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必ず言おう、三人でただいまを
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バアルさんが指先を軽く弾いて音を鳴らせば、瞬く間に巨大な結晶が姿を消した。もとい、大事にしまわれていった。バアルさんの術によって。
見慣れた光景ではあるけれども。相変わらず、あの謎空間の収納力はどうなっているんだろうか。バアルさんの長い腕をめいいっぱい広げても、抱え込めない大きさだったのにさ。
感心のあまり、結晶があった空間を眺めてしまっていた。ぼうっと突っ立っていた俺の身体が浮遊感に襲われる。慌てて見上げれば、鮮やかな緑の瞳に微笑みかけられた。
「アオイ様、少し飛ばして参りますので……しっかりと、この老骨めに掴まっていて下さいね」
「は、はいっ、よろしくお願いします」
引き締まった首に腕を回すとバアルさんは「いい子ですね」と俺の頭を撫でてくれた。
優しい手つきと声色にうっかりときめいてしまう。そんな場合じゃないのに。しっかりしなければ。
気を取り直して前を向く。あの時は、見送ることしか出来なかった。でも今は、彼と一緒に向かうことが出来るのだ。この地の果てにあるという穢れが渦巻く大穴の底へと、ヨミ様が居る、浄化の炎を祀っている祭壇へと。
城下町の遥か上空に突き出ている青い石造りの橋から、夕焼けの空へと向かって飛び立とうとした時だった。
「アオイ様っ! バアル様っ! 僕達、信じてますからっ!」
「改めて儀式の続きをしましょう! ヨミ様と一緒に、盛大に!」
「ご無事を祈っております……!」
「絶対に……皆で帰ってくるのじゃぞ!」
グリムさんが、クロウさんが、レタリーさんが、サタン様が。レダさん達が、シアンさん達が、お城の皆さん達が、俺とバアルさんに声の限りの声援を送ってくれる。
「はいっ! 行ってきます!」
「行って参ります」
手を振る俺に続けて、皆さんに向かって会釈をしたバアルさん。俺が再び彼の首にしがみついたのを確認してから俺の背を抱き締め、羽を広げた。
……必ず言おう。皆さんに向かって、俺とバアルさんとヨミ様の三人で、ただいまを。
「……行きますよ、アオイ」
「はいっ、バアルさん」
頼もしげに微笑んだ唇が、柔らかい白髭が俺の額に触れる。しなやかな彼の足が、力強く石畳を蹴った。まるで上昇気流にでも乗るように、バアルさんが勢いよく舞い上がった。
軽々と俺を横抱きで抱えたまま、水晶のように透き通った羽が風を切っていく。俺達を染め上げている茜色を、その磨き上げられたガラスみたいに美しい表面に反射させながら。
彼の右肩を覆う青いマントがはためいて、俺のベールが視界の端で激しく揺れる。皆さんの声はすぐに聞こえなくなってしまっていた。眼下に見えていた城下町も、すぐに見えなくなってしまった。
凄まじいスピードで景色が視界の外へと飛んでいくものの、俺には一切の影響はなかった。
強風に全身を冷やされることも、肌を痛めつけられることもない。目も開けていられる。
ジェットコースターをゆうに超えているであろう速度を出しているにもかかわらず、重力的な負荷に身体が、内臓が強いられることもない。バアルさんが術で守ってくれているんだろう。
こんな状況下なのに、俺は思い出してしまっていた。バアルさんと初めて出会えた日のことを、初めて彼の腕に抱き上げてもらった時のことを。今みたく、この国の空を二人で飛んだ時のことを。
あの時は、目も開けていられなかったっけ。全身も冷え切っちゃってたよな。お城に着く頃には。中々にエキサイティングな体験だったな。
温かい彼の腕の中、一人思い浮かべているだけだったハズなのだが。
「申し訳ございませんでした……あの時は、防護の術もかけずに、非常に配慮のかけたお連れ方をしてしまって……」
心を読み取ったような謝罪の言葉を送られるとは。
額の触覚を下げたバアルさんは、その鼻筋の通った顔に刻まれた渋いシワを苦々しげに深くしている。随分と悔いているらしい。俺にとっては思わず笑っちゃいそうな、いい思い出の一つなんだけどな。
「ふふ、気にしないで下さいよ。バアルさんが来てくれて……俺、スゴく助かったんですから」
「アオイ様……」
頬を綻ばせた彼が「ありがとうございます」と微笑んだ。
額から生えた金属のような光沢を持つ触覚が、風に遊ばれ揺れている。白く艷やかな髪も。しかし、セットは崩れていない。流石だ。
「バアルさんも、思い出していたんですね」
「はい。こうして外界を貴方様と飛ぶのは、あの日以来でございました故……」
どこか遠くを見つめる彼の眼差しが、何だかとても寂しく見えて。何故だか胸が切なくなって。
「そうですね……じゃあ、今度はヨミ様達と一緒に飛びましょうか? お城の上での空中散歩だったら、ヨミ様達もお忍びしなくていいんじゃないですか?」
気がつけば俺は、また一つ約束を増やそうとしていた。交わしたところで何が変わるという訳でもない。けれども、せずにはいられなかった。
若葉を思わせる緑の瞳に俺が映る。ゆるりと細められて、目尻のシワが深くなる。
「ええ……左様でございますね。今度は、皆様で飛びましょう」
「楽しみですね……」
