんはわたしが送りますよ。それでいいですよね。不知火さん」
「……そう?悪いわね。伊山さんだったかしら?今、咲沼美麻さんは霊安室に……」
その時、誰かが廊下を走ってくるのが見えた。
この春、採用されたばかりの新米の制服警官だった。
どうやら、彼は、あたしに向かって走っているようだった。
「ちょっとごめんなさい。ねえ、君。どうしたの?あたしに何か用?」
警官が叫んだ。
「羽鳥警部!!大変です!!霊安室から咲沼美麻の遺体が消えました!!」
「なんですって!?」
「ええっ!?」
不知火李が小さく呟いた。
「まさか……海杜様……」
*
今日は、僕の社長就任パーティだった。
この日を境に、僕は正式に雪花コーポレーションの社長として世間からも認められることとなるのだ。
この日をどれだけ待ち焦がれていたのだろう。
天から見ていてくれていますか?
父さん……母さん……。
微かに感じる胸の痛みを封じ込めるように、僕は笑顔を振りまいた。
もちろん、会長が倒れたことは極秘とされた。
「よかったわ。咲沼……いえ、社長。パーティに間に合っていらして下さって。
ずっと連絡が取れなかったから、心配していましたのよ」
吉成専務がそう胸をなでおろした。
「ええ……少し、やらなければならないことがあったものですから……」
「お若い方ねえ。それに、ずいぶん、綺麗な方だこと」
「異例の大出世だ。本当にシンデレラボーイだな」
この場の雰囲気というのは、ある意味恐ろしいものだ。
僕はすべてを忘れ、様々な人々から贈られる賛辞に有頂天になっていた。
僕はそっと呟いた。
「……僕はやったんだ……。ねえ?父さん……母さん……」
その時、ふいにざわめきが起こった。
僕が異変を感じて振り返った。
そして、凍り付いた。
まるで、音が全ての音が消え去ったような感覚。
あれだけ華やかだった色彩もまた、急速に僕から失われていた。
突如現れた、色褪せた世界。
そこには、雪花海杜が立っていた。
彼は何かを抱きかかえていた。
僕は彼が抱きかかえているものを見て、愕然とした。
それは、紛れもなく美麻だった。
白いシーツに包まれた美麻は目を閉じて、静かに彼に抱きかかえられていた。
「美麻……」
雪花海杜は静かに口を開いた。
「これが……これが君の望んだエンディングか……。私から全てを奪ってさぞ満足だろうね」
僕は言葉もなく、ただ二人の光景を見守ることしかできなかった。
「私はただ……彼女がいればそれで……それでよかったのに……。
君は……私から……この子さえ奪うというのか……。君は……君は……」
そう言うと、彼は美麻を静かに床に下ろし、優しく彼女の髪を撫でた。
この上なく愛しそうに。
そして、そのまま彼はその場に泣き崩れた。
まさに慟哭だった。
その肺腑を抉る様な声は、会場を震わせるほどの絶叫だった。
決して今まで人前で取り乱すことのなかった彼の激しさに、会場は完全に呑まれていた。
彼と一緒に泣き出す者まで現れた。
僕はふらふらと二人に近づいた。
「美麻……?」
美麻の頬に触れる。それは氷のように冷たかった。
そこに、生は感じられなかった。
美麻が……死んだ?
「そんな……嘘だ……嘘だ……!!うわああああっ!!」
*
「いったい……どうすればいいの?」
あたしは思わず呟いていた。
痛々しいほどに傷ついた彼―――雪花海杜の静かな寝息を聴きながら。
ほんの数ヶ月前までは、雪花コーポレーションの長として眩いばかりに君臨していた青年。
あたしにとっても……全く係わり合いになることのない男のはずだった……。
でも、今は……。
あたしは必死に考えを巡らせる。
ただ一点の答えを求めて。
それは……。
いったいどうすれば、彼を救うことができるのか。
だけど、あたしにはその答えが見つからない。
彼を救うことができるたった一人の存在は、今はもうこの世にいない。
でも……きっと……きっとあたしがあなたを……。
あたしは痛む胸を押さえながら、再び鎮静剤を打たれて眠りについた雪花海杜の自室を後にした。
あたしには、あたしにしかできない彼の救い方があることを信じて……。
*
槌谷玉は、川沿いの土手をとぼとぼと一人歩いていた。
「美麻ちゃん……」
海杜が略奪した美麻の遺体と対面を果たした玉は、黄昏色に染まる空を見上げながら、そっと呟いた。
「僕は結局……美麻ちゃんに何もしてあげることができなかった……」
「まだ……やれることがあるよ。槌谷君」
「えっ……?」
玉が振り返ると、そこには伊山凛の姿があった。
「槌谷君。諦めちゃダメ。後ろ向きになっちゃダメだよ。
一緒に考えよう?美麻ちゃんにこれからアタシたちが何をしてあげられるのかを……」
「だけど……今更……」
そう顔を背けた玉の両肩を凛が力強く掴んだ。
「君らしくないぞ。槌谷君。必ずあるよ。できることが……。そう。美麻ちゃんの意思を汲んであげないと……。
ねえ……覚えてる?杉羅さんの話……」
玉ははっとして顔をあげた。そして、呟いた。
「忘れようとしても……忘れられませんよ……」
そうだ。
玉は杉羅からあの事実を知らされた瞬間、玉は美麻を絡め取る運命の恐ろしさに吐き気がしたほどだった。
だが、あのことに衝撃を受けたのは、何より美麻自身であったことも想像に難くなかった。
まして、美麻は……妊娠していたのだ。
恐らく、あの青年の子を。
決して、赦されない子を。
美麻はそのことを知った瞬間、どう感じたのだろうか。
自分などには想像も付かないほどの衝撃が、彼女を襲ったに違いない。
そして、瞬く間に彼女を、戻れない場所へと連れ去った。
「槌谷君……」
凛の声に顔を上げると、玉は自分の異変に気がついた。
彼は、泣いていた。
その涙が美麻の運命を儚んでのものなのか、自分の無力さへの悔恨なのか、彼自身にも判断がつかなかった。
だが、玉は拳を固め涙を拭うと、言った。
「伊山さん……僕に……僕にきること……なんでしょうか」
彼の中から、もう迷いは消えていた。
凛はそんな玉を見つめ、ただ頷いた。
*
僕は何を言ったのか、覚えていない。
何をしたのかも覚えていない。
ただ、今の僕の手には、氷のように冷たい美麻の肌の感触だけが、ありありと思い出されるだけだ。
そう。それは、美麻が死んだという事実。
同時にあの人の心が死んだという事実。
そして……僕の復讐が終わったという事実。
久々に戻った雪花家の自室の窓からは、よく手入れされた庭が何事もなかったかのように光を浴びて揺れている。
僕は居たたまれなくなって、窓辺を後にし、ドアノブに手をかけた。
僕の足は、自然と雪花海杜の眠る自室へと向かっていた。
無意味にノックをした後、ゆっくりとノブを回す。
カーテン越しに差し込む柔らかな光の中に、彼は静かに横たわっていた。
顔の陰影が、やつれ疲れ果てた彼の状況をつぶさに表わしていた。
「海杜……さん」
僕の呟きに、彼がそっと瞳を開けた。
「……英葵……?」
僕は、彼が眠っていると思っていたから、はっとした。
硝子のような瞳が僕を映して微かに揺れた。
僕はその瞬間、叫んでいた。
「どうして……どうしてあなただったんだ!!」
僕は続けた。
嗚咽のような叫びを。
「どうして……どうしてあなただったんだ。あなたが……復讐の標的だったんだ……!!」
とめどなく、言葉が、叫びが溢れ出してくる。
全ての感情の導火線に火を着けられたかのように、次々と僕の中で何かが弾けていく。
破裂していく。
「どうしてあの日、あなたは僕の前に現れたんです!?どうして、僕に優しくしてくれたんです!?
