間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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もしかして、今、俺の首を噛んじゃいました? なーんて……

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 そんなこんなで始まった、バアルさんからの指導の元、一から十まで全部俺の手作りなクッキー製作。

 長時間に及ぶ調理は、初心者の俺にとって激闘そのものだった。

 しかし、彼の分かりやすく丁寧なお手本と、術によって著しく上昇した俺の手際の早さ。時にはポンポンを、またある時は緑に光るサイリウムを振りながら飛ぶ、コルテからの熱心な応援。

 それでも心が折れてしまいそうになるタイミングに、さり気なくもらえるバアルからの飴……という名のお褒めの言葉や、頭を撫でてくれる行為によって、支えられた結果。

 甘く香ばしい香りが鼻を擽る、白と茶色の星々を無事焼き上げることに成功したんだ。

「いい色に焼けましたね。早速、味見をしてみましょうか」

「はいっ」

 透き通った爪を持った指先が、星の形をしたプレーン味のクッキーを、そっと摘んで俺の口元へと運んでくれる。

 口にした途端に広がる、甘いバニラの香りとサクサクした食感が美味しい。自然とだらしなく、頬が下がってしまう。

「ふふ、美味しいですか?」

 ただでさえ胸の内は、優しい甘さと達成感によって、じんわりと満たされていた。

 なのに、くすくすと目尻を下げる彼の白い手が、ゆったり俺の頬を撫でてくれるもんだから。好きな人に触ってもらえているっていう、幸せまで追加で注がれてしまったもんだから。今にもあふれてしまいそうだ。

「は、はいっ……美味しい、です」

 頭の芯までぽやぽやしかけているなんて知る由もない彼は、追い打ちをかけるように耳元で囁く。

「……では、私めにも一口頂けますか?」

「ひゃ、ひゃい……」

 いつもより低めのトーンでされたお願いに、鼓動が跳ねて声が上擦る。

 もう、聞こえてしまっているんじゃないだろうか。

 そう思うくらいに俺の心臓は踊り狂っていた。お陰で、クッキーが上手く摘めない。指が小刻みに震えて、狙いが定まらない。

 何とか摘み上げ、妖しい微笑みを浮かべている彼に、ココア味のクッキーを届けたのもつかの間。引っ込めようとした手を、大きな手に掴まれ、防がれてしまう。

 指先にほんの少しだけ柔らかいものが。クッキーを口に含んだ彼の薄い唇が、ちょんと触れてしまう。

「……とても美味しいですね」

 トドメと言わんばかりだ。

 宝石みたいに煌めく瞳を細めた彼から満面の笑みと共に贈られた。今、俺が、一番聞きたかった言葉を。

「あ、ありがとう……ございまひゅ……」

 オーバーキルもいいところだ。

 余計に言葉がとっ散らかってしまった。それどころか、膝から崩れ落ちそうになってしまったんだ。

 勿論、優しい彼に抱き留めてもらえたお陰で事なきを得たのだけれど。尻もちをつくことも、膝を痛めることもなかったんだけれど。

「では、ラッピングの袋とリボンはどちらになさいますか?」

 俺に尋ねたバアルさんは上機嫌そうだ。額から生えた触覚を、背中の羽を、ゆらゆらぱたぱたさせている。

 俺は、すっかり寛いでしまっていた。

 クッキングシートの上に綺麗に並ぶクッキー達を見て、やり終えた気分になっていた。長く引き締まった彼の腕の中で、落ち着くハーブの香りと優しい温もりを満喫してしまっていたのだ。

 そりゃそうだ。手作りなんだから、包装までやらないといけないんだった。

「えっと……どんなのがあるんですか?」

 緩みきっていた顔を引き締め、擦り寄りたくなってしまう胸元の誘惑を振り切り尋ねる。

 小さく頷いたバアルさんが、答えるように指先で宙に向かって横線を引く。途端に、透明な袋と色とりどりのリボンがどこからともなく現れ、ふわふわと俺達の前に浮かんだ。

「……これにします」

「……畏まりました」

 俺は、もうダメらしい。

 どうしようもなく、救いようがないくらいに色ボケしてしまっている。

 赤、青、黄色、ピンクに水色、金や銀だろうと見向きもせずに、迷うことなく選んでしまっていたのだ。

 やっぱりあの色に、緑色のリボンにほいほいと吸い寄せられてしまっていたのだ。

 あからさま過ぎれば、バレるのは自然の摂理だ。羽をはためかせている彼からくつくつと、喉の奥で押し殺すように笑われてしまった。

「は、早く包みましょうよ」

「ええ、そういたしましょう」

 よっぽどツボにはまってしまったんだろうか。いまだに小さく笑い続けているバアルさんは、頬をほんのり染め、喜びを隠し切れていない。

 だんだんと恥ずかしさがこみ上げてしまう。咄嗟に彼の腕の中から抜け出そうとしていた。

 けれども、そうは問屋が卸さない。筋肉質の腕から全身を包み込まれ、引き止められてしまった。そして、俺を抱えたまま何故か、調理台から背を向けスタスタと部屋の奥へと歩き始めてしまった。

