532 / 906
どうか思い出して下さい
しおりを挟む
バアルさんとの初めての外界での旅路は、あっという間に終着点を迎えた。
少しずつ速度を緩めていき、バアルさんが止まる。高さを維持したまま浮かび続けている俺達の眼下には、黒い穴があった。
ヒビ割れた大地に、命の気配がしない灰色の大地に、ぽかりと大口を開けた穴。底の見えない虚ろな闇からは、黒い霧が絶え間なくあふれている。
まるで台風の目のようだ。穴を中心に渦巻いている。罪に穢れた魂を燃やす際に発せられるという穢れが、バアルさん達の魔力を、命を脅かしてしまう諸悪の根源が。
ただ地面を這うように漂い、穴の中へと吸い込まれていく黒が、俺達を招いて狙ういくつもの腕のように見えてしまう。
遥か上空から見下ろしているだけだってのに勝手に身体が縮こまってしまう。歯の根も合わないほどに全身が震えてしまう。なのに、何故か目を離すことが出来なくて。
「アオイ」
穏やかな声が俺を呼んだ。温かい手のひらが俺の頬に添えられる。大きな手に優しく促され、向いた先には柔らかい笑顔が。
「バアルさん……」
ああ、そうだ。俺には彼が居るのだ。彼さえ側に居てくれたら、彼が微笑みかけてくれたら、俺は。
「ありがとうございます……もう大丈夫です」
「承知致しました……また恐怖に飲まれそうになった際は、どうか思い出して下さい……私が側に居ることを、皆様の魔力と共にあることを」
大きな手が俺の手を取り分厚い胸板へと導いていく。バアルさんが魔力の結晶をしまってくれているからだろうか。彼の逞しい胸元に触れた途端、皆さんの気配を感じたんだ。温かくて、心強い力を。
「はい、必ず」
繋ぎ直した手を握り、頷き合った俺達はゆっくりと落ちていった。暗い暗い闇の中へと、深い深い穴の底を目指して。
穢れが俺達を飲み込んでいく。視界が黒に塗り潰されていく。抱き締めてくれている彼すらもう見えない。
寒い……痛い……服を着ているというのに直接肌に感じるような。いや、骨の髄まで染み込んでいくようだ。
全身が苦痛を訴えてくる。その痛みは、まるで髪の毛ほどに細い針を至るところに、爪の間にまで刺されているような。だというのに声を上げることすら戸惑われた。だって、少し身じろぐだけで、息をするだけで痛いのだ。なのに叫ぶだなんて。
そうして気がつけば、いつの間にかなくなっていた。分からなくなっていた。俺を抱き締めてくれている唯一の拠り所だった温もりも、繋いでいる手の感覚も、自分がちゃんと息をしているのかも。
終わりの見えない寒さに、痛みに、心が軋んでいく。いっそのことと、馬鹿なことを考えてしまいそうになる。
……バアルさんは、いつもこんなに痛い思いをしていたのか……たった一人で、何度も……
大好きな彼のことを思い浮かべたからだろう。少しだけ寒さが、痛みが和らいだ。
『どうか思い出して下さい……私が側に居ることを、皆様の魔力と共にあることを』
そうだ……俺は一人ではないんだ。バアルさんが、皆さんがついていてくれるんだ。
……帰るんだ……皆さんのところにヨミ様と一緒に三人で、必ず帰るんだ……!
「……アオイ……よく戻ってきてくれましたね……」
「……バアルさん」
光のない視界が薄闇程度に晴れたかと思えば、バアルさんが泣きそうな顔で微笑んでいた。良く頑張りましたねと、ずっと呼んでいたのですよと、温かい頬を寄せてくれる。
どうやら、俺の心は穢れによって壊されかけていたらしい。そうはさせまいと、バアルさんは魔力の流れを繋げて呼びかけてくれていたのだと。
まさか、魔力を奪われる以外にも恐ろしい力を持っているとは。ヨミ様は神様が連れて行ったらしいから、大丈夫だとは思うけれど。
「ありがとうございます……バアルさんのお陰で戻ってこれました。さっき言ってくれた言葉を、俺は一人じゃないってことを、思い出せたんです」
「左様でございましたか……お役に立てて何よりです……体調はいかがでしょうか?」
「ちょっと痛いですけど、さっきに比べたら全然。バアルさんは大丈夫ですか?」
寒さの方はバアルさんのお陰で、しっかり俺を抱き締めてくれているお陰で、へっちゃらだし。
「私も大丈夫ですよ……この前も貴方様の笑顔を思い出した途端に魔力が湧いてきました。そして、今は貴方様が側に居てくれているのですから……こんなにも心強いことはございません」
「バアルさん……」
穴の底はまだ見えない。周囲が黒一色だから、本当に落ちて行けているのかも分からない。でも、もう怖くはない。バアルさんと一緒なら。
繋いだ手に力を込めて額を寄せ合った時、視界の外で白が輝いた。
それは、まるで救いの手のようだった。俺達を飲み込んでいる黒を、穢れを、いくつもの帯状の光が切り裂いていく。俺達の元へと伸びてくる。
ついに辿り着けた白い光が、身を寄せ合う俺達を優しく包みこんでいく。温かい……全身を蝕んでいた痛みが瞬く間に和らいでいく。
そのまま俺達は、白い光の帯に優しく引き寄せられていった。そうして、いくばくもしない内だった。全く見える気配のなかった穴の底が、俺達の視界に映ったのは。
少しずつ速度を緩めていき、バアルさんが止まる。高さを維持したまま浮かび続けている俺達の眼下には、黒い穴があった。
ヒビ割れた大地に、命の気配がしない灰色の大地に、ぽかりと大口を開けた穴。底の見えない虚ろな闇からは、黒い霧が絶え間なくあふれている。
まるで台風の目のようだ。穴を中心に渦巻いている。罪に穢れた魂を燃やす際に発せられるという穢れが、バアルさん達の魔力を、命を脅かしてしまう諸悪の根源が。
ただ地面を這うように漂い、穴の中へと吸い込まれていく黒が、俺達を招いて狙ういくつもの腕のように見えてしまう。
遥か上空から見下ろしているだけだってのに勝手に身体が縮こまってしまう。歯の根も合わないほどに全身が震えてしまう。なのに、何故か目を離すことが出来なくて。
「アオイ」
穏やかな声が俺を呼んだ。温かい手のひらが俺の頬に添えられる。大きな手に優しく促され、向いた先には柔らかい笑顔が。
「バアルさん……」
ああ、そうだ。俺には彼が居るのだ。彼さえ側に居てくれたら、彼が微笑みかけてくれたら、俺は。
「ありがとうございます……もう大丈夫です」
「承知致しました……また恐怖に飲まれそうになった際は、どうか思い出して下さい……私が側に居ることを、皆様の魔力と共にあることを」
大きな手が俺の手を取り分厚い胸板へと導いていく。バアルさんが魔力の結晶をしまってくれているからだろうか。彼の逞しい胸元に触れた途端、皆さんの気配を感じたんだ。温かくて、心強い力を。
「はい、必ず」
