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あの時は踏み出せなかった、でも今は
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俺達が入ってすぐだった。大きく口を開けていた入口が自動的に塞がった。そこには、始めから壁しかなかったみたいに。以前のレストランと同じ感じだろう。出ようとすれば、また入口が現れてくれるタイプ。
個室の全面は、大きな窓になっていた。広くてフカフカのソファーに腰掛ければ、オーシャンビューならぬ星空ビュー。
なんなら、壁を透明化出来るらしい。星空に浮いているような感覚に浸れるように。俺は、このままでも十分だから、そうしなかったけれど。
というか、そもそも楽しむどころじゃなくなったんだ。
それは、俺達だけの席に腰を落ち着かせた途端にだった。余裕綽々な彼は何処へやら、代わりに不安気な彼が帰ってきてしまったんだ。
沈黙が気まずい。胸の辺りがグッと締めつけられるせいだろう。重たくて、息苦しい。
長身を丸め、肩を狭めた彼の触覚は、すっかり下がってしまっている。羽もだ。縮んで、ちょっぴり震えていた。
強張った横顔からは、柔らかい微笑みなんてとっくの昔に消えてしまっていた。
多分、バアルさんは緊張しているんだろう。だって、だんだん俺が緊張してきたんだから。こういうのって、うつっちゃうもんだろう? 原理は、よく分からないけどさ。
何か、話題を振るべきだろうか? 一旦、他愛もない話をした方が、肩の力も抜けるかも?
いや、やっぱり待つべきだろうか? バアルさんにとって一番のタイミングっていうか、心の準備もあるだろうし。
俺が、うんうん悩んでいる間も個室を支配する重たい沈黙。それを破ったのは、彼の小さな呟きだった。
「……アオイ様、貴方様にお願いがございます」
俺が出来ることなら何でもしますよ! と普段だったら即答したいところ。っていうか、してるだろう。
でも、そうとは言えない雰囲気だった。辛い話ではないんだと思う。儀式のことを話してくれた時みたいに、胸が詰まるようなイヤな感覚はしないから。
とはいえ、覚悟を決めたような真剣な表情に、声が裏返ってしまう。
「は、はいっ……何でしょう?」
逞しい膝の上で拳を作っていた彼の手が、俺の手を掴んだ。物腰柔らかな彼にしては、余裕のない動作で。
ひと回り大きな、柔らかい熱。優しく包み込むように、けれども絶対に離さないと言わんばかりに力を込められた手は、震えていた。
「どうか、ご一緒して頂けませんか?」
そこで言葉を切った彼の、続く言葉をじっと待つ。若葉を思わせる鮮やかな緑の瞳が、水面のように揺れている。
小さく息を吐いた震える唇。絞り出すように、けれども力を込めて口にした言葉が、真っ直ぐに見つめてきた眼差しが、俺の心を震わせた。
「私と……魔宝石店へ」
……まほう、せき、てん
……魔宝石、てん
……魔宝石店
上手く飲み込めなかった言葉を、脳内で繰り返す。
魔宝石。その言葉で一番に浮かんだのは、彼との約束。本番の指輪は、魔宝石のものに致しましょうね、と。
こちらの言い伝えに従って、魔宝石に一緒に魔力を込めましょうね、と。そうすれば、永遠に一緒に居られるからと。
ちょ、ちょっと待ってくれ……今、バアルさん、魔宝石店って言ったのか?
ってことは、選びに行くってこと、なのか? ことだよな? 本番用の、石を。俺達の結婚指輪に使う石を……え? じゃあ、これって、まさか……
「あ、あの……それって……ももも、もしかして……ぷ、ぷろ」
「はい」
気の早い俺の視界は、早くも滲み始めていた。
目に、心に焼きつけておきたいのに。柔らかく微笑むバアルさんを、一生に一度しかない幸せな光景を。
「アオイ様……」
細く長い指が、俺の目尻を優しく拭ってくれる。それでもこぼれかけていたけれど、少し彼の笑顔がハッキリする。
慈しむように撫でてくれていた手が離れていく。いつものキレイなお辞儀を披露するように、胸の前に手を当てた時だった。
何処からともなく光が集まっていく。彼の瞳と同じ、鮮やかな緑の輝き。薄闇の中で煌めく光が、徐々に強くなっていく。
ひときわ大きく輝いてから、緑に輝くバラが彼の胸元で咲き誇った。
光の花弁で出来たバラ。彼の瞳のような一輪を、俺に向かって彼が差し出す。
「私と、夫婦の契りを交わして頂けませんか?」
二度目だった。スゴく昔のようで、つい最近も言ってもらえたような。
「私と……結婚して下さい……」
愛に満ちあふれた眼差しが、祈るような声が、俺に願う。俺を、心の底から求めてくれる。
あの時は、踏み出せなかった。
嬉しかったのに。戸惑って、彼の手を取る勇気が出なかった。でも今は。
「……はい……お願いします」
バラを持つ彼の手に、重ねるように触れる。光あふれる緑と同じ眼差しが、大きく見開いた。
「俺と結婚して下さい……俺を、バアルさんの奥さんにして下さい……」
瞬く瞳が細められて、口元が綻んでいく。
勢いよく抱き締められた俺の身体を優しいハーブの匂いが、落ち着く温もりが包み込んでくれる。広い背に腕を回せば、愛しい鼓動が強くなった。
やっぱり俺の居場所は、一番安心出来る場所は、ここなんだ。
個室の全面は、大きな窓になっていた。広くてフカフカのソファーに腰掛ければ、オーシャンビューならぬ星空ビュー。
なんなら、壁を透明化出来るらしい。星空に浮いているような感覚に浸れるように。俺は、このままでも十分だから、そうしなかったけれど。
というか、そもそも楽しむどころじゃなくなったんだ。
それは、俺達だけの席に腰を落ち着かせた途端にだった。余裕綽々な彼は何処へやら、代わりに不安気な彼が帰ってきてしまったんだ。
沈黙が気まずい。胸の辺りがグッと締めつけられるせいだろう。重たくて、息苦しい。
長身を丸め、肩を狭めた彼の触覚は、すっかり下がってしまっている。羽もだ。縮んで、ちょっぴり震えていた。
強張った横顔からは、柔らかい微笑みなんてとっくの昔に消えてしまっていた。
多分、バアルさんは緊張しているんだろう。だって、だんだん俺が緊張してきたんだから。こういうのって、うつっちゃうもんだろう? 原理は、よく分からないけどさ。
何か、話題を振るべきだろうか? 一旦、他愛もない話をした方が、肩の力も抜けるかも?
