間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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うん、聞かなかったことにしよう

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「お疲れ様です。魔法陣を使ってもいいでしょうか?」

 一番近くに居た兵士さん。頬骨辺りに模様のように、白い鱗が生えている彼に尋ねてみる。

 一応、聞こえてはいるらしい。弾かれたように背筋を正したかと思えば、俺達に向かって敬礼をしたんだ。

「は、はいっ! 勿論ですっ奥方様!」

 撃ち抜かれてしまった。兵士さんが発した、さり気ない呼称に。

「っ……」

 前から、そう呼ばれてはいた。

 でも、それの前に俺自身は意識的に、多分皆さんは暗黙の了解で心の中でつけていたであろう「将来の」が消えるのだ。もう、まもなく。

「お、奥方様? 大丈夫ですか?」

 あふれそうな喜びを噛み締めていたところで、おかわりが。ますます舞い上がってしまい、ふらつきかけていた俺を、バアルさんがさり気なく抱き寄せてくれる。

 思わぬお方から、さらなる追撃を受けてしまった。

 見上げた先でかち合った、若葉を思わせる鮮やかな緑の瞳。宝石よりも美しいその煌めきが、さも嬉しそうに、幸せそうに微笑んでいたもんだから。

「ひゃい……大丈夫でふ……」

 兵士さんの整った顔には、心配の色が浮かんでいた。けれども俺が応え、バアルさんが微笑むと、もう一度敬礼してから下がっていった。

 他のお二人も、このやり取りの間に再起動したみたい。慌てた様子で頭を下げてきた。

 矢継ぎ早に「申し訳ございません」とか「ご無礼をお許し下さい」とか言われたが、別に俺は気にしていない。バアルさんも同じだったみたい。大丈夫ですよ、気にしないで下さい、とフォローしていた。

 俺も彼に続いた。全部代弁してくれたとはいえ、やっぱり俺からも伝えておかないとさ。

 安心してくれたみたいで、皆さん笑顔で送ってくれた。魔法陣が放つ、淡い光越しに見えた整列した彼ら。微笑む彼らの瞳もまた、潤んでいたような。

 凝らして見る間もなく、視界が白に染まっていく。眩い輝きに慣れてくる頃には、見慣れた景色と馴染みのある方々が。青い石造りの室内で、マラクさん達が出迎えてくれた。

「ただいま帰りました。マラクさん、オロスさん、カイムさん」

「ただいま戻りました。お迎え頂きありがとうございます」

「…………お帰りなさいませ!!」

 多少のラグはあったものの、皆さん通常運転。敬礼もお返しも息ぴったりだ。尻尾までビシッと立って、揃っている。ああ、いや申し訳ない。カイムさんのは尾羽根だった。

 側頭部に立派な牛の角を生やしたマラクさんが、代表して口を開く。

「では、ご案内させていただきます」

「はい、お願いします」

「宜しくお願い致します」

 先頭はマラクさん。手を繋ぐ俺達の左右を挟むようにオロスさんとカイムさん。何とも仰々しい陣形だ。城内なのに。

 まぁ、これが彼らの仕事なのだから、有り難く任せるしかないのだけれど。

 扉を出て、踏み心地の良い真っ赤な絨毯の道を皆さんと共に進んでいく。

 さっきまでの色々は、偶々だったんだろうか。マラクさんの筋肉に覆われた背中を眺めていると、不意におずおずとした声が尋ねてきた。

「……アオイ様、いかがなさいましたか?」

 オロスさんだった。心配させてしまったんだろう。馬耳が、しょんぼりと下がってしまっている。知的な雰囲気が漂うお顔もだ。沈んでもイケメン具合が一切衰えないのは流石だけれど。

「ありがとうございます。すみません、ちょっと考え事をしてて」

「そうでしたか。心ここにあらずといったご様子でしたので」

「そりゃあ、緊張もするでしょう。なんせ、ごけっ」

 ……ごけっ? 参戦してきたカイムさんの、気になる続きは聞けなかった。慌てて振り返ったマラクさんの、大きな手に塞がれたのだ。

「えっと……」

「な、なんでもございませんよ。ええ、なんでもございませんとも」

 懸命にフォローしようとするオロスさん。いまだにカイムさんの口を後ろから覆っているマラクさん。そして、ようやく何かに気づいたのか、何度も頷き始めたカイムさん。皆さん仲良く額に汗をかき、目を泳がせていらっしゃる。

 いやいやいや、絶対なんか有るヤツじゃん。ウソ下手過ぎでわ?

 とはいえ、無理矢理聞き出すのもなんだかなぁ。ここはやっぱり、聞かなかったことにすべき……かな?

「誠になんでもないのだと存じますよ。皆様が、そう仰っておりますので」

 迷っていた俺の視線に入ってくるように、カイムさん達を庇うように歩み出たバアルさん。向かい合う形になった彼が、俺の手を握りながら目配せしてくる。

 うん。聞かなかったことにしよう。

「そうですね。すみません立ち止まっちゃって。引き続き案内よろしくお願いします」

「はいっ! お任せ下さい!」

 これまた皆さん息ぴったりだった。

 バアルさんのカッコいいウィンクが決め手になり、再び歩み始めた俺達。皆さんが隠し通したい事柄は、何やらよっぽどな秘密だったらしい。あからさまにホッと笑顔のお三方が、バアルさんに感謝の眼差しを送っていたからな。

 当のご本人様は、相変わらず知らぬ存ぜぬ。桜色の唇に浮かぶ笑みは、やっぱりどこか悪戯っぽい。

 ……その内、このモヤモヤ感が晴れるんだろうか。

 ちょっぴり滲んだ寂しさを見て見ぬふりをして、くの字にくびれた腰に腕を回し、盛り上がった胸板に頬を寄せた。歩き辛いだろうか。浮かんだ心配は、すぐさま消え失せた。嬉しそうに目尻のシワを深めた彼に、抱き寄せられて。

 皆さんから、行き交うメイドさん達から向けられる、温かい眼差しに背中が擽ったくなる。けれども俺は、もう一度見て見ぬふりをした。これくらい今更だろうと開き直って、ハーブの匂いがする彼にくっついてやった。
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