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出掛ける前の忘れもの

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 もうすでに、俺の心臓は過労寸前だ。どんどこはしゃぎ過ぎたせいで。

 それでも、心ときめく彼からの攻撃は止まないのだけれど。

 瞬きの間に着替えていたバアルさん。ぱっと見、以外だなとは思っていた。形はいつも通りシンプルで彼らしいのだけれど。色合いが珍しい。黒や紺、落ち着いた色が好きな彼にしては明るめだ。

 まじまじと見つめていたせいだろう。鮮やかな緑を縁取る白い睫毛が、僅かに震えて伏せられる。透明感のある肌が、見る見るうちに耳まで真っ赤に染まっていった。

「貴方様の装いと、近しい色のものを……選んでみたのですが……」

 言われて、自分の服装に視線を巡らせば、確かに。

 襟が大きめの上品なデザインのコートとズボンは白に近い灰色。中のカッターシャツは淡い水色。よくよく見れば、コートからチラリと見えている裏地も明るめの青系だ。

 空色ジャケットに明るい灰色のズボンの俺と並んだら、お揃い感が出そう…………ん?

 こ、これは所謂ペアルックに値するのでわ? 形は違うけど。っていうか、少なくともバアルさんは、そのつもりで選んでくれたんだし。

「やはり……年甲斐もなく浮かれ過ぎ、でしょうか?」

「全っ然! スゴく嬉しいです! 素敵です! カッコイイです! 好きっ!!」

 思わず両手を握り締めてしまっていた。おまけに捲し立てるように声を大にしていた。にも関わらず、バアルさんは嬉しそうに微笑んでくれる。

「……光栄に存じます」

 残念なお知らせだ。とうとう俺の脳みそはバカになってしまったらしい。さっきから、ただひたすらに、カッコイイと好きを連呼し続けているだけになってしまったからな。

 爽やかな装いの相乗効果だろうか。男らしい背を飾る、水晶のように透き通った羽も相まって、お伽噺の世界から飛び出てきたみたいだ。妖精の王様とか、精霊みたいな。とにかく神秘的で美しい感じの。

 え? こんなにカッコよくてキレイな人と俺、デートしてもらえるの? 幸せ過ぎでわ? いや、毎日幸せを噛み締めてますけど。

「……アオイ様? アオイ?」

「ひょわっ」

 喜びに浸り過ぎだ。完全に上の空だった。もう何度目か分からない、心配そうな眼差しで見つめられてしまっていた。

 とはいえ、流石にバアルさんも慣れたんだろうか。ツッコまないでいてくれるらしい。ちゃんと目が合うと、よしよし頭を撫でてくれてから紺色のケースを取り出した。

「此方の中から、ループタイを選んで頂けませんか?」

「は、はいっ」

 スケッチブックくらいの大きさの箱に、アクセサリーのように並ぶループタイ。ワンポイントな魔宝石を囲む装飾や、デザインはどれも異なる。異なっているんだが。

「あの……」

「いかがなさいましたか?」

「いや、その……おんなじような色の魔宝石が多いなぁって……」

 ていうか、違いが分からない。俺自身が色というか、ファッションに疎いせいもあるんだろう。

 一つ一つじっくり眺めてみても、試しに瞬きをしてみても同じ。どれもこれもオレンジ色にしか見えない。

 強いて言えば色の濃さ? 明度っていうんだっけ。知らないけれど。とにかく、見比べてみたら……ちょっぴり違うかも? って感じる程度だ。ホントに分からない。申し訳ない。

 どうしたもんか、と戸惑う俺の頬に添えられた温もり。壊れ物に触るかのように撫でてくれた彼の一言に、さらに心をかき乱されることになるとは。

「ああ、つい好みの色ばかりを……貴方様の瞳に似たお色を見つけると、欲しくて堪らなくなってしまうものですから……」

 甘さを含んだ声で囁かれ、しなやかな指から目尻を優しくなぞられて。やっとこさだった。

 俺は、なんて鈍感な男だ。今更だけど。こんなにも熱烈で、嬉し過ぎるアピールをしてもらえているのに気づけないだなんて。

「ひぇ……あ、ありがとうございます」

 喜びが口をついて出てしまっていた。

 鼓動が煩い。顔も熱い。もう、ひっちゃかめっちゃかだ。今、絶対に俺、好きな人に見せちゃいけない顔してるって。

「いえ、では改めて……貴方様の手で、選んで頂けないでしょうか?」

「はぃ……」

 改めて眺めてから、俺は丸い魔宝石が主役の物を手に取った。

 何となく、いいなって思ったんだ。周りの銀の装飾は、魔宝石を薄く縁取っているだけのシンプルなデザイン。でもどこか気品が漂っていて……バアルさんみたいだなって。

「此方でしょうか?」

「は、はい。これが一番好きっていうか……バアルさんらしいかなって……」

「ふふ、気が合いますね」

「え?」

「私も、此方を一番気に入っておりましたので」

 慣れた手つきでタイをつけて微笑む。優しい目元に刻まれた色っぽいシワを、さらに深めて。

「では、参りましょうか」

 やっぱりお伽噺の世界の住人みたいだ。

 俺に向かって手を差し出す彼の姿が眩しくて、見つめられるだけで胸がきゅって高鳴って、くらくらしてしまう。

「ひゃい……」

 そっと重ねた俺の手を優しく握り、彼が歩き出す。俺の歩幅に合わせてゆったり進めていた長い足が、扉を目前にピタリと止まった。

「……バアルさん?」

「失礼、忘れ物がございました」

 珍しいな。いついかなる時も準備万端、どんな突拍子もないアクシデントでも、想定済みだったかのように卒なく乗り越えてしまうのに。

「何ですか?」

 緑の眼差しが向いたのは部屋ではなく、俺の方だった。

 俺に関する物なんだろうか。考えを巡らせ始めていた俺の顔に影が落ちる。

「んっ」

 スラリと伸びた背を屈めたのが見えた時には、視界いっぱいに広がっていた。

 柔らかい微笑みが、銀糸のように美しい睫毛が、緑に煌めく眼差しが。

 触れるだけ。ちょっと重ねただけなのに、すぐに離れていってしまう。唇に残る仄かな温度が名残惜しい。

 俺の寂しさを知ってか知らずか、彼からの嬉しい触れ合いは、まだもう少し続くようだ。

「今の内でなければ、このような戯れ合いは中々出来ませんので……」

 少々、充電させて下さい……と今度は、額や頬に優しいキスを送ってくれる。

 ……確かに、外では出来ないな。したくても。

 思った途端、込み上げてきた。ヘタれな俺にしては珍しく、積極的なことを口にしようとしていたんだ。

「っ……あ、あの……」

「はい、いかがなさいましたか? アオイ様」

「お、俺からも、してもいいですか? 充電……」

「ええ、勿論。歓迎致します」

 攻守交代。そう言わんばかりに俺を抱き上げ、甘えるように額を寄せてくれる。

 細く長い指先が、ちょん、ちょんとご自身の頬を指し示した。誘われるまま、しっとりした頬に口づける。途端にゆるりと細められた緑はスゴく鮮やかで、美しかった。
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