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せめて、俺の前でくらいは
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ある程度吐き出せば、落ち着くもんだ。いまだに視界はボヤけたままだし、鼻はツンと痛むけれど。
ふと顔を離せば視界に映る。握り締めて、泣きついて、ぐっちゃぐちゃに滲んだ彼のシャツ。またしても、やらかしてしまっていた。
とはいえ今回も申し訳無さを感じる前に、しなやかな指がなぞるだけで、シワ一つなくなっていったんたけどさ。
「……いらぬご心労をかけぬ為にも、貴方様にはご内密で向かおうかとも考えました」
お礼を言おうとして、先を越されてしまった。さらにはもう一回、指先でちょんと唇をつつかれ防がれる。
「ですが、それは大変不誠実だと存じました。貴方様は……私が生涯をかけて愛し、幸せにすると誓った御方。その御方に私の使命を隠し通すなどと……」
「バアルさん……」
言葉を切って視線を落とす。気がつけば、白い頬に手を伸ばしていた。
……冷たいな。
手のひらに感じた温度差に、胸の辺りが切なく痛んだ。少しでも温めたくて、もう一方の手も添え、ゆったりと撫でてみる。少しずつだけど温かくなってきた。
「ありがとうございます……嬉しかったですよ。ちゃんと、全部話してもらえて……」
黙って見守っていた瞳が擽ったそうに細められ、透き通った羽が小さくはためく。腰にするりと腕が回されたかと思えば、軽々と抱き抱えられてしまっていた。
逞しい膝の上で横抱きにされた俺の視界が、徐々に近づく柔らかい笑顔でいっぱいになっていく。ちょこんと額を合わせ、甘えてくれているみたいにスッと通った鼻先を擦り寄せてきた。
「……私もまだまだ未熟でございますね。もっと上手くお伝えする心積もりでしたのに、いざ貴方様を前にすると……冷静ではいられませんでした。貴方様のお顔が悲しみで沈む度に、心が潰れてしまいそうでした」
自嘲するように薄く笑っていた声が、徐々に小さく震えていく。
「……怖くて、仕方がありませんでした……貴方様のお側に居られなくなるやもしれない……もう、貴方様の笑顔が見られなくなるやもしれない……斯様な考えばかりが浮かんでしまい……怖くて仕方がないのです……」
目の前で瞬く鮮やかな緑は、薄い涙の膜に包まれていた。なのに、俺は安心してしまっていた。バアルさんも俺と同じなんだって。
「いいじゃないですか……俺の前くらい、怖がって」
形のいい唇がぽかんと開く。ああ、いけない。今度は笑ってしまいそうだ。
「怖がって、当然ですよ。たとえ今まで上手くいってたとしても。今回だって、絶対に大丈夫だって自信があっても」
バアルさんのことだ。ヨミ様やサタン様の前では、今見せてくれた心の柔い部分なんて一切見せてはいないんだろう。お二人も負けず劣らずの優しい方々だもんな。見せられる訳がない。
「それに、俺、聞いたことがあるんです。怖がりの方が長生きするって。だから、バアルさんはもっともっと長生きしますよ、絶対に」
「怖がりは長生き……でございますか。素敵な言葉でございますね」
「ですよね。だから、我慢しないでください……我慢しなくて、いいんですよ?」
柔らかい光を湛えた眼差しが見開いて、迷って、滲んでいった。
掻き抱くように抱き抱えられ、膝立ちの格好にされる。驚く間もなく続けざまに、軽い圧迫感を胸元に感じた。視界の下に映った白く艷やかな髪、俺を抱き締める彼の頭が震えている。
……嬉しいな……そう、思ってしまった。頼ってもらえたような、ようやく彼のお役に立てたような……そんな気がして。
頭をそっと撫でる。指通りのいい髪を梳くように、彼の手つきを思い出しながら、優しく、優しく。
