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優しい訪問者達

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 トレーナーの袖で目元を擦り、頬を拭う。随分前から色が変わってしまっているけれど、まだまだ吸水率は衰えていなかったようだ。いい生地だ。

「あーっ……何かスゴく喉、乾いたな」

 何だか目が覚めたみたいだ。急に身体が生理的な欲求を訴えてくる。ふと、テーブルの上に目がいった。

 レモンがたっぷり浮かんだ水のピッチャー。盾のようなロゴが蓋の真ん中に描かれた、高級なチョコレートが収められた箱。そして、大皿に山盛り盛られた厚切りベーコンたっぷりのナポリタン。それからシンプルな見た目のカップケーキ。全部、皆さんが用意してくれたものだ。

 お水は、親衛隊のシアンさんとサロメさん、扉の前で控えてくれている二人が。チョコはサタン様、ナポリタンはレダさんが。カップケーキは多分……ヨミ様だろう。

 ……そういえば、お見送りにはいらっしゃらなかったな。

 今さら気づく。バアルさんとヨミ様、何気ない二人のやり取りからは、いつも確かな信頼と俺にはない強い繋がりが見て取れた。正直、羨ましいくらいに。

 だから、多分、今回も信じて疑わないんだろう。バアルさんの無事を、必ず彼が帰ってくるということを。

 ……やっぱり、羨ましいな。

 羽ばたきかけていた俺の思考を、甘酸っぱい香りが呼び戻す。さっきまで感じていなかったハズのバターとトマトの香り。美味しそうな匂いにそそられたからだろう。お腹の虫まで騒ぎ始める。

 無いもの強請りな考えを、頭を軽く振って打ち消す。腹が減っては何とやらだが……取り敢えずはとレモンがたっぷり浮かんだ水のピッチャーに手を伸ばした。

「よーし、いっぱい飲むし、食べるぞ! コルテも付き合ってくれる? 一緒の方が美味しいしさ」

 バアルさんとお揃いのグラスに注いでいると、嬉しそうにくるくる飛んでいたコルテが、じゃじゃんとおちょこサイズのグラスを掲げた。

「ふふっ、ありがとう」

 小さな彼がすっぽり入って水浴び出来そうなグラスに注げば、小さなボディがぴかぴか瞬く。続けて醤油皿くらいの小皿。それから、これで切ってってことだろう、普通サイズのナイフを小さな彼が差し出してきた。

 早速、ナポリタンの麺や具材を小さく切って盛り、チョコとカップケーキも出来るだけ小さく、食べやすいサイズに。これでコルテの方も準備万端だ。待ちきれないのか、小皿の前でお目々を輝かせ、そわそわと身体を揺らしている。

「じゃあ、いただきます!」

 手を合わせた俺に続き、コルテが小さなナイフとフォークを掲げる。結構なボリュームだったのに、あっという間に平らげ、飲み干してしまっていた。

 ……何というか、生き返ったなって感じだ。こっちではまだ死んでないけど。

 ごちそうさまをして、食べ終わったお皿は取り敢えずワゴンへと戻しておいた。心なしか丸くなったコルテを手のひらの上に招き、ぼんやりとシャンデリアの明かりを見上げる。その時だ。

「……っ…………! ……」

 扉の前で何やら誰かが何かを叫んでいる。内容は一切聞き取れないが、聞き覚えのある声だった。

「何か、揉めてる? よね?」

 コルテに尋ねれば「見てこようか?」と書かれたスケッチブックを提示してくる。

「いや、俺が行くよ。ついてきてくれる?」

 肯定を示すように瞬いたコルテが、手のひらからぴょんっと飛び立つ。ぴるぴると煌めく羽をはためかせ、俺の肩の上にちょこんと舞い降りた。

「ありがとう」

 メタリックな光沢を帯びたボディがまた輝く。やっぱり、貴賓室だからだろうか? 俺が思っていたよりも頑丈というか、ドア自体が分厚いらしい。ふかふかの絨毯を踏みしめながら近づいても、声が聞き取れない。やっぱり開けるしかないようだ。

「あの……どうかし、あっ」

 おそるおそる開いた先には見知った顔が二人、シアンさんとサロメさんに宥められていた。内の一人と少し濡れた紫の瞳とかち合った瞬間、阻むように広げていた彼らの腕を掻い潜り、抱えた緑の花束ごと俺に向かって突っ込んできた。

「アオイ様っ!」

「おわっ……と」

 咄嗟に腕を広げて受け止める。グリムさんが小柄なお陰で助かったな。これがクロウさんくらい長身な方なら、今頃一緒に室内へと倒れ込んでいるところだ。

 背中に回された細い腕が、もう離さないと言わんばかりにぎゅうぎゅう抱き締めてくる。顔を押しつけられている胸元で嗚咽に近い声が、何度も俺を呼んでいる。よっぽど心配をかけてしまったんだろうか。

「えっと……こんにちは、グリムさん。お花、ありがとうございます」

 それどころではなさそうだけど、挨拶とお礼を欠かしてはいけないだろう。

 出来るだけ優しく声をかけ、灰色のフード越しに小さな頭を撫でる。返答ってことでいいんだよな? 撫でていた頭が左右にふるふると揺れた。

 視線を上げれば、金、青、黄、三色の眼差しがこちらへと集中していた。腕を組み、どこか安心したように微笑んでいるクロウさん。白銀の耳と尻尾をおろおろ揺らし、整った騎士様フェイスをしょんぼり歪めたシアンさん。黒い鱗に覆われた尻尾を揺らし、困ったように白く鋭い牙を見せているサロメさん。三人の。

「クロウさんも、こんにちは」

「……ええ、こんにちは。すみませんね、ウチのグリムがお騒がせしちゃって……思ったより、お元気そうで安心しましたよ」

 やっぱり心配をかけていたらしい。鋭い瞳をゆるりと細め、クロウさんが柔らかく笑う。ふと感じた視線の先に目を向けたのと同時だった。

「す、すみません、俺達……」

「アオイ様が酷くお疲れのご様子でしたので、俺達の判断で面会をお断りしていました。申し訳ございません」

 震える声で謝罪をするシアンさんに続けて、経緯をサロメさんが補足してくれる。それが言い終わると同時に二人が勢いよく頭を下げた。

「ああ、いえ、大丈夫ですから、頭を上げてください。それより、ありがとうございます。俺の為に色々と気を使ってもらっちゃって……」

 顔を上げてくれたお二人は、今度は口を揃え「当然のことをしたまでですから」と微笑む。

「ところでアオイ様、良かったらこれ、使ってください」

 いつの間にか、側まで来ていたクロウさん。彼が懐から何かを取り出す。

「へ? ありがとう、ございます?」

 そっと手を取られ、ぽんっと乗せられたのはポケットティッシュだった。新品なティッシュと微笑むクロウさんとを交互に見つめていると、ちょんちょんとクロウさんが自分の口元を指し示す。口に何か付いてるってことか?

「あっ」

 点と点とが繋がった。慌てて封を開けさせてもらい、拭えば案の定、白い紙に鮮やかなオレンジが。ナポリタンソースによる汚れが付いてしまっている。

「あ、ありがとうございます……いつもはバアルさんが教えてくれたり、拭いてくれるから…………あっ」

 自分で自分に追い打ちをかけてしまっていた。

 視線を上げれば、微笑ましそうにこちらを見つめる眼差し達に迎えられる。お陰でますます顔が熱くなってしまった。口元にソースがべったりだったっていう事実だけで、十分湯気が出ていそうだったのにさ。

「ふふっ……やっぱりアオイ様は、バアル様のことが大好きですね」

 いや、訂正しよう。もう出てるよ絶対。いつの間にか顔を上げていたグリムさんに、嬉しそうにそう呟かれた瞬間、一気にボッと熱が加速したんだからな。

 いや、まぁ、その通りですし。グリムさんに笑顔が戻って何よりなんだけどさ。
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