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自分から言ったくせに、期待してしまっていたらしい

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 どうやら、好きって気持ちには上限がないらしい。俺としては、もうとっくの昔に彼への想いが、あふれるほど募りまくっている自覚があったんだけどさ。

 それでも……どんどん降り積もっていくんだ。一緒に居てくれれば居てくれるほど、微笑みかけてもらえればもらえるほど。

 これからも多分……いや絶対、もっと好きになっていくんだと思う。昨日より今日、今日より明日って感じで……きっと。

 だから、その分って訳じゃないんだけど。ちゃんとイイところを見せて、アピールしないといけないよな。俺ばっかじゃなくて……彼にも俺のこと、ちょっとでも多く好きになってもらえるようにさ。

 ……そういう意気込みは、絶対に負けない。負けていないつもりなんだが。



 明るい鐘の音色に見送られ、雑貨屋さんを後にした俺達は、再びレンガが敷き詰められた大通りをのんびり歩いていた。

 ピンクに水色、オレンジと色鮮やかな建物達が、視界の端をゆっくりと流れていく。

 店内でお買い物をしていた時と同様に、手荷物はごく自然に彼の手に渡っていた。というか、取られてしまったんだ。せめて彼へのプレゼントは自分で……って思っていたんだけどさ。

 ……拒めなかったんだ。手を握られて、微笑みかけられて「今日は全て、私めに貴方様をエスコートさせて頂けませんか?」なんて、お願いされちゃったもんだから。つい、頷いちゃってたんだよ……嬉しくて。

 シンプルな茶色の大きな紙袋からは、戦利品の一つである猫クッションが、幸せそうな寝顔をひょっこり出している。先程から時々、すれ違う方々からのチラチラとした視線を感じるのは、この子が原因なのかもしれない。

 歩幅の狭い俺に合わせてくれながら、すらりと伸びた長い足で歩を進める彼、バアルさんはご機嫌だ。先程初めて見れた店内でのはしゃぎっぷりよりかは、幾分か落ち着いたように見えるけれども。

 緩く後ろに撫でつけられた、白く艷やかな髪が陽の光に照らされキラキラ輝く。額から生えている触覚が弾むようにゆらゆら揺れ、背にある半透明の羽もずっとパタパタはためいている。

 おまけに、整えられた白い髭が渋くて素敵な口元には、喜びがあふれてしまいそうな微笑みが絶えない。

 ……やっぱりかわいいな。いつも頼もしくてカッコいい彼ばかりを見ていたから、余計に。

 普段の彼は何があっても冷静で、穏やかな表情を崩すことが一切ない。それだけでなく、時間を操るなんてスゴい術を容易く使い、時には多勢に無勢の中、屈強な兵士さん方との手合いを涼しい顔で傷一つなく勝利を収めてしまうんだ。

 そんな男らしくて大人の余裕に満ち溢れた彼が、今は鈍い俺でも分かるくらいにウキウキしてくれている。もしかしたらその内、鼻歌が聞こえてくるんじゃないかなって、思わず期待してしまうくらいには。

 隣から伝わってくるとびきり明るい雰囲気に、浮かれっぱなしだった鼓動が大きく跳ねた。不意に抱き寄せられたからだ。支えてくれるように俺の腰に回されている、引き締まった長い腕から。

 ますます密着してしまった温もりと鼻を擽る優しいハーブの香りに、全身の熱が急上昇してしまう。でも、すぐに俺は思い知らされることになったんだ。ドキドキと高鳴っていくこのときめきは、ほんの序章に過ぎなかったんだって。

「あまり、斯様にお可愛らしい笑顔で見つめないで下さい……」

 少し見上げた先で、困ったように眉を下げた彼が微笑む。滑らかな白い頬をほんのり染め、どこか落ち着きなく指先で、茶色い巻きスカーフのシワを整えている。

 ……珍しいな。照れているんだろうか?

「あ、すみませ……」

 ついつい向け過ぎてしまっていた、不躾な視線に対して謝ろうとしたが叶わなかった。

 さらっと心を鷲掴みにされてしまったんだ。背筋がぞくぞくするような甘ったるい低音から続けざまに、耳元でそっと囁かれて。

「……奪いたくなってしまいます」

 何を? と問わなくてもすぐに分かった。いや、分からされてしまった。白く長い指先に、ぽかんと開きっぱなしの唇を、ちょんと優しくつつかれたからだ。

 いくつもの六角形のレンズで構成された、宝石よりも美しい緑の瞳が妖しく煌めく。無意識の内に止めていた歩みと同時に、時間まで止まってしまったんだろうか?

