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嫌な訳がない、むしろ
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「ごめんなさい……」
さっきまであんなに和やかだったのに。すっかり静まり返ってしまった室内の空気に、心がチクチク痛んでいくのを感じる。
「では……私と一曲、踊っていただけませんか?」
「え?」
なんの脈絡もなく、彼の口から発せられた新たな誘いに、泡が弾けるみたいに胸にのしかかっていた重さが消えていく。
雰囲気までもが再び穏やかな、胸の辺りがぽかぽかするものへと変わっていく。
その柔らかい眼差しを、ただぼうっと見つめてしまっていた俺に、困ったように眉を下げ、彼が微笑んだ。
「ダンスは、お嫌いですか?」
「いえ……別に、嫌いってわけじゃ……」
「では、お手を……」
差し出された大きな手のひらに、誘われるがまま自分の手を重ねる。
軽々と身体を抱き寄せられ、手の甲に柔らかいものが、恭しく彼が口づけてくれて触れた瞬間、周囲が淡い光に包まれた。
瞬きの間に、消えてしまっていた。俺達が座っていたソファーも、大きなテーブルも、まるで最初っから存在してなかったかのように。
唯一残っていた、青みがかった水晶で作られたシャンデリア。淡い光が照らす室内は、広々としたダンスホールへと姿を変えていた。こんなの、映画の中でしか見たことがない。
彼に腰を支えられ、呆然と立ち尽くしている俺の鼻先に、ぽんっと現れた緑色の粒。
ハエのコルテが、俺にじゃじゃーんと見せつけるように、細い手足で掲げる。小さな小さな彼専用サイズのバイオリンを携えて。
「コルテ」
バアルさんの呼び掛けにコルテが応える。ぴかぴか身体を瞬かせ、くるりと身を翻し、俺達の周りを回るように飛び始める。
どこかで聞いたことがある、ゆったりとした曲調のクラシックを奏で始めた。
「不肖ながら、この老骨がエスコートさせて頂きます」
「でも……俺、踊れませんよ? ステップとか、全然分からないし……」
「構いませんよ、お好きなように踊られて。楽しまれることが大事なのですから。私がフォロー致します……さあ」
握られた手のひらから伝わる温もりに、ふわりと綻んだ彼の口元に、胸がきゅっと締めつけられる。
ダンスの経験なんて、体育の授業レベルしかなかったハズなのに。魔法にかかったみたい。彼の動きに合わせて、勝手に身体が運ばれていく。
ぎこちないものの、なんとかリズムに乗り、ゆらゆらとステップを踏むことが出来た。
「大変お上手ですよ。アオイ様はダンスの才能がおありですね」
「そんな……バアルさんが上手く合わせてくれているだけで、俺はなにも」
見上げた俺の顔が、キラキラと輝く宝石のような、六角形のレンズで構成された複眼の瞳に映る。
足元に集中していたせいで気づかなかったけど……いつも以上に近くないか?
いや、当たり前か。でなけりゃ踊れやしないし……でも……
ふわりと漂うハーブの香りに、間近にある鼻筋の通った彫りの深い顔立ちに。さっきから心臓が煩くて仕方がない。なんだか妙に気分までそわそわしてくるし。
それも、これも腰に手を回され、ほとんど互いの身体が密着しているせいだ。
抱き締められているような、彼と抱き合っているような気になってしまっているせいだ。
「アオイ様……」
「あ…………っはい、なんでしょう?」
「あまり、そのようなお顔で見つめられますと……この老骨めは、勘違いをしてしまいます」
よっぽど変な顔でもしていたのだろうか? でも、だったら何で照れているんだろう。
白い頬を染め、熱を帯びた瞳で見つめてくるバアルさん。彼から漂う大人の色気に、もともとおかしくなっていた心臓が、ますます激しく高鳴っていく。
「貴方様のお許しをいただくことなく、その唇を奪ってしまってもいいのかと……」
「くちっ?!」
う、奪うって……俺とき、キスしたいって思ってくれてるってことでいいんだよな? そうだよな?
