44 / 1,055
違わないです! バアルさんは、俺にとって大切な人なので!
しおりを挟む
さっきは俺のせいで、大分聞き逃してしまっていたこともある。それに、いくらバアルさんがいるとはいえ、危ないどころか迷惑甚だしいだろう。
まだ魔術のまの字を学んでいる最中の、ど素人である俺が、火の粉や氷のつぶてが飛び交う彼らの演習に近づくのは。
ということで、遠く離れた場所でバアルさんのお話を聞きつつ、まったりこっそり見学させていただくつもり……だったのだが。
俺の視力では、彼らの顔を全く視認できない距離だというのに、あっさり見つかってしまった。それどころか、あっという間に取り囲まれてしまい、今に至るという訳だ。
「こらお前達、演習中になにを……なんとバアル様ではありませんかっ」
俺達を囲んでワイワイと騒ぐ兵士さん達を掻き分け、一際厳つい体格の男性が現れる。
身に纏う軍服の胸元は、色とりどりの勲章によって彩られている。星や花の形をしていたり、鳥の翼をモチーフにしていたりと多種多様。見るからに位が高そうというか、立派そうだ。
周りにいた兵士さん達も、いつの間にかピシリと背筋を伸ばして、綺麗に整列しちゃっている。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、レダ殿。少々見学をさせて頂きたいのですが」
俺をそっと下ろしたバアルさんが、レダさんに向かって綺麗な角度のついたお辞儀を披露する。
一睨みするだけで、周りの人が震え上がってしまいそうなほど、鋭くつり上がった目をしたレダさんだったが。
「ああ、勿論構いませんよ。こちらこそ、部下がお騒がせしたようで申し訳ありません」
人も悪魔も見かけによらないということだろう。凄まじい威圧感と歴戦の戦士のような風格を漂わせていた表情が、ぱっと快活な笑みに変わる。
ライオンのような耳を、ぱたぱた動かしているご様子は何だか照れくさそう。無骨な手を後頭部に回し、頭の形に沿って刈り上げられた髪を、豪快にくしゃくしゃとかき混ぜている。
「ところでバアル様、そちらの御方はもしや……」
深い藍色の瞳が俺を捉えた瞬間だった。
後ろ手に手を組み、並んでいた兵士さん達の視線まで、俺に向かって一気に注がれていく。
思わず人見知りの子供みたいに、バアルさんの引き締まった長い腕に、しがみついてしまっていた。
「は、初めまして。アオイといいます」
多少声が上ずりかけたものの、なんとか最低限の自己紹介をすることができ、内心ホッとする。
それにしても、地獄の方々は、みんな優しい人ばかりなんだろうか。
いまだ両腕で、しっかりバアルさんの腕を抱き抱えたままの俺の前に、レダさんが跪く。安心させようとしてくれているんだろう。にこやかな笑顔を浮かべ、ゆっくりと柔らかい声で俺に挨拶をしてくれた。
「やはり奥方様でしたか、挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。私はレダと申します、噂以上にお可愛らしくいらっしゃる」
「おくっ!?」
まさか彼の口から、ずっと気になっていた噂の尾ひれの正体を知ることになるとは。思わず、すっとんきょうな声を上げ、バアルさんのスーツに大きなシワを作ってしまった。
レダさんが、きょとんと俺を見つめたまま首を傾げ、髪の色と同じ薄茶色のあごひげを太い指でなぞる。
「おや、違いましたか? サタン様は……バアル様がアオイ様を、近々妻として迎え入れる予定だと仰られていましたし……」
熱い顔のまま、鯉みたいに口をぱくぱくさせている俺をよそに、レダさんはつらつらと口を動かし続けている。
「ヨミ様は、結婚も秒読みに入るほど仲睦まじいご様子だったと、大変嬉しそうに仰られていましたが」
終始、不思議そうに言い終えた彼に続くように、周りの兵士さん達も口々に話し始める。
「俺は、数日中にも、お二方の式を執り行うと聞いていたが……」
「ああ、私もだ。投影石をいくつも使い、城下にも式の様子を中継なさるとか」
「その日は、記念日になるって話だよな?」
どれもこれも、尾ひれなどではなく、サタン様とヨミ様ならやりかねないことだ。ますます鼓動が激しく高鳴ってしまう。
ただでさえ強く握り締め、しわくちゃになってしまっている黒い生地に、さらに深いシワを作ってしまっていた。
……どうりで、色んな方々から注目を浴びていた訳だ。
しかも、サタン様がレダさんに言ったことは完全に事実だし。ヨミ様が言ったことも、その……なにも間違っては、いないよな? 俺がバアルさんのこと、好きってことに変わりはないんだからさ。
