501 / 1,047
見知っているのに見知らぬ彼
しおりを挟む
たっぷりと4、5秒はかけたであろう深いお辞儀の後、レタリーさんは顔を上げた。
彼の肌が褐色だからだろう。ゆるりと細められた黄緑色の瞳だけが、暗闇の中でぼんやりと三日月のように浮かんでいる。
俺は安堵していた。
バアルさん達が居ないという不安が燻っているものの、見知った相手が現れたことに。
そして、思い込んでいたのだ。
レタリーさんならば、この鎖を外してくれるだろうと。この部屋から助け出してくれるだろうと。バアルさん達の居るところへと連れて行ってくれるだろうと。
「ご気分はいかがでしょうか?」
「……え?」
レタリーさんは、柔らかい微笑みを一切崩さずに俺に尋ねてきた。呆気にとられている俺を前にしても、何事もなかったかのように続けた。
「どこか痛いところはございませんか? 体調が優れないなど、身体の不調はございませんか?」
……俺の状態が見えていないのだろうか。
いや、それはないだろう。たとえ、万が一鎖が見えていなかったとしても、不自然な俺の体勢を見れば異変に気づくことが出来るハズだ。
なのに彼は驚いた様子も、焦る素振りも見せない。ベッドの上で這いつくばり、身動きの取れない俺を眺めながら、ごく普通に話しかけてきている。
「……アオイ様?」
「……いや、痛くはないですし……どこも悪くはない、ですけど……」
「左様でございましたか。何かありましたら、すぐに仰って下さいね」
レタリーさんは安心したように笑みを深めてから、再び丁寧なお辞儀を披露した。背筋を伸ばし、俺の側で佇んでいる。
これまでの彼の言動は、俺に対する接し方は、いつも通りだ。なのに状況が異質だからだろう。逆に不気味に思えてしまう。
ホントに今の彼は、俺が知っているレタリーさんなんだろうか。
バアルさんを師と仰ぎ、ヨミ様とサタン様のことを心の底から慕っている、物腰柔らかな秘書さん。俺にも優しく接してくれて、甘いものに目がなくて。ヨミ様とは特に気心が知れているというか、礼節をわきまえつつも時折友達のように接しているというか。
なのに、こんな……ベッドに縛りつけられている俺を見ても、普通に微笑んでいるなんて。
……どういうことだ? 何か、誰かに、変な術でもかけられているのだろうか?
バアルさん達が居れば、すぐに分かっただろう。けれども魔力の流れを視認することが出来ない俺は、彼が術にかかっているのかも、正気なのかも判別することは出来やしない。一体どうすれば。
……落ち着け、まずは冷静になるんだ。
改めて、この状況に至るまでを思い出そうと目を閉じる。一番近い記憶……そうだ。俺は、俺とバアルさんは、確か儀式の準備をしていたハズだ。
バアルさんは、俺の隣の控室でサタン様とヨミ様と一緒に。俺の方には、グリムさんとクロウさん、コルテ、そしてレタリーさんがついてくれていた。
俺は、グリムさん達が見守ってくれている中、儀礼服を着て、レタリーさんにヘアメイクをしてもらって、そして……
そこから先が思い出せない。頭の中が、深い霧に包まれているようだ。思い出そうと試みても、何も浮かんできやしない。
でも、バアルさんが、皆さんが居たのは確かだ。だから、確かめなければ。
「……あの」
「はい、いかがなさいましたか?」
俺の呼びかけに、すぐさま黄緑色の眼差しが向く。背筋を正したまま、俺の言葉を待ってくれている。
……良かった。会話は普通にしてくれるようだ。
だったら、聞き出すしかない。いや、何としてでも聞き出さなければ。一番大切なことを。
「……バアルさんは、他の皆さんは……今、何処に居るんですか?」
俺は見逃さなかった。
