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……なんだか、俺ごと食べてくれているみたいだ
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上から覗き込めば、満開の白い花が咲いているように見える陶器のカップ。その中が徐々に、赤みがかった茶色の液体で満たされていく。
ゆらりと立ち上っていく白い湯気と共に、花のような甘い香りが、昼下がりの室内に漂い始めた。
バアルさんは、いつもどおり穏やかな笑みを湛え、どこか上機嫌に触覚を揺らし、半透明の羽をはためかせている。そんな彼に対して俺の心は、どんよりと沈んでしまっていた。自分への不甲斐なさに。
今朝、最大のチャンスをうっかり逃してしまった俺は、彼に対して再度、密かにアタックを試みていた。
お散歩デートに出かける際、俺の方から彼の手を握って繋いでみたり。中庭のベンチで隣に座る彼の肩に、そっと凭れかかってみたりと。
俺としては勇気を出して、精一杯アプローチしていたつもりなんだが……密かすぎて、彼には全く効かなかったようだ。
なんせ、俺が何をしてもバアルさんは、健気に頑張る幼子を見つめる親のような顔で微笑んで、頭をよしよし撫でてくれるだけだったからな。
それはそれで嬉しいけどさ……そうじゃないんだ。俺は、彼を……繋いだ手から、寄せ合った身体から心音が伝わってくるくらい、ドキドキさせてみたいんだ。
言葉に出さなくても顔を見れば、好きだって思ってくれてるんだって分かるくらい、バアルさんのことをときめかせてみたいんだ。
恋愛経験が皆無の……バアルさんが最初で最後の好きな人である俺にとって、無茶な挑戦だってのは分かっているけどさ。
うんうん思考回路を回しながらも、いつものように俺は、彼が淹れてくれたハーブティーをちゃっかり完飲していたようで。気配り上手な彼が「失礼致します」とおかわりを注いでくれる。
「……あっ、ありがとうございます」
「いえ、折角ですから今日のお茶菓子は、サタン様から頂いた生チョコレートに致しましょうか」
「は、はい。お願いします」
白い髭が素敵な口元をふわりと綻ばせ、バアルさんはカップとお揃いのティーポットを、音もなくテーブルに置く。続けて、何処からともなく黒い小さな箱を取り出した。
蓋の真ん中には、盾をモチーフにした金色の紋章が、その下には見たこともない文字が筆記体のように書かれていた。
彼曰く、地獄では有名な高級チョコのブランドらしい。さすが元地獄の王様、お心遣いも一流だ。
「アオイ様」
流れるような動作でソファーに腰掛け、ぴたりと俺に肩を寄せた彼が「どうぞ」とココアパウダーをたっぷり纏ったチョコをフォークに刺し、俺の口へ運んでくれる。
含んだ瞬間、ホロホロとほどけるような口どけと、じんわり広がる丁度いい甘さ。思わず頬が自然と緩んでしまう。
「んっ、バアルさん……これ、すっごく美味しいですっ」
「それは何よりでございます。もうお一つ、いかがですか?」
「はいっ! いただきます」
バアルさんは、自分のことのように嬉しそうに目尻を下げて、再び手ずから食べさせてくれる。
俺の中でのチョコレートの概念を塗り替えてしまった美味しさに、すっかり夢中になってしまった。
箱の中の茶色い面積が、三分の一ほど自分の胃に収まってからだった。バアルさんが一口も食べていないことに、はたと気づいたのは。
「ご、ごめんなさい、俺ばっかり食べちゃって……」
「ふふ、お気になさらないで下さい」
「今度は、俺がバアルさんにしますからっ」
「……では、お言葉に甘えさせて頂きますね」
どこか楽しそうに触覚を揺らして待つ彼から、フォークを受け取った俺は、再び不甲斐なさに沈んでいた。
それと同時にふと、頭に過ぎってもいた……これは彼にアピールする、またとない機会なのでわ? と。
そのせいだろう、俺の思考回路は明後日の方向へと連想ゲームをし始める。チョコレートといえば……好き同士の食べさせ合いっこといえば……と。
「……バアルさん、どうぞ」
「はい…………アオイ様?」
「ん……ほぉうほ」
その結果が、普段じゃ恥ずかしすぎて絶対に出来ない行動へと俺を走らせた。フォークに乗せたチョコを咥え、彼に受け渡そうなどという大胆な行動に。
少しの間バアルさんは、目を見開き、どこか落ち着きなく羽をはためかせていた。照れくさそうに伏せられていた瞳が、俺を見つめる。
「……失礼致します」
バアルさんの、彫りの深い顔がゆっくりと俺に近づいてくる。
彼の柔らかい温もりが、口に触れた瞬間だった。待っている間、高鳴りっぱなしだった心臓が、一際大きく跳ねた。
「……どう、でしたか?」
「……美味しいですね、とても」
「で、ですよねっ……良かった、です」
この時の俺は、内心ガッツポーズをしていた。そっと顔を離し、小さくもくもくと動かしていた彼の白い頬が、ほんのり赤く染まっていたからだ。
少しは俺に、ときめいてもらえたかもしれないっ!
