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全てが物語ってくれている、俺のことを大事に想ってくれているんだって

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「では、先ず包丁の持ち方から始めましょうか」

「はい。お願いします、バアルさん」

 レシピを入念に読み込み、判明した最初の試練。それは、玉ねぎのみじん切りである。

 玉ねぎ抜きのバージョンも書いてくれてはいたが、どうせならばチャレンジしたい。今の内からコツコツ練習を重ねておきたいんだ。みじん切りやら、なんとか切りやらは、どんな料理にでもついて回る基本中の基本なハズだしな。

 そんな訳で焼き菓子と同様、料理の腕前もピカイチなバアルさんを先生に、開講したぷち料理講座だが。

「包丁の持ち方は、大きく分けて三種類ございます」

 早速もたらされた一つ目の衝撃に、俺の口はぽかんと間の抜けた形で開いていた。

「……三つも、ですか? ただ、握ればいいかと思ってました」

「間違いではございませんよ。ですが、切るものに合わせて持ち方を変えることで、より切りやすく疲れにくくなるのです」

「へぇ……持ち方一つでそんなに変わるものなんですね」

 テレビやら動画やらで、グルメな映像を見る機会は幾度も有った。けれど……料理の方にしか注目していなかったもんなぁ。

 作り方ですら、その時は……へぇって感心していても、すぐに美味しそう……に塗り替わってしまう食い意地張りまくりな俺だ。包丁の持ち方なんぞ、頭に残っている訳がない。ましてや違いなんて以ての外だ。