 そう錯覚してしまうほど、ほんのさっきまで周囲から聞こえていたハズの賑やかなざわめきは、今やすっかり消えてしまっている。聞こえているのは……ただ激しく高鳴り続けている俺の心音だけだ。

「ふぇ……」

 瞬く間に咲き乱れたお花が、俺の思考をぶわりと埋め尽くしていく。

 ……誰でもいいから褒めて欲しい。皆さんが行き交う大通りで堂々と逞しい胸元へ飛び込み、大胆にも首へ腕を絡めたくなった衝動に、すんでのところで打ち克った俺を。

「う、嬉しい、ですけど……ここじゃ、ちょっと……」

 またしても俺は、くしゃくしゃになるまでシワを寄せてしまっていたらしい。彼が身に纏う、明るめの紺のスーツジャケットを握り締めていた俺の手に、ひと回り大きな手がそっと重なった。

 しっとりとした指先に甲をゆったり撫でられて、手のひらから力が抜けていく。離すとすかさず、細長い指に絡め取られて、繋がれた。待っていましたと言わんばかりに、ぎゅっと。

 浮かれた熱で頭がぽやぽやしている俺に、どこか楽しそうな低音が囁く。

「ふふ、勿論弁えておりますよ」

 ……ホッとしたはずなのに、モヤッとしてしまっていた。

 上機嫌に触覚を揺らす彼の微笑みには、もう先程までのドキドキしてしまう艶やかさはない。いつもの柔らかい、陽だまりみたいな笑顔に戻ってしまっている。

 ……どうしようもなく欲張りな俺は、期待してしまっていたんだろう。自分から言ったくせに。彼の言う通り、場所をわきまえないといけないのに。

 自分の浅ましさに、気持ちが下を向きかけていた時だった。いつもより一段と低く柔らかい声が、俺の鼓膜を優しく揺らしたのは。

「それに何より、他人様に見られる訳には参りませんので。私だけに見せて頂ける……愛らしく蕩けたお顔を」

 しなやかな指が俺の頬を滑るように撫で、顎へと辿り着いて持ち上げる。

 一瞬、目の前で星が弾けたのかと思った。光の粒を閉じ込めたような、鮮やかな緑の瞳に魅入られて。目に映る景色が全部、キラキラと煌めいたように見えたんだ。

 鼻先で、蕩けるような笑みを贈ってくれた彼が離れていく。頭も、心も、ぽやぽやふわふわしている俺に、とびきり嬉しいお言葉で止めを刺してから。

「貴方様は、私だけのもの……でございますから」

 相変わらず彼は、俺を喜ばせる天才だ。俺からは何もサインを出していないのに、その時一番欲しい言葉を的確にくれるんだから。

 お陰様で俺の気分は、すっかり上を向くどころか舞い上がってしまっている。今の俺なら余裕で、あの晴れ渡った空高くまで飛んでいけそうだ。

「あ……ぅ……」

 ただ、うっきうきでスキップを踏んでる心とは正反対に、身体の方はノックアウト寸前だった。ひたすら情けない声を漏らしながら、無駄な筋肉が一切ない男らしいお身体に縋りつくことしか出来ない。

 全体重をかけてしまっているにも関わらず、片手で俺をしっかり支えてくれている彼は余裕綽々だ。

 そんでもって、ご満悦そうだ。白い水晶のように透き通った羽をパタパタとはためかせ、楽しそうに口の端を持ち上げている。

「ところで、アオイ様」

「ひゃいっ……な、なんれしょう?」

 脳みそだけでは飽き足らず、とうとう口までバカになってしまったんだろうか。びっくりするほど全っ然舌が回らない。下手したら通訳が必要なレベルだ。

「お次は、私達のペアリングをご一緒に選ぶ予定でしたが……」

 後光が差して見えるほど、優しさに満ちあふれているバアルさんは、そんな俺の様子を見ても笑うことは一切ない。それどころか大きな手で、俺の頭をよしよし撫でてくれている。

「一度、休憩を兼ねて昼食に致しましょうか。お時間も、丁度いい頃合いですので」 

 いつの間に取り出したのか。彼の手元には、銀色に輝く飾り気のない懐中時計が収まっていた。俺に見えるように差し出された文字盤の針達は、そろそろ十二時を指し示そうとしている。

「は、はい……そうしてくれると、スゴく助かります……」

 すでに色々と限界だった俺は、渡りに船だとばかりに頷いた。なんせ俺の膝は、今現在も絶賛がくがく笑いっぱなしだからな。

「ふふ……では、参りましょうか」

「……はい」

 そのまま、もたれ掛かって頂いて構いませんよ、と微笑みながら、筋肉質な彼の腕が俺の歩みを助けてくれる。お言葉に甘え、引き締まった腰に腕を回すと柔らかい笑みがふわりと深くなった。
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