「ちょっ、バアルさん?」

「いかがなさいましたか?」

 いつの間にか現れていたソファー。馴染みのある銀の装飾が施された、座り心地抜群のクッションにバアルさんが腰を下ろす。

 向かい合う形で俺を膝の上に抱き直し、きょとんとした顔で小首を傾げた。

「え、いや……ラッピング、しないんですか?」

 尋ねている間も、当たり前のように指を絡めて手を繋がれる。もう一方で頭や頬をよしよしと撫で回してくれている。

「ああ、それならばご心配なさらず。すでに包み始めておりますので」

「へ?」

 手の動きを止めることなく撫で続けてくれている彼の視線を辿り、振り向く。

 そこには、ひとりでにクッキーが6つずつ浮かんでは、自ら袋に飛び込んでいた。続けて、これまた浮かんでいるリボンが、その口を結んでいく。

 機械は使ってないけれど、オートマチックな流れ作業みたい。

「あれならば、問題はございませんでしょう?」

「……はい、全く」

 言わずもがな彼の魔術によるものだ。休むことなくテキパキと、正確にクッキーを包装し続けている。

 言葉通り問題ないどころか、俺がやるより早く、かつ丁寧に済ませてしまうことだろう。

「……では、少々私めとの戯れに付き合って頂けないでしょうか?」

 どこか甘ったるい響きを含んだ低音に、釣られて向き直った先には。

「勿論、お約束どおり……ご褒美も差し上げます」

 妖しい熱のこもった眼差しが、俺を真っ直ぐに見つめていて。

「は、はいっ……その、喜んで……」

 つい、即答してしまっていた俺の口に、柔らかいものがそっと触れ、軽く食んでから離れていく。

「あ……っ……バアル、さん……」

 ほんの一瞬だった。なのに、芯まですっかり蕩けてしまっていた俺は、泣いているような滲んだ声を出してしまっていた。

「甘い香りがいたしますね……」

 バアルさんが俺の首筋に、すっと通った鼻先を甘えるみたいにすり寄せてくる。

「え?」

 彼の言葉への反応が、遅れてしまったせいだろう。

「…………あ、クッキーの匂いが、移ったんじゃ……っ……」

 ようやく言葉を紡げた時には、首の辺りにちくんと、針で刺されたような痛みが走っていた。

「へ? ……ぅ……ば、バアルさん?」

「申し訳ございませんでした……好奇心を抑えられず……」

 触覚を下げ、彼にしては珍しく弱々しい声で俺の首を撫で続けている。

 何だか余裕のない姿に、あり得ないことだけど、状況的にはそうとしか考えられない事実に、俺の思考は行き着いてしまっていた。

「あー……もしかして、噛んじゃいました? なーんて……」

「……申し訳ございません」

 なにも考えずにそのまま口にしてしまったせいだ。余計に彼の顔を曇らせてしまった。

「い、いえ……大丈夫ですよっ……その、ちょっとびっくりしただけで」

 落ち込む彼の姿に、頭がとっ散らかっていく。

 結果、俺は「噛みたい時もありますよねっ」だとか「気になったんなら仕方ないですよっだ」とか。訳の分からない、おそらく全くと言っていいほどフォローになっていない言葉を、ひたすら彼に掛け続けてしまっていた。

 きっと、いや絶対に、そのせいだろう。

「お詫びになるとは、思っておりませんが……」

 突如、ネクタイを緩め、襟元を豪快に開いた彼が「どうぞお噛みになって下さい」と。目のやり場に困ってしまう綺麗な首筋を、俺に向かって曝け出してきたのは。

「お、お気持ちだけ……いただいておきます……」

「左様でございますか……」

 ほんのちょっぴり、ちょっとだけ好奇心がうずいてしまったものの、丁重にお断りした。しかし、何故かバアルさんは寂しそうというか、残念そうな顔をしている。

「でしたら、他に……私めにして欲しいことはございますか?」

 元々もらえる予定だったご褒美にプラスして、胸のドキドキが止まらなくなるような言葉をいただいてしまった。

 浮かれた俺は、つい強請ってしまっていた。口だけじゃなく、額にも、頬にもと、彼からのキスを何度も。
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