……どうしよう……また、胸がいっぱいすぎて頭がくらくらする……
でも俺達、まだ恋人になったわけじゃないし……何故かプロポーズは、すでにしていただいているんだけどさ。
その返事だって俺、ちゃんと出来てないし……嫌ってわけじゃないんだけど……
というか、嫌なわけがないんだよなぁ……だって、一番しんどくて困ってた時に助けてくれたんだし。
知らない場所で一人ぼっちの俺の側に、ずっと居てくれてるんだぞ? 嫌な顔一つもせずにさ……
そんなの…………そんな風にされたら、俺……
「申し訳ありません……困らせてしまいましたね」
切なそうに伏せられた瞳に、寂しい響きを持った低音に、胸の奥が詰まってしまったように苦しくなる。
腰に添えられていた手が、するりと離れていく。少し空いてしまった俺達の距離が、気持ちまで一緒に離れていってしまったように感じてしまう。
「ちが……俺、そうじゃなくて……その……」
また、あの、気持ち悪さが腹の奥からじわじわと滲み出てくる。視界まで、だんだんボヤけていった。
「大丈夫ですよ」
長い指が、そっと俺の目元を拭う。大きな手のひらが、頬をゆるゆる撫でてくれる。
「貴方様のお気持ちの整理が出来るまで、いくらでもお待ち致します」
柔らかい彼の眼差しに、胸の中でわだかまっていた暗いものが溶けていく。口から自然と息が漏れた。
「バアルさん……」
穏やかな笑みを浮かべる彼を見ていると、なんでだろう、釣られて俺も笑顔になってしまう。
潰れてしまいそうな不安も、寂しさも、全部あっという間に吹き飛んでしまうんだ。
「ですが……ただ待つというだけでは、いささか面白味に欠けますので」
つい、ほんのさっきまで俺達の間に漂っていた、ほんわかとした空気がガラリと変わる。
射抜くように真っ直ぐな彼の眼差しと、口元に浮かんだ妖しい笑みのせいで。
「このようなアプローチは、引き続きさせていただきます」
勢いよく抱き寄せられ、バランスを崩してしまった俺の身体を、長い腕が包み込むように抱き止める。
不可抗力で彼の胸元に埋めてしまっていた。慌てて顔を上げた先には彼が、艶やかに微笑む彼が、すでに数センチ先まで迫っていた。
額に触れた柔らかい感触と、わざとらしいリップ音に、湯気が出そうなくらいに顔が熱くなっていく。
「勿論、お許しいただけますよね?」
トドメと言わんばかりだ。至近距離で、悪戯っぽい笑顔まで。
「ひぇ…………はい、もちろんです……」
お陰様で、頭がくらくらするどころか、腰までもが抜けそうになってしまった。
さっきまであんなに和やかだったのに。すっかり静まり返ってしまった室内の空気に、心がチクチク痛んでいくのを感じる。
「では……私と一曲、踊っていただけませんか?」
「え?」
なんの脈絡もなく、彼の口から発せられた新たな誘いに、泡が弾けるみたいに胸にのしかかっていた重さが消えていく。
雰囲気までもが再び穏やかな、胸の辺りがぽかぽかするものへと変わっていく。
その柔らかい眼差しを、ただぼうっと見つめてしまっていた俺に、困ったように眉を下げ、彼が微笑んだ。
「ダンスは、お嫌いですか?」
「いえ……別に、嫌いってわけじゃ……」
「では、お手を……」
差し出された大きな手のひらに、誘われるがまま自分の手を重ねる。
軽々と身体を抱き寄せられ、手の甲に柔らかいものが、恭しく彼が口づけてくれて触れた瞬間、周囲が淡い光に包まれた。
瞬きの間に、消えてしまっていた。俺達が座っていたソファーも、大きなテーブルも、まるで最初っから存在してなかったかのように。
唯一残っていた、青みがかった水晶で作られたシャンデリア。淡い光が照らす室内は、広々としたダンスホールへと姿を変えていた。こんなの、映画の中でしか見たことがない。
彼に腰を支えられ、呆然と立ち尽くしている俺の鼻先に、ぽんっと現れた緑色の粒。
ハエのコルテが、俺にじゃじゃーんと見せつけるように、細い手足で掲げる。小さな小さな彼専用サイズのバイオリンを携えて。
「コルテ」
バアルさんの呼び掛けにコルテが応える。ぴかぴか身体を瞬かせ、くるりと身を翻し、俺達の周りを回るように飛び始める。
どこかで聞いたことがある、ゆったりとした曲調のクラシックを奏で始めた。
「不肖ながら、この老骨がエスコートさせて頂きます」
「でも……俺、踊れませんよ? ステップとか、全然分からないし……」
「構いませんよ、お好きなように踊られて。楽しまれることが大事なのですから。私がフォロー致します……さあ」
握られた手のひらから伝わる温もりに、ふわりと綻んだ彼の口元に、胸がきゅっと締めつけられる。
ダンスの経験なんて、体育の授業レベルしかなかったハズなのに。魔法にかかったみたい。彼の動きに合わせて、勝手に身体が運ばれていく。
ぎこちないものの、なんとかリズムに乗り、ゆらゆらとステップを踏むことが出来た。
「大変お上手ですよ。アオイ様はダンスの才能がおありですね」
「そんな……バアルさんが上手く合わせてくれているだけで、俺はなにも」
見上げた俺の顔が、キラキラと輝く宝石のような、六角形のレンズで構成された複眼の瞳に映る。
足元に集中していたせいで気づかなかったけど……いつも以上に近くないか?