何とも言えない達成感に、俺は浮かれきっていた。流れ的に予想することは出来ただろう。が、頭の中にお花が咲き乱れている俺にとっては、思いも寄らなかったお願いが、彼の口から発せられる。
「では、もうお一つ頂いても宜しいでしょうか?」
「へ? ……あの、それって…………やっぱり……」
いつの間にか、瞳に妖しい熱を灯していた彼の声が、蕩けるような甘さを帯びる。
「ええ、先程と同じように……お願い致します」
熱い吐息を吹き込むように囁かれ、ぞくぞくとした感覚が、腰の辺りから背筋に沿って這い上がってきた。
「ひぇ…………はぃ……分かり、ました……」
ほんのさっきまで居たはずの、積極的な俺は何処へ行ってしまったのか。
ぽつんと残されたヘタレな俺の手は、小刻みに震えてしまっていて。何度乗せようとしても、ぽとりとチョコレートに逃げられてしまう。
不意に大きな手が、俺の握るフォークをそっと抜き取り、瞬きの間にぱっと消す。
いつも欠かさず着けていた白手袋も同時に消していたのか、露わになった細く長い指が、チョコをそっと摘んだ。
そのまま口にちょんと押し当てられ、熱を帯びた眼差しを一心に注がれる。
煌めく緑の瞳にすっかり見惚れ、捉われていた俺は、促されるままにチョコを咥えた。引き締まった彼の首に、自ら腕を絡めていた。
一度目とは違い、艷やかな笑みを浮かべている彼が、ただの受け渡しで済ませるハズもない。
チョコを一息に飲み込むと、すぐに俺との距離を詰め、優しく唇を食んだ。味わってるみたいに何度も、何度も。
……なんだか、俺ごと食べてくれているみたいだ。
バアルさんから触れてもらえる度に、だんだんと頭の芯が痺れてきて、身体の力が抜けていく。
ほんのり香るカカオとチョコの甘さを彼と共有しながら、俺はふわふわした夢見心地のまま目を閉じていた。
ゆらりと立ち上っていく白い湯気と共に、花のような甘い香りが、昼下がりの室内に漂い始めた。
バアルさんは、いつもどおり穏やかな笑みを湛え、どこか上機嫌に触覚を揺らし、半透明の羽をはためかせている。そんな彼に対して俺の心は、どんよりと沈んでしまっていた。自分への不甲斐なさに。
今朝、最大のチャンスをうっかり逃してしまった俺は、彼に対して再度、密かにアタックを試みていた。
お散歩デートに出かける際、俺の方から彼の手を握って繋いでみたり。中庭のベンチで隣に座る彼の肩に、そっと凭れかかってみたりと。
俺としては勇気を出して、精一杯アプローチしていたつもりなんだが……密かすぎて、彼には全く効かなかったようだ。
なんせ、俺が何をしてもバアルさんは、健気に頑張る幼子を見つめる親のような顔で微笑んで、頭をよしよし撫でてくれるだけだったからな。
それはそれで嬉しいけどさ……そうじゃないんだ。俺は、彼を……繋いだ手から、寄せ合った身体から心音が伝わってくるくらい、ドキドキさせてみたいんだ。
言葉に出さなくても顔を見れば、好きだって思ってくれてるんだって分かるくらい、バアルさんのことをときめかせてみたいんだ。
恋愛経験が皆無の……バアルさんが最初で最後の好きな人である俺にとって、無茶な挑戦だってのは分かっているけどさ。
うんうん思考回路を回しながらも、いつものように俺は、彼が淹れてくれたハーブティーをちゃっかり完飲していたようで。気配り上手な彼が「失礼致します」とおかわりを注いでくれる。
「……あっ、ありがとうございます」
「いえ、折角ですから今日のお茶菓子は、サタン様から頂いた生チョコレートに致しましょうか」
「は、はい。お願いします」
白い髭が素敵な口元をふわりと綻ばせ、バアルさんはカップとお揃いのティーポットを、音もなくテーブルに置く。続けて、何処からともなく黒い小さな箱を取り出した。
蓋の真ん中には、盾をモチーフにした金色の紋章が、その下には見たこともない文字が筆記体のように書かれていた。
彼曰く、地獄では有名な高級チョコのブランドらしい。さすが元地獄の王様、お心遣いも一流だ。
「アオイ様」
流れるような動作でソファーに腰掛け、ぴたりと俺に肩を寄せた彼が「どうぞ」とココアパウダーをたっぷり纏ったチョコをフォークに刺し、俺の口へ運んでくれる。
含んだ瞬間、ホロホロとほどけるような口どけと、じんわり広がる丁度いい甘さ。思わず頬が自然と緩んでしまう。
「んっ、バアルさん……これ、すっごく美味しいですっ」
「それは何よりでございます。もうお一つ、いかがですか?」
「はいっ! いただきます」
バアルさんは、自分のことのように嬉しそうに目尻を下げて、再び手ずから食べさせてくれる。
俺の中でのチョコレートの概念を塗り替えてしまった美味しさに、すっかり夢中になってしまった。
箱の中の茶色い面積が、三分の一ほど自分の胃に収まってからだった。バアルさんが一口も食べていないことに、はたと気づいたのは。
「ご、ごめんなさい、俺ばっかり食べちゃって……」
「ふふ、お気になさらないで下さい」
「今度は、俺がバアルさんにしますからっ」
「……では、お言葉に甘えさせて頂きますね」
どこか楽しそうに触覚を揺らして待つ彼から、フォークを受け取った俺は、再び不甲斐なさに沈んでいた。
それと同時にふと、頭に過ぎってもいた……これは彼にアピールする、またとない機会なのでわ? と。
そのせいだろう、俺の思考回路は明後日の方向へと連想ゲームをし始める。チョコレートといえば……好き同士の食べさせ合いっこといえば……と。
「……バアルさん、どうぞ」
「はい…………アオイ様?」
「ん……ほぉうほ」
その結果が、普段じゃ恥ずかしすぎて絶対に出来ない行動へと俺を走らせた。フォークに乗せたチョコを咥え、彼に受け渡そうなどという大胆な行動に。
少しの間バアルさんは、目を見開き、どこか落ち着きなく羽をはためかせていた。照れくさそうに伏せられていた瞳が、俺を見つめる。
「……失礼致します」
バアルさんの、彫りの深い顔がゆっくりと俺に近づいてくる。
彼の柔らかい温もりが、口に触れた瞬間だった。待っている間、高鳴りっぱなしだった心臓が、一際大きく跳ねた。
「……どう、でしたか?」
「……美味しいですね、とても」
「で、ですよねっ……良かった、です」
この時の俺は、内心ガッツポーズをしていた。そっと顔を離し、小さくもくもくと動かしていた彼の白い頬が、ほんのり赤く染まっていたからだ。
少しは俺に、ときめいてもらえたかもしれないっ!
何とも言えない達成感に、俺は浮かれきっていた。流れ的に予想することは出来ただろう。が、頭の中にお花が咲き乱れている俺にとっては、思いも寄らなかったお願いが、彼の口から発せられる。
「では、もうお一つ頂いても宜しいでしょうか?」
「へ? ……あの、それって…………やっぱり……」
いつの間にか、瞳に妖しい熱を灯していた彼の声が、蕩けるような甘さを帯びる。
「ええ、先程と同じように……お願い致します」
熱い吐息を吹き込むように囁かれ、ぞくぞくとした感覚が、腰の辺りから背筋に沿って這い上がってきた。
「ひぇ…………はぃ……分かり、ました……」
ほんのさっきまで居たはずの、積極的な俺は何処へ行ってしまったのか。
ぽつんと残されたヘタレな俺の手は、小刻みに震えてしまっていて。何度乗せようとしても、ぽとりとチョコレートに逃げられてしまう。
不意に大きな手が、俺の握るフォークをそっと抜き取り、瞬きの間にぱっと消す。
いつも欠かさず着けていた白手袋も同時に消していたのか、露わになった細く長い指が、チョコをそっと摘んだ。
そのまま口にちょんと押し当てられ、熱を帯びた眼差しを一心に注がれる。
煌めく緑の瞳にすっかり見惚れ、捉われていた俺は、促されるままにチョコを咥えた。引き締まった彼の首に、自ら腕を絡めていた。
一度目とは違い、艷やかな笑みを浮かべている彼が、ただの受け渡しで済ませるハズもない。
チョコを一息に飲み込むと、すぐに俺との距離を詰め、優しく唇を食んだ。味わってるみたいに何度も、何度も。
……なんだか、俺ごと食べてくれているみたいだ。
バアルさんから触れてもらえる度に、だんだんと頭の芯が痺れてきて、身体の力が抜けていく。
ほんのり香るカカオとチョコの甘さを彼と共有しながら、俺はふわふわした夢見心地のまま目を閉じていた。
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