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どうか思い出して下さい

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 バアルさんとの初めての外界での旅路は、あっという間に終着点を迎えた。

 少しずつ速度を緩めていき、バアルさんが止まる。高さを維持したまま浮かび続けている俺達の眼下には、黒い穴があった。

 ヒビ割れた大地に、命の気配がしない灰色の大地に、ぽかりと大口を開けた穴。底の見えない虚ろな闇からは、黒い霧が絶え間なくあふれている。

 まるで台風の目のようだ。穴を中心に渦巻いている。罪に穢れた魂を燃やす際に発せられるという穢れが、バアルさん達の魔力を、命を脅かしてしまう諸悪の根源が。

 ただ地面を這うように漂い、穴の中へと吸い込まれていく黒が、俺達を招いて狙ういくつもの腕のように見えてしまう。

 遥か上空から見下ろしているだけだってのに勝手に身体が縮こまってしまう。歯の根も合わないほどに全身が震えてしまう。なのに、何故か目を離すことが出来なくて。

「アオイ」

 穏やかな声が俺を呼んだ。温かい手のひらが俺の頬に添えられる。大きな手に優しく促され、向いた先には柔らかい笑顔が。

「バアルさん……」

 ああ、そうだ。俺には彼が居るのだ。彼さえ側に居てくれたら、彼が微笑みかけてくれたら、俺は。

「ありがとうございます……もう大丈夫です」

「承知致しました……また恐怖に飲まれそうになった際は、どうか思い出して下さい……私が側に居ることを、皆様の魔力と共にあることを」

 大きな手が俺の手を取り分厚い胸板へと導いていく。バアルさんが魔力の結晶をしまってくれているからだろうか。彼の逞しい胸元に触れた途端、皆さんの気配を感じたんだ。温かくて、心強い力を。

「はい、必ず」

 繋ぎ直した手を握り、頷き合った俺達はゆっくりと落ちていった。暗い暗い闇の中へと、深い深い穴の底を目指して。

 穢れが俺達を飲み込んでいく。視界が黒に塗り潰されていく。抱き締めてくれている彼すらもう見えない。

 寒い……痛い……服を着ているというのに直接肌に感じるような。いや、骨の髄まで染み込んでいくようだ。

 全身が苦痛を訴えてくる。その痛みは、まるで髪の毛ほどに細い針を至るところに、爪の間にまで刺されているような。だというのに声を上げることすら戸惑われた。だって、少し身じろぐだけで、息をするだけで痛いのだ。なのに叫ぶだなんて。

 そうして気がつけば、いつの間にかなくなっていた。分からなくなっていた。俺を抱き締めてくれている唯一の拠り所だった温もりも、繋いでいる手の感覚も、自分がちゃんと息をしているのかも。

 終わりの見えない寒さに、痛みに、心が軋んでいく。いっそのことと、馬鹿なことを考えてしまいそうになる。

 ……バアルさんは、いつもこんなに痛い思いをしていたのか……たった一人で、何度も……

 大好きな彼のことを思い浮かべたからだろう。少しだけ寒さが、痛みが和らいだ。

『どうか思い出して下さい……私が側に居ることを、皆様の魔力と共にあることを』

 そうだ……俺は一人ではないんだ。バアルさんが、皆さんがついていてくれるんだ。


 ……帰るんだ……皆さんのところにヨミ様と一緒に三人で、必ず帰るんだ……!


「……アオイ……よく戻ってきてくれましたね……」

「……バアルさん」

 光のない視界が薄闇程度に晴れたかと思えば、バアルさんが泣きそうな顔で微笑んでいた。良く頑張りましたねと、ずっと呼んでいたのですよと、温かい頬を寄せてくれる。

 どうやら、俺の心は穢れによって壊されかけていたらしい。そうはさせまいと、バアルさんは魔力の流れを繋げて呼びかけてくれていたのだと。

 まさか、魔力を奪われる以外にも恐ろしい力を持っているとは。ヨミ様は神様が連れて行ったらしいから、大丈夫だとは思うけれど。

「ありがとうございます……バアルさんのお陰で戻ってこれました。さっき言ってくれた言葉を、俺は一人じゃないってことを、思い出せたんです」

「左様でございましたか……お役に立てて何よりです……体調はいかがでしょうか?」

「ちょっと痛いですけど、さっきに比べたら全然。バアルさんは大丈夫ですか?」

 寒さの方はバアルさんのお陰で、しっかり俺を抱き締めてくれているお陰で、へっちゃらだし。

「私も大丈夫ですよ……この前も貴方様の笑顔を思い出した途端に魔力が湧いてきました。そして、今は貴方様が側に居てくれているのですから……こんなにも心強いことはございません」

「バアルさん……」

 穴の底はまだ見えない。周囲が黒一色だから、本当に落ちて行けているのかも分からない。でも、もう怖くはない。バアルさんと一緒なら。

 繋いだ手に力を込めて額を寄せ合った時、視界の外で白が輝いた。

 それは、まるで救いの手のようだった。俺達を飲み込んでいる黒を、穢れを、いくつもの帯状の光が切り裂いていく。俺達の元へと伸びてくる。

 ついに辿り着けた白い光が、身を寄せ合う俺達を優しく包みこんでいく。温かい……全身を蝕んでいた痛みが瞬く間に和らいでいく。

 そのまま俺達は、白い光の帯に優しく引き寄せられていった。そうして、いくばくもしない内だった。全く見える気配のなかった穴の底が、俺達の視界に映ったのは。
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