でも、どうしよう……ようやく今朝、本当の気持ちを、好きだって気持ちを、彼に伝えられたばかりなのに。
そもそも、彼からのプロポーズのお返事を、ずっと先伸ばしにしている状態だってのに。いきなりけ、結婚式を行うだなんて……まだ俺、心の準備が……
好きな人と一緒になれるなんて、飛び上がりたいほど嬉しいのに。嬉しくて、仕方がないはずなのに。なにか別の気持ちが混ざって、胸の中がぐちゃぐちゃしてしまう。
自分ですら分からないこの気持ちを、優しい彼は察してくれているんだろうか。バアルさんは少し屈んでから、俺にだけ聞こえるように耳元で小さく「大丈夫ですよ」と囁き、微笑みかけてくれた。
「レダ殿、その件に関してですが……」
このまま彼に任せておけば、事態はすぐに収まるだろう。これ以上、噂が大きくなることも、広まることもないだろう。でも……
「ち、違わないですっ」
俺に優しく微笑んでくれた彼の瞳には、いつものような煌めきがなかったから、とても寂しい光を宿していたから、だから。
「バアルさんはっ、俺にとって……スゴく大切な人で……ずっと側に居るって、心に決めた人なのでっ」
気がつけば俺は、大勢の兵士さん達がいることも忘れ声を上げていた。プロポーズと捉えられても、おかしくないことを叫んでいたんだ。
「アオイ様……」
時間が止まってしまったような静けさの中、僅かに震えた声が、穏やかな低音が、俺の名をぽつりと呼ぶ。
釣られて顔を上げた先にはバアルさんが、白い頬を染め、宝石みたいな緑の瞳にうっすらと涙の膜を張っていた。
額の触覚を揺らし、半透明の羽をはためかせながら、俺に熱い眼差しを向けている。
「あっ、ぅ……その……」
あれだけのことを宣言しておきながら、今さら、とてつもなく恥ずかしくなってしまう。
無意識に後ずさりしかけていた俺の身体を、長い筋肉質の腕が素早く捕まえ、抱き上げる。
まるで、離さないと言ってくれているかのように、強く抱き締めてくれた。
途端に空気を震わせるような歓声と、鳴り止まない拍手が沸き起こり、俺達を包み込む。
「これはこれは……お二人の式が、今から楽しみですなっ」
どんな顔をしたらいいのか分からなかった。ただ、バアルさんの首筋に顔を埋めたまま、彼の大きな手に、ただただ頭を撫で回されている俺の後ろで、嬉しそうにカラカラと笑う野太い声が響いていた。
まだ魔術のまの字を学んでいる最中の、ど素人である俺が、火の粉や氷のつぶてが飛び交う彼らの演習に近づくのは。
ということで、遠く離れた場所でバアルさんのお話を聞きつつ、まったりこっそり見学させていただくつもり……だったのだが。
俺の視力では、彼らの顔を全く視認できない距離だというのに、あっさり見つかってしまった。それどころか、あっという間に取り囲まれてしまい、今に至るという訳だ。
「こらお前達、演習中になにを……なんとバアル様ではありませんかっ」
俺達を囲んでワイワイと騒ぐ兵士さん達を掻き分け、一際厳つい体格の男性が現れる。
身に纏う軍服の胸元は、色とりどりの勲章によって彩られている。星や花の形をしていたり、鳥の翼をモチーフにしていたりと多種多様。見るからに位が高そうというか、立派そうだ。
周りにいた兵士さん達も、いつの間にかピシリと背筋を伸ばして、綺麗に整列しちゃっている。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、レダ殿。少々見学をさせて頂きたいのですが」
俺をそっと下ろしたバアルさんが、レダさんに向かって綺麗な角度のついたお辞儀を披露する。
一睨みするだけで、周りの人が震え上がってしまいそうなほど、鋭くつり上がった目をしたレダさんだったが。
「ああ、勿論構いませんよ。こちらこそ、部下がお騒がせしたようで申し訳ありません」
人も悪魔も見かけによらないということだろう。凄まじい威圧感と歴戦の戦士のような風格を漂わせていた表情が、ぱっと快活な笑みに変わる。
ライオンのような耳を、ぱたぱた動かしているご様子は何だか照れくさそう。無骨な手を後頭部に回し、頭の形に沿って刈り上げられた髪を、豪快にくしゃくしゃとかき混ぜている。
「ところでバアル様、そちらの御方はもしや……」
深い藍色の瞳が俺を捉えた瞬間だった。
後ろ手に手を組み、並んでいた兵士さん達の視線まで、俺に向かって一気に注がれていく。
思わず人見知りの子供みたいに、バアルさんの引き締まった長い腕に、しがみついてしまっていた。
「は、初めまして。アオイといいます」
多少声が上ずりかけたものの、なんとか最低限の自己紹介をすることができ、内心ホッとする。
それにしても、地獄の方々は、みんな優しい人ばかりなんだろうか。
