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小さな君を通して
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彼を見送ってから、俺は一人、部屋へと戻った。サタン様からは中庭でお茶をと、レダさんからは兵舎や修練場での見学をと、声をかけていただけたが断った。
皆さん優しい。お二人は気が向いたらいつでも、と微笑みかけてくれて、連絡用の魔宝石を渡してくれて。親衛隊の皆さんは、何か有ればすぐに申しつけ下さい、と今も部屋のすぐ外で控えてくれている。
でも、今は気持ちどころか身体も動かない。動きたいとは思えなかった。
……チリン、チリンと鈴が鳴る。俺の手元にも、この部屋にもそんなもの無いハズなのに、呼びかけるみたいにチリン、チリンと。
正直、顔を向けるのも億劫だった。けれども、必死そうなその呼びかけに根負けした。重たい頭を上げた先で煌めく緑が、彼の瞳とよく似た緑の粒が視界に映る。
「……コルテ」
バアルさんの従者である、小さなハエのコルテ。音の正体は彼だったらしい。
……珍しいな。バアルさんか、お友達のヨミ様が呼びかけなければ現れないハズなのに。
メタリックな緑のボディを輝かせ、ガラス細工のような羽をぴるぴるはためかせ、俺の目の前で飛んでいる。くりくりとしたその瞳が、俺を心配そうに見つめていた。
「ごめんね、コルテ……俺のこと呼んでくれていたの、聞こえていたのに……ずっと知らんぷりしちゃって……何だか……俺、今、スゴく疲れちゃっててさ……」
自分でも驚くくらいに弱々しく擦り切れた声。それに続いて、乾いた笑いが口から漏れていた。俺の謝罪にピカッと一瞬、驚いたように緑の光が瞬く。
針よりも細い手足をわたわた動かし、小さな身体をぷるぷる揺らす。よっぽど慌てているのかもしれない。いつもだったらじゃじゃんと出す、俺との意思疎通用のスケッチブックすら忘れてしまっているんだから。
でも、何て言ってくれているのかは、何となく分かった。多分、大丈夫だよって言ってくれているんだろう。まだまだ初歩の初歩な魔術しか使えない俺には、術で彼の言葉を翻訳することは出来ないけれど。小さな彼は優しいから、ご主人様である彼と一緒で。
小さな彼越しに見えた、柔らかい微笑み。優しい風が吹き抜けたみたいに、塞がっていた胸が緩んで温かくなっていく。
「……信じているんだ。バアルさんのこと」
思わず、ぽろりとこぼしていた。
「でもさ、やっぱり不安なんだ……声が聞こえないから、姿が見えないから、不安なんだ……」
一度こぼせば、後から後からこぼれていく。止まらなくなってしまう。
「彼を、バアルさんのことを感じ取れないから、怖いんだ……」
熱くなった目元からこぼれ落ちるしずくが邪魔をしても、喉が震えて詰まっても、呼吸の仕方を忘れかけても止まらない。
「怖いよ……俺、イヤだよ……バアルさんを、大好きな人を、失いたくない……」
淡く緑に輝くコルテが、俺の手元へぴるぴる下りてくる。小さな彼なりに、寄り添ってくれようとしているんだろうか。そっと指を差し出せば、ちょこんと指先に乗ってくれる。
何でだろう……温かい……
こんなにも小さい彼から伝わってくる温もりが、何だかスゴく懐かしくて、ホッとして。ようやく仕方を思い出せた。取り込めた空気の新鮮さに、少しだけ頭がクリアになっていく。
「……俺が、もっと……強かったら、一緒に行けたのかな? 魂に残ってるっていう生命力を、魔力と同じくらい強いっていう力を、もし、上手く使いこなせていたなら……彼と一緒に……」
次から次へと浮かんできてしまう。有りもしない、今さら言っても仕方がない、もしもが。
「……いや……バアルさんを、危険な儀式に向かわせなくても済んだのかな? 俺一人でも、どうにかすることが、出来たのかな?」
静かに聞いてくれていた、小さな彼がぴかぴか瞬く。んばっと上げた手足には緑のポンポンがあった。いつも俺達を応援してくれる際、必ず手にしているポンポンだ。
が、すぐにぽぽんっと消え、代わりに小さな彼専用のヴァイオリンが現れる。コルテの奏でる曲は好きだ。その演奏に合わせて、時間を忘れてバアルさんと踊るのはもっと。
けれどもそれもすぐに消えた。羽をしょぼしょぼ縮める、小さな彼自身の手によって。
励ましてくれようとしているんだろう。あれでもない、これでもないと言いたげに、クラッカーを取り出したり、砂粒のように小さな投影石を取り出したりしている。
全部、バアルさんとの思い出が、皆さんとの思い出が蘇る品。釣られてその時の気持ちまで蘇ったんだろうか。気がつけば、普通に笑えていた。
「ふふっ……ごめんね、困らせちゃったよね……でも、ちょっとスッキリしたかも……ありがとう、コルテ」
ガラス細工のような羽をはためかせ、再びコルテが眩く輝く。不思議だな。その鮮やかな緑を見ているだけで、鉛みたいに重たかったハズの身体が軽くなっていく。
「似てるからかな、コルテの光……バアルさんの瞳に。だから、何だかスゴく安心する……」
不意にコルテがスケッチブックを掲げる。
勢いよく掲げられたそこには大きく「ご主人様は強い」そう、力強い文字で書かれていて。俺が何かを言う前に、文字を通して伝えてくれた小さな彼が、真っ直ぐに俺を見つめた。
「だから、信じて」
熱くなった目から、また勝手にぼろぼろこぼれていく。
「そう……だね。バアルさんは強いもんね。だから……絶対に、大丈夫だよね……」
でも、もう悲しくはなかった。暗い、後ろ向きな俺とはもう、お別れすることが出来たんだから。
皆さん優しい。お二人は気が向いたらいつでも、と微笑みかけてくれて、連絡用の魔宝石を渡してくれて。親衛隊の皆さんは、何か有ればすぐに申しつけ下さい、と今も部屋のすぐ外で控えてくれている。
でも、今は気持ちどころか身体も動かない。動きたいとは思えなかった。
……チリン、チリンと鈴が鳴る。俺の手元にも、この部屋にもそんなもの無いハズなのに、呼びかけるみたいにチリン、チリンと。
正直、顔を向けるのも億劫だった。けれども、必死そうなその呼びかけに根負けした。重たい頭を上げた先で煌めく緑が、彼の瞳とよく似た緑の粒が視界に映る。
「……コルテ」
バアルさんの従者である、小さなハエのコルテ。音の正体は彼だったらしい。
……珍しいな。バアルさんか、お友達のヨミ様が呼びかけなければ現れないハズなのに。
メタリックな緑のボディを輝かせ、ガラス細工のような羽をぴるぴるはためかせ、俺の目の前で飛んでいる。くりくりとしたその瞳が、俺を心配そうに見つめていた。
「ごめんね、コルテ……俺のこと呼んでくれていたの、聞こえていたのに……ずっと知らんぷりしちゃって……何だか……俺、今、スゴく疲れちゃっててさ……」
自分でも驚くくらいに弱々しく擦り切れた声。それに続いて、乾いた笑いが口から漏れていた。俺の謝罪にピカッと一瞬、驚いたように緑の光が瞬く。
針よりも細い手足をわたわた動かし、小さな身体をぷるぷる揺らす。よっぽど慌てているのかもしれない。いつもだったらじゃじゃんと出す、俺との意思疎通用のスケッチブックすら忘れてしまっているんだから。
でも、何て言ってくれているのかは、何となく分かった。多分、大丈夫だよって言ってくれているんだろう。まだまだ初歩の初歩な魔術しか使えない俺には、術で彼の言葉を翻訳することは出来ないけれど。小さな彼は優しいから、ご主人様である彼と一緒で。
小さな彼越しに見えた、柔らかい微笑み。優しい風が吹き抜けたみたいに、塞がっていた胸が緩んで温かくなっていく。
「……信じているんだ。バアルさんのこと」
思わず、ぽろりとこぼしていた。
「でもさ、やっぱり不安なんだ……声が聞こえないから、姿が見えないから、不安なんだ……」
一度こぼせば、後から後からこぼれていく。止まらなくなってしまう。
「彼を、バアルさんのことを感じ取れないから、怖いんだ……」
熱くなった目元からこぼれ落ちるしずくが邪魔をしても、喉が震えて詰まっても、呼吸の仕方を忘れかけても止まらない。
「怖いよ……俺、イヤだよ……バアルさんを、大好きな人を、失いたくない……」
淡く緑に輝くコルテが、俺の手元へぴるぴる下りてくる。小さな彼なりに、寄り添ってくれようとしているんだろうか。そっと指を差し出せば、ちょこんと指先に乗ってくれる。
何でだろう……温かい……
こんなにも小さい彼から伝わってくる温もりが、何だかスゴく懐かしくて、ホッとして。ようやく仕方を思い出せた。取り込めた空気の新鮮さに、少しだけ頭がクリアになっていく。
「……俺が、もっと……強かったら、一緒に行けたのかな? 魂に残ってるっていう生命力を、魔力と同じくらい強いっていう力を、もし、上手く使いこなせていたなら……彼と一緒に……」
次から次へと浮かんできてしまう。有りもしない、今さら言っても仕方がない、もしもが。
「……いや……バアルさんを、危険な儀式に向かわせなくても済んだのかな? 俺一人でも、どうにかすることが、出来たのかな?」
静かに聞いてくれていた、小さな彼がぴかぴか瞬く。んばっと上げた手足には緑のポンポンがあった。いつも俺達を応援してくれる際、必ず手にしているポンポンだ。
が、すぐにぽぽんっと消え、代わりに小さな彼専用のヴァイオリンが現れる。コルテの奏でる曲は好きだ。その演奏に合わせて、時間を忘れてバアルさんと踊るのはもっと。
けれどもそれもすぐに消えた。羽をしょぼしょぼ縮める、小さな彼自身の手によって。
励ましてくれようとしているんだろう。あれでもない、これでもないと言いたげに、クラッカーを取り出したり、砂粒のように小さな投影石を取り出したりしている。
全部、バアルさんとの思い出が、皆さんとの思い出が蘇る品。釣られてその時の気持ちまで蘇ったんだろうか。気がつけば、普通に笑えていた。
「ふふっ……ごめんね、困らせちゃったよね……でも、ちょっとスッキリしたかも……ありがとう、コルテ」
ガラス細工のような羽をはためかせ、再びコルテが眩く輝く。不思議だな。その鮮やかな緑を見ているだけで、鉛みたいに重たかったハズの身体が軽くなっていく。
「似てるからかな、コルテの光……バアルさんの瞳に。だから、何だかスゴく安心する……」
不意にコルテがスケッチブックを掲げる。
勢いよく掲げられたそこには大きく「ご主人様は強い」そう、力強い文字で書かれていて。俺が何かを言う前に、文字を通して伝えてくれた小さな彼が、真っ直ぐに俺を見つめた。
「だから、信じて」
熱くなった目から、また勝手にぼろぼろこぼれていく。
「そう……だね。バアルさんは強いもんね。だから……絶対に、大丈夫だよね……」
でも、もう悲しくはなかった。暗い、後ろ向きな俺とはもう、お別れすることが出来たんだから。
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