どれくらいの間、そうしていただろう。不意に胸元でくぐもった声がした。
「……帰ってきたら……また、ハンバーグを……作って頂けませんか?」
おずおずと見上げてくる濡れた緑が幼く映る。思いがけないお願いも相まって。
胸の辺りがほっこりして、擽ったくなる。かわいい、愛おしくて堪らない。勿論、カッコよくて渋い彼も好きで好きで堪らないけれど。
「ふふ、喜んで。山盛りいっぱい作りますよ。デザートだってつけます。何がいいですか?」
「……では、紅茶と、チョコレートのパウンドケーキをお願い致します……誕生日に作って頂いた、あの優しいお味が忘れられないのです」
よしよしと彼の頭を撫でていられた、俺の余裕もここまでだった。一発で鷲掴みにされてしまったんだ。花が咲くように綻んだ笑顔と、噛み締めるように強請る声にときめかされて。
「っ……任せてください! とびきりのをいっぱい焼きますから! 当分、お茶菓子には困らないくらい、たくさん!」
照れたように細められていた瞳がぱちくり瞬く。いかん、またやらかしてしまった。いきなり声を大にしていただけじゃない。込み上げる衝動のまま、思いっきり撫で回してしまっていた。
慌てて止めてももう遅い。キレイなサラサラヘアーが俺の手によって、ぐっしゃぐしゃにアレンジされてしまっていたんだからな。
せっせと手櫛で整えている俺の耳に、クスクス笑う声が届く。
「ふふ、それは大変楽しみですね……ところで、もう先程のように撫でては頂けないのでしょうか?」
見上げる彼の瞳が期待に揺れている。彼のことだ、狙ってはいないのだろう。けれども俺には効果抜群だった。しょんぼりと下がりかけている触覚に上目遣いのコンボは。
「……いっぱい、撫でさせていただきます」
「ありがとうございます」
窓から差し込む日差しが高くなり、さっきよりも幾分か明るさの増した室内で彼と二人、笑い合う。今、この時だけは、いつもと変わらない穏やかな朝。月並みだけれど、このまま時間が止まればいいなんて、そう思った。
ふと顔を離せば視界に映る。握り締めて、泣きついて、ぐっちゃぐちゃに滲んだ彼のシャツ。またしても、やらかしてしまっていた。
とはいえ今回も申し訳無さを感じる前に、しなやかな指がなぞるだけで、シワ一つなくなっていったんたけどさ。
「……いらぬご心労をかけぬ為にも、貴方様にはご内密で向かおうかとも考えました」
お礼を言おうとして、先を越されてしまった。さらにはもう一回、指先でちょんと唇をつつかれ防がれる。
「ですが、それは大変不誠実だと存じました。貴方様は……私が生涯をかけて愛し、幸せにすると誓った御方。その御方に私の使命を隠し通すなどと……」
「バアルさん……」
言葉を切って視線を落とす。気がつけば、白い頬に手を伸ばしていた。
……冷たいな。
手のひらに感じた温度差に、胸の辺りが切なく痛んだ。少しでも温めたくて、もう一方の手も添え、ゆったりと撫でてみる。少しずつだけど温かくなってきた。
「ありがとうございます……嬉しかったですよ。ちゃんと、全部話してもらえて……」
黙って見守っていた瞳が擽ったそうに細められ、透き通った羽が小さくはためく。腰にするりと腕が回されたかと思えば、軽々と抱き抱えられてしまっていた。
逞しい膝の上で横抱きにされた俺の視界が、徐々に近づく柔らかい笑顔でいっぱいになっていく。ちょこんと額を合わせ、甘えてくれているみたいにスッと通った鼻先を擦り寄せてきた。
「……私もまだまだ未熟でございますね。もっと上手くお伝えする心積もりでしたのに、いざ貴方様を前にすると……冷静ではいられませんでした。貴方様のお顔が悲しみで沈む度に、心が潰れてしまいそうでした」
自嘲するように薄く笑っていた声が、徐々に小さく震えていく。
