間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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かわりばんこくらいが、丁度いいのでは?

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 窓の外は、すっかり真っ暗。天井で煌めく青い水晶の飾りが美しいシャンデリア。それからこぼれる温かみのある明かりが室内を、俺達を優しく照らしてくれている。二人で囲む食卓も。

 テーブルの上を彩る今夜のメニュー。主役は皮目がパリッと焼かれたチキンステーキ、オニオンソースを添えて。メインを引き立たせる副菜達は、オレンジ色のドレッシングが鮮やかなサラダ。ベーコン、キャベツ、人参、じゃがいもと具がたっぷりのコンソメスープ。

 そして主食はパン。それも、焼き立てふかふかの丸パンだ。デザートは、真っ赤なソースがかかったパンナコッタと最後まで抜かりがない。

「アオイ」

 俺の名を呼ぶ穏やかな低音。その正体は、隣の席で上品にナイフとフォークを使っていたバアルさん。柔らかく微笑む彼から差し出されたのは、銀のフォーク。その先端には、一口サイズに切られたチキンが刺さっている。

 すりおろされた玉ねぎがふんだんに使われたソースを纏う断面は、しっとりとしていて美味しそう。もう分かっているのに、見ているだけで期待に喉が鳴りそうになってしまう。

「どうぞ、召し上がって下さい」

 喜びに満ちた緑の眼差しから促されるがまま、フォークを口に。甘じょっぱいソースとジューシーなもも肉、幸せな味で口の中が満たされていく。やっぱり美味しい。

「美味しいですか?」

「っ……美味しいでふ……」

 俺の答えを聞いたバアルさんは満足そう。目尻に刻まれた色っぽいシワを深くして、背中にある半透明の羽をはためかせている。

 触覚もだ。銀糸のように艶めく白い髪を、オールバックに決めた生え際辺り。そこから生えている細くて長い、金属のような光沢を帯びた二本。先がくるりと反ったそれらが、ふわふわと弾むように揺れている。

 全身で喜びを表現してくれている。かわいい。ずっと見ていたい。何度だって、彼の期待に応えてあげたい。

「けど……あげすぎですよ、俺にばっかり。バアルさんの分が、なくなっちゃうじゃないですか」

 そうなのだ。かれこれもう、三分の一くらいは俺が食べてしまっているのだ。

 断ればいいだけってのは分かっている。けれども、それが一番難題なのだ。

 なんせ、ほんのちょっぴり俺が断る空気を出しただけで「召し上がって頂けないのでしょうか?」って寂しそうに、切なそうに睫毛を伏せるのだから。

 喜びも全身で表現するのならば、当然寂しさも。大きく広がっていた羽はみるみる縮み、ぴんっと立っていた触覚も力なく下がってしまう。彫りの深いお顔もだ。渋くてカッコいい、鼻筋の通ったお顔が曇ってしまう。

 そんでもって、トドメに雨に濡れた子犬のような眼差しを向けられてしまうのだ。彼にぞっこんな俺にとって食べない以外に選択肢があろうか? あるハズがない!

 そんなこんなで、ホイホイいただきますを繰り返した結果が、小さくなったチキンステーキなのだけれど。

 静かにフォークを置いた彼が、白くたおやかな手で俺の頬を撫でてくれる。整えられた指先で、目元をなぞるように優しく触れてくれながら、瞳を細めた。

「大丈夫ですよ、お気になさらず。私は、貴方様の喜ぶお顔が拝見出来れば、それで……」

 満腹ですだの、満足ですだの、言わせてたまるか。

 ふわふわしていた気分を必死に切り替えて、フォークとナイフを持つ。

「アオイ?」

 不思議そうな視線を受けながら、自分のチキンステーキを大きめに切った。ソースを絡ませるのも忘れない。

「ほら、あーんして下さい」

 俺だと口の端をソースで汚してしまう自信があるが、バアルさんなら一口でいけるだろう。普段は上品に微笑んでいるから分かり辛いけど、意外と口が大きいから。

 俺が差し出す大ぶりな一切れを、困ったように見つめるバアルさん。凛々しい眉毛を八の字にした彼が、形のいい唇を開く気配は全くない。でも問題ない。俺には秘策があるのだ。

「あーんして、バアル」

 出来るだけ声を高く、なおかつ甘えるように囁いてみる。笑顔も忘れない。以前特訓した渾身のスマイルを一緒にお見舞いするのだ。どうだ、断れまい。

 ……丁重にお断りされたら凹むけど。

「…………」

 固まっていたのは一瞬だった。すぐさま大きな手が俺の手首を掴み、口が大きく開く。チラリと見えた鋭い歯がカッコいい。鼓動がバクバクはしゃいでしまう。あまり見る機会がないもんだから余計に。

 予想通り、彼はキレイにチキンステーキを召し上がってくれた。たっぷりのソースで髭や唇を汚すことも、白いカッターシャツにこぼすこともなく。

 目を伏せた彼の白い頬がもくもく膨らむ。尖った喉が上下に動いて、薄く開いた唇から真っ赤な舌が覗く。釘づけになってしまっていたせいだろうか。一連の所作がスローモーションみたいに見えてしまう。

「お、美味しいですか?」

 危ない。声がひっくり返りそうだった。

 ただ、お肉を食べているだけで心を鷲掴みにされてしまうなんて。意識し過ぎ、なんだろうか。プロポーズしてもらえたから。

 鮮やかな緑の瞳が俺を捉える。

 ああ、まただ。また心臓が、大きく跳ねてしまった。重症だな。ホントに。

「……はい、貴方様の手づから食べさせて頂いておりますので、より一層。身に余る幸福を感じております」

 大好きな彼に微笑みかけてもらいながら、頭を撫でてもらえて、俺が調子に乗らない訳がなかった。

「じゃ、じゃあ……もう一口どうですか?」

「いただきます」

「っ……すぐに、準備しますねっ」

 さっきよりも、チキンを大きめに切ろうとしていたところで、肩を優しく掴まれる。

 見上げれば、穏やかに微笑む彼がフォークを差し出していた。いつの間に切ったんだろうか。銀色の先端には、一口サイズのお肉が刺さっている。

「ですが、その前にこちらを。今度は私の番です」

「え、でも……俺、さっきからいっぱいもらって」

「かわりばんこくらいが、丁度いいのでは?」

 食い気味に尋ねた彼の指先が、俺の口に触れた。ふにふにと形をなぞるみたいに撫でながら、目尻のシワを深くする。

「貴方様の一口は大変小さく、愛らしいのですから」

「ひょわ……」

 白い髭が似合う口元に浮かぶ艷やかな微笑み。またしても、心をガッシリ掴まれてしまっていた俺の口元に、すかさずフォークが近づいてくる。

「さあ、アオイ……どうぞ召し上がって下さい」

「は、はぃ……」

 彼から食べさせてもらったチキンは格別だった。そうして、お味にも、かわりばんこにも夢中になってしまっている内に、お皿が空になっていた。彼の分も、俺の分も。
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