間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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一番最初の出来立ては

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 魔法みたいだ。粘土みたいに柔らかいオレンジの塊が、徐々に満開に咲くバラへと変わっていく様は。

「わぁ……とっても綺麗な飴細工ですね!」

 目を輝かせながら、グリムさんが弾んだ声を上げる。口をぽかんと開けたまま、すっかり見惚れてしまっていた俺の気持ちを代弁してくれているかのように。

「お褒めに預かり恐縮です」

 微笑み、会釈している間にも、彼の手元からは光沢のある花びらが作られていく。指の腹で薄く広げ、ハサミで切り取られたオレンジは、飴とは、食べられるとは思えない美しさだ。

 また一枚、艷やかに輝く花びらが出来たところでおもむろに、バアルさんが人差し指を立てる。指先に小さく灯った光、いや炎か。ゆらりと燃える青い熱に、透き通った花びらの尖った部分を近づけ炙り、すぐさま作りかけの花の芯にくるりと纏わせた。また一歩、オレンジの塊がバラへと近づく。

 花びらを作ってはくっつけ、作ってはくっつけ、地道で緻密な作業を繰り返す。そうして数分後、彼の手のひらの上に眩いバラが花開いた。

「キレイ……」

「ふわぁ……」

 思わず口から出ていたのは、語彙力の欠片もない感想。そこに、感嘆のため息が重なる。

「うむ……いつ見ても見事なものだな」

「こりゃあ、職人も顔負けですね」

 シャンデリアの明かりを受けて煌めくオレンジ色の輝きに、よっぽど俺は釘付けになっていたんだろう。ヨミ様とクロウさん、二人の声がどこか遠くに聞こえる。水の中にでも潜ったみたいだ。

 そんな、周囲の音が離れていってしまっていた最中、聞き慣れた穏やかな声だけが、しっかり耳に届いた。

「アオイ様、どうか此方へ」

「ふぇ……は、はいっ」

 穏やかな微笑みと共に差し出された手、気がつけばその手を取ろうと身体が動いていた。いつもより足が大きく、早く、動く。

 あと一歩のところまで来た時、作業台を離れたバアルさんが、流れるような動作で長身を屈め、俺の足元に跪いた。まるで一本のバラを捧げるみたいに、手のひらの上の飴細工を俺に差し出す。

「ご試食して頂けませんか?」

 なんて不意打ちだ。ズルい。カッコいい。そんでもって色っぽい、上目遣いが。本人は一切狙ってないんだろうけどさ。

 普段から、こんなお姫様相手にしかしないようなことを、スマートにこなしちゃうのがバアルさんだ。染みついてるんだろうな。カッコいい所作が。

「アオイ様?」

 やっぱり、特別な意図は無かったらしい。ぽーっと突っ立っていた俺を不思議そうに見上げている。こっちは見事に心をぶち抜かれたってのに。

 後ろにキッチリ撫で付けられたオールバックの生え際の下、そこから生えている触覚も傾げているみたいに片方だけがへにょんと下がっていく。

「す、すみません……スゴくキレイだから……その」

 食べるのがもったいないと声に出そうとして遮られた。

 静かに立ち上がった彼の白い指先に、ちょんと口をつつかれて。いつの間にゴム手袋を外していたんだろう。裸になっていたその指が、今度は俺の頬をゆるりと撫でる。

「一番最初の出来立てを、アオイ様に食べて頂きたいのです。この気持ち、貴方様なら分かって頂けますよね?」

 分かるどころの騒ぎじゃない。だって、いつも思っている。初めての時は勿論、また作った時だって。お菓子が焼き上がったら一番最初に、バアルさんに食べて欲しいって、いつも。

「はい……いただきます、ぜひ」

「大変光栄に存じます」

 受け取ろうとしていた手が、行き場をなくした。

「では、お口を開けて頂けますでしょうか」

 俺の口元にオレンジのバラが差し出されている。花が咲くように微笑む彼の手によって。

 好きな人からのお誘いだ。乗らない理由なんてある訳がない。何処かから、いや厳密に言えば三方から突き刺さってくる温かい視線に気づかないフリをして、ガラスのように透き通った飴細工に齧り付いた。

 あれ? スゴく軽い……

 てっきり、もっと抵抗されると思っていた。歯を立てる際、ガチンっではなくパキっと簡単に砕けた花弁。口の中に転がり込んできた優しい甘さが、舌の上でとろりと溶けていく。転がす度に広がっていく風味が爽やかだ。

「……いかがでしょう?」

「美味しい……スゴく美味しいです! びっくりしました! 飴だから、やっぱり固いのかなって思ってたんですけど、パリってしてて! あ、あと丁度いい甘さでした! オレンジですよね? 風味が一気にフワって広がって……」

 気がつけば、彼の手を両手でぎゅうぎゅう握ってしまっていた。そんでもって捲し立ててしまっていた。

 不安そうに見つめていた瞳が、ぱちくり瞬いている。驚かせてしまったな……いや、ちょっぴり引かれてしまったかもしれない。いくら嬉しかったからって、この感動を伝えたかったからって、前のめり過ぎたな。

