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これは足掻きであり意地なのだ

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 下がっていた触覚と縮んでいた羽。それらが同時に元気になったのだ。細く長い二本はぴょこんと跳ねて弾み出し。水晶のように透き通った羽はぶわりと大きく広がっていく。

 あまりの分かりやすさに俺の表情筋はふにゃっふにゃ。緩みまくった口からはニヤけた声を漏らしてしまっていた。

「ふふっ……うん。バアルにドキドキして……箱、落としそうだったからさ。でも、仮に落としちゃっても、バアルが術でキャッチしてくれるんだろうなって」

「……左様でございましたか」

 形のいい唇に穏やかな笑みを浮かべた彼は、すっかりいつも通り。背筋を伸ばし、引き締まった長い腕をするりと俺の腰に回して抱き寄せてくる。触覚と羽は揺れたままだけど。

 よっぽどニヤけた顔をしてしまっていたんだろうか。バアルさんの白い頬がほんのり桜色に染まっていく。

 俺から目を逸らすように長い睫毛を伏せ、シャープな顎に手を当て軽く咳払い。さも、この話は終わったと言いたげに、話題を変えてきた。

「ところで、そろそろ一息入れませんか? 精を出されるのは、大変結構だと存じますが……」

 どこからともなく現れた、お揃いのティーカップと白い陶器のティーポット。テーブルに並んだそれらを手のひらで示しながら、凛々しい眉を片方下げる。

 ……提案されるのも、無理もないか。

 テーブルの上に並んだ小箱はざっと二十個。普段の三分の一ほどを、小一時間も経たずに済ませてしまっているのだ。

 集中していたから気がつかなかった。とはいえ、細かく休憩を入れている俺にしては、明らかなハイペース。心配かけちゃったな。ちょっと気合を入れ過ぎたかも。

「そうですね。いただきます」

 俺の答えに、形のいい唇から安堵の息が漏れる。紅茶の準備を始めた彼は水を得た魚のよう。洗練された所作でティーポットに入れた茶葉を蒸らし、淹れたての紅茶で花柄のカップを満たしていく。

 香り立つ花のような甘い匂いに、早くも気持ちがスキップを踏み始める。

 また、顔に出ていたらしい。擽ったそうな笑みをこぼしながら、バアルさんが俺にカップを差し出してきた。

「どうぞ」

「ありがとうございますっ」

 胸に手を当て会釈をしてから座り直し、彼も自分のカップへ手を伸ばした。長い脚を行儀よく揃え、湯気立つ紅茶を楽しんでいらっしゃる。

 そろそろ俺も。熱々の茶色がかった鮮やかな赤へ、ふぅふぅと吹きかけていた口をすぼめて一口。じんわり広がってから、鼻へと抜けていく香りに、口元がホッと緩んでいく。

「……新婚旅行ハネムーン用に、でしょうか?」

「ふぇ?」

 しまった。発した声も緩みきっていた。

 傾けていたカップをテーブルの上のソーサーへ、静かに戻したバアルさん。俺の言葉を待ってくれている彼の表情は何だか複雑そう。緩やかな笑みを描いていたラインも平坦になってしまっている。どうしたんだろう。

「は、はい……ちょっとでも資金の足しにしたくって……おわっ」

 取り敢えずと返した瞬間、長い腕の中に閉じ込められていた。

 お茶は……無事のようだ。いつの間にやら俺の手から、相方のソーサーの元へと瞬間移動している。良かった。危うく中身をバアルさんにかけてしまったのかと。

 ……じゃあ、いいか。

 いそいそと広い背中に腕を回し、スーツ越しでも弾力のある分厚い胸板に頬を寄せる。

 安心した俺は、すっかり現状を楽しんでしまっていた。それどころかリラックスしてしまっていた。何で抱き締めてもらえたのかも考えずに、伝わってくる大好きな心音に聞き入ってしまっていたんだ。

「ご心配なさらないで宜しいのに……」

 降ってきた声色はかけ離れたものだった。俺が浸っていた甘い空気とは正反対の寂しそうな音。

「へっ?」

 また間の抜けた声を。いや、そんなことよりバアルさんだ。

 俺が慌てて顔を上げたのと同じタイミングだった。腕の力が緩んで、大きな手のひらが頬に添えられる。目線を合わせるように背を屈めた彼が、そっと額を合わせてきた。

「私の口から言うのもなんですが……貴方様が永遠に、悠々自適な生活を送れるくらいの甲斐性はあるつもりです。旅行中も旅行を終えた後も、アオイが望むものは私が全てご用意致しますよ?」

 つい、ぽかんとしてしまっていた。

 だから、勘違いさせてしまったんだろう。羽を縮めた彼が慌てた様子で「ああ、勿論、貴方様のお気持ちは大変嬉しく存じておりますよ」と微笑みかけてくれる。

 いや、別の勘違いは絶賛継続中なのだけれど。

「あの、資金と言っても俺の小遣いみたいなもので……旅行の記念品とか、皆さんへのお土産代の足しにしようと思ってたんです」

 そりゃあ、宿泊費とかも折半出来たら言うことはないさ。俺とバアルさんの新婚旅行なんだし。プレゼントが好きな彼にとっては、ちょっぴり面白くないだろうけど。

 でも、今回ばかりはムリだ。圧倒的に時間が足りない。彼の懐におんぶに抱っこしてもらうより他はない。

 なんせ、バアルさんが予約しようとしてくれているのは五つ星ホテルのスイート。

 なんと、たった一泊でバイト代の数ヶ月分が余裕で吹き飛んでしまうのだ。

 値段を見せてもらっただけで頭がくらくらしてしまった。当然、二度見どころか三度見もした。俺が読み間違えてるんじゃないかって、バアルさんに尋ねたりもしたさ。でも、変わらなかった。現実は厳しい。

 だから、これは足掻きであり意地なのだ。ちょっとくらいイイところを見せたいっていう。それに俺だってプレゼントしたいしな。

「……左様でございましたか」

 誤解が解けたバアルさんは、すっかり上機嫌なご様子。俺を軽々と膝の上へと横抱きにしたかと思えば、額に、頬にと次々に口づけてくれる。柔らかい温度とお髭が、何度も肌を掠めていく。

 ちょっぴり擽ったいけれど、幸せだ。心がふわふわ舞い上がってしまいそう。

「ですが、どうか遠慮なく私を頼って下さいね。愛しい貴方様に尽くすことが、この老骨にとって何よりの幸せであり、喜び……ましてや今回は、夫として愛する妻へ贈ることが出来る初めての機会なのですから」

 ……俺だって、尽くしたいんですけど。バアルさんの奥さんとして。

 言うよりも早く口を塞がれた。持ち上げられた顎を固定され、何度も甘く食まれてしまう。頭の中までふわふわに蕩けさせられてしまう。

 軽く音を立てて離れていった、彼の整えられた指先が半開きなままの俺の口を撫でていく。輪郭をなぞるみたいに、ゆったりと。

「宜しいですね?」

「ひゃ、ひゃい……分かりました……」

「いい子ですね」

 艷やかな微笑みに見惚れている内に、また塞がれてしまった。今度はご褒美として。優しい手つきで撫でてもらいながら、たっぷり甘やかされてしまったんだ。
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