どうして……どうして……僕たちを……救ってくれなかったんです……」
どうして?
どうして……!?
僕の中には、無数の疑問詞が渦巻く。
だがそれは、彼への非難でもなく、疑問でもなく……ただ……虚しい自分に向けた暗中問答だった。
なぜなら、僕にはわかっていたから。
どうしようもなかったのだということが。
「どうして……どうして……」
彼はただ、僕を見上げているだけだった。
僕が顔を伏せると、彼の唇がゆっくりと動いた。
「……すまなかった」
どうして、あなたが謝る……!?
僕はその瞬間、泣き崩れていた。
彼のベッドにすがって泣いていた。
「あなたは優しすぎる……!!あなたは……!!あなたは!!」
僕は復讐鬼だ。
悪魔に魂を売った外道だ。
あなたの家庭を壊し、あなたの職を奪い、あなたから愛する者を奪った。
あなたからあらゆる全ての幸福を奪った憎まれるべき張本人なのだ。
なのに……。
どうして……。
どうして……!?
「あなたはどうしてそんなにも澄んだ瞳で僕を見るんだ!!」
わかっていた。
はじめから、勝ち目などないのだと。
そして、この復讐が完了したら、僕自身の心も死んでしまうであろうことも。
僕は、ずっと昔。あの少年の頃から、彼を自分に兄のように慕い、愛しているのだから。
「……すまなかった……」
そう繰り返した彼の瞳もまた、濡れていた。
「違う……」
違う……。
謝らなければならないのは……僕の方なのだ。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
そう言うと、涙が溢れた。
本当は……ずっと言いたかった一言……。
「ごめんなさい……」
ずっと言わなければならなかった一言。
取り返しのつかない現実へ、なんの効力もない一言。
僕が泣こうが叫ぼうが、この人の失った全ては……もう戻らない。
そして、僕が失った全ても、もう……。
だが、それでも伝えずにいられなかったその一言。
「ごめんなさい……海杜さん」
*
雪花家の離れに位置するぶち抜きの大広間。
里香さんや夕貴君の葬儀が行われたのも、ここだった。
広大な海のように広がる蒼い畳。
鮮やかな錦絵の描かれた襖。
遥か奥の床の間には、達筆すぎてなんて書かれているのかわからない肉筆の掛け軸がかけられていた。
今日はここに、今回の事件の関係者が勢ぞろいしていた。
勢ぞろいと言っても、ずいぶん寂しい顔ぶれであることは否めない。
実際、渦中の雪花家の人間は、英葵さん、海杜さん、莢華さん、メイドの李さんの四人しか出席していないし……。
雪花幸造氏は病床のため、ここにはいないが、他の人々は、鬼籍に入ったため、出席したくてもできない。
他にはピアニストの澤原柚生さん、会長の代理として出席している雪花コーポレーションの女専務・吉成水智さん、
玉君、女刑事さん二人組、編集長、そして、最後にアタシ・伊山凛。
「伊山さんと言ったかしら?あなた、私たちを集めて、一体何をなさろうとしている気なのかしら?」
そう口火を切ったのは、雪花莢華さんだった。
「あ、は、はい……。いきなりおよび立てしたにも関わらず、ご出席頂き、ありがとうございます。
特に雪花家の皆さんには、場所まで提供して頂いて……恐縮です」
普段使い慣れない敬語のオンパレードで、アタシは何度も舌を噛みそうになった。
「きょ、今日は……一連の事件について……皆さんにお聞き頂きたいことがありまして、こうしてお集まり頂きました」
「一連の事件について聞いて欲しいこと……?まさか、犯人がおわかりになったとでもおっしゃるのかしら?」
そう笑いながら言った莢華さんに、アタシは答えた。
「ええ……その……まさかだったりします」
「なんですって?」
莢華さんは片方の眉を上げた。
反応は他の人たちも似たり寄ったりだった。
ただ、海杜さんだけは、何の反応も示さずに、ただ俯いているだけだった。
影になって表情はよくわからないけど、まるで、生ける屍……。
隣に座るメイドの女の子と未央さんが、互いに左右から心配げに彼を見守っているのが印象的だった。
でも、すぐに莢華さんは、
「それはありがたいことですわね。では、早速、この忌まわしい出来事に幕を下して頂けないないかしら?」
と優雅な微笑みを取り戻した。
アタシは思わず、背後の編集長を振り返っていた。
編集長は無言で軽くウインクしてくれた。
そうだ。
これから、アタシが辿り付いた真実を語るんだ。
「事件記者」としてのアタシの……。
美麻ちゃん……天国から見ていて……!!
「あのう……まずは、美麻ちゃん……いえ、咲沼美麻さんへの傷害事件についてなんですけど……」
「え?あれは事故だったって美麻ちゃん本人がそう言ってたんじゃないの?」
真っ先に声を上げたのは、ピアニストの澤原さんだった。
彼女は、ピアニストらしい細くて長い指で顎を摩りながら言った。
「傷害事件……?あれは……事故ではなかったというんですか?伊山さん」
そう英葵さんに真っ直ぐに見つめられて、アタシはちょっとドキドキした。
っと、今はそれどころじゃない……!!
「はい……。あれは、事故ではありません。美麻ちゃんは、ある人を庇って事故だと主張していただけなんです」
莢華さんが声を上げた。
「あなた、咲沼さんご本人から事故じゃなくて事件だったんだとお聞きになったのかしら?」
「いいえ。美麻ちゃんは、事故だという一点張りで、事件だとは認めませんでした」
「じゃあ、そんな妄想……一体どこから生まれたのかしら?」
アタシはどこまでも突っかかる莢華さんに対して、少しムキになって言った。
「妄想なんかじゃありません。ちゃんと、目撃者だっているんです」
その瞬間、微かに莢華さんの顔色が変わった。
そして、彼女はまるで汚い物でも見るかのような目でアタシを見た。
「目撃者……?ねえ、刑事さん。この方の好きにさせていてよろしいの?警察の方でもないようなこんな一般人に……」
憤慨する莢華さんはそう言って、未央さんの方を見た。彼女は、
「我々公僕としましては、まず協力して下さる市民の皆様のご意見はよく拝聴しなければならないと肝に銘じております。
それに、あくまで民事不介入。犯罪行為が行われている訳でもありませんし、我々に彼女の行動を止める権利はありませんよ。奥様」
とにっこりと微笑んだ。
こういうとこが溜まらなくカッコいいっ!!
