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【番外編】自惚れはあれど1
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僅かに震えているペン先が、紙の上をたどたどしく歩いていく。慎重に慎重を重ねるように、一歩一歩を確かめているかのように進んでいく。まっさらな紙の上に黒いインクの足跡をつけていく。
小さな手にペンを握り締め、机に向かっているアオイ。よほど集中されているのだろう。すっかり瞬きを忘れてしまわれている。それどころか呼吸すらも。
一文字を書き始める際に必ず息を大きく吸い込んで、書き終えたら細い肩を落としながらふはぁっと吐く。その一連を繰り返していらっしゃる。
見守っているだけの私も、彼に合わせて息を止めてしまっていた。まるで我が事のように身を固くしていた。
静かな室内に聞こえていた、固い金属が紙を擦っていく音。一秒たりとも目が離せない音が止まり、静かにペンが置かれる。
アオイの小さな口から再び漏れた深いため息は、張り詰めた緊張から解放されたと言わんばかり。少し息を整えられてから、先程まで真剣に向き合われていた紙を私に向かって差し出してきた。
「出来ましたっ! バアルさん!」
こぼれんばかりに大きな瞳が、透き通った琥珀色の瞳が輝く様に、早くも満点をあげたくなってしまう。己の目尻がだらしなく下がってしまうのを、自覚はしているのだが止められない。
手の方は、すでに出てしまっていた。紙を受け取るよりも先に、柔らかく指通りのいい髪の毛を梳いて、撫でてしまっていたのだ。
アオイは、少しだけ驚いたように丸い瞳を更に丸くしたものの、すぐさま嬉しそうに瞳を細めて受け入れてくれた。ふにゃりと綻んだ頬なんて、今にも蕩けて落っこちてしまいそう。
またしても身体の方が動きそうになってしまう。愛らしさの塊でしかない彼を、衝動のまま抱き締めたくなってしまう。
「……よく頑張りましたね、アオイ……では、拝見させて頂きますね」
どうにか堪えた私は、努めて笑顔で彼の努力の成果を受け取った。期待と不安が混じった眼差しをひしひしと感じる中、ところどころふらつきながらも懸命に書き上げられた文字を目でなぞっていく。
本日、アオイが練習していた言葉は「ありがとう」、それからお名前。ヨミ様、サタン様、グリムさんにクロウさん、コルテ。レタリー殿、レダ殿、スヴェン殿、そしてシアンさん達親衛隊の皆さんの名前だ。
此方だけでも、私達の国の文字を習い始めたアオイにとってはかなりの練習量。しかし、彼の掲げた大きな目標を達成する為には、まだまだ序の口ではある。
何故なら、アオイは城に勤める皆様にもれなくお礼のメッセージカードを渡そうとしているのだ。しかも名前つきで。その為に文字の練習の他、皆様のお顔とお名前を覚えようとしていらっしゃるのだ。
『俺が目覚めるまでの間、ずっと皆さんが魔力を分けて下さったお陰で、またこうしてバアルさん達と過ごせていますから……』
はにかむように微笑みながらアオイはこうも仰られていた、これくらいじゃ到底お礼にはならないけれど……伝えたいんです、と。
貴方様が、元気に笑って過ごして頂けるだけで宜しいですのに……そのお気持ちだけでも、十分なお礼になるでしょうに……
そう思うのは、何も私だけではないだろう。でなければ、そもそも進んで魔力を分けようなどとは。
「どう……ですか? バアルさん」
おずおずと尋ねてきた声に、はたと気づく。
どうやら、私は紙を見つめたまま随分と思考を飛ばしてしまっていたようだ。アオイに不安そうな顔をさせてしまう程度には。
私としたことが、アオイを放っておくなどと。いや、後悔するよりもまずは謝罪をせねば。
「申し訳ございません……少々考え事をしてしまい」
「ああ、そうだったんですね」
素直に申し上げようとしていた途中で、アオイは納得したように微笑んだ。それ以上聞くことはしなかった。ただ「大丈夫ですか?」とだけ。
彼の気遣いに私は甘えることにした。
少しでも彼のお役に立てるよう、改めて紙に目を通す。やはりアオイは飲み込みが早い。よくしがちな書き間違いもない。
今でも十分に、習い始めたとは思えないほど良く書けている。しかし、アオイは向上心の高い御方だ。もっと美しい字をと求められる筈。
「此方の字のバランスは大変良く書けておりますね……此方は……もう少し、最後のハネを伸ばした方がカッコよく見えるかと存じます」
アオイの前に紙を置き、一文字一文字の良い点と改善した方が良い点を伝えていく。小さな頭を何度も頷かせながら、彼は熱心に聞き入っていた。
別の紙に手本を書いてから、ポイントとなる部分に赤いペンで丸を付けて差し上げれば、顔を輝かせ、弾んだ声を上げた。
「ああ、確かに! バアルさんの字の方がシュッてしててカッコいいですね! たったこれだけで変わるもんなんですね……」
二枚の紙を繰り返し見比べながら「奥が深いなぁ」と呟く。
「逆を申せばポイントを押さえるだけで、どなたでもカッコよくて美しい文字が書けるということでございますから」
