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とある死神の師匠にとっても弟子の存在は……

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 室内を支配する空気自体は和やかになったものの、待ち遠しいことに変わりはない。その証拠に、いつも冷静沈着なバアル様は、落ち着きなく羽をそわそわはためかせ、視線をちらちらと静かに閉ざされた扉へひっきりなしに向けている。

 いつの間に、うつったんだろうか? ヨミ様までもが長い足を何度も組み替えたり、真っ黒な羽を広げてはたたんだりを繰り返している。

 ……いや、俺もだな。全く関係ない筈なのに、何でだろうな……妙に気分が浮ついてしまっている。

 そんなもんだから異様な絵面が、男三人黙って膝を突き合わせるなんて状況が、出来上がってしまっているんだろう。

 こんな時にグリムが居ればな……

 ふにゃりと緩んだ愛らしい笑顔を思い浮かべていた時だ。今か今かと待ち望んでいた瞬間が、はつらつとした声と共に訪れたのは。

「お待たせいたしました! って、あれ? ヨミ様!? おはようございます!」

「おはようございます。ヨミ様もいらしてたんですね」

「うむ、おはよう。グリム、アオイ殿」

 意気揚々と扉を開き、スキップするように入ってきたグリムの手には、紺色の大きめの紙袋。うっすらと頬を染め、おずおずと続いたアオイ様の細い手首にも、同じ紙袋が下がっている。彼の側には、コルテがキラキラと瞬いていた。

 音もなく立ち上がっていたバアル様が、足早にアオイ様の元へと歩み寄っていく。

「……アオイ様」

「バアルさん……お待たせしてすみません。渡したい物があるんですけど……受け取って、くれますか?」

「ええ、勿論。ずっと心待ちにしておりました」

 手を取り合い、微笑み合うお二人を見ていると……何でだろうな。自然と頬が緩んでしまう。

 グリムも、ヨミ様も、俺と同じ気持ちなんだろう。ふにゃりと微笑み、ゆるりと目を細め、静かにお二人を見守っていたんだ。

 紙袋から取り出された、緑のリボンをあしらった透明な長方形の箱が、アオイ様からバアル様へと手渡される。

「これは……ガトーショコラ、でしょうか? ハートの形が大変可愛らしいですね」

「はい……バレンタインのプレゼント……です。その日は……た、大切な人に……想いを伝える日なので……」

 耳まで真っ赤に染めたアオイ様の頬に、バアル様の手が添えられる。もじもじと俯いていた琥珀色の瞳が弾かれるように上がり、慈愛に満ちた眼差しと絡んで、そして……惹かれ合うようにお二人が身を寄せ合う。

「アオイ……」

「バアルさん……」

 抱き締め合い、額を重ね……もう、触れ合う寸前だった。だったんだが、はたとこちらを向いた琥珀色が、瞬き、見開き、固まった。

 ますます顔を真っ赤にしたアオイ様が、バアル様のジャケットをくしゃりと握り締め、へにゃりと逞しい胸元へしなだれかかる。

「ひぇ……」

 恥ずかしそうに身体を縮めるアオイ様を、しっかり抱き止めているバアル様は、何だかご満悦そうだ。慣れた手つきで宥めるように、アオイ様の頭や背中をよしよし撫で回している。

「はっはっは! なに、遠慮することはない! 堂々とイチャイチャしていいのだぞ!」

「いやぁ……やりにくいでしょう」

 つい、こぼしてしまっていた呟きにヨミ様が「それもそうか! バアルはともかく、アオイ殿は照れ屋さんだからな!」と白い牙を覗かせる。

「あー……俺達は、そろそろお暇しますね。ほら、グリム」

 あれよあれよと始まった微笑ましい光景に、うっかり見入ってしまっていたが……せっかくのバレンタインとやらだ。お二人には気兼ねなく楽しんで欲しい。

 席を離れ、ぽーっとお二人を見つめているグリムへ近づき、手を差し出す。びくっと細い肩を跳ねさせ、重ねてきた小さな手は熱く、かち合った薄紫の瞳はうっすら滲んでいた。

「……は、はいっアオイ様、今日はありがとうございました!」

「こ、此方こそありがとうございました! クロウさんも!」

 バアル様に腰を抱かれ、エスコートされながらアオイ様が「ありがとうございました!」と紙袋から星型のガトーショコラが入った透明な袋を取り出し、差し出してくる。

 ケーキの表面にデコレーションされているのはナッツだろうか。細かく砕かれた粒が、ホワイトチョコで描かれたなみなみなライン上に散りばめられていた。

 相変わらず律儀な方だ。俺だけじゃない、ヨミ様の分まで作っていたらしい。俺が礼を言ってから受け取ると嬉しそうに微笑んでから、今度はヨミ様へ「サタン様とご一緒にどうぞ」と大きめの袋を差し出している。
 
 同感だが。まさか自分もとは思わなかったんだろう。ヨミ様の真っ赤な瞳はキラキラ輝き、そのお顔はこれ以上ないくらい喜びに満ちあふれていた。



 いつものクセで立ち寄った、俺とグリムの憩いの場である中庭の隅っこのベンチ。隣でか細い足をぷらんと伸ばすグリムは、部屋を出てからずっと黙ったまま。そわそわもじもじしている。何か言いたそうではあるんだが。

 お陰で俺自身も浮ついた気分を引きずったままだ。気持ちがふわふわして落ち着かない。

 しかし、こういう時はヘタに聞き出そうとするよりも待った方がいいだろう。本人にとってベストなタイミングがあるだろうしな。

 熱くて小さな手を緩く握り、目の前に広がる水晶の花々へと意識を移す。ふと、ぎゅっと力を込められたので視線を向けると、真っ直ぐに俺を見つめる薄紫の瞳とかち合った。

「クロウ……これ、僕の……気持ちです……」

 ずっと大事そうに抱えていた紙袋。てっきりアオイ様からもらったお菓子が入っていると思ったんだが……

 震える手が差し出した、金色のリボンに彩られた透明な箱の中には、ハート型のチョコケーキが三つ並んでいた。

 バアル様が言っていた、ガトーショコラってやつだろう。黄色のラインと細かく切った黄色いドライフルーツでデコレーションされたそれは、ほんのり甘い香りがして……とても美味しそうだ。

「……俺の為に、作って……くれたのか?」

 急に走り始めた心臓が煩い。頭の中まで響いてきやがる。そのせいだ。勝手に声が、箱を受け取った手が震えてしまう。

「はい……クロウは……僕にとって、大切で……特別、ですから……」

 震える声から紡がれた言葉が胸の奥にじんわり染みて、ストンと腑に落ちた。

 ああ、そうか。ようやく分かった。心の片隅で俺は密かに期待していたんだろう。バアル様のことが、羨ましかったんだろう。

 耳まで真っ赤に染めたグリムが、じっと俺を見つめている。俺も返さなければ、伝えなければ。

「そうか……ありがとう、嬉しいよ……俺にとってもグリムは特別で、大切な一番弟子だからな」

 心なしか不安気に揺れていた瞳が、こぼれ落ちそうなくらいに丸くなる。キラキラと星が舞う。

「こ、これっまだ出来立てなんです! すっごく美味しかったんです! だから、だから……」

「ああ、いただくよ。一緒に食べよう」

「っ……はいっ!」

 眩しいくらいの笑顔を浮かべ、グリムの分にと手渡したガトーショコラを俺に食べさせようとしてくれる。

「はい、あーんしてください! クロウ!」

「分かったよ。んじゃ、グリムもほら、口開けろ」

 ならばこちらもとハートの先っちょを差し出せば、顔を真っ赤にしながら嬉しそうに微笑んだ。

 一緒にかじったガトーショコラは、ふわふわと口の中で蕩けて、消えて。最後に甘酸っぱいパインの風味がほんのり残った。
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