間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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現地獄の王様からのアルバイトのお誘い

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 それは今朝、いつものように友達のグリムさんと彼の師匠であるクロウさんと4人で、バアルさんの淹れてくれた紅茶を楽しんだ後のことだった。

 現地獄の王であるヨミ様が、俺達の部屋を訪れたのは。

 たおやかな手で悠々と、俺だったら両手で持たないと落としてしまいそうなサイズの木箱を、こぼれんばかりに山盛りにされた灰色の石が詰まった木箱を、片手に。

 そして、地を這うような低い声で、開口一番。

「アオイ殿……アルバイトをしてみないか?」

 と真っ赤な瞳を爛々と輝かせ、真っ黒なコウモリのような形をした羽をバサリと広げ、俺に向かって手を差し出したのは。

 彼から漂うあまりの迫力と威圧感に『我が軍門に下れば、貴様に世界の半分をくれてやろう!』などという、悪の親玉の定番な台詞が一瞬、頭に過ぎったのは内緒だ。

 そんな、世界征服を狙うRPGの魔王様とは真逆で、親切心と面倒見の良さにあふれたヨミ様からの提案は二つ。

 お城の生活にはだいぶ慣れてきただろうから、たまにはバアルさんと城下町に出かけてみてはどうだろうか? というものと。

 その時に、俺が自由に使えるお金があった方がいいだろうから。この石に魔力を込めることが出来たら、その量と質に応じて賃金をくれるというものだった。

 勿論、俺は二つ返事どころか食い気味に、その提案に飛びついた。心残りがあったからだ。

 つい先日、バアルさんの誕生日に、俺はプレゼントとしてケーキを手作りした。けれども、やっぱり形に残る物も贈りたかったのだ。

 それに、城下町へ出かけるということは、つまるところ買い物デートなのだ! バアルさんとの! せっかくならば、なにかお揃いの物を買いたいと思うのは当然だろう。うん。

 そんなこんなで俺は今、絶賛アルバイトの真っ最中って訳だ。

 魔力を込めるという動作自体は、単純なものだ。ヨミ様も、誰にでも出来る仕事だって言っていたし。

 ただ、魔術初心者の俺は、熟練の術士であるバアルさんと違って、簡単に魔力を練ることが出来ない。

 なので、毎回毎回時間をかけて練っては、石に込めるという工程を繰り返し続けるのは、中々骨が折れる。

 集中力が必要な作業だからな。肉体的な疲労感よりも、精神的なというか。ああ、アレだ。ただひたすらに、小難しい計算問題を解いてるような、そんな感じ。勉強が苦手だった俺にはしんどい作業だ。

 お陰で、ちょっとでも気を抜けばヘタレな俺が、こんだけ頑張ったんだから少しは休憩したらどうだ? なんてそそのかしてくるんだ。

 でも、そんな心が傾きそうな時は、こっそり隣を見ればいい。それだけで、あっという間にヘタレた俺も一致団結して、頑張ろうぜと拳を握ってくれるんだ。

 俺の隣で、柔らかい光を帯びた緑の瞳を細め、見守ってくれるバアルさん。石が綺麗に色づく度に「お上手ですよ」と「大変よく出来ましたね」と穏やかな低音で褒めてくれる、好きな人の笑顔を一目見れば。



 取り敢えずは、今日のノルマを。事前にバアルさんが俺の力量的に「この程度であれば、丁度負担にならないでしょう」と別の箱に分けて入れてくれた分を、無事こなすことが出来てホッとする。

「あー……終わったぁ……」

 心穏やかな疲労感からか、俺の口からは、背伸びと一緒にあくびのような気の抜けた声が漏れていた。

「お疲れさまでした、アオイ様」

 穏やかな低音が頭の上から降ってきて、甘い花のような香りが俺の鼻を擽った。

 湯気立つティーカップが差し出される。見上げれば、柔らかく微笑むバアルさんと目が合った。

 銀の装飾が施されたローテーブルの上にある、今日の成果をぼんやり眺めながら、俺は座り心地抜群のソファーに身を委ねていた。四肢を伸ばした、だらしのない姿を晒してしまっていたのだ。バアルさんの前で。

 慌てて背筋を伸ばし、広げていた足を閉じた俺にバアルさんが「お気になさらず、疲れたでしょう?」と目尻のシワを深める。

「すみません……ありがとうございます、バアルさん」

「いえ、お熱いのでお気をつけ下さい」

 大きな手から白い陶器のカップを受け取り、ゆっくり口をつける。何だか、いつものより甘いような。

 不思議に思い、真上から見れば満開のお花の形をしたカップを覗けば、赤い何かが沈んでいる。ジャムだ。潰れた苺の果肉が確認出来た。

 成程、ほのかに感じた甘酸っぱさは、苺ジャムによるものか。

「……甘くしすぎましたか?」

 しげしげとカップの底を眺めていたせいで、折角優しい気遣いをしてくれた彼を不安にさせてしまったらしい。

 おずおずと俺の隣に腰掛け、すらりと伸びた筋肉質な足を綺麗に揃えた彼が、形のいい眉を下げて俺を窺っている。

「いえ、丁度いい甘さで美味しいですよ。ただ、紅茶にジャムって珍しいなって思って……」

 慌ててカップをテーブルに預けてから白い手袋に覆われた手を握る。途端に、しおしおと縮んでいた背中にある半透明の羽が、ぱたぱたとはためき始め、しょんぼりと下がっていた額から生えている触覚が、ぴょこんと元気を取り戻す。

 綺麗に整えられた白い髭が似合う口元を、ふわりと綻ばせ、細長い指を絡めて握り返してくれた。

「お口に合いましたようで、何よりでございます」

 目尻を下げて、バアルさんは俺に話し始める。先ずは、紅茶に合うジャムの話から。それに連なるように、ちょっとした紅茶の豆知識を教えてくれる。

 耳心地のいい声が紡ぐプチ講座を聞きながら、俺は昨日の残りのパウンドケーキと一緒にお茶を楽しんだ。

 魔術に関して話している時も思ってはいたが、自分の好きなことを俺にも分かるように噛み砕いて教えてくれている時の彼は素敵だ。

 眩しい笑顔は勿論だが……ただでさえ宝石のように美しい瞳が、いくつもの六角形のレンズで構成された瞳が煌めく様は、失礼だと思いつつもついつい見惚れてしまう。

 思わず夢中になりすぎて、彼の突発的な行動に気づくのが随分と遅れてしまうほどに。

「ん……」

 すっと鼻筋の通った彼の顔が、いつの間にか目の前まで迫っていたことを、ようやく認識した時にはすでに柔らかいものが触れ合っていた。

 まだ現状をいまいち把握できていない頭には、やっぱりカッコいいな……などという当たり前の感想がぽやんと浮かぶ。

「申し訳ございません……大変愛らしい貴方様からの熱心な眼差しに、己を律することが叶いませんでした」

「……あっ……いえ、俺の方こそ……じろじろ見ちゃって、すみませんでした」

 そうは言いつつもバアルさんは特に悪びれた様子もない。涼しい顔で俺の肩を抱き寄せてくるんだから。

 余裕綽々な彼に対して、俺の心臓はお祭り騒ぎの真っ最中だ。

 そんな素振りなんて、全然見せなかったのに。胸の辺りが擽ったくなるような、甘い雰囲気にもなっていなかったのにさ。不意打ちすぎる。嬉しいけど。

 たった一回のキスで、頭の芯まで蕩けてしまっていたのか、慣れないことをした疲れで、気分がハイになってしまっていたのか、その両方か。

 この時の俺の思考は、ぶっ飛んでいた。俺もバアルさんをびっくりさせちゃおうかな……などと目論んでしまう程度には。

 思い立ったら即行動。俺の頭をよしよし撫で回してくれている彼の黒いスーツのジャケットを、シワが寄らないように軽く摘んでちょいちょいと引っ張ってみる。

 俺の作戦は完璧なハズだった。「いかがなさいましたか?」とこちらを向いた彼に口づけて「びっくりしました?」と言うだけなのだから。言うだけ、だったのに。

「ふふ、いかがなさいましたか? アオイ」

 まさかそんな、とびきりの笑顔と一緒に甘さを含んだ低音で囁かれてしまうなんて。実行に移す前に、あっさりと返り討ちにされてしまうなんて。思ってもみなかったんだ。
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