35 / 466
俺は今、好きな人と肩を並べて立っている
しおりを挟む
キス……してもらえたけど、口じゃなかったな……
ほっとしたような、残念なような……自分でもよく解らない複雑な気持ちを抱えたまま、おそるおそる目を開くと、どこか楽しそうに細められた瞳とかち合う。
「お気に召されませんでしたか?」
「へ? いや、そんなことは……」
「左様でございますか……」
ぽつりとそう呟いてから伏せられた瞳と、するりと離れていってしまった大きな手の温もり。何か言わなければと、慌てて開こうとした唇を、彼の指先がそっと触れる。
「これは余談ですが……私は以前から貴方様とこのような戯れをしたいと思っておりました」
俺の口元へと注がれる視線には、さっきちらりと見えた寂しさなんて微塵もない。
熱のこもった真っ直ぐな眼差しに、縫いつけられたみたいに動けなくなってしまう。
「いつでもお待ちしておりますので、また私を求めてい頂けますか?」
まるで感触を楽しんでいるかのようにふにふにと撫でられながら、艶やかな笑みを向けられる。なんだろうコレ。身体の奥の方が、うずうずするような。
「ふぁい……お、お手柔らかにお願いひまひゅ……」
気がつけば、表情筋どころか、全身の力が完全に抜けてしまっていた。彼の逞しい胸元に、湯気が出そうなくらいに熱くなった顔を押しつけてしまった。
あやすように、ぽん、ぽんっと俺を優しく撫でてくれていた温かい手が、ゆっくりと離れていく。
「では、そろそろ参りましょうか?」
「あ……はい」
「本日は中庭で、昼食を召し上がるご予定になっておりますので……」
よっぽど、もの欲しそうな目で見てしまっていたのだろうか。バアルさんが困ったように眉を下げる。
「続きは部屋に戻ってから、ゆっくり致しましょうね」
するりと俺の頬を一撫でしてから、手を取られる。見せつけるみたいに、手のひらにキスを送ってくれてから微笑んだ。
「は、はぃ……よろしく、お願いします……」
「ふふ、畏まりました」
ダメだ……完全に吹き飛びかけていた。
頬にキスしてもらえただけなのに、満足感がスゴい。もう、完全にやりきった気分になってしまっていた。これからが本番だってのに。
深く息を吐いて、吸って、改めて気を引き締め直していた俺の前に、紺色の小さな箱が差し出される。
「これを、私のネクタイに付けて頂けませんか?」
「あ、はい」
手触りのいい蓋を開けると、銀色のピンがちょこんと収まっていた。宝石、かな? 琥珀色の小さな石が、端の方で輝いている。
細かい細工が施されたそれを慎重に摘まみ上げ、黒いネクタイの真ん中辺りにそっと留める。
少し傾いてしまったので、ちゃんと真っ直ぐになるように整えていると「ありがとうございます」と嬉しそうに目尻を下げた。大きな手が、よしよしと頭を撫でてくれる。
ただそれだけで、単純な俺の頬は、だらしなく緩みきってしまっているっていうのに。
「これでお揃いですね」
目を細めた彼の指先が、俺の襟元を彩る緑の石に、彼の瞳の色と似ているからってだけで、無意識に惹かれてしまったループタイに触れたせいだ。
今更ながら、気づいてしまった。彼の言葉の意味に、胸元に光る琥珀色が、何を模しているのかってことに。
一気に顔が熱を持つ。思わず隠すように俯いてしまっていた。
「アオイ様? いかがなさいましたか?」
心配そうな響きを持った低音が、上から降ってくる。優しい手つきで、俺の髪を梳くように撫でてくれる。
「あの、そのピンの石の色って……」
もしかしたら、俺の自惚れかもしれない。ただ単に、俺が意識し過ぎているだけかもしれない。
そう思い、おずおずと顔を上げ、口にした俺の疑問は解消されることになる。
「ええ、貴方様の瞳の色に寄せて、オーダーメイドで作らせて頂きました」
キラキラと宝石みたいに輝く緑と、いつもより少し弾んだ声色によって。あっさりと俺の考えていた通りだと、勘違いなんかじゃないんだと肯定されたのだ。
「本物の輝きには到底かないませんが……こうして互いの色を身につけておりますと、年甲斐もなく心が躍ってしまいますね」
喜びを滲ませた声で囁く彼から、目元をゆるりと撫でられる。
それだけで、情けないことに俺は膝から崩れ落ちそうになってしまった。再び彼の胸板に、抱き止めてもらうはめになってしまったんだ。
よし、どこからでもかかってこい! と、しっかり腹を決めた時に限って、意外となんともなかったっていうか。
大したことなかったなって、拍子抜けしてしまうことってないか? あるだろ?
