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灯った希望も儚くて

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 空になったカップが再びふわりと浮かび上がる。すでに先着していたポットの側、ベッドサイドの上へと静かに着地する。

 よっぽど喉が乾いていたんだろうか。あれよあれよという間に二杯、三杯とお代わりしてしまった。

 ふと、寂しくなってしまう。今の今までじんわり温めてくれていた熱が無くなり、空いた手のひらが。

「……あ」

「……っ」

 どうやら、彼も同じ気持ちだったみたいだ。大きな手に触れようと横を向けば、ちょうど彼の手が俺に触れようとしていたところだった。

「……ふふっ……お揃い、ですね?」

「……ええ」

 嬉しくて、擽ったくて、自然と笑みがこぼれてしまう。釣られたみたいに彼もクスリと微笑む。昨日も見ていたハズの柔らかい笑み。なのに、なんだかスゴく久しぶりな気がしたんだ。



「……穢れは、私達の命の源である魔力を奪い、さらには身体を、魂を侵していくのです」

 まだ、花の香りが残る室内で、ぽつりぽつりと穏やかな低音が紡いでいく。淡い光を帯びた緑の瞳、何かを憂いているような眼差しは、今度は逸らさずに見つめてくれている。けれど。

「魔力は枯渇さえしなければ、自然と回復致します。ですが、穢れに侵されたものは戻りません。少しでも侵されてしまえば、徐々に広がっていき」

 言葉を切り、一拍置く。繋いだ手から僅かに震えが伝わってくる。

「……最後には……死に至ります」

 絞り出すような一言の後、静かに瞳が伏せられた。

「そんな……」

 それ以上、言葉が出てこなかった。心の中にはいっぱい浮かんでいたのに、出てこない。

 ……やっぱり、危険なんじゃないか。いや、それどころじゃない……もし、もし万が一のことが有れば……バアルさんは…………何で? どうして?

 次々と訴えてきて、ぐちゃぐちゃになる。掻きむしりたくなるくらい胸がざわつく。上手く……息が出来ない。

 じわじわ滲んだ目の前が、真っ暗になりかけていた時だった。

「ですが、私達には浄化の炎がございます」

「浄化の……炎……」

 力強く紡がれた言葉を繰り返す。初めて耳にする言葉なのに、何でだろう。バアルさんの声色に明るさが戻っているからかな。希望の光を見つけたみたいに、視界が明るくなっていったんだ。

「この地の果てに、それはございます。地獄中から集められた穢れによって常闇が支配する地。その地にて唯一明かりを灯し続けている炎。浄化の炎だけが、穢れを消すことが出来るのです」

「じゃ、じゃあ……その炎が有れば、大丈夫ってことですよね? バアルさん達が、この国が、穢れに侵されずに済むってことですよね?」

「ええ」

 微笑み、重なる手のひらに力を込めた肯定。抱いた希望が確信に変わり、今度は喜びと安堵で視界が滲んでいく。

 ……良かった。ホントに良かった……

 でも、すぐに俺は知ることになる。物事はそんなに単純では無いんだと。恩恵を得る為には、代償が必要なのだと。

「……ですが炎を絶やさぬ為には、特別な魔力が宿った血……王家の血を捧げ続けなければなりません」

 イヤな予感がした。再び陰りを帯びた声色に、どこか言いづらそうに淀んだ言葉に。

「王家って……ヨミ様やサタン様のこと、ですよね?」

「ええ」

 ……浄化の炎が有るという場所。そこは、バアルさん曰く穢れに満ちている危険な場所だ。そんな場所にお二人を向かわせることなんて出来ない。出来るわけがない。

 いくらお二人の血が儀式に必要だからといって、穢れに侵されてしまえばこの国はお終いだ。だって、お二人の血でなければ、浄化の炎を維持することは出来ないのだから。

「あ……」

 ふと繋がる。繋がってしまった。

「じゃ、じゃあ、儀式って……バアルさんが出掛けないといけない要件って、まさか……」

 違うって言って欲しかった。でも俺の願いも虚しく彼の首は横でなく、縦に小さく振られてしまった。

「……貴方様のご推察通りでございます……血を運び、浄化の炎へと捧げること。それが私が生涯にわたり続けている儀式であり、使命でございます」

「……何で?」

 こんなこと言っちゃいけないって分かっていた。分かっていたけど、でも俺の口は動いてしまっていた。言わずにはいられなかったんだ。

「何で……バアルさんじゃないと、いけないんですか?」

 酷い声だった。震えて、引きつって、今にも泣きじゃくりそうな酷い声。

「……アオイ様」

 そうな、じゃなかった。もう、こぼれていた。伸ばされた指先が目元を優しく拭ってくれても、止まらない。ボロボロあふれて、止まらない。

「……危ないんでしょう? ……危ない、っですよね? だって、儀式をする為には、穢れの中心に……し、死ぬかも、しれない場所に、行かないと……いけないんですよね? なのに、何でっ……」

 イヤだ……行かないで欲しい……自分勝手な我儘ばかりを心が叫ぶ。

 でも、頭では分かっていた。だって、俺は知っている。彼が、バアルさんが、いつも自分のことよりも誰かを優先する優しい人だって。

 ヨミ様やサタン様、隊長のレダさん……皆さんが、一目置くほど、魔術にも武術にも長けた強い人だって。

「……儀式を完遂する為には、なんとしてでも炎の元へ辿り着かなければなりません。道中、穢れによって魔力を全て削り取られる前に」

 ……まるで、言い聞かせているみたいだった。また、抑揚の失われた声が、淡々と俺に事実を突きつけてくる。

「……そして、私は生まれつき強力な魔力を持っておりました。この国で私以上の魔力の持ち主はおりません」

「……適任ってこと、ですか……」

 諦めに近い納得。分かっていた、だとか。仕方がない、だとか。

 だって彼は、王族ではない。もし、バアルさんがヨミ様達と同じ王族であったならば、万が一があるような危険を冒させたりはしない。その血を絶やさぬよう大切に守らなければ、穢れから国を守ることは出来ないのだから。

 そして、彼が持つという魔力の強さ。その言葉は真実だろう。だってバアルさんは、時間さえも思うがままに操ることが出来るほど、優れた術士なのだから。だったら、彼以上の適任があるだろうか。いや、ない。

 ……ならばもう、俺も、覚悟を決めなければ。

 イヤな音を立てて奥歯が軋んだ。

「……気休めに聞こえるやもしれません。ですが、もう数え切れぬほど儀式を繰り返し、それでも私は、今も無事に生きております。ですから」

「……分かってます」

 緑の瞳が僅かに揺れる。気を抜けば、またこぼれ落ちそうな感情と我が儘を無理矢理飲み込んだ。

「バアルさんじゃないといけないって……それに、信じてます……バアルさんのこと、絶対に俺のところに帰ってきてくれるって……でも心配くらいは、させてください……貴方のことが好きなんですから……もう、バアルさんなしじゃ、俺……生きていけないんです……」

  飲み込んだハズなのに……結局、目からも口からもこぼれ落ちていた。我が儘だけは、最小限で済んだけど。

「……アオイ様」

 頬に添えられていた手が、背に回る。抱き寄せられて、受け止められて。耳元で聞こえた命の音に、また堪えられなくなってしまった。
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