「……怖くて、仕方がありませんでした……貴方様のお側に居られなくなるやもしれない……もう、貴方様の笑顔が見られなくなるやもしれない……斯様な考えばかりが浮かんでしまい……怖くて仕方がないのです……」
目の前で瞬く鮮やかな緑は、薄い涙の膜に包まれていた。なのに、俺は安心してしまっていた。バアルさんも俺と同じなんだって。
「いいじゃないですか……俺の前くらい、怖がって」
形のいい唇がぽかんと開く。ああ、いけない。今度は笑ってしまいそうだ。
「怖がって、当然ですよ。たとえ今まで上手くいってたとしても。今回だって、絶対に大丈夫だって自信があっても」
バアルさんのことだ。ヨミ様やサタン様の前では、今見せてくれた心の柔い部分なんて一切見せてはいないんだろう。お二人も負けず劣らずの優しい方々だもんな。見せられる訳がない。
「それに、俺、聞いたことがあるんです。怖がりの方が長生きするって。だから、バアルさんはもっともっと長生きしますよ、絶対に」
「怖がりは長生き……でございますか。素敵な言葉でございますね」
「ですよね。だから、我慢しないでください……我慢しなくて、いいんですよ?」
柔らかい光を湛えた眼差しが見開いて、迷って、滲んでいった。
掻き抱くように抱き抱えられ、膝立ちの格好にされる。驚く間もなく続けざまに、軽い圧迫感を胸元に感じた。視界の下に映った白く艷やかな髪、俺を抱き締める彼の頭が震えている。
……嬉しいな……そう、思ってしまった。頼ってもらえたような、ようやく彼のお役に立てたような……そんな気がして。
頭をそっと撫でる。指通りのいい髪を梳くように、彼の手つきを思い出しながら、優しく、優しく。
どれくらいの間、そうしていただろう。不意に胸元でくぐもった声がした。
「……帰ってきたら……また、ハンバーグを……作って頂けませんか?」
おずおずと見上げてくる濡れた緑が幼く映る。思いがけないお願いも相まって。
胸の辺りがほっこりして、擽ったくなる。かわいい、愛おしくて堪らない。勿論、カッコよくて渋い彼も好きで好きで堪らないけれど。
「ふふ、喜んで。山盛りいっぱい作りますよ。デザートだってつけます。何がいいですか?」
「……では、紅茶と、チョコレートのパウンドケーキをお願い致します……誕生日に作って頂いた、あの優しいお味が忘れられないのです」
よしよしと彼の頭を撫でていられた、俺の余裕もここまでだった。一発で鷲掴みにされてしまったんだ。花が咲くように綻んだ笑顔と、噛み締めるように強請る声にときめかされて。
「っ……任せてください! とびきりのをいっぱい焼きますから! 当分、お茶菓子には困らないくらい、たくさん!」
照れたように細められていた瞳がぱちくり瞬く。いかん、またやらかしてしまった。いきなり声を大にしていただけじゃない。込み上げる衝動のまま、思いっきり撫で回してしまっていた。
慌てて止めてももう遅い。キレイなサラサラヘアーが俺の手によって、ぐっしゃぐしゃにアレンジされてしまっていたんだからな。
せっせと手櫛で整えている俺の耳に、クスクス笑う声が届く。
「ふふ、それは大変楽しみですね……ところで、もう先程のように撫でては頂けないのでしょうか?」
見上げる彼の瞳が期待に揺れている。彼のことだ、狙ってはいないのだろう。けれども俺には効果抜群だった。しょんぼりと下がりかけている触覚に上目遣いのコンボは。
「……いっぱい、撫でさせていただきます」
「ありがとうございます」
窓から差し込む日差しが高くなり、さっきよりも幾分か明るさの増した室内で彼と二人、笑い合う。今、この時だけは、いつもと変わらない穏やかな朝。月並みだけれど、このまま時間が止まればいいなんて、そう思った。
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