「ご気分はいかがですか?」
「はい、大丈夫です」
一回り大きな手にエスコートされ、扉をくぐった先は、車が走れそうなくらいに幅が広い廊下。やっぱり、俺が住まわせてもらっている部屋と同じで、床も壁も真っ青な石で造られていた。
あれだけ、外を繋ぐ扉を見ただけで、過っていたあの恐ろしい光景。燃え盛る炎が地面を舐めるように這い、身の毛もよだつような悲鳴が耳をつんざいていた景色が甦ることはなかった。
勝手に声が震え、呼吸の仕方すら忘れてしまい、身体の内側が軋んで崩れていくような感覚に襲われることも。俺は、今……
好きな人と手を繋ぎ、肩を並べて立っている。
ただ、着なれていない服を着ているせいか、初めてのデートせいか、その両方か。心臓がドキドキしっぱなしで、彼のようにちゃんと笑顔を作れているかは、自信がないのだけれど。
「それは何よりです」
胸に手を当て、ほっと小さく息を吐いた彼が跪く。繋いでいる俺の手の甲を優しく撫でる。
「もし、何かありましたら、我慢せずに仰って下さいね?」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
「いえ、では参りましょうか」
「はいっ」
立ち上がった彼の長い腕が、ごく自然に俺の腰に回された。ぴたりと身体が密着してしまう。
ただ、彼に手を引かれ、ゆっくり歩いているだけ。なのに。
優しいハーブの香りに包まれているせいだ。彼の温もりを、すぐ側に感じてしまっているせいだ。
ひっきりなしにバクバクと心臓が跳ねまくるわ、頭がぽやぽやしてくるわで、どうにかなってしまいそうなのは。
このままじゃ、目的地に着くまでもたないんじゃないか?
ほっとしたような、残念なような……自分でもよく解らない複雑な気持ちを抱えたまま、おそるおそる目を開くと、どこか楽しそうに細められた瞳とかち合う。
「お気に召されませんでしたか?」
「へ? いや、そんなことは……」
「左様でございますか……」
ぽつりとそう呟いてから伏せられた瞳と、するりと離れていってしまった大きな手の温もり。何か言わなければと、慌てて開こうとした唇を、彼の指先がそっと触れる。
「これは余談ですが……私は以前から貴方様とこのような戯れをしたいと思っておりました」
俺の口元へと注がれる視線には、さっきちらりと見えた寂しさなんて微塵もない。
熱のこもった真っ直ぐな眼差しに、縫いつけられたみたいに動けなくなってしまう。
「いつでもお待ちしておりますので、また私を求めてい頂けますか?」
まるで感触を楽しんでいるかのようにふにふにと撫でられながら、艶やかな笑みを向けられる。なんだろうコレ。身体の奥の方が、うずうずするような。
「ふぁい……お、お手柔らかにお願いひまひゅ……」
気がつけば、表情筋どころか、全身の力が完全に抜けてしまっていた。彼の逞しい胸元に、湯気が出そうなくらいに熱くなった顔を押しつけてしまった。
あやすように、ぽん、ぽんっと俺を優しく撫でてくれていた温かい手が、ゆっくりと離れていく。
「では、そろそろ参りましょうか?」
「あ……はい」
「本日は中庭で、昼食を召し上がるご予定になっておりますので……」
よっぽど、もの欲しそうな目で見てしまっていたのだろうか。バアルさんが困ったように眉を下げる。
「続きは部屋に戻ってから、ゆっくり致しましょうね」
するりと俺の頬を一撫でしてから、手を取られる。見せつけるみたいに、手のひらにキスを送ってくれてから微笑んだ。
「は、はぃ……よろしく、お願いします……」
「ふふ、畏まりました」
ダメだ……完全に吹き飛びかけていた。
頬にキスしてもらえただけなのに、満足感がスゴい。もう、完全にやりきった気分になってしまっていた。これからが本番だってのに。
深く息を吐いて、吸って、改めて気を引き締め直していた俺の前に、紺色の小さな箱が差し出される。
「これを、私のネクタイに付けて頂けませんか?」
「あ、はい」
