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ハグしてもらうと落ち着くから

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 ファンタジーの貴族さん方が暮らしていそうな優雅な一室。

 銀の装飾に彩られたテーブルにソファー、青い水晶のシャンデリアなど。名残は残しつつも部屋の大半は、銀に煌めく立派な調理台がお似合いの厨房へと姿を変えていた。

 お部屋や必要な食材等と同様、バアルさんが術で用意してくれた緑のエプロンと三角巾を身に着け、準備万端な俺の手元には、フライパン。コンロから立ち上る青い炎に熱せられている黒い鉄の上では、肉汁が弾け、美味しそうな音を立てている。

 丸く形成された二つの肉だねが、こんがり焼けていく様を、肩を並べて見守っていたバアルさんがぽつりと呟いた。

「焼き菓子と違って、つい最近でございましたよね? アオイ様が私の為に、お料理を始めて下さったのは……」

 執事服のジャケットだけを脱いだ彼も、足首まで届く黒いエプロンを、引き締まった腰に巻いている。捲くった白いシャツから覗く引き締まった二の腕に浮き上がった、筋肉のラインがカッコいい。

 ……いかんいかん、うっかり魅入ってしまっていた。今は集中、集中しないと。

「は、はい。数日前……ですね」

 タイミングを見て、フライ返しでぽんっと返す。完璧だ。丁度いい焼き目といい、このままでも美味しいに違いない。この後バッチリ、ソースも絡めていくけどさ。

 キッチンペーパーを掴んだ菜箸で、余分な油を拭き取っていく。しっかり取り除けたところで、視界の端から小皿がそっと差し出された。有り難い。

 小皿へペーパーを乗せたのと同時に、ひと回り大きな手が菜箸も預かっていってくれる。流石バアルさん。サポートが完璧だ。

 続けて蒸し焼き用に測っていた水を差し出してくれる。ホントにスゴい。

 フライパンの中に回し入れて、蓋をしてからタイマーをセット。会心の出来な予感に、心の中でスキップを踏んでいると何かが肩に触れた。伝わってくる落ち着く温もり。ピタリとカッコいい長身を寄せていたバアルさんがポツリと呟いた。

「ハンバーグ作りも手慣れていらっしゃいますよね……やはり、私の妻は天才でいらっしゃるのでは……」

 俺を見つめる緑の眼差しは、それはそれは無邪気に煌めいていた。

 天才って……嬉しいんだけれど、ちょっと……いや大分大袈裟じゃ……

「は、ハンバーグとスクランブルエッグだけですよ……それも特訓に付き合ってくれたクロウさんと、味見に付き合って下さった皆さんのお陰で」

「特訓とは?」

 食い気味に尋ねた彼の笑顔が、寂しさで曇っていく。もっと曇らせちゃうかもしれない……でも、やっぱり全部伝えるべきだよな。今のバアルさんにも。

「……バアルさんが儀式に向かわれている間、俺は信じて待つしか出来ないでしょう?」

 息を呑むような音がして、それからだ。ハンバーグの焼ける音が妙に大きく聞こえ始めたのは。

「でも、それだけじゃイヤだなって……せめて、美味しいご飯と一緒に、バアルさんにお帰りなさいって言いたいなって……だから、料理が得意なクロウさんに手伝ってもらって……」

 つい、俯いてしまっていた視線を戻す。そうして初めて気がついた。

「バアルさんっ!?」

 ……泣いていらっしゃる。声も出さずに、吐息の一つも漏らさずに。緑の瞳から静かにこぼれ、白い頬を伝う雫は朝露のようにキレイだ。

 って見惚れてる場合じゃない。どうしたら……

「……えっと……ぎゅって、します?」

 空回った脳みそが弾き出した結論はこうだ。俺は、バアルさんにハグしてもらったら落ち着くんだから、バアルさんにもワンちゃん効果があるんじゃないか? と。

 結果、拭うこともせずに、さめざめと泣き続けている彼に向かって、腕を広げてしまっていたんだ。

 きょとんと丸くし、見つめてくるだけの緑の眼差しに、ようやく冷静さを取り戻す。

「あ……すみません……俺がバアルさんに抱き締めてもらえたら落ち着くからって、バアルさんもそうとは……どわっ」

 思わず情けない声を上げてしまっていた。

 不意に全身を襲った浮遊感。続けて胸元に、タックルするような勢いで押しつけられた熱。

 視界の下にオールバックが決まっている白い頭が見えたところで、やっと状況を理解出来た。バアルさんに抱き抱えられてるんだと。

 それにしても珍しい。彼が片手で俺を、所謂……お嫁さん抱っこしてくれること自体は、日常茶飯事って言っていいくらいに常だ。けれど。

 俺の、胸元に、顔を埋めてくれるなんて!

 かわいい……かわい過ぎる。撫でてもいいのかな? いいよな? ずっとぎゅってしてくれているんだしさ。

 いつもと逆転している状況に、鼓動がドキドキはしゃいでしまう。浮かれた熱に唆されるがまま、俺は手を伸ばしていた。

 カッコいいセットを崩してしまわないように慎重に、指先で撫でていく。撫で心地の良い髪質を堪能していると、下がっていた触覚がぴょこんと弾み始めた。

 続けてキレイに畳まれていた羽も、そわそわはためき始めたんだけれど、肝心の御本人は何も仰られない。

 じゃあいいか、と続けているとますます賑やかになっていく触覚と羽に頬が緩んでしまう。気持ちも緩んだんだろう、すっかり俺は遠慮を投げ捨ててしまっていた。彼の頭を抱き抱えるように腕を回しながら、両手で撫で回してしまっていたんだ。

 完全に楽しんでしまっている俺を諌めるみたいだった。すっかりぽやぽやしていた俺の鼓膜を、けたたましい電子音が揺らす。

 しまった、ハンバーグのこと忘れてた……火を使っているのに不注意過ぎる。

 本音を言えばもうちょっとくっついていたい。とはいえ火だけは止めなければ。下ろしてもらうべく、幅広の肩をそっと叩くことで訴えた。

「すみません……一旦、火を……」

 視線の先で燃えていた青が消える。もしかしなくても、バアルさんが? 術で?

「あ、ありがとうございます」

「いえ……あと少しだけ、お時間を頂いても?」

 やっとこさ声が聞けたかと思えば、かわいいお願いをしてもらえてしまった。おまけに、そっと見上げてきた緑の眼差しは潤んでいて。鷲掴みにされない訳がなかった。バアルさんのことが好きで好きで仕方がない俺が。

「は、はぃ……」

 またぶわりと揺れてから、視界が柔らかい笑顔で満たされていく。

 賑やかな羽の音が聞こえてくる。優しく唇に触れた温もりと一緒にハーブの匂いが俺を包み込んだ。
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