その微笑みに、さすがの莢華さんも黙るしかなかったようだった。
刑事さんのお墨付きも頂いたことだし……。
アタシが頷いて合図を送ると、編集長が襖をさっと開けた。
そこには、「ひまわり園」の美作園長の腕に抱かれるようにして、小さな目撃者がいた。
「彼女は槌谷君が見つけてくれた事件の目撃者です。ユカリちゃんだったよね?
お姉ちゃんにこないだとおんなじこと、また教えてもらっていいかな?」
ユカリちゃんは、居並ぶ見知らぬ大人たちに怯えているようだったけど、小さく頷いた。
「ありがとう。ユカリちゃんは、美麻お姉ちゃんが怪我をした日のこと、覚えている?」
「うん。ユカリね。本当は遠足に行きたかったんだけど、お熱があったから行けなかったの」
「そっか~。それは残念だったね。それで……ユカリちゃん、どこにいたの?」
「あのね。ユカリ、お遊戯室のお隣のお部屋でお布団の中にいたの」
「お遊戯室って……ピアノのあるお部屋?美麻お姉ちゃんが倒れていたお部屋だね?」
「うん」
「その隣の部屋にユカリちゃんはいたんだね?」
ユカリちゃんは、頷いた。
「ユカリちゃん……あの日、何があったのか、教えてもらっていいかな?」
「うん、いいよ」
「あのね。美麻お姉ちゃん、誰かとお話してたよ」
「お客さんってことかな?」
槌谷君が優しく問いかけた。
「うん。お客さん。だって、美麻お姉ちゃん、お茶出したもの」
槌谷君が続ける。
「なるほどね。それからどうなったのかな?教えてもらえるかい?」
「うん。あのね。美麻お姉ちゃん、ピアノを弾き始めたんだよ」
「ピアノか……。それから?」
「あのね。急に演奏終わっちゃった。ものすごく大きな音がして」
誰もが息を呑んだのがわかった。
なぜなら、その瞬間こそ、美麻ちゃんのピアニスト生命が絶たれた瞬間だったから……。
槌谷君は生唾を飲み込むと、核心部分に触れる問いをユカリちゃんに向けた。
「ユカリちゃん、じゃあ、美麻ちゃんとお話ていた人のこと……見ていないのかな?」
「ううん。ユカリ、見たよ」
ユカリちゃんがそう答えた瞬間、微かにざわめきが起こった。
アタシは武者震いを感じながら、言った。
「どんな人を見たか、教えてもらえる?」
ユカリちゃんは、頷くと、ゆっくり答えた。
「あのね。短い髪の綺麗なお姉さんだったよ」
「その人……この中にいるかな?」
するとユカリちゃんは、力強く頷いた。
「じゃあ、ユカリちゃんが見たってお姉さんのこと……指差してくれないかな?」
ユカリちゃんは、「うん」と頷くと、小さな指を伸ばしてある人物を指差した。
それは、紛れもなく雪花莢華さんだった。
「な……何を言い出すの……!?」
彼女の顔からは一気に血の気が引いていた。
「莢華さん……!?あなた……まさか……」
そう衝撃を隠せないらしい柚生さんに、莢華さんは答えた。
「悪い冗談は、やめて頂戴!!伊山さんとおっしゃいましたかしら?
この私にこのような恥をかかせて……一体、どういうつもりですの!?」
そう彼女は引きつった笑みを見せた。
「これは冗談でもなんでもありませんよ。この子の証言だけでは不服ですか?では、もっとはっきりした証拠を提示します!!」
その瞬間、莢華さんの顔から笑みが消えた。
編集長がアタシにポータブルラジカセを放ってよこした。
「それが……一体、なんだっていうの……!?」
「あなたは、美麻ちゃんから今はみんな遠足に行っているから園には誰もいないと聞いてあの犯行を実行したのでしょうけど、
目撃者がいたんですよ。目撃者というのは正しくないですがね……。そう。このユカリちゃんともう一人……」
「もう一人……?」
「そう。事件現場の隣の部屋に置かれたラジカセですよ!!」
「…………!!」
「間違いありませんね、美作園長」
すると、座敷の隅に控えめに座っていた美作園長が口を開いた。
「ええ。美麻ちゃんがあんなことになってバタバタしていたせいで最近まで全く気が付かなかったんですが、
みんなで先月のお遊戯会の様子を録音したテープを聞いた時にその音声が途中から入り込んでいたんです」
「その……音……?」
「恐らく、一人で隣の部屋で遊んでいたユカリちゃんが何かの拍子にラジカセの録音ボタンを押したことによって、
たまたま入っていたこのテープに上書きされるカタチで録音されたんでしょうね」
「一体……一体なんの話ですの!?それが一体なんだっていうんですの!?はっきりおっしゃいなさいな!!」
「まだおわかりになりませんか?あなたと美麻ちゃんのやり取りは、全て録音されていたんですよ!!」
「なんですって!?」
「論より証拠……実際にお聞き頂きましょうか?」
「やめてええええっ!!」
アタシは莢華さんの声の制止を無視して再生ボタンを押した。
『だって、ピアノも恋愛もあなたが独り占めするなんて……不公平だと思いません?』
『えっ……?』
『だから、いいのよね?あなたがピアノを失うことになっても。ね?咲沼さん。』
続いてラジカセから響いたつんざくような美麻ちゃんの悲鳴と鍵盤の落下音とかぶさるように、莢華さんの声が上がった。
「いやあっ!!止めて!!もうやめて!!聞かないで!!お兄様あっ!!」
そう叫ぶと、莢華さんがラジカセに抱きついた。
アタシはその勢いに飛ばされて、少し畳の上を滑った。
莢華さんは、ラジカセを抱えたまま、呟くように言った。
「海杜お兄様……。あなたにだけは……知られたくなかった……。こんな……こんな私を……」
それが雪花莢華の紛れもない「自供」だった。
「私……どうかしていたんですわ。怒りに我を忘れて……どうかしていたんですわ。
あの人の忠告に従って……こんな恐ろしいことを……。うっ……ううっ……」
そう呟いた彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れ出した。
「莢華さん……君って人は……。君って人は……」
声を上げたのは、英葵さんだった。
肺腑からでも搾り出したかのような声だった。
大切な妹さんである美麻ちゃんが受けた痛みを、彼は自分のことのように受け止めているのだろう。
アタシは胸がひどく痛んだ。
一方、雪花さんは、無言でうな垂れたまま、頭を抱えただけだった。
もしかしたら、全てが自分のせいで引き起こされたと感じて、自分のことを攻めているのかもしれない。
「これは立派な傷害罪に当たりますね」
そう立ち上がったのは、未央さんだった。
「ううっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ピアニストにとって、ピアノが弾けなくなるということは、まさに命を奪われるようなものだわ。