手触りのいい蓋を開けると、銀色のピンがちょこんと収まっていた。宝石、かな? 琥珀色の小さな石が、端の方で輝いている。
細かい細工が施されたそれを慎重に摘まみ上げ、黒いネクタイの真ん中辺りにそっと留める。
少し傾いてしまったので、ちゃんと真っ直ぐになるように整えていると「ありがとうございます」と嬉しそうに目尻を下げた。大きな手が、よしよしと頭を撫でてくれる。
ただそれだけで、単純な俺の頬は、だらしなく緩みきってしまっているっていうのに。
「これでお揃いですね」
目を細めた彼の指先が、俺の襟元を彩る緑の石に、彼の瞳の色と似ているからってだけで、無意識に惹かれてしまったループタイに触れたせいだ。
今更ながら、気づいてしまった。彼の言葉の意味に、胸元に光る琥珀色が、何を模しているのかってことに。
一気に顔が熱を持つ。思わず隠すように俯いてしまっていた。
「アオイ様? いかがなさいましたか?」
心配そうな響きを持った低音が、上から降ってくる。優しい手つきで、俺の髪を梳くように撫でてくれる。
「あの、そのピンの石の色って……」
もしかしたら、俺の自惚れかもしれない。ただ単に、俺が意識し過ぎているだけかもしれない。
そう思い、おずおずと顔を上げ、口にした俺の疑問は解消されることになる。
「ええ、貴方様の瞳の色に寄せて、オーダーメイドで作らせて頂きました」
キラキラと宝石みたいに輝く緑と、いつもより少し弾んだ声色によって。あっさりと俺の考えていた通りだと、勘違いなんかじゃないんだと肯定されたのだ。
「本物の輝きには到底かないませんが……こうして互いの色を身につけておりますと、年甲斐もなく心が躍ってしまいますね」
喜びを滲ませた声で囁く彼から、目元をゆるりと撫でられる。
それだけで、情けないことに俺は膝から崩れ落ちそうになってしまった。再び彼の胸板に、抱き止めてもらうはめになってしまったんだ。
よし、どこからでもかかってこい! と、しっかり腹を決めた時に限って、意外となんともなかったっていうか。
大したことなかったなって、拍子抜けしてしまうことってないか? あるだろ?
「ご気分はいかがですか?」
「はい、大丈夫です」
一回り大きな手にエスコートされ、扉をくぐった先は、車が走れそうなくらいに幅が広い廊下。やっぱり、俺が住まわせてもらっている部屋と同じで、床も壁も真っ青な石で造られていた。
あれだけ、外を繋ぐ扉を見ただけで、過っていたあの恐ろしい光景。燃え盛る炎が地面を舐めるように這い、身の毛もよだつような悲鳴が耳をつんざいていた景色が甦ることはなかった。
勝手に声が震え、呼吸の仕方すら忘れてしまい、身体の内側が軋んで崩れていくような感覚に襲われることも。俺は、今……
好きな人と手を繋ぎ、肩を並べて立っている。
ただ、着なれていない服を着ているせいか、初めてのデートせいか、その両方か。心臓がドキドキしっぱなしで、彼のようにちゃんと笑顔を作れているかは、自信がないのだけれど。
「それは何よりです」
胸に手を当て、ほっと小さく息を吐いた彼が跪く。繋いでいる俺の手の甲を優しく撫でる。
「もし、何かありましたら、我慢せずに仰って下さいね?」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
「いえ、では参りましょうか」
「はいっ」
立ち上がった彼の長い腕が、ごく自然に俺の腰に回された。ぴたりと身体が密着してしまう。
ただ、彼に手を引かれ、ゆっくり歩いているだけ。なのに。
優しいハーブの香りに包まれているせいだ。彼の温もりを、すぐ側に感じてしまっているせいだ。
ひっきりなしにバクバクと心臓が跳ねまくるわ、頭がぽやぽやしてくるわで、どうにかなってしまいそうなのは。
このままじゃ、目的地に着くまでもたないんじゃないか?
応援ありがとうございます!
4
お気に入りに追加
306
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる