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一番、落ち着く場所

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 クロウさんのお陰で落ち着きを取り戻したグリムさんと「改めてよろしくお願いします」と握手をし「また明日」と手を振り、別れた。

 そんなに気を遣っていただかなくても大丈夫なのに。サタン様は、何度も「すまなかった」と謝ってくれて「良かったら、二人で食べてくれ」とおしゃれな箱に入った生チョコレートまで、いただいてしまったんだ。


 ……なんだか、とても長い間、部屋を離れていた気がするな。そんなに大して経った訳じゃないのに。

 現に、まだ外の明かりはオレンジ色に染まることなく、さんさんと差し込んできているしさ。

 整然とした広い部屋の奥で鎮座している、大人が3人川の字で寝てもまだ余裕があるベッド。真っ白なシーツに覆われたそこへ、吸い寄せられるように倒れ込んだ俺を、ふかふかの布団が受け止める。

 そのまま俺は、うつらうつらと夢現を行き交ってしまっていた。温かい手のひらが、俺の頭を優しく撫でてくれる。

「……バアルさん」

「はい」

 名前を呼べば、当たり前のように答えてくれる彼へと手を伸ばす。とても察しがよくて優しい彼は、俺の考えていることなんて、まるっとお見通しみたい。

 手早く身に着けていた白い手袋と黒いネクタイ、ジャケットを脱いでは、手品のようにどこかへと消していく。瞬く間に、白いシャツと黒のズボンだけのラフな格好になった彼が、そっと俺の隣へ横になる。

 白い髭が素敵な口元を綻ばせ、俺の額に優しいキスを送ってくれてから、引き締まった腕の中へと抱き寄せてくれたんだ。

 ……やっぱり、ここが一番落ち着く。ハーブの香りに包まれながら、彼の温もりをずっと近くに感じていられるこの場所が、一番。

「……申し訳ございませんでした」

 抱き締めてくれていた腕の力が不意に緩む。少し見上げた位置にある、彼の彫りの深い顔がゆっくりと近づいてきて、俺達の額がそっと合わさった。

「……グリムさんのこと、ですか?」

「ええ、左様でございます……」

 甘えてくれているように、すっと通った鼻先を擦り寄せてきたバアルさん。彼の眉間には深いシワが刻まれている。

 よくよく見れば、額の触覚も。力なく、しょんぼりと下がってしまっていた。背にある半透明の羽も、しゅんと縮んでいて、何だか元気がなさそう。

「気にしないでください。なにか、理由があるんだろうなってことは、分かってましたから」

「やはり、お気づきでしたか」

「うーん……気づくというか、なにか……知ってるのかなって。でも、きっと誰かの為か……俺の為に、黙ってくれてるんだろうなって思ってました」

「アオイ様……」

「……大丈夫ですよ。もし、また似たようなことが起こったとしても……どんな時だって、俺は、バアルさんを信じてます」

 一回り大きな白い手を取り、繋いで、ありったけの想いを言葉にのせる。

「だって俺……好きだから。バアルさんのことが、大好きだから」

 バアルさんは、なにかを堪えているようだった。歪んでいた薄い唇が僅かに開き、宝石のような緑の瞳が瞬く。

「……ん」

 気がついた時には、俺達の距離がなくなって、重なっていた。

 彼に優しく食んでもらえる度に、俺の心臓は煩くはしゃぎ出す。当たり前だろ? 好きな人にキスしてもらえているんだから、でも……

 ……なんか、おかしい。

 ドキドキするのも、だんだん全身が熱くなっていくのも……ちょっとだけ身体の奥の方がうずくのも、いつも通りだ。なにも、変わりはない……ハズだ。ハズなのに。

 彼と繋がっている部分から、なにかぽかぽかするものが流れ込んできている。俺の心に、直接言ってもらえているような気がするんだ。好きだよって、愛してるって。何度も。

 甘く痺れるような感覚に、腰どころか全身の力まで抜けてしまいそうだ。

 頭の隅っこの方に、少しだけ残っていた冷静な俺が、このままじゃダメだと。最後の力を振り絞って、彼に限界を伝える。

「あっ……バアルさ、待って……んん」

 名残惜しそうに上唇をそっと食んでから、彼がゆっくり俺を開放する。目尻や頬に優しく口づけてくれながら、柔らかい声で俺に尋ねた。

「……いかがなさいましたか?」

「は……なんか、いつもと違う……これ…………おかしく、なっちゃう……」

 いまだに、ぐるぐると全身を駆け巡っている熱のせいだ。胸の高鳴りが収まらない。まるで俺の身体自体が、心臓になってしまったみたい。

 労るように、俺の頬や背中を撫でてくれていた彼には、思い当たることがあるらしかった。納得したように「ああ」と一言漏らしてから、白い頬をほんのり染めた。

「私の感情が、魔力を介して貴方様に流れてしまったのでしょう」

「……バアル……さんの?」

「ええ、申し訳ございません。普段は制御しておりますが……貴方様から頂けた身に余るお言葉に、つい昂ぶってしまいました」

 ……感情が流れてきたって……じゃあ、さっきの好き……とか、愛してるって……

 これ以上はないと思っていたのに。全身の熱が、鼓動が、導き出された答えによって、ますます熱く激しくなる。

 彼への気持ちが、好きって気持ちがあふれてしまったんだろう。

 気がつけば俺は、さっきの続きを強請るように彼の首に腕を絡めていた。宝石のように煌めく緑の瞳を、じっと見つめていたんだ。

 白い水晶みたいに透き通った羽が、ぶわりと広がっていく。ふわりと綻んだ口が、嬉しそうに俺の名前を呼び、口づけてくれる。

 言葉で、気持ちで……何度も愛を囁いてもらいながら、俺は二人っきりの時間に溺れていった。
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