尋ねた瞬間、僅かだけれどレタリーさんの表情が崩れたのを。驚いたように目を見開いたのを。
イヤな予感に背筋が寒くなる。胸が痛くて、重い。まるで、太い杭でも打ちつけられたかのようだ。
「一体、何が有ったんですか? 俺、どうしても思い出せないんです……自分の控室で、レタリーさんにヘアメイクをしてもらっていたところまでは、覚えているんですけど……」
レタリーさんは黙ったまま、俺を見つめている。もしや、口止めでもされているのだろうか。
透明な水の中に黒い液体をこぼしたかのように、じわりと滲んだ仄暗い不安が広がっていく。心臓が早鐘を打ち始める。
「お願いします……知っていることがあるなら、教えて下さい……バアルさんの為に……皆さんの、レタリーさんの為に、俺に出来ることがあるなら何でもしますからっ……」
それは、微かな声だった。
「……ああ、やはり貴方様は」
無自覚な呟きだったのだろう。慌てたようにレタリーさんは、薄く開いていた口を引き結んだ。平然を装うかのように、すぐさま緩やかな笑みを形作る。やっぱり、彼は何か事情を知って。
「お願いします、教えて下さい……イヤなことでも……痛いことでも……俺が出来ることなら、頑張ります……だから、どうか……」
何故、俺をこんな場所に閉じ込めているのか理由は分からない。誰が、レタリーさんに監視役のようなことをさせているのかも。
だが、俺を捕まえているってことは、何かしらの利用価値があるってことだ。だったら、それを最大限に利用するしかない。
長く、重たい沈黙の中、俺の心音だけが妙に大きく聞こえていた。
彼の肌が褐色だからだろう。ゆるりと細められた黄緑色の瞳だけが、暗闇の中でぼんやりと三日月のように浮かんでいる。
俺は安堵していた。
バアルさん達が居ないという不安が燻っているものの、見知った相手が現れたことに。
そして、思い込んでいたのだ。
レタリーさんならば、この鎖を外してくれるだろうと。この部屋から助け出してくれるだろうと。バアルさん達の居るところへと連れて行ってくれるだろうと。
「ご気分はいかがでしょうか?」
「……え?」
レタリーさんは、柔らかい微笑みを一切崩さずに俺に尋ねてきた。呆気にとられている俺を前にしても、何事もなかったかのように続けた。
「どこか痛いところはございませんか? 体調が優れないなど、身体の不調はございませんか?」
……俺の状態が見えていないのだろうか。
いや、それはないだろう。たとえ、万が一鎖が見えていなかったとしても、不自然な俺の体勢を見れば異変に気づくことが出来るハズだ。
なのに彼は驚いた様子も、焦る素振りも見せない。ベッドの上で這いつくばり、身動きの取れない俺を眺めながら、ごく普通に話しかけてきている。
「……アオイ様?」
「……いや、痛くはないですし……どこも悪くはない、ですけど……」
「左様でございましたか。何かありましたら、すぐに仰って下さいね」
レタリーさんは安心したように笑みを深めてから、再び丁寧なお辞儀を披露した。背筋を伸ばし、俺の側で佇んでいる。
これまでの彼の言動は、俺に対する接し方は、いつも通りだ。なのに状況が異質だからだろう。逆に不気味に思えてしまう。
ホントに今の彼は、俺が知っているレタリーさんなんだろうか。
バアルさんを師と仰ぎ、ヨミ様とサタン様のことを心の底から慕っている、物腰柔らかな秘書さん。俺にも優しく接してくれて、甘いものに目がなくて。ヨミ様とは特に気心が知れているというか、礼節をわきまえつつも時折友達のように接しているというか。
なのに、こんな……ベッドに縛りつけられている俺を見ても、普通に微笑んでいるなんて。
……どういうことだ? 何か、誰かに、変な術でもかけられているのだろうか?
バアルさん達が居れば、すぐに分かっただろう。けれども魔力の流れを視認することが出来ない俺は、彼が術にかかっているのかも、正気なのかも判別することは出来やしない。一体どうすれば。
……落ち着け、まずは冷静になるんだ。
改めて、この状況に至るまでを思い出そうと目を閉じる。一番近い記憶……そうだ。俺は、俺とバアルさんは、確か儀式の準備をしていたハズだ。
バアルさんは、俺の隣の控室でサタン様とヨミ様と一緒に。俺の方には、グリムさんとクロウさん、コルテ、そしてレタリーさんがついてくれていた。
俺は、グリムさん達が見守ってくれている中、儀礼服を着て、レタリーさんにヘアメイクをしてもらって、そして……
そこから先が思い出せない。頭の中が、深い霧に包まれているようだ。思い出そうと試みても、何も浮かんできやしない。
でも、バアルさんが、皆さんが居たのは確かだ。だから、確かめなければ。
「……あの」
「はい、いかがなさいましたか?」
俺の呼びかけに、すぐさま黄緑色の眼差しが向く。背筋を正したまま、俺の言葉を待ってくれている。
……良かった。会話は普通にしてくれるようだ。
だったら、聞き出すしかない。いや、何としてでも聞き出さなければ。一番大切なことを。
「……バアルさんは、他の皆さんは……今、何処に居るんですか?」
俺は見逃さなかった。
尋ねた瞬間、僅かだけれどレタリーさんの表情が崩れたのを。驚いたように目を見開いたのを。
イヤな予感に背筋が寒くなる。胸が痛くて、重い。まるで、太い杭でも打ちつけられたかのようだ。
「一体、何が有ったんですか? 俺、どうしても思い出せないんです……自分の控室で、レタリーさんにヘアメイクをしてもらっていたところまでは、覚えているんですけど……」
レタリーさんは黙ったまま、俺を見つめている。もしや、口止めでもされているのだろうか。
透明な水の中に黒い液体をこぼしたかのように、じわりと滲んだ仄暗い不安が広がっていく。心臓が早鐘を打ち始める。
「お願いします……知っていることがあるなら、教えて下さい……バアルさんの為に……皆さんの、レタリーさんの為に、俺に出来ることがあるなら何でもしますからっ……」
それは、微かな声だった。
「……ああ、やはり貴方様は」
無自覚な呟きだったのだろう。慌てたようにレタリーさんは、薄く開いていた口を引き結んだ。平然を装うかのように、すぐさま緩やかな笑みを形作る。やっぱり、彼は何か事情を知って。
「お願いします、教えて下さい……イヤなことでも……痛いことでも……俺が出来ることなら、頑張ります……だから、どうか……」
何故、俺をこんな場所に閉じ込めているのか理由は分からない。誰が、レタリーさんに監視役のようなことをさせているのかも。
だが、俺を捕まえているってことは、何かしらの利用価値があるってことだ。だったら、それを最大限に利用するしかない。
長く、重たい沈黙の中、俺の心音だけが妙に大きく聞こえていた。
52
お気に入りに追加
521
あなたにおすすめの小説


飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?
【BL】どうやら精霊術師として召喚されたようですが5分でクビになりましたので、最高級クラスの精霊獣と駆け落ちしようと思います。
riy
BL
風呂でまったりしている時に突如異世界へ召喚された千颯(ちはや)。
召喚されたのはいいが、本物の聖女が現れたからもう必要ないと5分も経たない内にお役御免になってしまう。
しかも元の世界へも帰れず、あろう事か風呂のお湯で流されてしまった魔法陣を描ける人物を探して直せと無茶振りされる始末。
別邸へと通されたのはいいが、いかにも出そうな趣のありすぎる館であまりの待遇の悪さに愕然とする。
そんな時に一匹のホワイトタイガーが現れ?
最高級クラスの精霊獣(人型にもなれる)×精霊術師(本人は凡人だと思ってる)
※コメディよりのラブコメ。時にシリアス。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。
拾った駄犬が最高にスパダリ狼だった件
竜也りく
BL
旧題:拾った駄犬が最高にスパダリだった件
あまりにも心地いい春の日。
ちょっと足をのばして湖まで採取に出かけた薬師のラスクは、そこで深手を負った真っ黒ワンコを見つけてしまう。
治療しようと近づいたらめちゃくちゃ威嚇されたのに、ピンチの時にはしっかり助けてくれた真っ黒ワンコは、なぜか家までついてきて…。
受けの前ではついついワンコになってしまう狼獣人と、お人好しな薬師のお話です。
★不定期:1000字程度の更新。
★他サイトにも掲載しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる