間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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どれだけ貴方に救われていたか

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「……大丈夫? バアル……ごめんね、びっくりさせちゃったよね……重かった? 痛かったの?」

 白い頬に添えていた手に、ひと回り大きな手が重なった。震えていた。噛み締めるように呟いた声も。

「いえ、誠に感慨深く存じておりまして……」

 手のひらに擦り寄ってくれながら「重くも、痛くもございませんよ」と笑みを深くした彼に、冷えかけていた気持ちがホッと緩んでいく。

 俺は言葉を待った。彼がしてくれるみたいに、とびきり優しく撫でながら。

 時間はそんなにかからなかった。穏やかな低音がおずおずと胸の内を教えてくれるのには。

「……最近のアオイは、私めに気を許してくれているように感じると申しますか……愛らしい行動もですが、敬称ではなく親しみを込めて呼んで頂けたり、口調を砕いて頂ける機会が増えていらっしゃるものですから……」

 どうやら彼にとっては「最近」らしい。

 いや、まぁ確かに呼び捨てや、素でしゃべるのが多くなったのは最近なのだけど。行動は、スキンシップは積極的にしていたつもりなんだけどな。最初に比べたら。

 頭の中の冷静な俺がツッコんでくる。最初が酷すぎたんだろうと。

 手を繋ぐのでさえ震えっぱなし。抱き締めてもらえば呼吸が上手く出来なくなって、心臓が壊れそうになる始末。初めてのキスなんて、触れただけで腰を抜かしちゃってたじゃないかと。

 自分で自分を、ぐうの音も出ないようにしてしまっていた。そのせいだ。

「ああ、決して丁寧な言葉遣いが悪いという訳ではございませんよ。そちらはそちらで、可愛らしく存じておりますので」

 気を遣わせてしまった。止めてしまっていた手を握りながら「大丈夫ですよ」と続ける彼は、慌てたご様子。少し下がった触覚を忙しなく震わせながら、心配そうに見つめている。

「……ただ、嬉しいのです。貴方様と、より親密になれている気がして……初めてお会いした時、私の姿を見て……その……驚かれていた時よりも」

 急に弱々しくなっていく言葉尻。俺から逸れた瞳に宿った寂しい光に、気がつけば彼の手を強く握っていた。

「……俺、バアルのことは、一度も怖いって思ったことないよ。カッコいい人だなって思ってはいたけれど」

「……っ」

 よっぽどだったんだろうか。だったんだろう。

 息を呑み、弾かれるように身を起こした彼に勢いよく抱き寄せられた。

 背中を抱く腕に込められた力が強い。その気になれば俺なんか、赤子の手をひねるより容易く捻じ伏せることが出来るのだろう。

 でも、彼はしない。それどころか、壊れ物にでも触るように丁重に触れてくれる。いつも自分のことよりも、俺を第一に考えてくれる。心配してくれる。だから。

 腕に込められていた力が緩んでいく。肩に感じていた重みが離れていく。

「……それは、誠でございますか?」

 尋ねる声は震えていた。見つめる瞳は揺れていた。

 さっきよりも潤んだ緑は、透き通った水面に浮かんでいるみたい。キラキラしていてスゴくキレイ。そんな場合じゃないのにさ。

「うん。そりゃあ、触覚とか羽とかには、その……びっくりは、したけどさ……」

 傷つけまいと、ウソをついたところでバレるだろう。

 だから、素直に話した。あの日、唐突に一人ぼっちになってしまった俺が、思っていたことをそのまま。

「でも、初めて抱っこしてもらえた時は安心したし、頭を撫でてもらえた時は嬉しかった。もっとして欲しいなって思ってたよ」

 少しだけ、寂しそうに細められた瞳が見開く。そうして、ついにこぼれてしまった。

 朝露のように美しい雫がぽろぽろと。目元を、頬を伝っていく。思わず伸ばした指先を濡らしていく。そっと拭っても、止まらなかった。

「アオイ……」

「だからさ、今だから言うけど……抱きつきたくなっちゃいそうだったんだ」

「はい?」

 止まらなかったのに。さっきまでは。

 なにも、今じゃなくてもいいじゃないか。時効だろうと、ついつい告白してしまった瞬間じゃなくても。

 切なく胸が締めつけられるような眼差しは何処へやら。食い入るように俺を見つめている。指を絡めた手もだ。言うまでは離さないって感じだ。

 俺は、心の中で白旗を上げた。

「あー……ほら、あの時。この部屋で、バアルが俺と一緒に暮らしてくれるって言ってくれた時だよ。俺にとって、バアルは唯一の心の拠り所だったから……スゴく嬉しくて……どわっ」

 今度は俺の番だった。飛びつかれたような勢いで押し倒されて、のしかかられる。

 俺達の重みを受けて軋んだ音が、すぐさま掻き消されていく。一際大きく跳ねてから、走り始めた心音によって。

「ずっと、想って頂けていたのですね……人の身でない私を受け入れて下さっていたのですね……」

「はい、ずっと好きですよ……怖くなんて、ないですよ」

 頬に、肩に感じて広がっていく熱。また泣かせてしまった。

『やはり、貴方様には笑顔が一番似合います』

 震える広い背を抱き締めながら、今更ながら彼の言葉が身に染みる。俺もだ。バアルさんには、笑顔が一番似合ってる。ずっと、笑っていて欲しい。

「……まさか、そのように想って頂けているとは」

 埋まっているせいで、くぐもって聞こえてきた呟き。それは、独り言に近かった。けれども、聞き流すことなんて出来なくて。

「えっと……言ってませんでしたっけ?」

 デートの時に、プロポーズしてもらった日に、と続ける。

 肩へと押しつけるみたいに、抱きついていた重みが軽くなる。瞳を濡らした彼が、甘えるように額を擦り寄せてきた。

「……初めてお会いした日には、好きになって頂けていたとしか……」

「あー……そう、だったね」

 言われてみれば。心の中で思い浮かべていただけだった。伝えては、いなかったな。

「じゃあ、今から順番に言うね」

「……はい?」

「えっと、急に泣き出した俺を、バアルは何も言わずに抱き締めてくれたでしょ。それから側に居て欲しいって我が儘言っちゃった俺に、構いませんよって……おわっ」

 重くなったのは、熱くなったのは、胸元だった。強く抱き締めてくれながら、額をぐりぐり押しつけてくる。

「えっと……続けてもいい?」

「……お願い、致します」

 許可をもらったのだから大手を振って。少し震える頭を、頼もしい背中を撫でながら伝えていく。

 俺が、どれだけ貴方に救われていたのかを。俺が、どんな風に貴方に惹かれていったのかを。
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