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真っ青に溶けていく
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お城の本棟にある大広間を抜け、大きく高い丈夫そうな扉をくぐった先。そこは……懐かしいけれど、あまりいい思い出のない場所。俺がバアルさんに連れられて降り立った、跳ね橋のような場所だった。
ようなというのは、実際に橋としての役割を半分しか果たせていないからだ。城門から伸びる橋、青い石造りの巨大な道には先がない。途中で切れてしまっている。例えるならプールの飛び込み台みたいな感じで。
実際、そういう意図で作られているんだろう。下へと飛び込む為ではなく、上へと飛び立つ為に。羽が生えている方専用なのか、そもそも術で飛べるのかは分からないけどさ。
いつもと変わらない空。視界に広がる目の覚めるような青が何でだろう。今日は、ちょっとだけ憎たらしい。
「アオイ様」
不意に、穏やかな低音が俺を呼ぶ。彼も、いつも通りだ。カッチリと着こなす黒の執事服、オールバックに決めた白い髪はキレイだし、整えられた髭もカッコいい。
「……バアルさん」
部屋から出て、ここに来るまでずっと繋いでもらえていた手。白手袋を纏う手がそっと離れていく。
「……行って参ります」
そう告げて、抱き締めてくれた彼の表情も変わらなかった。俺の好きな、安心する柔らかい微笑み。そこには微塵も無かった。悲しみも、怯えも、不安も何も。
彼を信じて待つ。そう覚悟を決めたハズなのに、我が儘で臆病な俺が顔を出す。そのせいだ。気の利いた言葉どころか、いってらっしゃいすら出てきやしない。
ただ、口を開いては閉じ、また開いては閉じを繰り返す。その間に、俺を包み込んでくれていた温もりが、優しいハーブの香りが遠ざかってしまっていた。
肩を抱かれ、連れて行かれる。黙って俺達を見守っていたサタン様とレダさん。そして、その後ろで控える親衛隊の皆さんの元へと。
「……アオイ様を宜しくお願い致します」
胸に手を当てお辞儀を披露する彼に、サタン様が頷き、レダさん達が敬礼で応える。
「うむ……安心するがよい。お主が留守の間、アオイ殿はわしらがしっかり守り抜くからの」
「どうか、お気をつけて……」
「……感謝致します」
俺の肩から温もりが離れていってしまう。代わりに馴染みのない大きな手が、支えてくれるようにそっと背中に添えられる。
最後に頬をひと撫でしてくれて、柔らかな緑の眼差しが遠くを向いた。靴音が遠ざかっていくにつれ心音が速く響く。頭の芯まで大きく喚く。警報みたいな、嫌な音で。
「っ……バアルさんッ」
気がつけば足が動いていた。去りゆく広い背中に向かって駆け出してしまっていた。勢いのまま抱きつこうとしていた俺を、振り向いた彼の腕が優しく抱き止めてくれる。
「……アオイ様」
見下ろす瞳に薄っすらと宿る不安の色。俺にも浮かんでいるであろう色を、少しでも打ち消したくて。背伸びして、彼の襟元を引っ掴んで、押しつけた。寂しそうに歪んだ唇に、自分の口を。
「……あ、アオイ?」
ちょっと離れた俺達の間で、戸惑いの滲んだ吐息が漏れる。白い頬をほんのり染めた彼の羽が、どこか落ち着きなくはためいていた。
「……いってらっしゃいのキス、です」
ようやく声が出た。スマートさの欠片もない、不器用過ぎる触れ合いの後に、ようやく。
「……帰ってきたら、バアルさんからしてください……俺に、ただいまって……してください……」
気を抜けば、すぐに滲んでしまう自分の視界に喝を入れ、無理矢理笑う。どう足掻いたってバアルさんが行ってしまうのは変えられない。だったらせめて、笑顔で送りたかった。
「……畏まりました」
若葉を思わせる鮮やかな緑が、幸せそうに細められる。また少し、視界がぼやけた。
「……約束、ですからね?」
「ええ、約束です」
もう一度、お互いの存在を確認し合うみたいに抱き締め合う。差し出した小指に絡んだ長い指。願いを込めて切った後、彼は一度も振り返ることはなかった。