あなたもピアノを志す者の一人だったら、それがどんなに惨いことか……一番よくわかっていたはずなのに……残念だわ」
そう言うと、柚生さんは泣き崩れた莢華さんを起した。
そして、アタシたちに向き直ると言った。
「さあ、探偵さんたち。続けてくれないかしら?そして、この終わりの見えない暗い迷宮に、光を与えてくれないかしら?」
*
「今回の事件を語るには、まず、第一の事件にさかのぼらなければならないと思います」
「第一の事件って、あのワインの砒素中毒のこと?」
柚生さんの問いにアタシは首を振った。
「いいえ、雪花菊珂さんの自殺です」
「あのう……自殺って……事件っていうんでしょうか」
苗子さんの問いに、アタシは最もな疑問だなと感じつつ、また首を振った。
「そもそも、その自殺ということが間違いなんですよ」
「えっ……?」
「ここからはあたしに説明させてもらっていいかしら?」
そう軽く手を挙げたのは、未央さんだった。
「実は、雪花菊珂の死因が自殺ではないと主張した人間は、ここにいる伊山さんや矢保編集長だけではないの。
ワイン砒素中毒事件で殺害された九十九出青年もその主張をかなり前からしていたんです」
「九十九君が……?」
英葵さんが怪訝そうに顔をあげた。
「ええ。彼はたった一人で聞き込みをしたりして証拠を集めていました。恐らく……菊珂さんの無念を晴らすために……」
玉君が、少し寂しげな顔をした。
報われない恋と知りつつも菊珂の無念を晴らそうと捜査を続けた九十九青年の姿が、
自分自身とだぶって感じられたのかもしれない。
「彼は、菊珂さんの死は第三者によって作られた殺人事件だと訴えていました」
「でも、菊珂さんは自分でフェンスを乗り越えて飛び降りたって……新聞で読んだわ。どういうことなの?」
「ご指摘は最もですわ。柚生さん。でも、九十九青年はある大胆な仮説でその問題をクリアしたんです」
「仮説……?」
「電報ですわ」
「電報……?電報って、あの祝電とかの電報?」
「ええ。九十九君は犯人がそれを凶器として用いたと考えたようなのです」
「そんな……」
「彼は言いましたわ。『祝電に書かれる文句が祝福を意味するものだけだなんて、誰が決めたんだ』と」
「あっ……」
「そう。雪花菊珂さんは、届けられた電報の内容を読んで自ら死を選んだ。自分から飛び降りたからと言って、これは立派な殺人ですわ」
「彼女は……電報に殺されたって訳ね。正確に言えば、その電報の差出人に……」
「そう。そして、この指摘が……九十九君の運命を決定付けてしまった……」
未央さんは、微かにうな垂れると、首を振った。
「伊山さん。後はお願いするわね」
「……あ、はい。では、今からあの日、雪花菊珂さんが飛び降りた当日、どのようなこをが行われていたのか、思い起こしてみましょう。
あの時、アタシは披露宴会場になったホテルの外で張り込んでいました。咲沼美麻さんの密着取材のためです。
定刻になったので、披露宴ははじめられました。
花嫁不在を悟られないように雪花さんがスピーチしたりして時間を稼いでいたらしいです。
式がはじまってからは、混乱を悟られないために、花嫁探しは心配した美麻さんと一部のホテル関係者のみで行われていたんです」
「覚えているわ。ま、私もまさか花嫁が消えているなんて露も知らなかったから、海杜君の長くて退屈なスピーチをただ聞いてたけど」
柚生さんがそう頷くと、吉成専務がメンソールに火を着けながら言った。
「あの時、裏は大混乱でしたのよ。何せ、主役の一人が消えてしまったんですからね。
それをお客様に悟られないようにするだけで精一杯でしたわ」
「で?それからどうしたのかしら?教えてちょうだい。探偵さん」
「あ!?はい」
さっきは何かと突っかかってくる莢華さんとだったけど、今度は柚生さんとの問答になった。
「披露宴がはじまってまもなく、菊珂さんが屋上から飛び降りたのですが、彼女が落下した現場、
そこに、本来いるはずのない人間がいたんです」
「いるはずのない……人間?」
「はい。正確に言えば、写っているはずのない人間です」
「どういうこと……?」
「この写真を見て下さい」
アタシは一枚の写真を提示した。説明用に大きく引き伸ばしたものである。
「ここに皆さんもご存知のある方が写っています」
真っ先に柚生さんが声を上げた。
「あっ……。この野次馬の中にいるの、河原崎さんじゃない?」
その声に反応するように一斉に視線が河原崎唯慧に集まる。
今まで空気のように誰からの干渉も受けておらず、
ただ静かに佇んでいた彼女は、注目を浴びても変わらずにただ凛とそこにいた。
「ねえ。伊山さん?事件を聞きつけたやじうまの中の一人として、河原崎さんがいたとしても何もおかしなことはないんじゃないかしら?」
「いいえ、それはありえないんです」
柚生さんが怪訝そうな顔をした。無理もない。
「これからそれをご説明します。河原崎さん。披露宴の最中、莢華さんについてあなたも当然、式場にいらしたはずですよね?」
「いいえ。ワタクシは……菊珂様を探しておりましたわ」
「そうです。確かに、その時、あなたは式場にはいなかった。
こうしてこの写真に写っている以上、会場にいられるはずがありませんよね。
そして、その理由として、『菊珂さんを探していた』ということがあなたの主張のようですが……本当にそうでしょうか……?」
その瞬間、唯慧さんがふいに目線をあげた。
その視線は、アタシとかっきりとかち合った。
でも、それは一瞬のことで、彼女はまた視線を正面に戻した。
「唯慧さん。あなたは前に言ったそうですね。『私は莢華様のご命令以外で動く気はございません』って」
「…………」
「あなたはどんな時でもそのポリシーを貫いたのではないですか。
莢華さんはあなたに菊珂さんを探すようにと命令は出さなかったでしょう。
つまり、あなたは本来なら菊珂さんを探しに出てはいないはずです。
それならば、当然、その時間、式会場にいたはずですよね、でも、あなたはいなかった。
では、あなたはどうして会場にいなかったのでしょうか」
唯慧さんは答えない。
ただ、なんの感情も宿らないような目で、正面を見つめているだけだった。
アタシは続ける。
その鉄仮面然した横面に思いをぶつけるように。
「あなたは莢華さんの命以外で会場を抜け出るはずはない。では、あなたは莢華さんの命令でどこに向かったのでしょうか。
そう。アタシが気になるのは、あなたの不在証明ではなく、存在証明なんです」
アタシは一枚の写真を取り出した。
これが、編集長の言っていた迷宮の扉をぶち破る最終奥義……!!
アタシの切り札……!!
「これはアタシが現場で撮影した写真のうちの一枚です。
先ほどご覧頂いたものより前、ナンバリングで言えば、
一番初めのもので、恐らくアタシが慌てて現場に駆けつけようとした際に、誤ってシャッターを押してしまったのでしょうね」
「えっ……?何これ?ただのビルの写真じゃない?」
それは、アタシが撮影してボツにされた写真のうちの一枚だった。
ピンボケな上に、なぜかホテルの向えのビルが写った写真。
そのビルは全面ガラス張りのビルディングだった。
「そう見えますよね。これを大きく引き伸ばしたものをお見せします」
そうアタシが言うと、編集長と玉君が巻いてあった写真を広げた。
「この部分を見て下さい」
アタシはビルの側面の一部を指差した。
「えっ……!?これは……!!」
そこに写っているのは、紛れもなく落下した直後らしい菊珂さんとそれを見つめる河原崎さんの姿だった。
「ビルがガラス張りだったせいで、鏡のような役割を果たしたのだと思います」
「それにしても……よく見つけたわね……これ……」
「ここにいる矢保編集長が見つけて下さったんです。
でも、私には菊珂さんの意志が働いたのではないかと思われて仕方がありません。
無念を背負って逝った……菊珂さんの最期の意志が……」
アタシは唯慧さんに向き直った。
「あなたは、どうしてこの写真に写っているんですか?
つまり、あなたは菊珂さんが飛び降りる前から、野次馬が集まる前からこの現場にいたんです。
それは、どういうことなんですか?」
答えない唯慧さんの代わりに、アタシは続ける。
「自殺するとなると、手段は限られてきます。刃物はないでしょうし、菊珂さんはあの花嫁衣裳のまま外に出るなんてことはできなかった。
着替えるなんてことを考える精神的余裕もなかったでしょう。
自殺で真っ先に思いつくのが、屋上です。
このホテルは最上階が大ホールとなっており、そこで披露宴が行われることになっていた。
当然、控え室も最上階にありました。非常階段を使えば、菊珂さんは誰にも見つからずに屋上に向かうことは、わけなかったのです。
悲しいことですが、飛び降り自殺には、特別な道具も必要ありませんから……」
「………………」
「あなたは、菊珂さんが確実に飛び降りるのを確認しに来たんじゃないんですか?
あの電報によって菊珂さんが飛び降りたかどうかを……。
あの屋上は北側の部分だけフェンスが低かった。
だからあなたは、菊珂さんがどの辺りから飛び降りるかもだいたい予測がついていたのでしょう。
それであんなピンポイントの位置で彼女の落下を見届けることができた」
「………………」
「それに、あなたはあの毒ワイン事件の時にも、誰よりも早く使われた毒物を察知して処置をしたらしいじゃないですか。
それは、あらかじめその中身を知っていたからなのではないですか?どうなんですか?河原崎さん!?」
*
誰かがすっくと立ち上がっていた。
それは、河原崎唯慧本人だった。
彼女は能面のような顔で正面を見据えたまま、言った。
「私をお疑いなのですね」
なんの感情も感じさせない声だった。
その声には、疑われたことへの恐怖も怒りも驚きも何も含まれていなかった。
アタシは、何も答えられなかった。
すると、河原崎唯慧は唇の端をほんの少しだけ、上げた。
笑ったらしかった。
アタシは彼女の笑顔を初めて見た。
「面白いお話ですね」
相変わらず、何の感情も伺えない声で、彼女は言った。
アタシは、微かに恐ろしさを感じながら、続けた。
「あなたがわざわざ確認に外に出たということは……そこにある人物の示唆があったと思われます。
……それは当然、莢華さんですよね」
「ば、馬鹿なこと言わないで!!どうして私が……!!」
その莢華さんの金きり声と同時に、唯慧さんは正面を向いていた顔をアタシに向けて続けた。
「そうですわ。あなたのお考えの通りですわ」
「えっ……?」
アタシは、あんまりあっさりといわれたせいで、意味が飲み込めなかった。
「どうなさいました?こうして私は自白しているのですよ。私がこの事件の犯人だと」
「ほ……本当に……?」
「ふふふ……面白い方ですね。私が犯人だと告発なさったのは……他ならぬあなたではありませんか」
「そ……それはそうなんですけど……」
戸惑うアタシの反応を楽しむように、彼女は繰り返した。
「そうですわ。私が全てやりました。私が雪花菊珂、九十九出、雪花里香、雪花夕貴を殺害したのですわ」
「ど、どうして……どうしてこんなことを……」
槌谷君が訴えるように声を上げた。編集長がそれを引き受けるように続ける。
「そうだ。動機……。これだけが最後まであたしにもわからなかった。あんた、一体どうしてこんな大それたことをしたんだ?」
すると、河原崎さんは不思議そうな顔をした。そして、ちょっと小首を傾げると、
「動機……?菊珂お嬢様や里香奥様を殺した動機は……私には特にございません。
そう……強いて言えば……『雪花家の人間だったから』でしょうか?」
とまるで今日の天気でも答えるように言った。
その場にいた全員が凍りついた。
「九十九君は……?」
そう声を上げたのは、未央さんだった。この人にしては珍しく、やや放心したような魂の抜けたかのような顔をしている。
「なぜ彼も殺したの?彼はこの家とは何の関係も……」
すると、河原崎さんはあっさり答えた。
「邪魔だったからですわ。先ほど、あなたが話していた通り。彼はいささか詮索が過ぎましたわね」
「邪魔……」
女刑事さんは、オウムのように繰り返すことしかできないようだった。
だが、いくら口の中で繰り返しても、理解ができる内容ではないよね……。
「彼はいろいろと知りすぎました。このままだと私の計画の妨げになる……そう思ったのですわ。他にご質問は?」
「ど、どうしてこんなにたくさんの人を殺さなければなかったんですか!?」
次に声を上げたのは、苗子さんだった。
「あなたの目的は……目的は一体、なんなんですか?」
誰もがみんな、この事件の断末魔に言い知れぬ憤りと、悲しみと空しさを感じているのだろう。
途切れることなく発せられる犯人への質問に、それが如実に現れていた。
アタシだって……同じ。
河原崎さんは、それらの全てに答えるのが自分の使命とでも考えているように、淡々とそれに答えていく。
「だって、いきなり殺してはつまらないでしょう?」
いきなり……?
それは、どういう意味?
「そう……じわりじわりと追い詰めて、なぶり殺してやるつもりだった……。
まるで水際に追い詰められて逃げ場を失った憐れな蟻みたいに、
その手を足を一本一本引きちぎるみたいに、周りの人間をひとりひとり殺していってね」
誰……?
この人の憎悪は……一体誰に向けられているの……?
「うふふ……残念ですわ。まだまだ計画は終わってはおりませんでしたのにね」
「唯慧さん……あなた……一体……」
アタシがそう呼びかけた瞬間。
「雪花海杜……」
そう搾り出すような声が響いた。
まるで呪詛の言葉でも吐き出すかのように、河原崎さんはその名前を口にした。
顔を上げた彼女の顔は、今までの能面のような無表情なものではなく、
この世の全ての悪意を結実させたかのような、恐ろしい形相だった。
当の呼びかけられた本人―――雪花海杜は、ゆるゆると顔を上げただけだった。
「お前さえ、莢華様の前に現れなければ……お前さえ……。許せなかった!!私から莢華様を奪うあの男が!!」
そう血走った目で唯慧が指したのは、紛れもなく、雪花海杜だった。
何も答えず、虚ろな目を上げた彼の代わりに、傍らの未央さんが声を上げた。
「河原崎……さん……」
「憎い……!!あの男が憎い!!清らかな莢華様を……ただの醜い女に変えたあの男が……憎いぃ!!
莢華様は、私のもの!!私だけのものなのぉおっ!!」
そう叫ぶと、彼女は畳に這いつくばって泣き出した。
もしも、今、呪詛の言葉だけで人を殺すことができるのなら、雪花海杜は確実に死んでいただろう。
それくらい、河原崎唯慧の叫びは凄まじかった。
誰もがただ彼女の姿に圧倒され、ただ見守ることしかできなかった。
これが、多くの人間たちの命を奪った殺人鬼の姿……。
ふいに唯慧さんが顔をあげた。
涙に濡れたその顔を。
「ねえ、莢華様。唯慧はあなたに身も心も捧げているのです……」
「ゆ……唯慧……」
「全て、あなたのため……あなたのために行ったことですわ。
あなたを侮辱した菊珂だって、あなたの夫と関係を持っていた里香だって、あなたが殺して欲しいって言ったから。
あなたのご命令通りに」
「な、何を言っているの?唯慧。私はそんなこと……。望んでいないわ。言った覚えもないわ!!
そうよ!!望んでなんていなかった!!あなたは……あなたはなんてことをしてくれたの!?唯慧!!」
「莢華様……。全てはあなたのご命令通りに」
「何を言い出すの!?唯慧!?嫌よ!!私は関係ないわ!!何も関係ないわ!!」
そう叫ぶと、莢華は唯慧の身体を叩いた。
もうめちゃくちゃに叩いていた。
「ううっ……莢華様ぁ……」
「やめなさい!!莢華さん!!」
未央さんがそう叫んで莢華さんの身体を羽交い絞めにした。
その瞬間、莢華さんはぐったりと未央さんの身体にもたれた。
「あなたは私の全て……。私の全てなのぉ……うっうっ……」
そう言って、唯慧さんはまた泣き崩れた。
そして、莢華さんも魂が抜けたかのようにして、その場に崩れた。
*
「雪花莢華。殺人教唆の容疑、及び、咲沼美麻への傷害容疑であなたを逮捕します」
雪花莢華の手首に小さな音を立てて、手錠がはめられた。
彼女は、自分の身に何が起きたのかわからないのか、ただ黙ってその手錠を見下ろしていたけど、すぐに笑い声を上げた。
その笑い声は、どこか尋常なものではなかった。
とうとう彼女は、精神の均衡を失ってしまったのかもしれない。
彼女が美麻ちゃんに犯した罪を考えれば、当たり前のことかもしれない。
後日、莢華さんは精神の均衡を失い、現在、公判を受けられる状態でもなく、警察病院内の精神科に送られたらしい。
でも、アタシの中には、不思議と彼女への憎しみとかは感じられなかった。
そこにあったのは、ただ、空しさだけだった。
「ふふふ……ふふ……ふふ……ほほほ……ほほほほ……」
狂ったように笑う彼女を見つめながら、アタシは小さく呟いた。
「美麻ちゃん……。仇はとったよ……」
「河原崎唯慧……あなたを殺人容疑で緊急逮捕します」
次に苗子さんが河原崎唯慧にそう向き直った。
その手には、可愛らしい風貌の彼女に似つかわしくない手錠が握られている。
河原崎さんは、俯いたまま、なんの抵抗も見せる様子がなかった。
手錠が、彼女の手首にはまるその刹那。
「まだよ……」
「えっ?」
次の瞬間、苗子さんの姿が視界から消えていた。
「きゃあっ!?」
見ると、彼女は河原崎さんに突き飛ばされ、障子に衝突し、隣の部屋まで転がっていた。
「唯慧さん!?」
「そうよ……まだよ……。まだ……終わりじゃない……!!」
その瞬間、唯慧さんが胸ポケットから取り出したのは……。
拳銃!?
「ひっ……!?唯慧さん……何をするんですか!?」
「無駄な真似はやめなさい!!河原崎唯慧!!」
「唯慧さん!!」
唯慧さんの持つ銃口は、ぴったりと雪花さんに向けられていた。
「河原崎さん!?」
「あんたを殺さなければ……終わらないのよ!!そうよ!!死になさい!!雪花海杜!!」
「撃てばいいだろう……」
アタシは思わず声を上げていた。
その暗い海のように落ち着いた声は、今まで一言の言葉も発しなかった男―――雪花海杜のものだった。
彼は言葉を続けた。真っ直ぐに銃を向けた唯慧さんの顔を見つめながら。
「そんなに僕が憎いのなら、その引き金を引けばいい……」
「海杜さん……!!」
悲鳴のような声が上がった。
アタシが、その声を上げたのが未央さんだってことに気が付いたのは、ずいぶんあとのことだった。
「僕にはもう、失うものも何もない。この世に未練もない」
「馬鹿なこと言わないで!!」
「僕を殺したいのか?結構だ。望むところだよ」
「海杜さん……!!」
「さあ、僕を……美麻のところに……送ってくれ!!」
その瞬間。
一瞬、唯慧さんが寂しげな顔を見せたのは……アタシの気のせいだったんだろうか?
誰かが「やめて」って叫んだ。
未央さんが唯慧さんの身体にさっと飛びかかろうとしたけど、遅かった。
アタシの疑念を吹き飛ばすように、劈くような轟きが唸った。
身体中が痺れるような感覚……!!
くるくると唯慧さんの身体が木の葉のように舞ったかと思うと、彼女はその場に崩れた。
まるでスローモーションでも見ているかのような光景だった。
一瞬、何がどうしたのか、わからなかった。
だって、拳銃を撃ったはずの河原崎唯慧の方が弾け飛ぶように、畳に叩きつけられていたのだから。
どうして……?
「これは……暴発……か」
編集長の驚嘆したような呟きが聞こえた。
暴発……?
