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優勝のご褒美

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 明るく雄々しいざわめきに見送られながら兵舎を後にした俺とバアルさん。中庭の片隅にあるベンチで、すらりと伸びた長身の彼と肩を並べる俺の心は、晴れやかだった。頭上に広がる、目がチカチカしそうなくらい真っ青な空と同じで。

 おまけに、いただけることになったのだ。

 長く引き締まった足を、ゆるりと組んで隣に腰掛ける俺の……す、好きな人。バアルさんの手作りサンドイッチを昼食にと。

 お陰様で、ただでさえ胸が弾みまくっているのに、心臓までもがお祭り騒ぎをし始めていたんだ。

「アオイ様」

 穏やかな低音が俺の名を呼ぶ。

 しなやかな指が、瑞々しいレタスに、スライスされたトマトとハムを挟んだサンドイッチを摘み、俺の口元へと運んでくれる。

 食べやすいように一口サイズに切られていたサンドを頬張る。

 ふわふわのパンの後に続く、シャキシャキとしたレタスの食感。甘いトマトと塩気のあるハムに、マヨネーズの酸味とコクが加わり絶品だった。

 贔屓目を差し引いても、俺の中での歴代サンドイッチランキングにおいて、ぶっちぎりで一位に輝いたのは言うまでもない。

「お味は……いかがでしょうか?」

 そんな、完全に浮かれまくった、お花畑状態の頭で答えてしまったせいだ。

「優勝ですっ」

 どこか不安気に、キッチリ撫でつけられた、オールバックの生え際から生えている触覚を揺らしていたバアルさん。彼の、いくつもの六角形のレンズで構成された複眼を、宝石みたいに煌めく緑の瞳を、きょとんとさせてしまったのは。

「あっ……いや、それくらいすっごく美味しかったってことで……」

 おかわりを用意しようとしてくれていたんだろう。傍らに置いてある、サンドイッチの詰まったバスケットに手を伸ばしたまま、バアルさんは背にある半透明の羽をはためかせることもなく、固まってしまっている。

 彼のご様子に、俺は慌ててわたわたと自分の胸の前で両手を振っていた。

 しばしの沈黙の後、俺を映していた瞳が、ゆるりと細められていく。

「ふふ、大変光栄に存じます」

 引き結ばれていた、白い髭が似合う口元がふわりと綻ぶ。くすくすと押し殺したような笑い声が漏れた。

「ご用意する時間がなく、有り合わせのもので作らせて頂いたので……些か不安でしたが」

 白い手袋に覆われた指先が、そよそよと吹き抜ける心地のいい風によって、乱れてしまっていた俺の髪を優しく整えてくれる。

「お褒めの言葉を頂け、大変安心致しました」

 温かい陽の光に包まれ、淡い光を帯びた緑の瞳が、優しく微笑んでくれる。

 それだけで俺の胸は、肩を寄せ合っている彼に聞こえてしまいそうなくらいに、うるさく高鳴ってしまうんだ。

「因みに……貴方様からなにか、ご褒美を頂けますでしょうか?」

「へ?」

 思いがけない彼からの言葉にぽかんとしてしまっていた。間の抜けた声を上げた形のまま開いている俺の口へ、また細長い指が伸びてくる。

「優勝、致しましたので……」

 指の腹で、わざとらしく唇をゆったりと撫でながら、いつもより低めの声で囁いた。

 彼の柔らかい眼差しには、いつの間にか妖しい熱がこもっていた。

 しっとりとした指がなぞる度に、腰の辺りから背骨に沿ってぞくぞくと込み上げてしまう。甘く痺れるような不思議な感覚に、すっかり頭の中が真っ白になっていく。

「お、おめでとう、ございまひゅ……」

 俺は、ただでさえ意味不明なお祝いの言葉を噛みまくった。挙げ句に何故か、艷やかに光る彼の白い髪に震える手を伸ばし、ぽん、ぽんっと撫でてしまっていた。

 再びきょとんと見開かれた緑の瞳に、ようやく気づく。とんでもない自分のやらかしに。

「あっ、すみませ……」

 焦って引っ込めようとした手を、ひと回り大きな手に素早く握られ、繋がれた。続けて、するりと俺の腰に回った筋肉質の腕に、勢いよく抱き寄せられる。

 逞しい胸板に頬を寄せる形で、密着してしまう。途端に伝わってくる優しい温もりに、ふわりと香るハーブの匂いに。急上昇した浮かれた熱で、思考回路が焼き切れてしまいそうだ。

「お気になさらないで下さい……」

 なのに彼ときたら、腕を緩め、繋いでくれていた俺の手を、徐ろにほんのりと染まったご自身の白い頬に導いたのだ。

「どうか、もっと……私めに触れて頂けませんか?」

 甘ったるい響きを含んだ低音で、ドキドキが止まらなくなってしまう言葉を紡いでくるのだ。

 いつもは、涼しい顔で淡々と俺の身体を洗ったり、下着を畳んだりしてしまうのに。何で、こういう雰囲気の時だけは、簡単に越えてくるんだ。

 嬉しいって言ってもらわなくても分かるくらい、あふれんばかりの喜びを唇に湛え、微笑みかけてくれるんだ。

「ひゃい…………し、失礼しまふ……」

 しっかり心をぶっ刺された俺は、呂律が回らなくなってしまっていた。

 それどころか、折角彼から誘っていただけたのに、すべすべの肌にほとんど触れることも出来なかった。

 バアルさんから漂う、大人の男性の色気に頭がオーバーヒートしてしまったのだ。ぐったりと彼にもたれ掛かり、またしても上等な黒いスーツにシワを作ってしまったんだ。
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