「はい……誠に……」
どちらともなく手のひらを重ねて、指を絡める。大きな手のひらから伝わってくる温かさに、俺は酷く安堵していた。
見慣れた光景ではあるけれども。相変わらず、あの謎空間の収納力はどうなっているんだろうか。バアルさんの長い腕をめいいっぱい広げても、抱え込めない大きさだったのにさ。
感心のあまり、結晶があった空間を眺めてしまっていた。ぼうっと突っ立っていた俺の身体が浮遊感に襲われる。慌てて見上げれば、鮮やかな緑の瞳に微笑みかけられた。
「アオイ様、少し飛ばして参りますので……しっかりと、この老骨めに掴まっていて下さいね」
「は、はいっ、よろしくお願いします」
引き締まった首に腕を回すとバアルさんは「いい子ですね」と俺の頭を撫でてくれた。
優しい手つきと声色にうっかりときめいてしまう。そんな場合じゃないのに。しっかりしなければ。
気を取り直して前を向く。あの時は、見送ることしか出来なかった。でも今は、彼と一緒に向かうことが出来るのだ。この地の果てにあるという穢れが渦巻く大穴の底へと、ヨミ様が居る、浄化の炎を祀っている祭壇へと。
城下町の遥か上空に突き出ている青い石造りの橋から、夕焼けの空へと向かって飛び立とうとした時だった。
「アオイ様っ! バアル様っ! 僕達、信じてますからっ!」
「改めて儀式の続きをしましょう! ヨミ様と一緒に、盛大に!」
「ご無事を祈っております……!」
「絶対に……皆で帰ってくるのじゃぞ!」
グリムさんが、クロウさんが、レタリーさんが、サタン様が。レダさん達が、シアンさん達が、お城の皆さん達が、俺とバアルさんに声の限りの声援を送ってくれる。
「はいっ! 行ってきます!」
「行って参ります」
手を振る俺に続けて、皆さんに向かって会釈をしたバアルさん。俺が再び彼の首にしがみついたのを確認してから俺の背を抱き締め、羽を広げた。
……必ず言おう。皆さんに向かって、俺とバアルさんとヨミ様の三人で、ただいまを。
「……行きますよ、アオイ」
「はいっ、バアルさん」
頼もしげに微笑んだ唇が、柔らかい白髭が俺の額に触れる。しなやかな彼の足が、力強く石畳を蹴った。まるで上昇気流にでも乗るように、バアルさんが勢いよく舞い上がった。
軽々と俺を横抱きで抱えたまま、水晶のように透き通った羽が風を切っていく。俺達を染め上げている茜色を、その磨き上げられたガラスみたいに美しい表面に反射させながら。
彼の右肩を覆う青いマントがはためいて、俺のベールが視界の端で激しく揺れる。皆さんの声はすぐに聞こえなくなってしまっていた。眼下に見えていた城下町も、すぐに見えなくなってしまった。
凄まじいスピードで景色が視界の外へと飛んでいくものの、俺には一切の影響はなかった。
強風に全身を冷やされることも、肌を痛めつけられることもない。目も開けていられる。
ジェットコースターをゆうに超えているであろう速度を出しているにもかかわらず、重力的な負荷に身体が、内臓が強いられることもない。バアルさんが術で守ってくれているんだろう。
こんな状況下なのに、俺は思い出してしまっていた。バアルさんと初めて出会えた日のことを、初めて彼の腕に抱き上げてもらった時のことを。今みたく、この国の空を二人で飛んだ時のことを。
あの時は、目も開けていられなかったっけ。全身も冷え切っちゃってたよな。お城に着く頃には。中々にエキサイティングな体験だったな。
温かい彼の腕の中、一人思い浮かべているだけだったハズなのだが。
「申し訳ございませんでした……あの時は、防護の術もかけずに、非常に配慮のかけたお連れ方をしてしまって……」
心を読み取ったような謝罪の言葉を送られるとは。
額の触覚を下げたバアルさんは、その鼻筋の通った顔に刻まれた渋いシワを苦々しげに深くしている。随分と悔いているらしい。俺にとっては思わず笑っちゃいそうな、いい思い出の一つなんだけどな。
「ふふ、気にしないで下さいよ。バアルさんが来てくれて……俺、スゴく助かったんですから」
「アオイ様……」
頬を綻ばせた彼が「ありがとうございます」と微笑んだ。
額から生えた金属のような光沢を持つ触覚が、風に遊ばれ揺れている。白く艷やかな髪も。しかし、セットは崩れていない。流石だ。
「バアルさんも、思い出していたんですね」
「はい。こうして外界を貴方様と飛ぶのは、あの日以来でございました故……」
どこか遠くを見つめる彼の眼差しが、何だかとても寂しく見えて。何故だか胸が切なくなって。
「そうですね……じゃあ、今度はヨミ様達と一緒に飛びましょうか? お城の上での空中散歩だったら、ヨミ様達もお忍びしなくていいんじゃないですか?」
気がつけば俺は、また一つ約束を増やそうとしていた。交わしたところで何が変わるという訳でもない。けれども、せずにはいられなかった。
若葉を思わせる緑の瞳に俺が映る。ゆるりと細められて、目尻のシワが深くなる。
「ええ……左様でございますね。今度は、皆様で飛びましょう」
「楽しみですね……」
「はい……誠に……」
どちらともなく手のひらを重ねて、指を絡める。大きな手のひらから伝わってくる温かさに、俺は酷く安堵していた。
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