辺りに立ち込めるのは、硝煙の臭いと血の臭い……。
アタシが唯慧さんに駆け寄ろうとした瞬間。
乾いた笑い声が響いた。
振り返ると、雪花さんが笑っていた。
その目から、涙がつるつると伝っていた。
「どうして誰も……僕を殺してくれないんだ?」
そんな雪花さんの身体をメイドの女の子(李ちゃんだっけ?)が背中からきつく抱き締めた。
彼女も大きな瞳から大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。
「海杜さまぁ……。そんな悲しいこと、おっしゃらないで下さいまし……。
李は……海杜様に何かあったら……ううっ……。海杜様が無事で……無事でよかった……ううっ……」
「唯慧さん!?救急車!!早く、救急車を!!」
顔面を真っ赤に染めた河原崎唯慧は。
明らかに、絶命していた。
そして、それを確認したアタシも次の瞬間にはその場に崩れていた。
*
軽い貧血ってことで、大量の鉄分を医者から処方してもらい、帰宅する途中で、アタシは考えていた。
もちろん、今回の事件のこと。
アタシは編集長と突き当たった結末に、自信を持っている。
真実がこの世にたったひとつしかないのなら、アタシはその真実に辿り付いたって思う。
でも……。
ただ、アタシの中で唯一引っかかったのは、河原崎唯慧が最期に一瞬だけ見せたあの顔……。
「たいした名推理だったじゃない?伊山さん?」
「あっ……」
そこに立っていたのは、あのカッコいい女刑事さんと小動物みたいにカワイイ刑事さんのコンビだった。
「えへへ。本当にびっくりしましたよ。すごいなあって。先輩と二人で話していたとこなんですよ」
「いいえ……。あれはほとんど……編集長の受け売りで……」
「いやいや。元はといえば、お前が撮ったあの写真のおかげなんだからな。もっと自信持っていいんだぜ?伊山」
振り返ると、編集長の羽交い絞めに遭った。
「相変わらずですね。薺さん。また事件記者に戻る気、ないんですか?」
「ああ、あたしはもうあんな殺伐とした中で生きる気にはならないね。
今回は特別さ。ああ~腹減ったな、伊山。飯食いに行こうぜ?未央ちゃんとコアラちゃんも一緒にな?」
*
ここは、馴染みの中華料理店。
編集長のお気に入り……というか、知り合いがいてツケがきくって理由らしいけど、最近はここばっかりにお世話になっている。
ご飯時には相応しくない話題……とは言え、やっぱりなりゆきで、アタシたちの会話は自然と今回の事件のことになる。
もちろん、振るのはこの人……。
我らが編集長・矢保薺……。
「なあ、あの拳銃、なんで暴発なんてしたんだ?」
苗子さんが箸を口に突っ込んだまま手帳を繰った。
「あの拳銃の銃口には、何か詰められていたらしいです」
「……!?河原崎唯慧はそのことを知らずに、その拳銃を持っていたってことですか?」
「そうですねぇ。撃った訳ですから。鑑識の話だと、薬莢がなんらかの作用で詰まってしまったんじゃないかって。
よく、拳銃の発砲数を増やすために、銃口に一発弾薬を詰めることがあるらしいんです。事故ですかねぇ」
「で。あの拳銃の元々の持ち主は?」
「それが……どうやら、雪花会長らしいんです」
「ええっ!?」
「雪花会長が護身用のためにアメリカで購入して来たものらしくて、先日紛失してしまったって話です。
型から見て、比較的手に入りやすいものらしいんですけど……」
「けど?」
編集長の疑問を受けて答えたのは、未央さんだった。
「それが……改造されたものだったんですよ。殺傷能力を上げるために……怖いわねぇ。
通常暴発でもあそこまで派手に破裂するものじゃないらしいんですけど。今回はこの細工のせいで、大爆発したらしいです」
「……なるほどねぇ……。でも、会長さん改造銃を持つなんて、ずいぶん素人にしては大胆なことしたもんだね」
「そうですね……。この犯行は、相当計画的に練られていたものだろうから……あらかじめ必要な凶器類は入手しておいたという線が濃厚ね。
恐らく、河原崎唯慧は雪花会長の元から拳銃を盗み出していたんだと思うわ」
アタシは、河原崎唯慧という人の執念に身震いした。
でも、最後のシュウマイはちゃっかりゲットした。
「とにかく、今回の事件は、被疑者死亡のまま、書類送検って言う感じですね。むぐ」
新しく追加された桃まんを苗子さんが頬張った。
「一件落着って訳か……」
なぜか、釈然としない顔をした未央さんと編集長の顔を見つめつつ、アタシも桃まんを頬張った。
「……あっつ!?」
苗子さん……なんでそんな平然とこの熱い桃まんを食べられているの!?
アタシは、リスみたいに可愛い彼女に敬礼したい気分になった。
*
夕食を囲み、苗子と伊山凛を帰したあと、あたしは薺さんと馴染みのバーで飲んでいた。
「未央ちゃん。あんたの恋の相手……わかっちゃったよ」
「えっ……?」
何気ない世間話のあと、いきなり振られた話題にあたしは面食らった。
「今日、雪花青年に銃口が向けられた時……ピンときた。あんたのあんなに血相変えた顔……見た事ないんでね」
あたしはため息交じりに言った。
「なんでもお見通しって訳ですか?そうだったら、なんだっていうんです?」
「やめろよ。あたしは別にあんたを攻めてる訳じゃない。ただ、あんたも因果な女だと思ってさ」
そう言うと、薺さんは一気にグラスの中身を煽った。
「あ~。マスター、もう一杯。……うちの兄貴といい、あの青年といい、どうしてあんたはごく普通の男に目を向けられないんだろって」
あたしは言葉に詰まった。
「でも、よかったじゃないか。もう全部終わったんだから。それに、今の彼には支えが必要だよ」
「支え……?」
「そ。あとは言わなくてもわかるよな?」
そう言うと、薺さんは手渡されたロックをまた一飲みした。
*
翌日、軽く二日酔いの頭を抱えてあたしは署内の廊下を歩いていた。
「未央さん」
その澄んだ声に顔を上げると、そこには雪花海杜が立っていた。
昨日、薺さんに指摘されたせいか、ちょっと鼓動が高鳴った。
いけない、いけない。
冷静にならないと。
「あら。もう身体の方はいいの?」
「未央さん……」
彼はどこか鎮痛そうな面持ちで、あたしを見下ろした。
「馬鹿ね。そんな顔されたら……困るわ。それとも、あたしとのこと……後悔してるってわざわざ言いに来たの?」
「そんな……」
彼は明らかに当惑の色を見せた。
根が真面目な彼は、あたしとのことを内心では後悔しているのだろう。
あたしは彼に笑顔を向けた。
「少し、歩きましょう」
あたしは行きつけの喫茶店に彼を誘った。
馴染みのウェイトレスに珈琲を注文すると、雪花海杜は頭を下げた。
「私のアリバイを証言なさったことで、未央さんが微妙な立場に立たされていると聞きました。……申し訳ありません」
「どうして謝る必要があるの?私は刑事よ。確固としたアリバイのある人間を罪に陥れる訳にはいかないわ。
たとえ、自分がどうなろうとね。見損なわないでちょうだいな」
「しかし……」
「もういいのよ。その話は……」
ジャストタイミングで珈琲が運ばれる。
やや気まずくなった雰囲気に、香ばしい香りが漂う。
「それより……どうするの?これから……」
あたしの問いに、彼はふと外の風景に視線を泳がせた。
「父もあんな状況ですし……僕が家を……守っていかなければなりません」
あたしが「大丈夫?」と声を上げようとした時、先回りした笑顔が答えた。
数ヶ月ぶりに見る彼の笑顔のような気がした。
「大丈夫ですよ。僕は……大丈夫です」
あたしはなんとなく眩しくて、でも目を逸らしたくなくて、ただ彼の笑顔を見つめていた。
すると、彼は少し照れたような顔をして言った。
「あなたと一緒にいると、あなたから元気が伝染するみたいですよ。本当に」
「やだ……何言っているのよ……」
「冗談ではありませんよ」
彼は真顔になっていた。
その真っ直ぐな視線に、言葉を失った。
ふいに薺さんの言葉が蘇った。
彼の支え……。
あたしが……なれるのかしら。
ううん。なってみせる。
あたしは彼を守ってみせる。
せめて心の中だけでも……。
そう誓いを立てて、あたしは彼を見返した。
「そろそろ行きましょう」
*
「突然、押しかけて……すみません」
アタシは雪花家の居間で、雪花英葵と向き合っていた。
「いや……こちらこそ、お世話になりました。伊山さん。あなたのおかげで、この事件も幕が下りた……」
彼はアタシを庭に連れ出した。
「綺麗なお庭ですね」
「ええ。僕はこの風景が好きなんです。やはり、自然は心を和ませてくれるものなのですね」
アタシはふと思って尋ねた。
「あのう……これから……どうされるんですか?」
すると、彼は少し厳しい顔になった。
「僕は社長職を辞任しようと思っています。そして……あの会社……雪花コーポレーションも退職するつもりです」
「えっ……?それじゃあ……」
これからどうするの?
