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つい意識してしまう……今は、二人っきりなんだなって

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 いくつもの大きな窓から光を取り込んでいる店内は、お昼時ということもあり賑わいを見せているようだった。受付カウンターの前に設置された表はすでに、上から横線を引かれた名前達でびっしりと埋まっている。

 その点、俺達はツイていたんだろう。たまたま入れ代わりで店を出た犬耳のカップルさんのお陰で、待つことなくスムーズに案内してもらえたんだからな。

 お城の厨房で働いている子達とそっくりな、黒いコウモリの羽がついた子豚の店員さんが、ぷきゅぷきゅと鼻を鳴らしながら俺達の前をパタパタ飛ぶ。

 ……なんだか不思議な感じだ。広々とした店内に横幅の広い白い石造りの円柱が、天井を支えるようにいくつも並ぶ光景は。多分、あれが個室なんだろうけどさ。

 俺の予想は合っていたらしい。奥の方にある円柱の前へと辿り着いた俺達に、振り返りざまにぷきゃっと元気よく鳴いた店員さんが、小さな蹄でどうぞどうぞと中に入るよう促してくる。

 ポカリと空いたアーチ型の穴を俺達がくぐるのを見届けてから、ぺこりと小さな頭を下げて飛んで行ってしまった。

 中は思ったより広く、簡素な外見に反してお洒落な雰囲気だ。

 中心には丸い硝子製のテーブルがあり、白い革のソファーがぐるりと壁に沿って設置されている。真っ白な壁紙に覆われた室内を、丸く温かみのある淡い照明が照らし、床一面には焦げ茶色のふかふかした絨毯が広がっていた。

 座り心地のいいソファーへと腰を落ち着けた時、はたと気づく。人感センサーと同じような仕組み? ……いや、魔術なんだろうか。入り口にはいつの間にか、白いカーテンが下ろされていた。

 カーテンという仕切りが出来たことで、一気に密室感が増していく。

「……わくわくしちゃいますね。何ていうか……その、ちょっとした秘密基地みたいで」

「ええ、私めも年甲斐もなく心が弾んでおります」

 今更ながら緊張してきたな……当たり前のようにバアルさんが俺の隣に座ってくれていることもだけど……つい、意識してしまう。……今、二人っきりなんだな……って。

 まさか、こんなにちゃんとした個室だとは思わなかったもんな。事前に、ヨミ様から用意してもらった雑誌で確認していたんだけどさ。

 ……昨日の俺ときたら、美味しそうな料理の写真しか目に入っていなかったからなぁ。

 そっと横を窺えば、ゆるりと細められた瞳とかち合う。小首を傾げ「いかがなさいましたか?」と清潔感漂う白い髭が色っぽい口元がふわりと綻ぶ様に、勝手に顔が熱くなっていく。

「えっと……め、メニューは何処に有るんですかね? さっきの方が持ってきてくれるんでしょうか?」

「ああ、メニューでしたら、そちらにございますよ」

 妙にそわそわしてしまう気分を落ち着かせようと話題を振った俺に、穏やかな笑みで答えてくれた彼がテーブルの端を指し示す。白い指の先には、銀色のハンドベルがあった。

 魔宝石……だろうか? 持ち手とベルの間にリボンを結ぶみたいに、蝶々の形をした水色の結晶がちょこんとあしらわれていた。

「ベル……ですよね? 鳴らすんですか?」

「ふふ、しばしお待ち下さい」

「は、はぃ……」

 くすりと上がった口の端と綺麗なウィンクのサービスに、胸がきゅっと締めつけられる。思わず声がひっくり返ってしまっていた。

 ……変に思われていないだろうか。

 心配は杞憂だったようだ。バアルさんは穏やかな笑みを浮かべたまま、大きな手で俺の頭をよしよし撫でてくれる。最後に頬をひと撫でしてくれてから、ハンドベルへと手を伸ばした。

 魔力を込めているんだろう。スッと表情を引き締めた彼の手がぼんやりと輝き始める。途端に結晶も淡い光を帯びて、瞬いた。

「うわっ、え?」

 ……まるで花吹雪のようだった。

 室内へと放たれていく水色の光が何匹もの蝶へと姿を変え、次々に宙へと舞い飛んでいく。

 踊るように、戯れるように。縦横無尽に室内を飛び交う光景は、とても幻想的で美しい。思わず瞬きを忘れてしまうほど見入ってしまっていた。

「スゴい…………綺麗、ですね」

「……ええ、とても」

 しばらくすると、水色の光で出来た彼らが集まり、大きな一匹へと成っていく。ふわふわと宙を浮かぶその羽の左側にはメニュー名がずらりと並び、右側には料理の写真が映されている。

 ……ああ、そう言えば俺達、メニューを見ようとしていたんだっけ。普通に楽しんじゃってたけどさ。

 遊園地のアトラクションのような演出に、すっかり夢中になっていた俺とは違い、バアルさんは何だかスゴく手慣れた様子だ。特に驚くことも戸惑うこともなく、蝶の形をしたメニュー表へと手を伸ばしている。

「……このようにお写真を切り替えたり、拡大したりも出来ますよ」

 タッチパネルを操作するように光の中に浮かぶ画像に触れながら、丁寧に説明してくれた。

「どこのお店もこんな感じなんですか?」

「はい。勿論、デザインや演出は異なりますが……投影されたメニューから選択して注文する、という流れは共通でございますね」

「へぇ……」

「ところでアオイ様は、何になさいますか?」

 長く引き締まった腕にさり気なく抱き寄せられ、ひっきりなしに弾んでいた胸が違う意味で高鳴っていく。

「ふぇっ……えっと……」

 触れ合う肩から伝わってくる優しい体温が、スゴく嬉しいのに。いつもは安心できるハズなのに。なんだか今は、変に気持ちがふわふわしてしまって落ち着かない。

「お肉でしたらハンバーグやステーキ、ご飯ものでしたらドリアやオムライス……それからカレーがオススメのようですね」

 しなやかな指が動く度に、艷やかな料理の写真が……ぱち、ぱちと切り替わっていく。

「あ、じゃあ……オムライスで」

 つい、特に考えもせずに指差してしまっていた。ゆらゆら彷徨っていた俺の目にパッと飛び込んできた、黄色と赤のコントラストが素敵な画像を。

「畏まりました」

 ふわりと微笑みかけられ、大きく高鳴った鼓動と一緒に、肩まで跳ねてしまっていた。

 ……どうやら今の俺は完全に、食い気よりも色気の方が勝ってしまっているらしい。だって、全然頭に入ってこないんだ。メニューに触れながら、淡々と注文を続けてくれている彼の話が。

 それどころか……ただただ、堪能してしまっていた。すぐ側から聞こえてくる温かい心音と、ゆるゆると俺の頭を撫でてくれている手のひらの温もりを。だから、ワンテンポ遅れてしまった。
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