間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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違わないです! バアルさんは、俺にとって大切な人なので!

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 さっきは俺のせいで、大分聞き逃してしまっていたこともある。それに、いくらバアルさんがいるとはいえ、危ないどころか迷惑甚だしいだろう。

 まだ魔術のまの字を学んでいる最中の、ど素人である俺が、火の粉や氷のつぶてが飛び交う彼らの演習に近づくのは。

 ということで、遠く離れた場所でバアルさんのお話を聞きつつ、まったりこっそり見学させていただくつもり……だったのだが。

 俺の視力では、彼らの顔を全く視認できない距離だというのに、あっさり見つかってしまった。それどころか、あっという間に取り囲まれてしまい、今に至るという訳だ。


「こらお前達、演習中になにを……なんとバアル様ではありませんかっ」

 俺達を囲んでワイワイと騒ぐ兵士さん達を掻き分け、一際厳つい体格の男性が現れる。

 身に纏う軍服の胸元は、色とりどりの勲章によって彩られている。星や花の形をしていたり、鳥の翼をモチーフにしていたりと多種多様。見るからに位が高そうというか、立派そうだ。

 周りにいた兵士さん達も、いつの間にかピシリと背筋を伸ばして、綺麗に整列しちゃっている。

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、レダ殿。少々見学をさせて頂きたいのですが」

 俺をそっと下ろしたバアルさんが、レダさんに向かって綺麗な角度のついたお辞儀を披露する。

 一睨みするだけで、周りの人が震え上がってしまいそうなほど、鋭くつり上がった目をしたレダさんだったが。

「ああ、勿論構いませんよ。こちらこそ、部下がお騒がせしたようで申し訳ありません」

 人も悪魔も見かけによらないということだろう。凄まじい威圧感と歴戦の戦士のような風格を漂わせていた表情が、ぱっと快活な笑みに変わる。

 ライオンのような耳を、ぱたぱた動かしているご様子は何だか照れくさそう。無骨な手を後頭部に回し、頭の形に沿って刈り上げられた髪を、豪快にくしゃくしゃとかき混ぜている。

「ところでバアル様、そちらの御方はもしや……」

 深い藍色の瞳が俺を捉えた瞬間だった。

 後ろ手に手を組み、並んでいた兵士さん達の視線まで、俺に向かって一気に注がれていく。

 思わず人見知りの子供みたいに、バアルさんの引き締まった長い腕に、しがみついてしまっていた。

「は、初めまして。アオイといいます」

 多少声が上ずりかけたものの、なんとか最低限の自己紹介をすることができ、内心ホッとする。

 それにしても、地獄の方々は、みんな優しい人ばかりなんだろうか。

 いまだ両腕で、しっかりバアルさんの腕を抱き抱えたままの俺の前に、レダさんが跪く。安心させようとしてくれているんだろう。にこやかな笑顔を浮かべ、ゆっくりと柔らかい声で俺に挨拶をしてくれた。

「やはり奥方様でしたか、挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。私はレダと申します、噂以上にお可愛らしくいらっしゃる」

「おくっ!?」

 まさか彼の口から、ずっと気になっていた噂の尾ひれの正体を知ることになるとは。思わず、すっとんきょうな声を上げ、バアルさんのスーツに大きなシワを作ってしまった。

 レダさんが、きょとんと俺を見つめたまま首を傾げ、髪の色と同じ薄茶色のあごひげを太い指でなぞる。

「おや、違いましたか? サタン様は……バアル様がアオイ様を、近々妻として迎え入れる予定だと仰られていましたし……」

 熱い顔のまま、鯉みたいに口をぱくぱくさせている俺をよそに、レダさんはつらつらと口を動かし続けている。

「ヨミ様は、結婚も秒読みに入るほど仲睦まじいご様子だったと、大変嬉しそうに仰られていましたが」

 終始、不思議そうに言い終えた彼に続くように、周りの兵士さん達も口々に話し始める。

「俺は、数日中にも、お二方の式を執り行うと聞いていたが……」

「ああ、私もだ。投影石をいくつも使い、城下にも式の様子を中継なさるとか」

「その日は、記念日になるって話だよな?」

 どれもこれも、尾ひれなどではなく、サタン様とヨミ様ならやりかねないことだ。ますます鼓動が激しく高鳴ってしまう。

 ただでさえ強く握り締め、しわくちゃになってしまっている黒い生地に、さらに深いシワを作ってしまっていた。

 ……どうりで、色んな方々から注目を浴びていた訳だ。

 しかも、サタン様がレダさんに言ったことは完全に事実だし。ヨミ様が言ったことも、その……なにも間違っては、いないよな? 俺がバアルさんのこと、好きってことに変わりはないんだからさ。

 でも、どうしよう……ようやく今朝、本当の気持ちを、好きだって気持ちを、彼に伝えられたばかりなのに。

 そもそも、彼からのプロポーズのお返事を、ずっと先伸ばしにしている状態だってのに。いきなりけ、結婚式を行うだなんて……まだ俺、心の準備が……

 好きな人と一緒になれるなんて、飛び上がりたいほど嬉しいのに。嬉しくて、仕方がないはずなのに。なにか別の気持ちが混ざって、胸の中がぐちゃぐちゃしてしまう。

 自分ですら分からないこの気持ちを、優しい彼は察してくれているんだろうか。バアルさんは少し屈んでから、俺にだけ聞こえるように耳元で小さく「大丈夫ですよ」と囁き、微笑みかけてくれた。

「レダ殿、その件に関してですが……」

 このまま彼に任せておけば、事態はすぐに収まるだろう。これ以上、噂が大きくなることも、広まることもないだろう。でも……

「ち、違わないですっ」

 俺に優しく微笑んでくれた彼の瞳には、いつものような煌めきがなかったから、とても寂しい光を宿していたから、だから。

「バアルさんはっ、俺にとって……スゴく大切な人で……ずっと側に居るって、心に決めた人なのでっ」

 気がつけば俺は、大勢の兵士さん達がいることも忘れ声を上げていた。プロポーズと捉えられても、おかしくないことを叫んでいたんだ。

「アオイ様……」

 時間が止まってしまったような静けさの中、僅かに震えた声が、穏やかな低音が、俺の名をぽつりと呼ぶ。

 釣られて顔を上げた先にはバアルさんが、白い頬を染め、宝石みたいな緑の瞳にうっすらと涙の膜を張っていた。

 額の触覚を揺らし、半透明の羽をはためかせながら、俺に熱い眼差しを向けている。

「あっ、ぅ……その……」

 あれだけのことを宣言しておきながら、今さら、とてつもなく恥ずかしくなってしまう。

 無意識に後ずさりしかけていた俺の身体を、長い筋肉質の腕が素早く捕まえ、抱き上げる。

 まるで、離さないと言ってくれているかのように、強く抱き締めてくれた。

 途端に空気を震わせるような歓声と、鳴り止まない拍手が沸き起こり、俺達を包み込む。

「これはこれは……お二人の式が、今から楽しみですなっ」

 どんな顔をしたらいいのか分からなかった。ただ、バアルさんの首筋に顔を埋めたまま、彼の大きな手に、ただただ頭を撫で回されている俺の後ろで、嬉しそうにカラカラと笑う野太い声が響いていた。
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