上 下
262 / 824

こんな時にスマートに返せないのが、俺と彼の違いなのだろう

しおりを挟む
「え……もう、帰っちゃうんですか?」

「うむ、済まないな」

 一杯目の紅茶が空になったところでヨミ様は席を立った。いつもなら後二杯、いや三杯は。なんなら、お昼もご一緒してくれるもんだと思っていた。これから挑戦しようと思っている料理を、ヨミ様にも食べてもらえるもんだと。

「初めての料理をバアルに振る舞うアオイ殿の姿を、この目に収めたかったのだが……少々、ごたついてしまっていてな。次の機会には、是非ともお邪魔させて頂きたいのだが……」

 真っ赤な瞳が申し訳無さそうに細められ、薄い唇が困ったような形の笑みを描く。

 ……そりゃあそうか。ヨミ様は地獄を治める王様だ。お忙しい身の上に決まっている。俺達の為に、定期的に時間を作っては訪れてくれていたもんだから、実感が薄れてしまっていたけれど。

 残念な気持ちを押し込んで、精一杯の笑顔で返す。

「勿論! ヨミ様ならいつでも大歓迎ですよ。ねぇ、バアルさん」

「ええ、いつでもお待ちしております」

「あ、それまでに俺、チーズたっぷりのスクランブルエッグ、美味しく作れるように頑張りますから」

「おお、それは楽しみだな!」

 綻び、明るさの戻った声に釣られて俺も笑っていた。

 では、またな、と柔らかく微笑んだヨミ様を見送って、ソファーに座り直して。二人っきりに戻った室内。

 いつも通りなんだけれど、なんだかちょっぴりそわそわしてしまう沈黙。背中の辺りが擽ったくなるそれを破ったのは、おずおずと尋ねてきた穏やかな声だった。

「ところでアオイ様、お昼は……何を作って頂けるのでしょうか?」

「は、はい……ハンバーグ、なんて……どう、ですかね?」

 レシピの一番最初のページに書かれていたってのもある。あるんだけれど、バアルさんが嬉しそうに食べてたな……って。

 城下町デートで訪れた個室のレストラン。そこで頼んだハンバーグと海老フライがついたプレートを、頬張る彼の笑顔が印象的で。だから、作ってみたいなって思ったんだ。

「それは、誠でございますかっ? 大変嬉しく存じます」

 穏やかな低音が明るく弾み、細められた瞳が期待に揺れる。今日のお昼は、俺の最初の手料理はたった今、ハンバーグに決定した。



 相変わらずの見事なお手並みで、上品なヨーロッパ風の室内が瞬く間に姿を変えていく。広い調理台に一式揃った調理器具、レンジに冷蔵庫……と大抵の物は何でも作れそうな至れり尽くせりな調理場へと。

 教えてくれるバアルさんもお料理スタイルだ。黒いジャケットを脱ぎ、白いシャツに黒のネクタイとベスト。キュッと引き締まった腰には、足首まですっぽり覆う黒いエプロンが巻かれている。

 捲くられた袖から伸びる、男らしいゴツゴツした腕がカッコいい。浮き出た筋肉や骨格のラインが、なんだかスゴく色っぽい。

「ふふ……いかがなさいましたか?」

 そわそわしていた鼓動が大きく跳ねた。若葉を思わせる鮮やかな緑の瞳。淡い光を帯びた眼差しが、擽ったそうに細められる瞬間に心を奪われて。

「あっ、いや……その……」

 こんな時に、カッコよくて見惚れてました! とかスマートに返せないのが、俺と彼との違いなのだろう。

 なんせ、すぐさま見せつけられることになったんだからな。お手本だといわんばかりに。

 ……まぁ、タイミングが良すぎただけで……彼には、そのつもりは微塵もないんだろうけどさ。

「斯様にお顔を真っ赤に染めて……お可愛らしいですね」

「ひぇ……」

「その愛らしいエプロン姿にも、年甲斐もなく胸が躍ってしまいます。特に本日は、私の好物を貴方様自ら作って頂けるのですから……」

「あぅ……」

 貰いっぱなしではいられない。俺だって、返さなければ。その気持ちだけが先行したんだろう。

「か、カッコいいでふ! ばありゅしゃんも……」

 ゆるっゆるに緩みまくっていた俺の口は、肝心の言葉どころか、名前までをも噛み倒してしまっていた。これ以上はないってくらいに。

「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄です」

 やはり彼は優しさの化身に違いない。ダメダメで、秘めた想いの欠片くらいしか伝えられなかったのに、心の底から嬉しそうに微笑んでくれたんだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

処理中です...