間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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何やら、とんでもない誤解が生じているらしい

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 要は、卵が先か鶏が先かってヤツだと思うんだよな。

 ん、何の話だって? ……いや……さ、……好きだから、そう思うのか……それとも、そう思ってるから、好きなのかって話。なんでそんな話になったかっていうと、きっかけは彼の一言からだったんだけど……



 青い石で出来た広めの浴槽は、平均的な身長の俺が大の字になっても、指先も足先も当たらない。肩までゆったり浸かれるお湯が、たっぷり満たされている。

 いつも俺を甘やかしてくれる大きな手に、今日も隅々まで綺麗にしてもらった四肢をゆるりと伸ばし、寛いでいた時だった。

「……アオイ様は……やはり筋肉が、お好きでいらっしゃいますか?」

 もうもうと立ち上る湯気によって湿度が増している浴室内の空気に、どこか躊躇いがちに発せられた低音が、ぽつりと反響してから溶けていったのは。

 後ろから俺の全身を包み込むように緩く抱き締め、お腹の辺りに回されている筋肉質な腕に少しだけ力が込められる。

「へ?」

 微かな吐息に耳を擽られ、ただでさえ高鳴りっぱなしの鼓動が大きく跳ねた。身体も連動して跳ねてしまっていたのか、小さな水音と一緒に小さな波紋が湯水に広がっていく。

 いきなりの刺激は心臓に悪いな……水着を着ているとはいえ、さっきからずっと彼の、バアルさんの綺麗な白い素肌が……逞しいお胸が……背中に当たっちゃってるんだから尚更。

 いや、でも……向き合った状態でお膝の上にお邪魔させてもらうよりは、今みたく後ろから抱っこしてもらっている方がまだ気が楽っちゃ楽なんだけどさ。真正面から、清潔感のある白い髭が素敵な彼の、柔らかい微笑みをもらい続けちゃうと心臓がもたないし。

 おまけに水が滴って、余計に色気がマシマシになっている、均整の取れた彫刻みたいに盛り上がった肉体美まで視界に映り続けちゃうと……目の保養すぎて逆に毒になっちゃうからな、確実に。

 それにしても……よっぽどガン見してしまっていたんだろうか、さっきの俺は。

 思わず間抜けな声を漏らしてしまっていた俺の脳内には、少し前の自分の姿がふっと蘇っていた。バアルさんに洗ってもらったお返しに、その鍛え抜かれたお背中を流させていただいていた、俺の姿が。

 よくよく思い出してみれば、ひたすらカッコイイなぁ……と心の中で呟きまくっていた気がする。無意識の内に、不躾な視線を注いでしまっていたのかもしれない。

 いくら彼が、とびきり優しく心が広いからって甘えすぎたかな……気を悪くさせてしまったのかも……

「ご、ごめんなさい……見すぎちゃってましたよね」

「…………申し訳ございません、見すぎていた……とは?」

「え、俺が洗うのそっちのけで、バアルさんの身体に見惚れちゃってたから……そんなに筋肉好きなんですか、ってうんざりしちゃってたんじゃ……?」

 蛇口から落ちた滴が、ぽとんと青い石造りの床に着地する。二人同時に口を閉ざしてしまったせいだろう。小さな音のハズなのに、妙に大きく聞こえたんだ。

 もしかしなくても、受け取り方を間違えてしまったんだろうな……俺が。いつの間にか、顔どころか全身が一気に熱くなっていたのは……なにも、お風呂の温度が熱いからってだけではないだろう。

「……す、すみません、今の……ナシで……」

「ふふ、今のとは……貴方様が、この老骨めの身体に見惚れて下さっていたこと、でございますか?」

「う……だから、ナシって言ってるじゃないですかぁ……」

 すっかり上機嫌になったご様子の彼がくすくす笑う。引き締まった腕で、ぎゅうぎゅうと抱き締めてくれる。

 お湯の中でも十分伝わってくる、背中越しに感じる肌の滑らかさ、お胸の筋肉の柔らかさに、ますます浮かれた熱で頭がぽやぽやしてきそうだ。

 ……多分、いつもみたいに触覚は揺れているんだろうし、背中の半透明な羽もはためいているんだろうな……

 ぴったり密着しているから見れないけれど。その明るい声色から、容易に想像することが出来たんだ。いや、元気になってくれたんだったらいいんだけどさ。

「……じゃあ、何で聞いたんですか? 俺が言うのもなんですけど……今更じゃありません?」

 そもそも、やはりって自分から言っていたくらいだし……今までの触り合いっこやらなんやらで、とっくの昔にご存知なハズだ。

 俺がバアルさんの盛り上がっているところは盛り上がり、引き締まっているところは引き締まっている、男らしい身体に興味津々などころか、本人からオッケーが出れば、思う存分触りまくってしまうくらいに夢中なことは。

 俺の問いかけに、抱き抱えてくれている長い腕に再び力がこもる。耳元で、吐息を吹き込むように囁かれた思いもよらない言葉に、俺の心臓はバクバクとはしゃぎ始めることになったんだ。

「端的に申し上げますと……嫉妬しておりました」

「は?」

 全くもって分からなかった。一体全体どういう道筋を辿ればそこから『やっぱり筋肉が好きなんですか』と問いかけるに至るのかは勿論。

 今日一日、朝起きてから二人でいつも通りの穏やかな日を過ごし、夕ご飯を一緒にいただいて。そして今、お風呂に入るまでの間に、バアルさんが嫉妬してくれるような出来事があったのかも。

「……え? 誰に……ですか?」

 どれだけ必死に回そうが、単純な俺の脳みそでは答えが出せそうにない。早々に諦めた俺は、聞くが早いと尋ねてしまっていた。一番気になって仕方がない質問を。

「お顔合わせの際、親衛隊の皆様……特にサロメ殿と親しげにお話されておりましたよね?」

「……ああ、はい。そう、でしたね」

 穏やかな低音によっておずおずと紡がれた言葉によって頭の中で午後の出来事が。恐れ多くも俺の親衛隊になっていただけた、兵士さん方との自己紹介が思い出されていく。

 もれなく顔面偏差値の高い地獄の方々なだけあって、当たり前のように皆さんイケメンだったっけ。タイプはそれぞれ違うけど。

 えっと……サロメさんは……確か、バアルさんの熱烈なファンであり、そして何故か……いまだに信じられないが俺のファンでもある、シアンさんのお友達? だったよな。

 ワニみたいな真っ黒の尻尾を生やしていて、屈強って言葉を体現したみたいに、威圧感のある見た目をしていたけれど。俺がパニクりかけていた時に、助け船を出してくれた優しい方だ。

 多分、気を使ってくれていたんだろう。その後も、ちょくちょく話しかけてくれて……お陰で余計な肩の力が抜けたんだよな。

 気さくな方だったなぁ……

 快活な笑顔を思い浮かべていた俺を、後ろからぽつぽつと降ってきた低音が、現実へと引き戻す。

「彼は……私よりも雄々しく、若々しくいらっしゃったので……より逞しい方がアオイ様はお好みなのかと……」

 どこか切なそうな響きを含んだ声色と耳を疑う発言に、思わず身体ごと振り返ってしまっていた。何やら俺の預かり知らぬところで、とんでもない誤解が生じているようだ。
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