「そうですよねっ!」
では、そちらを踏まえてもう一度と、促す必要もなかった。アオイはやる気満々でペンを持ち、手本を見比べながら新しい紙に向き合っていたのだから。
小さな手にペンを握り締め、机に向かっているアオイ。よほど集中されているのだろう。すっかり瞬きを忘れてしまわれている。それどころか呼吸すらも。
一文字を書き始める際に必ず息を大きく吸い込んで、書き終えたら細い肩を落としながらふはぁっと吐く。その一連を繰り返していらっしゃる。
見守っているだけの私も、彼に合わせて息を止めてしまっていた。まるで我が事のように身を固くしていた。
静かな室内に聞こえていた、固い金属が紙を擦っていく音。一秒たりとも目が離せない音が止まり、静かにペンが置かれる。
アオイの小さな口から再び漏れた深いため息は、張り詰めた緊張から解放されたと言わんばかり。少し息を整えられてから、先程まで真剣に向き合われていた紙を私に向かって差し出してきた。
「出来ましたっ! バアルさん!」
こぼれんばかりに大きな瞳が、透き通った琥珀色の瞳が輝く様に、早くも満点をあげたくなってしまう。己の目尻がだらしなく下がってしまうのを、自覚はしているのだが止められない。
手の方は、すでに出てしまっていた。紙を受け取るよりも先に、柔らかく指通りのいい髪の毛を梳いて、撫でてしまっていたのだ。
アオイは、少しだけ驚いたように丸い瞳を更に丸くしたものの、すぐさま嬉しそうに瞳を細めて受け入れてくれた。ふにゃりと綻んだ頬なんて、今にも蕩けて落っこちてしまいそう。
またしても身体の方が動きそうになってしまう。愛らしさの塊でしかない彼を、衝動のまま抱き締めたくなってしまう。
「……よく頑張りましたね、アオイ……では、拝見させて頂きますね」
どうにか堪えた私は、努めて笑顔で彼の努力の成果を受け取った。期待と不安が混じった眼差しをひしひしと感じる中、ところどころふらつきながらも懸命に書き上げられた文字を目でなぞっていく。
本日、アオイが練習していた言葉は「ありがとう」、それからお名前。ヨミ様、サタン様、グリムさんにクロウさん、コルテ。レタリー殿、レダ殿、スヴェン殿、そしてシアンさん達親衛隊の皆さんの名前だ。
此方だけでも、私達の国の文字を習い始めたアオイにとってはかなりの練習量。しかし、彼の掲げた大きな目標を達成する為には、まだまだ序の口ではある。
何故なら、アオイは城に勤める皆様にもれなくお礼のメッセージカードを渡そうとしているのだ。しかも名前つきで。その為に文字の練習の他、皆様のお顔とお名前を覚えようとしていらっしゃるのだ。
『俺が目覚めるまでの間、ずっと皆さんが魔力を分けて下さったお陰で、またこうしてバアルさん達と過ごせていますから……』
はにかむように微笑みながらアオイはこうも仰られていた、これくらいじゃ到底お礼にはならないけれど……伝えたいんです、と。
貴方様が、元気に笑って過ごして頂けるだけで宜しいですのに……そのお気持ちだけでも、十分なお礼になるでしょうに……
そう思うのは、何も私だけではないだろう。でなければ、そもそも進んで魔力を分けようなどとは。
「どう……ですか? バアルさん」
おずおずと尋ねてきた声に、はたと気づく。
どうやら、私は紙を見つめたまま随分と思考を飛ばしてしまっていたようだ。アオイに不安そうな顔をさせてしまう程度には。
私としたことが、アオイを放っておくなどと。いや、後悔するよりもまずは謝罪をせねば。
「申し訳ございません……少々考え事をしてしまい」
「ああ、そうだったんですね」
素直に申し上げようとしていた途中で、アオイは納得したように微笑んだ。それ以上聞くことはしなかった。ただ「大丈夫ですか?」とだけ。
彼の気遣いに私は甘えることにした。
少しでも彼のお役に立てるよう、改めて紙に目を通す。やはりアオイは飲み込みが早い。よくしがちな書き間違いもない。
今でも十分に、習い始めたとは思えないほど良く書けている。しかし、アオイは向上心の高い御方だ。もっと美しい字をと求められる筈。
「此方の字のバランスは大変良く書けておりますね……此方は……もう少し、最後のハネを伸ばした方がカッコよく見えるかと存じます」
アオイの前に紙を置き、一文字一文字の良い点と改善した方が良い点を伝えていく。小さな頭を何度も頷かせながら、彼は熱心に聞き入っていた。
別の紙に手本を書いてから、ポイントとなる部分に赤いペンで丸を付けて差し上げれば、顔を輝かせ、弾んだ声を上げた。
「ああ、確かに! バアルさんの字の方がシュッてしててカッコいいですね! たったこれだけで変わるもんなんですね……」
二枚の紙を繰り返し見比べながら「奥が深いなぁ」と呟く。
「逆を申せばポイントを押さえるだけで、どなたでもカッコよくて美しい文字が書けるということでございますから」
「そうですよねっ!」
では、そちらを踏まえてもう一度と、促す必要もなかった。アオイはやる気満々でペンを持ち、手本を見比べながら新しい紙に向き合っていたのだから。
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