いまだ両腕で、しっかりバアルさんの腕を抱き抱えたままの俺の前に、レダさんが跪く。安心させようとしてくれているんだろう。にこやかな笑顔を浮かべ、ゆっくりと柔らかい声で俺に挨拶をしてくれた。
「やはり奥方様でしたか、挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。私はレダと申します、噂以上にお可愛らしくいらっしゃる」
「おくっ!?」
まさか彼の口から、ずっと気になっていた噂の尾ひれの正体を知ることになるとは。思わず、すっとんきょうな声を上げ、バアルさんのスーツに大きなシワを作ってしまった。
レダさんが、きょとんと俺を見つめたまま首を傾げ、髪の色と同じ薄茶色のあごひげを太い指でなぞる。
「おや、違いましたか? サタン様は……バアル様がアオイ様を、近々妻として迎え入れる予定だと仰られていましたし……」
熱い顔のまま、鯉みたいに口をぱくぱくさせている俺をよそに、レダさんはつらつらと口を動かし続けている。
「ヨミ様は、結婚も秒読みに入るほど仲睦まじいご様子だったと、大変嬉しそうに仰られていましたが」
終始、不思議そうに言い終えた彼に続くように、周りの兵士さん達も口々に話し始める。
「俺は、数日中にも、お二方の式を執り行うと聞いていたが……」
「ああ、私もだ。投影石をいくつも使い、城下にも式の様子を中継なさるとか」
「その日は、記念日になるって話だよな?」
どれもこれも、尾ひれなどではなく、サタン様とヨミ様ならやりかねないことだ。ますます鼓動が激しく高鳴ってしまう。
ただでさえ強く握り締め、しわくちゃになってしまっている黒い生地に、さらに深いシワを作ってしまっていた。
……どうりで、色んな方々から注目を浴びていた訳だ。
しかも、サタン様がレダさんに言ったことは完全に事実だし。ヨミ様が言ったことも、その……なにも間違っては、いないよな? 俺がバアルさんのこと、好きってことに変わりはないんだからさ。
でも、どうしよう……ようやく今朝、本当の気持ちを、好きだって気持ちを、彼に伝えられたばかりなのに。
そもそも、彼からのプロポーズのお返事を、ずっと先伸ばしにしている状態だってのに。いきなりけ、結婚式を行うだなんて……まだ俺、心の準備が……
好きな人と一緒になれるなんて、飛び上がりたいほど嬉しいのに。嬉しくて、仕方がないはずなのに。なにか別の気持ちが混ざって、胸の中がぐちゃぐちゃしてしまう。
自分ですら分からないこの気持ちを、優しい彼は察してくれているんだろうか。バアルさんは少し屈んでから、俺にだけ聞こえるように耳元で小さく「大丈夫ですよ」と囁き、微笑みかけてくれた。
「レダ殿、その件に関してですが……」
このまま彼に任せておけば、事態はすぐに収まるだろう。これ以上、噂が大きくなることも、広まることもないだろう。でも……
「ち、違わないですっ」
俺に優しく微笑んでくれた彼の瞳には、いつものような煌めきがなかったから、とても寂しい光を宿していたから、だから。
「バアルさんはっ、俺にとって……スゴく大切な人で……ずっと側に居るって、心に決めた人なのでっ」
気がつけば俺は、大勢の兵士さん達がいることも忘れ声を上げていた。プロポーズと捉えられても、おかしくないことを叫んでいたんだ。
「アオイ様……」
時間が止まってしまったような静けさの中、僅かに震えた声が、穏やかな低音が、俺の名をぽつりと呼ぶ。
釣られて顔を上げた先にはバアルさんが、白い頬を染め、宝石みたいな緑の瞳にうっすらと涙の膜を張っていた。
額の触覚を揺らし、半透明の羽をはためかせながら、俺に熱い眼差しを向けている。
「あっ、ぅ……その……」
あれだけのことを宣言しておきながら、今さら、とてつもなく恥ずかしくなってしまう。
無意識に後ずさりしかけていた俺の身体を、長い筋肉質の腕が素早く捕まえ、抱き上げる。
まるで、離さないと言ってくれているかのように、強く抱き締めてくれた。
途端に空気を震わせるような歓声と、鳴り止まない拍手が沸き起こり、俺達を包み込む。
「これはこれは……お二人の式が、今から楽しみですなっ」
どんな顔をしたらいいのか分からなかった。ただ、バアルさんの首筋に顔を埋めたまま、彼の大きな手に、ただただ頭を撫で回されている俺の後ろで、嬉しそうにカラカラと笑う野太い声が響いていた。
108
お気に入りに追加
523
あなたにおすすめの小説



【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。


飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる