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儀式の適任者

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「……え? 一時的? ってことは戻るんですか? 記憶……」

「はい。ああ、また言葉が足りていませんでしたね……今の私は、直近の100年ほど記憶が欠落しております。ですが身体が戻り次第、失われている記憶も全て戻ります。不安にさせてしまい、申し訳ございません……」

 名残惜しそうに腕を緩め、かち合った緑の瞳が申し訳無さそうに細められる。白く温かい手のひらが俺の頬を優しく撫でた。

 ……バアルさんの記憶が戻る……俺のことを、俺との日々を思い出してくれる。

 唐突にもたらされた、目の前が明るくなるような安堵。ずっと突っ張っていた糸が、ぷつんと切れるみたいに一気に心が緩んで、そのせいだ。

「じゃ、じゃあ……ホントに、ただ若返っているだけなんですか? 体調に問題とか、ない、ですよね? 魔力は……大丈夫、なんですか? もっ、もし、から元気だったりしたら、俺、俺っ……」

 口どころか、また涙腺も緩んでしまっていた。

 今まで溜め込んでいた疑問とか不安が、ボロボロこぼれ落ちていく。せっかく止まっていた大粒の涙と一緒にボロボロと。やっぱり、壊れたんだろうか。俺の涙腺。

「……大丈夫。大丈夫ですよ。記憶も、身体も、直に戻ります。勿論、今現在の私も心身共に壮健です。魔力に関しても問題ございませんよ」

 大きな手のひらが俺の背中を、頭を、頬をゆったり撫でていく。浅くなった俺の呼吸が整うまで、宥めるような優しい手つきで、何度も、何度も。

 お陰で、さっきよりはすぐに落ち着き止まった。ぐずぐずと啜っていた鼻に、そっとティッシュが添えられる。見上げれば、キレイな笑顔を向けられた。どうぞおかみ下さい、と言わんばかりの。

 ……こういう、お世話好きなところも変わらないんだな。

 ちょっと恥ずかしいけれど、せっかくのご厚意だ。極力音が出ないようにかませていただいた。それだけのことなのに「いい子ですね」と撫でてくれるところもやっぱり変わらない。

 丸めて何処かへと消したティッシュの代わりに、今度はハンカチを。手品のようにほぽんっと術で取り出し、軽く触れるように目尻や頬を拭ってくれる。

「……ありがとうございます」

「いえ」

 あらかたキレイになったんだろう。満足そうに微笑み、ハンカチをぽんっと消す。空いた両手を再び頬や頭に添え、撫で始めた彼の触覚がどこか上機嫌そうに弾んでいた。

「……あの……じゃあ……何で、若返ってるんですか? ……儀式が、原因……なんですよね?」

 まだ少し、震える喉を叱咤し尋ねる。僅かに見開いてから細められた緑の瞳には、複雑な感情が揺らめいて見えた。喜びとか、切なさとか、安堵とか……全部混ざって水面みたいにキラキラ揺れている。

 形のいい唇が「そちらはお聞きしているのですね」と小さく呟いてから続けた。

「すでに、将来の私より聞き及んでいるとは存じますが……儀式の際、祭壇へと向かう道中では穢れにより多大な魔力を消耗してしまいます」

 小さな子に語りかけているような、物語を紡いでいるようなゆったりとした声。背中を行き交う優しい手つき。俺に向けてくれている柔らかい微笑み。

 それら全てが伝えてくる。少しでも、俺の不安を取り除こうとしてくれているんだって。

 ……今はバアルさんの方が大変なのに。せめて、大丈夫だよって伝えたくて、頬に添えられたひと回り大きな手を取り握る。

 ちょっとだけ、驚いたみたいだった。でもすぐに、笑みを深めて握り返してくれる。

「……今、私は肉体の年齢を若返らせることにより、魔力の確保と回復に努めております。全盛期の私の方が、魔力の最大量も回復速度も上回っておりますので」

「確保……回復……」

 ……何だか、予備電源みたいだ。メインのバアルさんの魔力が尽きないように、若い時の自分の身体に切り替えて、量と回復力を一時的に確保している……みたいな。

 自分なりに噛み砕き、出した推論。だがその考え方で間違ってはいなかったらしい。

「……なんと、私の妻は聡明でいらっしゃる。左様でございます。そして、一定の量まで回復した際に自動的に元の年齢まで戻るようになっております」

 目を輝かせ、淡い光を帯びた羽をはためかせている御本人から、花丸を貰えたんだからさ。

「ふぇ……お、俺、声に出しちゃってました?」

「はい。耳を澄ましてようやく聞こえる可愛らしい声でしたが」

 相変わらず、定期的に俺の思考と口とは繋がってしまうようだ。まぁ今回は、お陰で疑問が解消されたし。頭をよしよし褒めてもらえたし、で良いこと尽くしだったからいいんだけど。

 ……それにしても、時間を操れるバアルさんならではの回復手段だよな。普通の方だったら、自然に回復するのをひたすら待たなきゃ…………あっ。

「あの、もしかしなくてもバアルさんが儀式の適任なのって、若返ることが出来るから……ってのもあるんですか?」

 また、俺を映す緑が揺れた。今度は少し、悲しげに。

「……ええ。時間を操れるのは、今のところ我が国において私しかおりません。かといって、他者に対して使用できる術ではございませんので」

 ……成る程。元の魔力も多い。そしていざ失われた時は、枯渇する前に若返って回復すればいい。ここまで条件が揃ってるなんて……何だか、儀式の為に存在しているレベルだ。

『……私が生涯にわたり続けている儀式であり、使命でございます』

 蘇る彼の言葉。それと同時に切なげに、それでもどこか誇らしげに微笑む姿がぶわりと浮かんでくる。

「ただ、私めもこの術を使う際は穢れが無い場所に限られますが……穢れに満ちた場所でいくら若返ったところで、直ぐ様奪われるのがオチですので……っ」

 気がつけば、彼の胸元へ飛び込んでしまっていた。

 タックルを決めるような勢いだったせいだ。受け止めてくれた逞しい上半身がびくりと揺れ、透明感のある声が咳き込むように詰まる。

「……居ますから」

「……アオイ様?」

「これからは、ずっと俺が貴方の側に居ますから……大したことは出来ないけど……それでも、ずっと、側に居ますから……」

 見上げた瞳に驚きの色が浮かぶ。正直、俺自身も何でこんなことを口にしているのか分からなかった。

 ……ただ、浮かんだ彼の姿が儚く、今にも消えてしまいそうで。だから、言わなきゃって。伝えないとって想いだけが先行していたんだと思う。

「……ああ、今、解りました……確かにこれは甘えたくなってしまいますね。貴方様ならば、と寄りかかりたくなってしまう……」

 どこか納得したように微笑んだ彼の引き締まった腕が、ゆっくりと俺の背に回る。今度は聞かれなかった。いつもみたいに、俺を優しく抱き締めてくれたんだ。
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