「す、すみません……なんか、テンション上がっちゃって……」

 離そうとしていた左手が、逆に握られ繋がれる。かち合った瞳には、見合わせた顔には、あふれてしまいそうな喜びが浮かんでいて。胸の奥がきゅっと高鳴った。

「いえ、私も……身に余る喜びに心が震えております。想像を超えるお言葉の数々を、貴方様から頂けて」

 蕩けるような笑みを浮かべた唇が、手の甲に優しく触れてくれる。お陰様で、絶賛右肩上がりな俺の心のグラフが、さらに加速度的にぶち上がった。少し前に一瞬沈んだ気もしたが、気のせいだろう。

「バアルさん……」

「アオイ様……」

 熱に浮かされたまま名前を呼べば、返ってくる喜びに心が満たされていく。ゆっくりと近づいてきてくれる煌めく緑の瞳に囚われ、溺れかけていた時……はたと気づく。気づかないフリをしていた温かい眼差し達に。

「ひょわっ」

「む? ああ、すまない。私としたことが気が利かなかったな。ほら、こうすれば、恥ずかしがり屋さんなアオイ殿でも気にならないだろう? さあっ存分にバアルと仲良しさんするといい!」

 両手で目を覆い、楽しそうに笑うヨミ様。

「俺も、全然、全く、見てませんよ」

「ぼ、僕も、バッチリいないいないしてます!」

 上機嫌に羽をはためかせている主に続けと言わんばかりに、クロウさんが、グリムさんが、涼し気な目元を、真っ赤な顔を手で覆う。何でこんな時だけ完璧なんだよ、連携が。

「い、いやいや、皆さんのお気持ちは有り難いですけど、そういう問題じゃ……んっ」

 言葉の続きは、柔らかい唇に塞がれ、飲まれた。優しく何度か食まれてから、わざとらしいリップ音が僅かに開いた俺達の間で鳴る。

「ふむ、自分で言うのもなんですが、よく出来ていますね。貴方様に仰って頂けた通り、程よい甘さと爽やかなオレンジの風味を感じます」

 何事も無かったかのように、飴の味について評する唇。まだ、吐息が触れ合う距離にある温もりの余韻が、今更になって頭の中にあふれんばかりの花を咲かせ、胸を高鳴らせていく。

「ば、バアルしゃん……」

「……お嫌でしたか?」

 ……ズルい。分かってるくせに。俺が全然、全く嫌がってないって。むしろ喜んでるって分かってるくせに。

 そんな切ない声で、雨に濡れた子犬みたいな目で、分かりきったことを尋ねるなんてさ。ホント、ズルい。ズル過ぎる。

「ッ……もー……イヤな訳、ないでしょう?」

 でも、俺は言ってしまうんだ。だって、仕方がないだろ? ズルい彼も、優しい彼も……彼の全部が好きで好きで仕方がないんだからさ。

「…………俺だって、したかったし」

 ぽそぽそとしぼんでいく声と一緒に、視線も下がっていく。出来ることなら、今すぐ思いっきり抱きつきたい。けれども、ヘタれな俺がブレーキをかけてしまっていたんだ。皆さんの前だぞと。キスしてもらってんのに今更だろって感じだが。

 くっつきたいけど、恥ずかしい。そんなんだから、中途半端な行動に出てしまっていた。彼のジャケットの裾を摘んで、引っ張ってしまっていた。

「アオイ……」

 察しが良すぎるのも考えもんだ。小さな俺の訴えは伝わるどころか、よりステップアップして受け取られたらしい。甘く囁く彼の手が俺の頬を撫で、流れるように自然に顎を持ち上げる。

「へ? わっ、ちょっ……ストップ! 待ってください!」

 再び触れ合う寸前だった唇を、すんでのところで手のひらで受け止め、待ったをかける。

 ……今なら、彼の考えていることが手に取るように分かるな。だって顔に書いてあるからな、思いっきり。何故? ってさ。

「……後で! 後でしましょう! これ以上は色々とマズいんで! 俺がっ!!」

 紛うことなき言い訳だ。その場しのぎの。

 とはいえ事実しか言ってない。二人っきりでなら、俺だっていっぱいしたいし、してもらいたい。それに実際問題、このまま流されると確実にノックダウンされるしな。

「畏まりました」

 しょんぼり下がりかかっていた触覚がぴょこんと元気を取り戻し、しおしお縮みかけていた羽もぱたぱたはためく。納得してくれたみたいだ。

「……なんだ、もういいのか? 遠慮せずに、もっとイチャイチャして良いんだぞ?」

「いや、やっぱり無理でしょうよ……前より前進はしましたけど」

「ぼ、僕、見てませんよ! さり気なくキスしたバアル様が王子様みたいでカッコよかったな……とか、お顔を真っ赤にして照れるアオイ様はやっぱり可愛いな……とか、全っ然思ってませんよ!」

「ひぇ……」

 いつの間にか、がっつり見守られていた三色の眼差しに、全身の熱が一気に顔へと集まっていく。結局、別の意味で力が抜け、膝を折りかけた俺の身体をバアルさんが軽々と抱き止めてくれた。
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