上 下
540 / 906

ああ、誠に情けない……ああ、誠に有り難いことだ

しおりを挟む
 チリンチリンと明るい鈴の音が聞こえてくる。頭のすぐ上から降ってくる。

 音の正体は分かっていた。何の時間を知らせてくれているのかも。けれども、気力が湧いてこない。腕の中に閉じ込めた温もりを手離したくない。

 ……今日くらいは、このままアオイと二人で……

 チリン、チリン…………ジリリリリリリリッ!!

 優しい音色から、突如耳をつんざくような不快極まりない大音量へと。怒りすら感じる羽音は、私が起きるまでは絶対に鳴らし続けると言わんばかり。その強い意志に私は白旗を上げた。

「はいはい……承知致しました……私が悪うございました……ほら、起きましたよ。身なりも整えましたよ」

 渋々愛しい彼を抱いていた腕を緩めて身を起こす。術によって服を着替えて、伸びた髭も、乱れた髪も整えて。必要最低限、見られるものになっているとは思うのだが。

 私の従者であるコルテは、まだ納得がいっていない様子。けたたましい音は止めてくれたものの、光沢のある小さな身体を瞬かせ、はためきながら私の襟元へと近づいてくる。

「いくらこの老骨めが腑抜けているからといって、術の腕が落ちてはおりませんよ。ネクタイを曲げるなどという愚行を犯す筈など……はて、違うと?」

 では、何が足りないと言うのだろうか。シャツもジャケットにもシワ一つない。ハンカチーフも忘れてはいない。ならば、髪か髭かと手鏡を取り出そうとしたところだった。

 針よりも細い手足を伸ばしたコルテが、私のネクタイにとあるものを付けたのは。

「……これは」

 ぽんっと可愛らしい音を立てて現れたのは、黒のネクタイを彩ったのは、銀色のピンだった。細長い長方形の端に、アオイの瞳とよく似た琥珀色の石があしらわれている。

 私の一番のお気に入り。愛しい彼の色を身に着けたくて、オーダーメイドで作ったものだ。

「……そう言えば、最近は身に着けておりませんでしたね」

 一番見て欲しい方が目を覚ましてくれないから、代わりに着けて欲しいと強請りたい方が目を覚ましてくれないから。

「……欠かさずに着けていたのだから、着けていないところを見たら……アオイが寂しい思いをしてしまう? ふふ……私としたことが、そちらは盲点でございました」

 確かに。寂しそうな、拗ねたような、可愛らしい眼差しを向けるアオイが目に浮かぶ。今にも遠回しに「今日は違うネクタイピンなんですね……」と言ってくれそう。

「……では、アオイにも……いつものお揃いを身に着けて頂きましょうか」

 眠られているのだから、ゆったりとした服の方が良いだろうと避けていたけれど。偶にはいいだろう。せめて皆様と会われる時くらいは、在りし日のように着飾らさせて頂いても。

 アオイの手を取り、術を施すのと共に魔力を送る。

 華奢な身体が纏っていた大きめのトレーナーは、控えめなフリルが上品な白シャツへ。しなやかでか細い足が履いていたウエストゴムのズボンは、チェック柄のハーフパンツと黒のハイソックスへ。

 最後に細い首元を、襟元を飾るのは、緑色の魔宝石が主役。私の瞳と似た色をした丸い魔宝石を、銀の装飾で縁取ったループタイ。

『バアルさんが好きな服を、選んで欲しいんですけど……』

 小さな頬を染め、おずおずと心躍る申し出をしてくれたアオイ。彼が選んでくれたループタイが映える装いに、初めてのデートの際と同じ装いに、身を包んだ彼は今にも目を開けてくれそう。

 あの愛らしい笑顔を……瞬く間に気持ちが晴れやかになり、胸が幸せで満たされる笑顔を見せてくれそう。

「……アオイ」

 また目の奥に堪え難い熱が滲んできた時、甲高い鈴の音が私の鼓膜を揺らした。

 私に呼びかけたコルテの周りにティーセットが浮かんでいる。白い陶器のティーポットに同じく白のカップとソーサーが二つ。そして、花柄のペアカップ。

 四人分のそれらを、ベッドの直ぐ側にある小さなテーブルへと運んでみせてから、再びチリン、チリンと羽音を鳴らす。

「……いくらアオイが可愛らしいからって見惚れている場合じゃない? ……致し方がないでしょう? 私の妻はどのような時も、お可愛らしくカッコい……惚気ける暇があったら準備をしろと? これは手厳しいですね」

 再びけたたましい音を鳴らそうとしていたコルテに急かされながら、茶会の準備に取り掛かる。

 進んで手伝ってくれる従者と軽口を交わしている内に、呼吸が楽になっていった。重く詰まっていた胸の辺りが、幾分か軽くなっていた。

 ああ、誠に情けない……ああ、誠に有り難いことだ。私が後ろ向きになりそうな時に、ただただ涙に暮れそうになる前に、しっかりしろと背中を叩いてくれるのだから。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!

棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。

もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」 授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。 途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。 ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。 駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。 しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。 毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。 翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。 使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった! 一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。 その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。 この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。 次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。 悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。 ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった! <第一部:疫病編> 一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24 二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29 三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31 四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4 五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8 六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11 七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ  前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件

白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。 最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。 いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果

ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。 そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。 2023/04/06 後日談追加

処理中です...