アタシの問いかける内容を先回りするように、彼は答えた。
「少し……一人になって、自分を見つめ直そうと考えています」
「一人に……」
前髪に隠されて、彼の表情は伺いしれない……。
「ええ。旅にでも出ようと思います……」
「あの……いつ頃戻られるんですか?」
「さあ……僕にもまだわかりません……」
彼はそう言うと、天を仰いだ。
彼の栗色の髪が風にさっと舞い上げられる。
ふいに現れた横顔は、寂しげだけど、どこか吹っ切れたような様子だった。
「あの……」
いつでもかまわないから。
きっと帰って来て……そして……。
「どうかしましたか?伊山さん」
アタシは……ただ、「なんでもないです」と首を振っただけだった。
*
雪花英葵はその夜、社長職を辞した。
同時に、雪花幸造もまた容態が急変し、自宅療養から緊急入院を余儀なくされた。
心臓に爆弾を抱えているような状態のため、これ以上、会長職を続けることは無理だろうと医師のストップがかかった。
関係者は一様にあまりに多くのことが重なりすぎたせいだろうと噂した。
確かに、雪花家はあまりに不幸に遭いすぎた。
一夜にしての社長、会長の辞任劇に、雪花コーポレーションは混乱した。
雪花コーポレーションとしては、急いで時期社長の椅子を埋めなければならない事態へと追い込まれた。
一方、マスコミはパーティでの一件を知ると、手のひらを返したかのように、雪花海杜と咲沼美麻の不倫を純愛と書きたてた。
結果、彼らには多くの同情が寄せられ、雪花海杜の社長復帰も望まれるようになっていた。
「一度解任されたような私にどこまで務まるかわかりませんが……
父のためにもこの社のためにも、そして、社員の皆様のためにも精一杯この身を尽くしたいと考えています。
どうか、私に力を与えて下さい」
海杜がそう頭を下げると、割れんばかりの拍手が会議室を包み込んだ。
それが、雪花海杜が社長職に復帰した瞬間だった。
*
その翌日。
社長室では、悲鳴のような声が上がった。
「社長……!!このプロジェクトは……会長が長年かけて暖めてこられたものです……
もう先方とのセッションも始まっています。それを今更、無にするなんて……」
「会長が……?」
それまで、背を向けていた海杜が椅子ごと振り返った。
開放的な窓から差し込む光を背にした彼は、まるで後光がさしているかのような神々しささえ湛えていた。
その見まごうばかりの美しさに、一瞬目を奪われる。
だが、次の瞬間、彼は背筋に電撃が走るような衝撃を受けた。
ゆっくりと顔を上げた海杜の目が笑っていなかったのだ。
「あなたは、何か勘違いしておられるようだ……」
「は……?」
「今は、この私が会長兼社長なのですよ?」
海杜は少し困ったような顔をして、噛んで含めるように言った。
まるで、物を知らない幼児にでも教えるかのように。
「こんなプロジェクトでは利益は見込めない。そんなことは子どもにでもわかることだ。
父の面目のためだけの愚かな計画です。古い因習は取り去られねばならない。そうでしょう?新常務?」
「は……はあ」
優雅な海杜の微笑みとは裏腹に、新常務の肩書きを与えられた男性の背中には嫌な汗が流れた。
今までとは違う。何かが違う。何かが変わった。確実に。
それがなんなのか。彼には答えることができなかった。
その答えがどす黒い霧の中に包まれているかのようで。
「ね?」
そう微笑みながら、海杜はその計画書をゴミ箱に乱暴に放り投げた。
*
汗をハンカチで拭いながら、すごすごと立ち去る新たに常務という肩書きを与えられた男の背を見送りながら、
私はデスクからそっと封書を取った。
あの日残された美麻の置手紙だった。
ゆっくりとそこから便箋を取り出す。
『雪花海杜様』
私は手紙に視線を落とした。
そして、あの夜に思考をそっと泳がせた。
*
その晩、海杜さんは激しかった。
正直言って、怖いくらいだった。
いつもはあんなに優しいのに。
この人にこんな面があるなんて、信じられないと同時に不思議と納得している自分がいた。
それは「あのこと」があるから?
いいえ、違う……。
違う……。
その晩は、本当に海杜さんの中に溶けてしまいそうだった。
ううん。いっそ、そのまま彼の中に溶けて消えてしまいたかった。
そうすれば、もう悲しい言葉を告げることも告げられることもないから。
行為の後、わたしがただ天井を見上げていると、海杜さんがベッドを抜け出した。
どこに行くか気になったけど、今は起き上がれそうになかった。
相変わらず、雷鳴は轟いていた。
カーテンを閉め忘れた窓からは、絶えず稲光が差し込んでいる。
彼はすぐに冷えたボトルとグラスを持って帰ってきた。
「君も飲むかい?」
かろうじて頷いたけど、今は指の一本さえも動かせそうになかった。
彼はそれを察したのか、自分でグラスを空けると、わたしを抱き寄せ、唇を奪った。
海杜さんの唇から、冷たい雫が注がれていく。
少しずつ覚醒されていく意識と身体。
やがて、ゆっくりと解かれた唇。
少し悩ましげな彼の視線にぶつかった。
今しかない。
わたしはそう思った。
そう。
今聞かなければ、きっと永遠に聞けなくなってしまう。
「ねぇ。海杜さん。聞きたいことがあるんです」
彼がわたしの顔を覗き込んだ。
「ん?」
わたしと目が合うと、彼は子供をあやすように、そっと微笑んだ。
この上なく、優しい微笑み。
これが、本来のこの人の姿……。
そうよ。これが彼。
わたしは……信じている。
そして、同時に……。
稲光が、彼を閃光で染めた。
わたしは、決意を固めると海杜さんの目を見詰めたまま言った。
「海杜さん。人、殺すの……怖くなかった?」
その瞬間、海杜さんの手からグラスが滑り落ち、床に弾けた。
同時に、劈くような雷鳴が部屋を震わせた。
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