いや、やっぱり待つべきだろうか? バアルさんにとって一番のタイミングっていうか、心の準備もあるだろうし。
俺が、うんうん悩んでいる間も個室を支配する重たい沈黙。それを破ったのは、彼の小さな呟きだった。
「……アオイ様、貴方様にお願いがございます」
俺が出来ることなら何でもしますよ! と普段だったら即答したいところ。っていうか、してるだろう。
でも、そうとは言えない雰囲気だった。辛い話ではないんだと思う。儀式のことを話してくれた時みたいに、胸が詰まるようなイヤな感覚はしないから。
とはいえ、覚悟を決めたような真剣な表情に、声が裏返ってしまう。
「は、はいっ……何でしょう?」
逞しい膝の上で拳を作っていた彼の手が、俺の手を掴んだ。物腰柔らかな彼にしては、余裕のない動作で。
ひと回り大きな、柔らかい熱。優しく包み込むように、けれども絶対に離さないと言わんばかりに力を込められた手は、震えていた。
「どうか、ご一緒して頂けませんか?」
そこで言葉を切った彼の、続く言葉をじっと待つ。若葉を思わせる鮮やかな緑の瞳が、水面のように揺れている。
小さく息を吐いた震える唇。絞り出すように、けれども力を込めて口にした言葉が、真っ直ぐに見つめてきた眼差しが、俺の心を震わせた。
「私と……魔宝石店へ」
……まほう、せき、てん
……魔宝石、てん
……魔宝石店
上手く飲み込めなかった言葉を、脳内で繰り返す。
魔宝石。その言葉で一番に浮かんだのは、彼との約束。本番の指輪は、魔宝石のものに致しましょうね、と。
こちらの言い伝えに従って、魔宝石に一緒に魔力を込めましょうね、と。そうすれば、永遠に一緒に居られるからと。
ちょ、ちょっと待ってくれ……今、バアルさん、魔宝石店って言ったのか?
ってことは、選びに行くってこと、なのか? ことだよな? 本番用の、石を。俺達の結婚指輪に使う石を……え? じゃあ、これって、まさか……
「あ、あの……それって……ももも、もしかして……ぷ、ぷろ」
「はい」
気の早い俺の視界は、早くも滲み始めていた。
目に、心に焼きつけておきたいのに。柔らかく微笑むバアルさんを、一生に一度しかない幸せな光景を。
「アオイ様……」
細く長い指が、俺の目尻を優しく拭ってくれる。それでもこぼれかけていたけれど、少し彼の笑顔がハッキリする。
慈しむように撫でてくれていた手が離れていく。いつものキレイなお辞儀を披露するように、胸の前に手を当てた時だった。
何処からともなく光が集まっていく。彼の瞳と同じ、鮮やかな緑の輝き。薄闇の中で煌めく光が、徐々に強くなっていく。
ひときわ大きく輝いてから、緑に輝くバラが彼の胸元で咲き誇った。
光の花弁で出来たバラ。彼の瞳のような一輪を、俺に向かって彼が差し出す。
「私と、夫婦の契りを交わして頂けませんか?」
二度目だった。スゴく昔のようで、つい最近も言ってもらえたような。
「私と……結婚して下さい……」
愛に満ちあふれた眼差しが、祈るような声が、俺に願う。俺を、心の底から求めてくれる。
あの時は、踏み出せなかった。
嬉しかったのに。戸惑って、彼の手を取る勇気が出なかった。でも今は。
「……はい……お願いします」
バラを持つ彼の手に、重ねるように触れる。光あふれる緑と同じ眼差しが、大きく見開いた。
「俺と結婚して下さい……俺を、バアルさんの奥さんにして下さい……」
瞬く瞳が細められて、口元が綻んでいく。
勢いよく抱き締められた俺の身体を優しいハーブの匂いが、落ち着く温もりが包み込んでくれる。広い背に腕を回せば、愛しい鼓動が強くなった。
やっぱり俺の居場所は、一番安心出来る場所は、ここなんだ。
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