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★ 彼がお酒を飲まなかった理由

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「ですから、ご不快な思いをさせてしまうのではと……お可愛らしい貴方様から……口づけを賜れなくなってしまうのではと存じまして……」

「え」

 思わず開いた口が塞がらない。告げられた真意を頭の中で、上手く咀嚼することが出来ない。

 そのせいだ。俺は聞き返してしまっていた。鼻筋の通ったお顔どころか、引き締まった首まで真っ赤に染めた彼に向かって。

「俺と……キスする為に、ですか? お酒臭いと……俺がキスしてくれないと思ったから、飲まなかったってことですか?」

「はい……左様で、ございます……」

「っ……」

 ……かわいい。かわいいが過ぎる。確かに俺の為だったわ。そりゃあ、言い辛いわ。仕方がない。

 踊り狂っている鼓動が煩い。とんでもない顔になっていそうだ。ニヤけ過ぎて。

 取り敢えず、邪魔なグラスをテーブルへ。預けようとしたら先を越された。いまだにトマトさんなバアルさんが受け取り、置いてくれる。

「……ありがとうございます」

「……いえ」

 顔を伏せ、スラリと伸びた背を曲げる彼に、大人な余裕は微塵も感じられない。照れまくっていらっしゃる。

 ……やっぱり、ここは俺が切り出すべきだよな。

「……えっと」

 幅広の肩が、びくりと跳ねた。あからさまな反応に、発した声が震えてしまっていた。

「……じゃあ、し、しましょうか……キス……いっぱい……」

「……宜しいのでしょうか?」

 ご丁寧に伺ってはくれたものの、彼の姿勢は前のめりだ。弾かれるようにこちらを向き、俺の両手をしっかと握って離さない。

 一心に見つめてくる眼差しも、触覚も期待に揺れている。背中の羽も賑やかだ。ぱたぱたはためく度に、磨き上げられたガラスのような表面が、周囲にキラキラを振りまいている。

 さっきまでの照れ照れバアルさんは何処へ行ったのか。すっかりいつもの調子を取り戻していらっしゃる。いや、それは何よりなんだけどさ。

「……よろしいで、んっ」

 言い終わる前に奪われていた。吐息ごと。薄く開いたままの口に、すかさず濡れた熱が入ってくる。大きくて長い彼の舌が、俺の中を味わうみたいに動き出す。

「ふ、ん……んぅ……」

 スイッチが入ったみたいだった。

 舌先で、優しく上顎を撫でられただけ。それだけで背筋が甘く震えてしまう。

 頭の中が、ドロリとボヤけていってしまう。気持ちいいってことしか、気持ちよくなることしか考えられなくなってしまう。

 ……まだ始まったばかりなのに……いっぱいキスするのに……したいのに……このままじゃ……

「んっ、ん、ぁ……ばある、ひゃ……」

 下唇を軽く食んでから、バアルさんは離れていってしまった。

 すっかり身体に力が入らなくなった俺を、筋肉質な彼の腕が抱き支えてくれる。目元にかかっていた前髪を優しくはらってくれながら、形のいい唇が艷やかに微笑んだ。

「誠にアオイはお可愛らしいですね……愛らしいお顔を、もうこんなに蕩けさせて……キスだけで気持ちよくなって頂けたのでしょうか?」

 トーンの低い声が耳元で囁く。甘ったるいその響きだけで、俺はまた背筋を震わせてしまった。

 なのに、優しく触れてくれるもんだから堪らない。頬、耳、首と柔らかい唇で、何度も何度も。

 わざとらしいリップ音が鳴る度に、身体の奥がじくりと疼いて仕方がない。知らず知らずの内に俺は、彼の分厚い胸板に縋りつき、水色のシャツを握り締めてしまっていた。

「あっ……はぃ、気持ちい……です……んぁっ……ごめんなさ……んんっ……」

 大きな手が、宥めるみたいに俺の頭を撫でてくれる。少し滲んだ目尻に優しいキスを送ってくれてから、バアルさんが笑みを深くする。

「大丈夫ですよ、気持ちよくなられて……その前に、お着替えしましょうか……いっぱい濡らしてしまってもいいように」

 濡らすって……前提ってことか。俺が何度もイっちゃうのが。そんでもって、いたしてくれるつもりなのか。俺が何度もイっちゃっても。

 認めちゃうのは恥ずかしい。けれども、それ以上に魅力的だった。

「は、はい……お願い、します……」

 だって、好きな人にたっぷり可愛がってもらえるんだから。

「畏まりました……では、失礼致します」

 まず此方を、と彼の手が俺の襟元へ。リボンタイの中心で咲き誇る緑のバラに触れた。宝石よりも煌めく一輪を丁寧に外すと、自分の胸元で淡く輝くヒマワリも恭しく手に取った。

 すると、どこからともなく透明なケースが現れた。

 彼の側で浮かんでいる細長いドーム型。それの下の丸い板が外れ、俺とバアルさんの魔力の花が浮かんで吸い込まれるように収められていく。寄り添い合うように二輪が並ぶと板によって栓がされた。

 完成した、世界に一つだけのオブジェ。緑とオレンジに煌めくドームが部屋の奥へと向かっていく。多分、ベッドサイドに飾ってくれるんだろう。

 ぼんやり見送っていると頬を撫でられた。今度は、貴方様の番ですよ、と言わんばかりに。

「っ……」

 妖しい熱のこもった瞳に射抜かれて、息を呑む。

 そのたおやかな手で脱がされるのかと思ったけど、違うみたい。ふわりと身体を柔らかい風が駆け抜けていく。いつもの術だ。瞬間早着替えの。

 思っていた通りだった。デート用にバアルさんに選んでもらった空色ジャケットが、部屋着用のトレーナーへ。それから下のズボンも……ってあれ? なんか、スースーするんですけど?

 まさかと思い、視線を落とす。

 やっぱりない。丈の長いトレーナーの裾からは、バッチリ素脚が。見事に下だけスッポンポンになってしまっているじゃないか!

「えっと……バアルさん? ズボンとパンツは……」

「不要かと。すぐに脱がさせて頂きますので。邪魔でしょう? 今から愛しい貴方様を、存分に愛でさせて頂くのですから」

「う……じゃあ、何で上は?」

「必要かと。ベッドへお運びする前に素肌を晒してしまうのは、お嫌でしょう?」

「うぅ……じゃ、じゃあ早く連れて行ってくださいよ……」

 曇りなき眼で答える彼の言い分は正しい。でも、これはこれで恥ずかしいんですけど? そりゃあ、素っ裸よりはマシだけどさ。

「畏まりました」

 嬉しそうに微笑む彼は、ちゃっかりしている。ゆったりめの白いカッターシャツに、黒のズボン。いつものリラックススタイルに着替えている。なんか、ズルい。

 ご機嫌そうに触覚を弾ませ、羽をはためかせながら俺を軽々と抱き上げる。

 しなやかで長い足は、ダンスのステップを踏んでいるかのように軽やかに絨毯の上を進み、あっという間に部屋の奥へ。ドッシリと鎮座している、キングサイズよりも大きくて広いベッドへと腰掛けた。

 いつの間にか靴を脱いでいた彼が、器用に俺を抱えたまま、真っ白なシーツの上を膝立ちで進んでいく。真ん中辺りで俺を膝の上へ、向き合う形で抱き直した。
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