 ここに来てから学ぶことが盛り沢山だ。ホントに俺って何も知らずに、考えずに、ただただ能天気に生きてきたんだなぁ……

 不意に、柔らかい温もりが頬に触れる。

「誰しも、最初は皆初心者です。何も知らないのが当たり前……これから知っていけばよいのです」

 ……やっぱりバアルさんはスゴイ。欲しい言葉を欲しい時にくれるんだから。

 穏やかに微笑む彼の手がゆるゆると撫でてくれる。心地のいい優しい手つき。喜びがあふれて堪らない温かさが、陥っていた情けのない気分をあっという間に拭い去っていく。

「ですから、まずは基本的な持ち方である『握り型』を練習致しましょうね」

「はい!」

 あっさり気分が上々になった俺を見て、優しい笑みが深くなった。

「こちらは、本日の玉ねぎを切るのにも適しております」

 ゆっくり丁寧にバアルさんがお手本を見せてくれる。

「このように、先ずは中指を包丁の付け根部分に引っかけて……」

「えっと……こう、ですか?」

 俺の為にと、ヨミ様とスヴェンさんが用意してくれた初心者向けの包丁。バアルさんが手にしているものと比べ、細身で小さなそれの柄に、順々に指を添えていく。

「ええ、完璧でございます」

 微笑み頷く彼の言葉にホッと息を吐く。が、間髪入れずに講義は次のステップへと進んでいく。

「次に、添える方の手ですが……」

 俺達の前、作業台の上に用意されている木製のまな板。その上に、ぽんっと手品のように半分に切られて剥かれた玉ねぎが現れる。

「基本的には指を丸めて、食材を押さえます。所謂、猫の手でございますね。この時、指の人差し指か、薬指の第一関節が包丁の側面に当たるようにして下さい」

 俺の前で分かりやすいように指を曲げて示した彼が、その手の形のまま玉ねぎへと乗せ、包丁を構えた。

「当てるんですか? 離すんじゃなくて?」

 正直、危ないな……と思ってしまった。だって、側面とはいえ、しっかりくっついちゃってるんだからさ。包丁の刃の部分に、彼のしなやかな白い指が。

「離してしまう方が危ないのです。包丁の位置が固定出来ずに刃が滑ってしまいます故」

 少し離した包丁の刃先が、振り子みたいに左右にぐらぐら傾く。確かにこんな不安定な状態で力を入れれば危ないな。どんな方向へと切ってしまうか分かったもんじゃない。

「あー……成る程、これは確かに危ないですね」

「ええ。指は全て丸める、包丁の側面に押し当てて固定する、この二つを必ず守って下さいね」

「はいっ」

「ふふ、いいお返事ですね」

 鮮やかな緑の瞳がゆるりと細められ、白い髭がカッコいい口元がふわりと綻ぶ。その時、聞こえた気がした。きゅっと高鳴る音が、胸の奥から。

 ……不意打ちだ。その笑顔はズルい。そんな……好きだって、口にしなくても言ってくれているような……優しすぎる微笑みをくれるなんて。

「ああ、勿論、親指も伸ばしていてはなりませんよ?」

 知らなければ、用途の分からない銀の斜塔にしか見えない包丁立て。斜めに曲がったそれの底面へと二本の包丁がカタン、カタンと刺さっていく。彼の分、それからいつの間にか抜き取られていた俺の分と順々に。

 空いた手が、白く大きな手によって包み込まれて、埋まった。

「でなければ、貴方様の華奢でお可愛らしい指に、白く柔いお美しい肌に傷が……」

 ただでさえ、ぼぼぼと集まっていた顔の熱。その温度が増してしまう。恭しく握りしめられた温度。それから歌うように紡いでいく、俺にとっては身に余る嬉しいお褒めの言葉によって。

 が、すぐさま冷める……いや、それを軽々と通り越し、青ざめることになってしまうとは。

「つく前に包丁が消し飛びます」

「消しっ!?」

 どこか得意げに、キリッと引き締まった表情でキッパリ言い放たれた一言。その衝撃の強さに、思わず空いた口が塞がらない。

「な、何でっ? ……ですか?」

「私の防御障壁により、刃の部分が瞬く間に蒸発、気化するからでございます」

 どうにか振り絞り、返ってきた懇切丁寧なお答えにまたしても、ぽかんと半開きになってしまう。バアルさんはといえば、やはり誇らしげにぴょこんと立った触覚を揺らし、透き通った羽をはためかせていらっしゃるのだが。

 いやいや、こんだけ硬い素材が一瞬で溶けて消えるって……どんだけ強力な障壁なんだよ? しかも、刃にだけピンポイントで反撃? するなんてさ。

 ……いやでもバアルさんなら出来るか、時間を操るのも何のそのなバアルさんにだったら。

 あっさり腑に落ちた俺の胸からは動揺が消え、代わりにほわほわした温かさに満ちていく。頬がつい緩んでしまう。

「じゃ、じゃあ……今、俺の手……守ってもらえてるんですか? バアルさんの術で」

「はい、左様でございます。愛する貴方様の御身体に傷がつくなど……私には到底耐えられません。いくら治癒術でどうとでもなるとはいえ、その瞬間を見ることすら……私にとっては心が引き裂かれるほどの苦痛を伴いますので」

 繋いだ手に微かに込められた力、切なく震える声。俺の方が泣きたくなるような……苦しげに歪んだ表情。それら全てが物語ってくれている。俺のことを大事に想ってくれているんだって。

「ひょわ……」

 分かってはいた。分かってはいんだけれど。やっぱり嬉しい。嬉しくて、仕方がない。

「とはいえ、此方の包丁はヨミ様とスヴェン殿が選んで頂けた一品です。私と致しましても、無闇矢鱈に消し去るようなことは致したくはありません。ですからお気をつけて、ゆっくり望みましょうね」

「はい!」

 ふっとバアルさんが宙へ視線を移し「……お二方でしたら、理由を申せば笑顔で許して頂けるでしょうが」と微笑む。

 俺にもありありと浮かんだ。愉快で仕方がないと言わんばかりに細められた赤の瞳。続いて、困ったように笑う黒の眼差し。確かになぁ……と納得して、自然と見合わせた俺達はくすくすと笑っていた。
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