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もう二度と、バアルさんを傷つけたりはしない

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 以前の失敗から俺は学んだ。前とは、逆の行動をすればいいんじゃないか? と。

 あの時、初めてバアルさんにキスしてもらえて、俺は浮かれまくっていた。

 顔を見ると、またして欲しくなっちゃうから……意識しすぎちゃって恥ずかしいから……などと自分勝手な理由で、彼から目を逸らし続けるどころか、顔ごと背けてしまっていた。

 そして、彼を傷つけた……バアルさんに、好きな人に『私とのキスは嫌でしたか?』とまで言わせてしまった……

 悲しそうな、思い出すだけで胸が締めつけられる、切ない顔をさせてしまったんだ。

 だから、もう俺は失敗しない。目を逸らしたくなった時は、逆に見つめればいい。キスして欲しくなったら素直にそう言えばいい。

 いや、ヘタレな俺の場合、寧ろ自分からするくらいの気概で臨むくらいが、丁度いいのかもしれないな。

 ……じゃあ、昨日の夜みたいに、触って欲しくなったらどうするんだって?

 ……さ、さすがに明るい内は、ちょっと……いや、大分恥ずかしいから、夜がいいかな……それに、してもらう前は、やっぱりお風呂でちゃんと綺麗にしてからじゃないと…………

 って何を言っているんだ俺はっ……と、とにかく今回こそ俺の作戦は完璧なハズだ! な、そうだろ?



 きめ細やかな刺繍が施された絨毯が、青い石造りの床全体を覆っている、整然とした室内の奥。大人3人が川の字になっても、まだまだ余裕があるふかふかなベッドの中央で、俺は長く筋肉質な腕に包まれていた。

 頭の後ろに添えられた白く大きな手が、俺の短い髪を梳くように撫でてくれながら、腰に回しているもう一方で背中をゆったり擦ってくれる。

 柔らかく微笑むバアルさんの口元に蓄えられた白い髭は、昨晩よりも少し伸びて渋さが増している。

 これは、これで、カッコよくて素敵だな……

 つい見惚れてしまっていると、形の良い唇が擽ったそうに綻んでいく。吸い寄せられるように、再び自分から顔を寄せれば口端を持ち上げて、俺の拙いキスを、そっと受け止めてくれた。

 優しい目元に、さらりとかかっている白く艷やかな髪が、大きな窓から差し込む柔らかい朝の日差しに照らされ、淡い光を帯びている。

 ゆるりと細められたまま、俺を捉え続けている、いくつもの六角形のレンズで構成された瞳。宝石のように美しい緑の瞳も、また鮮やかな光の粒を閉じ込めたように煌めいていた。

 先に、結論から言っておこう。珍しく俺の作戦は成功したんだ。

 普段通り、俺よりも早く目覚めていた彼から「……おはようございます、アオイ様……」と穏やかな微笑みを浮かべた唇で、額にそっと触れてもらえて。一気に、顔も、全身も、熱くなった俺の頭の中には案の定、昨晩バアルさんに致してもらったことが、ぶわりと色鮮やかに思い起こされてしまっていた。

 思い出せば当然、滅茶苦茶恥ずかしくはなるものの……あの時と同じように、身体の奥の方がうずうずするような、甘ったるい気分にもなってしまう訳で……

 だから早速、実行に移すことにしたんだ。して欲しくなったら、恥ずかしがらずにガンガン自分からいってしまえっ! という完全に勢いに任せきっている作戦を。

 声は、ちょっと震えてしまったけれど。ちゃんと挨拶を返すことが出来てから、すっと通った鼻先にすり寄っていった俺に、彼は瞳をぱちぱちと瞬かせていた。

 でも、優しくて察しのいい彼は、すぐに俺の意図を汲んでくれて。柔らかい笑みを湛えた唇を、俺の口に重ねてきてくれたんだ。

 それから俺達は、まったりと少し早い朝のひと時を過ごしていた。

 彼の逞しい膝の上に乗せてもらいながら、手を繋いで額を寄せ合ったり。互いの頭や頬を、かわりばんこに撫で合いっこしたり。そんな風に恥ずかしがらずに、彼とスキンシップを重ねていたお陰だろう。

 以前は、しょんぼりと垂れ下がらせてしまった、額から生えている触覚は、上機嫌にゆらゆら揺れている。縮ませてしまった背中の半透明の羽も、ぱたぱたはためいている。

 なにより今、鼻先にある彫りの深い顔は、花が咲いたような笑顔を浮かべたままだ。全く、ほんの少しだって、陰りなんて帯びちゃいない。

 これはもう、成功したと言い切ってもいいんじゃないか? いや、いいだろう。

 ただ、深刻な問題が二つある。

 一つ目は、単純にドキドキバクバクとはしゃぎっぱなしな俺の心臓が、そろそろもちそうにないってこと。

 二つ目は、彼との触れ合いが心地よすぎて、止め時が分からないってことだ。

「……今日の貴方様は、大変積極的でございますね」

 何度目かの俺からの誘いを受け入れてくれ、優しく食んでくれた後。ゆっくりと離れていってしまったバアルさんが、どこか甘さを含んだ穏やかな低音で囁く。

 白い頬をほんのり染めた彼の細く長い指が、少し滲んでいた俺の目元を拭うように、するりと撫でた。

「……変、ですか? やっぱり……」

 基本的に俺は、どうしようもなく不甲斐ない。何百歳も年上で、包容力が雲を突き抜けるくらい高く、そういったことの経験値がおそらくカンスト済みであろう彼に毎回甘えっぱなし。優しくリードしてもらいっぱなしなのだから。

 そんな俺が、キス以上に恥ずかしくなってしまうことをしてもらった後だというのに。照れまくって思わず離れるんじゃなく、自分からくっついてきたら。そりゃあ、不思議に思われてしまっても仕方がないだろう。

「とんでもございません……大変お可愛らしいですよ。口づけさせて頂く度に、はにかむアオイも大変愛らしく存じておりますが……斯様に御身から求めて頂けると、年甲斐もなく心が躍ってしまいます……」

「ひぇ…………お、俺も……バアルといっぱいキス出来て……嬉しいですよ」

 この時の俺は、とにかく恥ずかしさをかなぐり捨てていた。自分がしたいと思ったことを、最優先するように努めていたのだ。

 だから、どれだけ自分が嬉しさで、緩みきった情けのない顔になっていようが、彼の胸元に押しつけて隠すことはしなかった。震えていようが、下手だろうが、自分から彼の唇に、口を押し当てにいっていた。

 その後のことなど、一切考えていない。脊髄反射的に行動していたのである。

 だから彼に可愛いと言ってもらい、おまけに呼び捨てで呼んでもらえて、俺は舞い上がってしまっていた。彼にも同じように返したい、素直な気持ちを伝えたい、という思いに突き動かされ、口を開いていたんだ。

 だから全く考慮していなかったし、思いもしなかった。常に紳士的で、物腰が柔らかく、大人の余裕に満ちあふれている彼も、俺と同じ男であることを。

 俺が彼に……いっぱい触れて撫でて欲しい、もっとたくさんキスして欲しい、と思っているように。彼にもまた、そういった欲があるということを。
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