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最初で最後の約束

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 ……幸せだ。幸せ過ぎる。

「はいっ、どうぞ! バアルさんっ」

「頂きます」

 もう自然に、あーん出来るってのもある。でも、一番は好きな人の美味しそうな笑顔を、彼の膝の上っていう特等席で堪能出来ることだ。

「……ああ、私好みの味付けです。大変美味しいですよ」

 あと、頭をよしよし褒めてもらえるしな。今みたいに。

「アオイ様もどうぞ……」

 微笑みかけてもらいながら食べさせてもらい、心だけでなくお腹も満たされていく。ピンクや紫に煌めく水晶の花々に見守られながら、柔らかく吹き抜けていく風と一緒に食事を楽しんでいる内に、バスケットの中身は空になっていた。

 しっかりデザートも頂いたというのに、お腹の具合は腹八分にいくかいかないか。健康的では有るんだけど、もうちょっと欲しいくらいだ。結構多めに作ったんだけどな。

「バアルさん、足りました? 俺は、まだ入るなって感じだったんですけど……」

「十分満たされましたよ。ですが、アオイ様のお料理は美味しいですから……まだ頂きたいと思ってしまいますね」

 繋いだ手を握ったり、緩めたりしながらバアルさんが、どこか気恥ずかしそうに微笑んだ。風と戯れていた触覚が、どこか落ち着きなくそわそわと揺れ始める。

「じゃあ、次はもうちょっと増やしましょうか。あ、今度は何食べたいですか? 練習するんで」

「そう、ですね……では、カツレツを頂きたいですね」

 カツレツ……確か洋風なカツだったっけ。レシピにも載ってたな。揚げなくても出来るパターンも有ったハズだ。

「どのお肉がいいですか? やっぱり豚ですか? それとも牛肉か鶏肉がいいですか?」

 少しの間、悩むように泳いでいた瞳がゆるりと細められる。

「アオイ様は、どちらのお肉が好みでしょうか? 私はどちらも捨てがたいので……決めて頂けると助かります」

「じゃあ、全部作りましょう! カツレツパーティしましょう! ね?」

 全部好きなら、全部作ってしまおう。大変そうだけど、バアルさんが喜んでくれるなら、お安いもんだ。

 すっかり乗り気で、重ねた手に力を込めていた俺を見つめる煌めく緑。びっくりしたのか、ちょっぴりぱちくり瞬いたけれど、すぐにまた柔らかく微笑んだ。

「それは……大変素敵でございますね」

 ……カツレツか。早速明日のお茶会でクロウさんにコツを聞いてみようかな。

「……あれ? バアルさん、何か……キラキラしてません?」

 ふと感じた違和感を確かめるべく、じっと彼の全身を注視する。

 彼の瞳や羽が煌めいて見えるのはいつも通りだ。でも、他がおかしい。触覚やキレイなお顔どころかカッチリ纏った執事服ごと、朝の日差しみたいに白く淡く輝いている。

 幻想的だ……そして儚く見えてしまう。なんだか、このまま消えてしまいそうな……

「ああ、お時間が来たようでございますね。まさか、こんなにも早いとは……」

 お時間……? ああ、そうか!

「も、もしかして戻るんですか? 元のバアルさんに?」

「はい。貴方様のよく知る、貴方様だけの私に」

 小さく頷く彼が優しく微笑みかけてくれる。俺を安心させようとしてくれているんだろう。繋いだ手をしっかり握り、肩を抱き寄せてくれた。

 自然に戻るって言っていたけど、こんな感じなのか。びっくりしたな。てっきり消えちゃうのかと……ん?

 待てよ……今のバアルさんはどうなるんだ? 二日にも満たないけれど……俺と過ごした、ゼロの状態から俺を好きになってくれた彼は、どうなるんだ?

 もう、どうしようもないのに寂しさが込み上げてくる。嬉しいハズなのに。待ち侘びていたハズなのに。彼が、俺のよく知るバアルさんが、戻ってきてくれるのを。

「あ、アオイ様? いかがなさいましたか?」

「……っ……消えちゃうんですか?」

「……はい?」

「俺と過ごしたバアルさん……消えちゃうんですか? 若返っていた時のこと……忘れちゃうんですか? カツレツ、全部作るって……約束、したのに……」

 目の奥が一気に熱くなって、困惑する彼の姿が見る見る内に滲んでいく。

 ……何やってんだろ? 俺……どうしようもないワガママで、バアルさんを困らせて……約束なんて、もう一度すればいいのにさ。俺が覚えてるんだから何も問題ないのに。なのに。

「ごめんなさい……俺、嬉しいのに……バアルさんが元に戻ってくれるの、俺のこと思い出してくれるのスゴく嬉しいのに……イヤなんです……今、目の前にいる貴方が消えてしまうのが……」

 不意にハーブの香りが鼻を擽った。頬に感じた温もりと、伝わってくる心音。

「……バアル、さん?」

 抱き締められていた、バアルさんに。

「……誠に……貴方様は……」

 噛み締めるような呟きが聞こえて、背に回されていた大きな手がそっと俺の肩を掴んだ。

 白い手袋に覆われたしなやかな指が、俺の目尻をそっと拭ってくれる。それでもあふれ出した想いは止まらなかったのに。

「……誠に貴方様は愛らしい御方でございますね……私を魅了して止まないのですから……」

「ふぇ……」

 花が咲くように微笑む唇から、触れるだけのキスを送ってもらえた瞬間、ピタリとおさまってしまうなんて。

 ……ホントに俺は好き過ぎるんだな……バアルさんのことが。いや、事実だけどさ。

「大丈夫ですよ……元に戻っても全部覚えております。貴方様と過ごした素晴らしい日々は、一秒たりとも消えたり致しません」

 頼もしい笑顔を向けてくれた、彼の瞳は燃えていた。宣言までしてくれたんだ。

「寧ろ、消させは致しません。どんな手段を用いようとも」

 バアルさんなら、時間さえ思いのままに操ってしまう彼なら、ホントにやってのけてしまいそうだな。満面の笑みで。

「ですからご安心下さい……笑っては頂けませんか?」

「……はいっ」

 皆さんと練習した精一杯の笑顔を彼に……向けた瞬間、それまで穏やかだった光が強く瞬き、弾けた。

 しばらくして、ようやく慣れてきた視界に、見慣れているハズなのに少し懐かしい彼の姿が映る。

「……バアルさん」

 優しい目元を彩るカッコいいシワ。清潔感のある渋いお髭が、穏やかな笑みを浮かべる口元にたくわえられている。

「アオイ様……カツレツパーティは、いつに致しましょうか?」

 さっき交わした些細な約束。若返った彼との最初で最後の約束を、穏やかな声が紡いでくれた。
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