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彼の好みを知れる数少ない機会、逃がす訳にはいかない

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 バアルさんとコルテの手伝いにより、両手の爪が鏡みたいにツヤツヤに磨かれた頃。

 ようやく落ち着きを取り戻せた俺に待っていたのは、目を回してしまいそうなくらいに大量の服。

 いつもの俺だったら、手に取ることすら躊躇するような服の数々だった。

「さすがに、これだけあると迷ってしまいますね……」

「申し訳ありません。貴方様への新しい服を所望した際にはすでに、お出掛け用のお召し物が用意されておりまして……」

 もしかしなくても、今着ている替えの服を作ってくれた人なんだろうな。

 俺の前に並んで浮かぶ服の手触りは心地よく、やはりこれも丁寧に、心を込めて作られたんだろうことが分かった。その優しい気遣いに、胸の辺りがじんわりと温かくなってくる。

「本当に至れり尽くせりですね……その方達にも出来れば直接お礼を言いたいんですけど、出来ますか?」

「ええ、勿論。ところで、にも……と仰られましたが他にもいらっしゃるのですか?」

「はい。いつも食事を用意してくれる厨房の方達と……それから、毎日新しい花をくれる方にも」

 窓の近くにある白い横長のチェストの上には、白く小さな花と青い星形の花が彩りを添え。銀の装飾が施されたローテーブルには、可愛らしい黄色の花が咲きこぼれている。

 朝が早い人なのか、俺は一度も顔を合わせることが出来ていないんだけれど。

 その人が欠かさずくれる花のお陰で、癒されているというか。楽しみの一つになりつつあるので、お礼を言いたいし、どんな人なのか会ってみたいなと思っていたんだ。

「私の方で話を通しておきましょう。ただ、花の方に関しては、少しお時間を頂いても宜しいでしょうか?」

「はいっ、全然大丈夫です。ありがとうございます」

「いえ。ところで、お召し物の方は、どう致しましょうか?」

 そうだった。すっかり忘れてしまっていた。

 ただでさえ、俺の手入れを手伝ってもらったせいで、時間を食ってしまっているのに。

 服にまで掛けていたら、お昼になるどころか、いつまでたってもバアルさんとのデートに行けないじゃないかっ。

「あの……バアルさんが好きな服を、選んで欲しいんですけど……」

 やっぱり、ここは予め考えていた通り、彼に見立ててもらった方がいいだろう。

 そういうセンスに関しては、俺より確実に彼の方が良いだろうし。

 なにより彼の好みを知れる数少ない機会だ。逃す手はないだろう。

「ダメ……ですか?」

 細長い指を顎に当てたまま、口を閉ざしてしまった彼の様子に、胸の中で暗いもやが渦巻き始める。

 おそるおそる服の裾を摘まむと、宝石みたいに綺麗な瞳が俺を捉え、細められた。

「すみません、少々思案に耽っておりました。勿論、喜んでお引き受け致します」

「本当ですか? ありがとうございますっ」

 ふわりと綻んだ口元に、ふっと胸が軽くなっていく。気がつけば俺は彼の手を取り、両手で握り締めてしまっていた。

「す、すみませ……」

 静かにクスクスと笑う声に、慌てて離そうとした手を握られ、指がするりと絡む。

「私に、もっと触れて欲しいのでしょう? でしたら、離す必要はございませんよね?」

 そう尋ねる声は、普段の彼と変わらず穏やかで、優しい響きに満ちあふれている。なのに、向けられた眼差しは熱く、繋いだ手には逃がすつもりはないと言いたげに、強く力が込められていて。

「あ、ぅ……そう、ですね……」

 かき集めた勇気を総動員し、震える手で握り返すことだけが、今の俺に出来る精一杯だった。
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