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ああ、誠に情けない……ああ、誠に有り難いことだ
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チリンチリンと明るい鈴の音が聞こえてくる。頭のすぐ上から降ってくる。
音の正体は分かっていた。何の時間を知らせてくれているのかも。けれども、気力が湧いてこない。腕の中に閉じ込めた温もりを手離したくない。
……今日くらいは、このままアオイと二人で……
チリン、チリン…………ジリリリリリリリッ!!
優しい音色から、突如耳をつんざくような不快極まりない大音量へと。怒りすら感じる羽音は、私が起きるまでは絶対に鳴らし続けると言わんばかり。その強い意志に私は白旗を上げた。
「はいはい……承知致しました……私が悪うございました……ほら、起きましたよ。身なりも整えましたよ」
渋々愛しい彼を抱いていた腕を緩めて身を起こす。術によって服を着替えて、伸びた髭も、乱れた髪も整えて。必要最低限、見られるものになっているとは思うのだが。
私の従者であるコルテは、まだ納得がいっていない様子。けたたましい音は止めてくれたものの、光沢のある小さな身体を瞬かせ、はためきながら私の襟元へと近づいてくる。
「いくらこの老骨めが腑抜けているからといって、術の腕が落ちてはおりませんよ。ネクタイを曲げるなどという愚行を犯す筈など……はて、違うと?」
では、何が足りないと言うのだろうか。シャツもジャケットにもシワ一つない。ハンカチーフも忘れてはいない。ならば、髪か髭かと手鏡を取り出そうとしたところだった。
針よりも細い手足を伸ばしたコルテが、私のネクタイにとあるものを付けたのは。
「……これは」
ぽんっと可愛らしい音を立てて現れたのは、黒のネクタイを彩ったのは、銀色のピンだった。細長い長方形の端に、アオイの瞳とよく似た琥珀色の石があしらわれている。
私の一番のお気に入り。愛しい彼の色を身に着けたくて、オーダーメイドで作ったものだ。
「……そう言えば、最近は身に着けておりませんでしたね」
一番見て欲しい方が目を覚ましてくれないから、代わりに着けて欲しいと強請りたい方が目を覚ましてくれないから。
「……欠かさずに着けていたのだから、着けていないところを見たら……アオイが寂しい思いをしてしまう? ふふ……私としたことが、そちらは盲点でございました」
確かに。寂しそうな、拗ねたような、可愛らしい眼差しを向けるアオイが目に浮かぶ。今にも遠回しに「今日は違うネクタイピンなんですね……」と言ってくれそう。
「……では、アオイにも……いつものお揃いを身に着けて頂きましょうか」
眠られているのだから、ゆったりとした服の方が良いだろうと避けていたけれど。偶にはいいだろう。せめて皆様と会われる時くらいは、在りし日のように着飾らさせて頂いても。
アオイの手を取り、術を施すのと共に魔力を送る。
華奢な身体が纏っていた大きめのトレーナーは、控えめなフリルが上品な白シャツへ。しなやかでか細い足が履いていたウエストゴムのズボンは、チェック柄のハーフパンツと黒のハイソックスへ。
最後に細い首元を、襟元を飾るのは、緑色の魔宝石が主役。私の瞳と似た色をした丸い魔宝石を、銀の装飾で縁取ったループタイ。
『バアルさんが好きな服を、選んで欲しいんですけど……』
小さな頬を染め、おずおずと心躍る申し出をしてくれたアオイ。彼が選んでくれたループタイが映える装いに、初めてのデートの際と同じ装いに、身を包んだ彼は今にも目を開けてくれそう。
あの愛らしい笑顔を……瞬く間に気持ちが晴れやかになり、胸が幸せで満たされる笑顔を見せてくれそう。
「……アオイ」
また目の奥に堪え難い熱が滲んできた時、甲高い鈴の音が私の鼓膜を揺らした。
私に呼びかけたコルテの周りにティーセットが浮かんでいる。白い陶器のティーポットに同じく白のカップとソーサーが二つ。そして、花柄のペアカップ。
四人分のそれらを、ベッドの直ぐ側にある小さなテーブルへと運んでみせてから、再びチリン、チリンと羽音を鳴らす。
「……いくらアオイが可愛らしいからって見惚れている場合じゃない? ……致し方がないでしょう? 私の妻はどのような時も、お可愛らしくカッコい……惚気ける暇があったら準備をしろと? これは手厳しいですね」
再びけたたましい音を鳴らそうとしていたコルテに急かされながら、茶会の準備に取り掛かる。
進んで手伝ってくれる従者と軽口を交わしている内に、呼吸が楽になっていった。重く詰まっていた胸の辺りが、幾分か軽くなっていた。
ああ、誠に情けない……ああ、誠に有り難いことだ。私が後ろ向きになりそうな時に、ただただ涙に暮れそうになる前に、しっかりしろと背中を叩いてくれるのだから。
音の正体は分かっていた。何の時間を知らせてくれているのかも。けれども、気力が湧いてこない。腕の中に閉じ込めた温もりを手離したくない。
……今日くらいは、このままアオイと二人で……
チリン、チリン…………ジリリリリリリリッ!!
優しい音色から、突如耳をつんざくような不快極まりない大音量へと。怒りすら感じる羽音は、私が起きるまでは絶対に鳴らし続けると言わんばかり。その強い意志に私は白旗を上げた。
「はいはい……承知致しました……私が悪うございました……ほら、起きましたよ。身なりも整えましたよ」
渋々愛しい彼を抱いていた腕を緩めて身を起こす。術によって服を着替えて、伸びた髭も、乱れた髪も整えて。必要最低限、見られるものになっているとは思うのだが。
私の従者であるコルテは、まだ納得がいっていない様子。けたたましい音は止めてくれたものの、光沢のある小さな身体を瞬かせ、はためきながら私の襟元へと近づいてくる。
「いくらこの老骨めが腑抜けているからといって、術の腕が落ちてはおりませんよ。ネクタイを曲げるなどという愚行を犯す筈など……はて、違うと?」
では、何が足りないと言うのだろうか。シャツもジャケットにもシワ一つない。ハンカチーフも忘れてはいない。ならば、髪か髭かと手鏡を取り出そうとしたところだった。
針よりも細い手足を伸ばしたコルテが、私のネクタイにとあるものを付けたのは。
「……これは」
ぽんっと可愛らしい音を立てて現れたのは、黒のネクタイを彩ったのは、銀色のピンだった。細長い長方形の端に、アオイの瞳とよく似た琥珀色の石があしらわれている。
私の一番のお気に入り。愛しい彼の色を身に着けたくて、オーダーメイドで作ったものだ。
「……そう言えば、最近は身に着けておりませんでしたね」
一番見て欲しい方が目を覚ましてくれないから、代わりに着けて欲しいと強請りたい方が目を覚ましてくれないから。
「……欠かさずに着けていたのだから、着けていないところを見たら……アオイが寂しい思いをしてしまう? ふふ……私としたことが、そちらは盲点でございました」
確かに。寂しそうな、拗ねたような、可愛らしい眼差しを向けるアオイが目に浮かぶ。今にも遠回しに「今日は違うネクタイピンなんですね……」と言ってくれそう。
「……では、アオイにも……いつものお揃いを身に着けて頂きましょうか」
眠られているのだから、ゆったりとした服の方が良いだろうと避けていたけれど。偶にはいいだろう。せめて皆様と会われる時くらいは、在りし日のように着飾らさせて頂いても。
アオイの手を取り、術を施すのと共に魔力を送る。
華奢な身体が纏っていた大きめのトレーナーは、控えめなフリルが上品な白シャツへ。しなやかでか細い足が履いていたウエストゴムのズボンは、チェック柄のハーフパンツと黒のハイソックスへ。
最後に細い首元を、襟元を飾るのは、緑色の魔宝石が主役。私の瞳と似た色をした丸い魔宝石を、銀の装飾で縁取ったループタイ。
『バアルさんが好きな服を、選んで欲しいんですけど……』
小さな頬を染め、おずおずと心躍る申し出をしてくれたアオイ。彼が選んでくれたループタイが映える装いに、初めてのデートの際と同じ装いに、身を包んだ彼は今にも目を開けてくれそう。
あの愛らしい笑顔を……瞬く間に気持ちが晴れやかになり、胸が幸せで満たされる笑顔を見せてくれそう。
「……アオイ」
また目の奥に堪え難い熱が滲んできた時、甲高い鈴の音が私の鼓膜を揺らした。
私に呼びかけたコルテの周りにティーセットが浮かんでいる。白い陶器のティーポットに同じく白のカップとソーサーが二つ。そして、花柄のペアカップ。
四人分のそれらを、ベッドの直ぐ側にある小さなテーブルへと運んでみせてから、再びチリン、チリンと羽音を鳴らす。
「……いくらアオイが可愛らしいからって見惚れている場合じゃない? ……致し方がないでしょう? 私の妻はどのような時も、お可愛らしくカッコい……惚気ける暇があったら準備をしろと? これは手厳しいですね」
再びけたたましい音を鳴らそうとしていたコルテに急かされながら、茶会の準備に取り掛かる。
進んで手伝ってくれる従者と軽口を交わしている内に、呼吸が楽になっていった。重く詰まっていた胸の辺りが、幾分か軽くなっていた。
ああ、誠に情けない……ああ、誠に有り難いことだ。私が後ろ向きになりそうな時に、ただただ涙に暮れそうになる前に、しっかりしろと背中を叩いてくれるのだから。
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