繋ぎ直した手を握り、頷き合った俺達はゆっくりと落ちていった。暗い暗い闇の中へと、深い深い穴の底を目指して。
穢れが俺達を飲み込んでいく。視界が黒に塗り潰されていく。抱き締めてくれている彼すらもう見えない。
寒い……痛い……服を着ているというのに直接肌に感じるような。いや、骨の髄まで染み込んでいくようだ。
全身が苦痛を訴えてくる。その痛みは、まるで髪の毛ほどに細い針を至るところに、爪の間にまで刺されているような。だというのに声を上げることすら戸惑われた。だって、少し身じろぐだけで、息をするだけで痛いのだ。なのに叫ぶだなんて。
そうして気がつけば、いつの間にかなくなっていた。分からなくなっていた。俺を抱き締めてくれている唯一の拠り所だった温もりも、繋いでいる手の感覚も、自分がちゃんと息をしているのかも。
終わりの見えない寒さに、痛みに、心が軋んでいく。いっそのことと、馬鹿なことを考えてしまいそうになる。
……バアルさんは、いつもこんなに痛い思いをしていたのか……たった一人で、何度も……
大好きな彼のことを思い浮かべたからだろう。少しだけ寒さが、痛みが和らいだ。
『どうか思い出して下さい……私が側に居ることを、皆様の魔力と共にあることを』
そうだ……俺は一人ではないんだ。バアルさんが、皆さんがついていてくれるんだ。
……帰るんだ……皆さんのところにヨミ様と一緒に三人で、必ず帰るんだ……!
「……アオイ……よく戻ってきてくれましたね……」
「……バアルさん」
光のない視界が薄闇程度に晴れたかと思えば、バアルさんが泣きそうな顔で微笑んでいた。良く頑張りましたねと、ずっと呼んでいたのですよと、温かい頬を寄せてくれる。
どうやら、俺の心は穢れによって壊されかけていたらしい。そうはさせまいと、バアルさんは魔力の流れを繋げて呼びかけてくれていたのだと。
まさか、魔力を奪われる以外にも恐ろしい力を持っているとは。ヨミ様は神様が連れて行ったらしいから、大丈夫だとは思うけれど。
「ありがとうございます……バアルさんのお陰で戻ってこれました。さっき言ってくれた言葉を、俺は一人じゃないってことを、思い出せたんです」
「左様でございましたか……お役に立てて何よりです……体調はいかがでしょうか?」
「ちょっと痛いですけど、さっきに比べたら全然。バアルさんは大丈夫ですか?」
寒さの方はバアルさんのお陰で、しっかり俺を抱き締めてくれているお陰で、へっちゃらだし。
「私も大丈夫ですよ……この前も貴方様の笑顔を思い出した途端に魔力が湧いてきました。そして、今は貴方様が側に居てくれているのですから……こんなにも心強いことはございません」
「バアルさん……」
穴の底はまだ見えない。周囲が黒一色だから、本当に落ちて行けているのかも分からない。でも、もう怖くはない。バアルさんと一緒なら。
繋いだ手に力を込めて額を寄せ合った時、視界の外で白が輝いた。
それは、まるで救いの手のようだった。俺達を飲み込んでいる黒を、穢れを、いくつもの帯状の光が切り裂いていく。俺達の元へと伸びてくる。
ついに辿り着けた白い光が、身を寄せ合う俺達を優しく包みこんでいく。温かい……全身を蝕んでいた痛みが瞬く間に和らいでいく。
そのまま俺達は、白い光の帯に優しく引き寄せられていった。そうして、いくばくもしない内だった。全く見える気配のなかった穴の底が、俺達の視界に映ったのは。
43
お気に入りに追加
485
あなたにおすすめの小説
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜
双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」
授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。
途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。
ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。
駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。
しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。
毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。
翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。
使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった!
一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。
その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。
この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。
次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。
悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。
ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった!
<第一部:疫病編>
一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24
二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29
三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31
四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4
五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8
六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11
七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる