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夫婦の契りを交わした暁には、魂ごと永遠に私と繋がって頂く心づもりでおりますが

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 ほのかに広がるレモンの風味で気分さっぱり。わちゃわちゃしていた気持ちも、やっとこさ落ち着いてきた。

 空になり、持て余していたグラスを、大きな手が引き取ってくれる。

「お代わりはいかがなさいますか?」

「いいえ、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「畏まりました」

 柔らかく微笑んでから胸元に手を当て、お手本みたいにキレイなお辞儀を一つ。銀の装飾が施されたテーブルへと静かにグラスが置かれた。

 座り直した彼の長い腕が、ごくごく自然に俺の背に回る。抱き寄せられ、弾力のあるお胸へぽすんと頬を寄せてしまっていた。

 いきなり止めて欲しい。いつものポジションとはいえ、ほんのさっきまで心がお祭り騒ぎだったんだからさ。

 嬉しいけれども困っている俺のことなんざ、バアルさんは知る由もない。俺の頭をよしよし撫で回しながら、小さな吐息を漏らした。

「急に倒れかけられたものですから、てっきり体調がよろしくないのかと……私めのせいではないかと胸が潰れる思いでした」

「……え? 何でバアルさんのせいになるんですか?」

 思いがけない言葉のお陰だ。冷静になれた。

 仮に体調不良だったとしても、バアルさんはこれっぽっちも悪くない。生活習慣だとか、免疫力だとか、俺自身の問題だろうに。

 優しい手の動きがピタリと止まる。穏やかな笑みが歪んだ口はどこか言い辛そうだ。しきりに開いたり閉じたりを繰り返している。先端がくるりと反った触覚が、そわそわと落ち着きなく揺れていた。

「昨晩も衝動のままに、愛らしく繊細な貴方様にご無理を強いてしまいましたので……」

 やぶ蛇だった。頬を桜色に染めている彼に続くみたいに、俺の顔も一気に熱くなっていく。

「ぜ、全っ然、バリバリ元気ですよっ! むしろバアルさんに沢山愛してもらえたお陰で幸せいっぱい、心も身体も滅茶苦茶満たされて……いると、言いますか……」

 ついでに墓穴も掘った。バアルさんは濁してくれたってのに。今度は自分の熱でクラクラしてしまいそう。

 しかし、その甲斐はあったようだ。最後の方は萎んでしまったけれど、俺が一番伝えたかったことは伝わったらしい。

「左様でございましたか……大変嬉しく存じます」

 瞳を細め、今度こそ安心したご様子のバアルさん。ああ、よかったと、胸を撫で下ろした矢先だった。

「ところでアオイ様、先程は何を仰ろうとしていたのでしょうか?」

 このタイミングで? 通常時でも準備が必要なのに、ひっちゃかめっちゃかな、この心境で?

「そ、それは……その……」

 どうやら言うしかないようだ。若葉を思わせる緑の瞳が、俺をじっと待ってくれているし。

 息を整えてから、ひと回り大きな手を握る。バアルさんは嬉しそうに笑みを深めて、握り返してくれた。

「バアルさんに……お願いが、あって……」

「ふふ、何でしょうか? 可愛い貴方様からのお願いとあらばこの老骨、どのような無理難題であろうとも叶えて差し上げますよ」

「ひぇ……」

 とびきり眩しい笑顔を添え、穏やかな低音が甘く囁く。見事に一発で鷲掴まれてしまった。騒ぎっぱなしの鼓動と一緒に、喉がきゅっとなってしまう。

 普通ならばリップサービスとしか受け取らないだろう。さすがに何でもはムリだろう、と。

 でも、相手はバアルさんだ。この国でたった一人、時間を操る術を使える実力者。さらには国を治めるヨミ様の右腕であり、多分だけど財力もある。神秘的な美貌と洗練された肉体美を持つ彼が言ってくれているのだ。

 ……マジで何でも叶えてくれそうだから困る。

 まあ、俺の場合、バアルさんが側に居てくれてさえいれば、その時点で大抵の望みは叶ってしまうのだけれど。やりたいことのほとんどが、バアルさんと一緒に、が大前提だからな。

 柔らかく微笑む唇が、俺の手の甲に優しく触れてくれる。よっぽど緊張していたんだろう。気づかぬ内に小刻みに震えていたらしい。

「さあ、どうぞ……何でも仰って下さい」

「は、はい……あの、急なお話……何ですけど……今日、お、俺と……一緒に……」

 たった三文字。肝心要なその単語を口にすることに俺は、相当な勇気を消費した。

「デート……してくれませんか? 城下町で」

 ……言えた。ずっと、繋いだ手しか見れていなかったけれど、何とか。

 一番の山場を乗り切ったからだろう。そこから先は淀みなく。さっきまでのもじもじっぷりがウソだったみたいに、スラスラ出ていく。黙ったままの彼の顔は、まだ見れなかったけれど。

「前に、約束しましたよね。今度は買い食いデートしましょうって。バアルさん体調良さそうだし、俺もデート代貯まったから……ほわっ!?」

 俺の全身を包んだ体温はスゴく馴染みがあるもので、香ったのも嗅ぎ慣れたハーブの匂いだった。

 だから、誰かなんて言うまでもなく。けれども反射的に身体を跳ねさせてしまっていた。

「……バアルさん」

 顔が見たい。でも見えない。俺の肩に顔を押しつけ、ぎゅうぎゅう抱き締めてくれているもんだから。

 ただ、何となくどんな表情をしているのかは分かる。彼の喜怒哀楽を動きで伝えてくれる触覚と羽。それらがあからさまに賑やかになっているからな。

 取り敢えず、オッケーってことでいいのかな? いいよな?

 早くも夢見心地になりかけていた矢先。俺を抱く力が、ふっと緩んだ。やっとこさ、ご対面出来た好きな人の顔は、やっぱり喜びに満ちていた。

「申し訳ございません……感動のあまり衝動に抗えず、失礼致しました。よもや、同じお誘いをして頂けるとは……」

「ふぇ……じゃ、じゃあバアルさんもデート……誘ってくれるつもりだったんですか?」

「はい。どうしても貴方様と、ご一緒したい場所がございましたので……いつお願いしようかと機会を伺っておりました」

 そっか……そうだったのか。何だかまるで……

「心が繋がってるみたい……」

「……左様でございますね。夫婦の契りを交わした暁には、魂ごと永遠に私と繋がって頂く心づもりでおりますが」

「ひょわ……」

 うっかり口に出ていた驚きが、心が震える喜びにあっさり塗り潰されていく。

 魂ごとってのは、魔宝石の言い伝えのことだろう。一緒に魔力を込めれば、永遠に一緒に居られるっていう。バアルさん達の文化では、結婚する際に必ず行うっていう儀式。

 目前のデートを飛び越えて、ついつい思い描いてしまっていたバアルさんとのハレの日。想像上のバージンロードを歩きかけていた俺の身体を、逞しい腕が抱き上げた。

「では、早速準備致しましょうか。本日はどのような服をお召しになられますか?」

 俺だけを見つめてくれる、鮮やかな緑の瞳が微笑みかける。俺達の周りに次々と現れた、色とりどりの華やかな衣装が、輪になって踊るようにふわふわ宙を舞っている。

 ちょっとマズいかもしれない。一瞬、ほんの一瞬だけど。見慣れた彼の黒い執事服が、純白のタキシードに見えてしまったんだ。
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