いや、当たり前か。でなけりゃ踊れやしないし……でも……
ふわりと漂うハーブの香りに、間近にある鼻筋の通った彫りの深い顔立ちに。さっきから心臓が煩くて仕方がない。なんだか妙に気分までそわそわしてくるし。
それも、これも腰に手を回され、ほとんど互いの身体が密着しているせいだ。
抱き締められているような、彼と抱き合っているような気になってしまっているせいだ。
「アオイ様……」
「あ…………っはい、なんでしょう?」
「あまり、そのようなお顔で見つめられますと……この老骨めは、勘違いをしてしまいます」
よっぽど変な顔でもしていたのだろうか? でも、だったら何で照れているんだろう。
白い頬を染め、熱を帯びた瞳で見つめてくるバアルさん。彼から漂う大人の色気に、もともとおかしくなっていた心臓が、ますます激しく高鳴っていく。
「貴方様のお許しをいただくことなく、その唇を奪ってしまってもいいのかと……」
「くちっ?!」
う、奪うって……俺とき、キスしたいって思ってくれてるってことでいいんだよな? そうだよな?
……どうしよう……また、胸がいっぱいすぎて頭がくらくらする……
でも俺達、まだ恋人になったわけじゃないし……何故かプロポーズは、すでにしていただいているんだけどさ。
その返事だって俺、ちゃんと出来てないし……嫌ってわけじゃないんだけど……
というか、嫌なわけがないんだよなぁ……だって、一番しんどくて困ってた時に助けてくれたんだし。
知らない場所で一人ぼっちの俺の側に、ずっと居てくれてるんだぞ? 嫌な顔一つもせずにさ……
そんなの…………そんな風にされたら、俺……
「申し訳ありません……困らせてしまいましたね」
切なそうに伏せられた瞳に、寂しい響きを持った低音に、胸の奥が詰まってしまったように苦しくなる。
腰に添えられていた手が、するりと離れていく。少し空いてしまった俺達の距離が、気持ちまで一緒に離れていってしまったように感じてしまう。
「ちが……俺、そうじゃなくて……その……」
また、あの、気持ち悪さが腹の奥からじわじわと滲み出てくる。視界まで、だんだんボヤけていった。
「大丈夫ですよ」
長い指が、そっと俺の目元を拭う。大きな手のひらが、頬をゆるゆる撫でてくれる。
「貴方様のお気持ちの整理が出来るまで、いくらでもお待ち致します」
柔らかい彼の眼差しに、胸の中でわだかまっていた暗いものが溶けていく。口から自然と息が漏れた。
「バアルさん……」
穏やかな笑みを浮かべる彼を見ていると、なんでだろう、釣られて俺も笑顔になってしまう。
潰れてしまいそうな不安も、寂しさも、全部あっという間に吹き飛んでしまうんだ。
「ですが……ただ待つというだけでは、いささか面白味に欠けますので」
つい、ほんのさっきまで俺達の間に漂っていた、ほんわかとした空気がガラリと変わる。
射抜くように真っ直ぐな彼の眼差しと、口元に浮かんだ妖しい笑みのせいで。
「このようなアプローチは、引き続きさせていただきます」
勢いよく抱き寄せられ、バランスを崩してしまった俺の身体を、長い腕が包み込むように抱き止める。
不可抗力で彼の胸元に埋めてしまっていた。慌てて顔を上げた先には彼が、艶やかに微笑む彼が、すでに数センチ先まで迫っていた。
額に触れた柔らかい感触と、わざとらしいリップ音に、湯気が出そうなくらいに顔が熱くなっていく。
「勿論、お許しいただけますよね?」
トドメと言わんばかりだ。至近距離で、悪戯っぽい笑顔まで。
「ひぇ…………はい、もちろんです……」
お陰様で、頭がくらくらするどころか、腰までもが抜けそうになってしまった。
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