大きく広がりはためいた水晶のように透き通った羽。陽の光の元で淡い光を帯びていた煌めきは、瞬く間に青に溶けて、見えなくなった。
ようなというのは、実際に橋としての役割を半分しか果たせていないからだ。城門から伸びる橋、青い石造りの巨大な道には先がない。途中で切れてしまっている。例えるならプールの飛び込み台みたいな感じで。
実際、そういう意図で作られているんだろう。下へと飛び込む為ではなく、上へと飛び立つ為に。羽が生えている方専用なのか、そもそも術で飛べるのかは分からないけどさ。
いつもと変わらない空。視界に広がる目の覚めるような青が何でだろう。今日は、ちょっとだけ憎たらしい。
「アオイ様」
不意に、穏やかな低音が俺を呼ぶ。彼も、いつも通りだ。カッチリと着こなす黒の執事服、オールバックに決めた白い髪はキレイだし、整えられた髭もカッコいい。
「……バアルさん」
部屋から出て、ここに来るまでずっと繋いでもらえていた手。白手袋を纏う手がそっと離れていく。
「……行って参ります」
そう告げて、抱き締めてくれた彼の表情も変わらなかった。俺の好きな、安心する柔らかい微笑み。そこには微塵も無かった。悲しみも、怯えも、不安も何も。
彼を信じて待つ。そう覚悟を決めたハズなのに、我が儘で臆病な俺が顔を出す。そのせいだ。気の利いた言葉どころか、いってらっしゃいすら出てきやしない。
ただ、口を開いては閉じ、また開いては閉じを繰り返す。その間に、俺を包み込んでくれていた温もりが、優しいハーブの香りが遠ざかってしまっていた。
肩を抱かれ、連れて行かれる。黙って俺達を見守っていたサタン様とレダさん。そして、その後ろで控える親衛隊の皆さんの元へと。
「……アオイ様を宜しくお願い致します」
胸に手を当てお辞儀を披露する彼に、サタン様が頷き、レダさん達が敬礼で応える。
「うむ……安心するがよい。お主が留守の間、アオイ殿はわしらがしっかり守り抜くからの」
「どうか、お気をつけて……」
「……感謝致します」
俺の肩から温もりが離れていってしまう。代わりに馴染みのない大きな手が、支えてくれるようにそっと背中に添えられる。
最後に頬をひと撫でしてくれて、柔らかな緑の眼差しが遠くを向いた。靴音が遠ざかっていくにつれ心音が速く響く。頭の芯まで大きく喚く。警報みたいな、嫌な音で。
「っ……バアルさんッ」
気がつけば足が動いていた。去りゆく広い背中に向かって駆け出してしまっていた。勢いのまま抱きつこうとしていた俺を、振り向いた彼の腕が優しく抱き止めてくれる。
「……アオイ様」
見下ろす瞳に薄っすらと宿る不安の色。俺にも浮かんでいるであろう色を、少しでも打ち消したくて。背伸びして、彼の襟元を引っ掴んで、押しつけた。寂しそうに歪んだ唇に、自分の口を。
「……あ、アオイ?」
ちょっと離れた俺達の間で、戸惑いの滲んだ吐息が漏れる。白い頬をほんのり染めた彼の羽が、どこか落ち着きなくはためいていた。
「……いってらっしゃいのキス、です」
ようやく声が出た。スマートさの欠片もない、不器用過ぎる触れ合いの後に、ようやく。
「……帰ってきたら、バアルさんからしてください……俺に、ただいまって……してください……」
気を抜けば、すぐに滲んでしまう自分の視界に喝を入れ、無理矢理笑う。どう足掻いたってバアルさんが行ってしまうのは変えられない。だったらせめて、笑顔で送りたかった。
「……畏まりました」
若葉を思わせる鮮やかな緑が、幸せそうに細められる。また少し、視界がぼやけた。
「……約束、ですからね?」
「ええ、約束です」
もう一度、お互いの存在を確認し合うみたいに抱き締め合う。差し出した小指に絡んだ長い指。願いを込めて切った後、彼は一度も振り返ることはなかった。
大きく広がりはためいた水晶のように透き通った羽。陽の光の元で淡い光を帯びていた煌めきは、瞬く間に青に溶けて、見えなくなった。
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