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呼んでみただけってなんなんだよ、夢のような時間ってなんなんだよ
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顔が、全身が熱い。火照ってるっていう表現が生温いくらいに。
全力疾走した後みたいに、激しく高鳴り続けている俺の鼓動。バクバク煩いそれに混じってトクトクと、逞しい胸板から、押しつけた額を通して伝わってくる。気持ちが落ち着く、その優しい鼓動に、知らず知らずのうちに小さく息をついていた。
先ほどの触れ合いによる余韻のせいか、満たされすぎて、あふれそうになってしまっているせいか、その両方か。騒がしい胸と一緒に唇が、少しだけジンと疼いた気がした。
「……ご満足頂けましたか?」
「…………はい……その、とても……」
「……それは、何よりです」
結局、2回も強請ってしまったな……1回目の段階で完全に腰が砕けていたくせに。
今だって、バアルさんに支えてもらっていないと彼の膝から、ソファーからひっくり返って落ちるくらい、全身の力が抜けきってしまっているくせに。
ゆっくり俺から離れていく柔らかい温もりが、どうしても名残惜しくて、寂しくて。気がつけば、自分でも聞いたことのない情けない声で、彼の名前を呼んでしまっていた。
ただそれだけで、宝石みたいに綺麗な緑の瞳を細め、あっさり俺の望みを叶えてくれる彼は、優しすぎるっていうか……気配り上手すぎるっていうか……
「……アオイ様」
またしても、彼への好きって気持ちがあふれてしまいそうになっていた。
いっぱいいっぱいな俺の鼓膜を、どこか遠慮がちに発せられた低音が、耳元で熱い吐息と一緒に揺らす。
「ひゃ、ひゃいっ……なんですか? バアルさん」
お陰様で大げさなくらい肩が跳ねたどころか、声まで変に上擦ってしまった。
少し見上げた先にある鼻筋の通った彼の顔はいつ見ても、つい見惚れてしまうくらいカッコいい。
青いシャンデリアの明かりにより、淡い光を帯びている、いくつもの六角形のレンズで構成された複眼。穏やかな微笑みを浮かべる唇を見ているだけで、どんどん身体中の熱が勝手に、顔の中心へ集まっていってしまうんだ。
「すみません、呼んでみただけです」
バアルさんは、どこか上機嫌そう。キッチリ撫でつけられた、オールバックの生え際から生えている触覚を揺らしている。ほんのり頬を染め、笑みを深めた。
「へ?」
思いもよらない彼の言葉に、俺は間の抜けた声を漏らしてしまった。それどころか、だらしなく頬が緩んでしまっていた。きっと、いや絶対、好きな人の前で、するべきではない顔になってしまっているに違いない。
「先程は、夢のような時間を過ごさせて頂きましたので……本当に、現実なのかと…………申し訳ございません」
細長い指が俺の髪を、頬をそっと撫でてくれてから、するりと俺の指に絡んで繋がれる。
「あ、いえ……名前くらい、いくらでも呼んでくれて構わないっていうか…………むしろ、その……呼んで、ください」
「……お心遣いに感謝いたします」
目尻を下げたバアルさんは、ぱたぱたと背にある半透明の羽をはためかせている。
嬉し過ぎる彼の言葉が、熱を持ち、ぽやぽやしきって回っていない思考回路に、じわじわと遅れて入ってきたせいだ。
ただでさえ、縋りつくみたいに掴んでしまっていた彼のスーツに、ますます大きなシワを作ってしまった。
……いやいやいや、ちょっと待て、呼んでみただけってなんなんだよ。夢のような時間ってなんなんだよ。
え、そんなに嬉しかったってこと……なのか? バアルさんも俺と同じように、喜んでくれたってことなのか?
いや、まぁ、そもそも……彼の方からしてくれたんだし。何回でも、俺が満足するまで喜んでしてくれるって……そう、言ってもくれたけどさ。
なんていうか……前も、今だって、いつも通りだったじゃないか。俺と違って、嬉しすぎて泣きそうになる訳でも、腰が抜けてしまう訳でもなかったじゃないか。普通に俺を、あやすみたいに撫でてくれていたじゃないか。
「アオイ様」
「は、はいっ」
俺の腰を支えていたはずの手が伸びてくる。ゆるりと頬を撫でてから、緑の瞳が熱のこもった眼差しを射抜くように向けてくる。
ほんの少し、少しだけ顔を近づけてしまえば触れ合える距離にある、喜びを湛えた唇。柔らかい微笑みに、再び心ごと釘付けになってしまっていた。頭の中が、ぽやぽやし始めかけていた時だった。
「本日のご予定は、クッキーを作製し、皆様方の元へと順次お届けに伺うということで宜しいでしょうか?」
いつの間にか、しっかりと元の調子に戻ってしまっていた彼の口から、うっかり吹き飛びかけていた、重大なミッションを告げられたのは。
「あっ……はい。よろしい、です」
「畏まりました。では、早速ご準備いたします」
……俺って、こんなに色ボケしちゃうタイプだったんだな。
さっきまで気合十分で臨もうとしていた、お礼のお菓子作りを忘れかけるなんてさ。
知らなかった、知りたくもなかった自分への情けなさと恥ずかしさ。それらで沈みかかっている俺を、長く引き締まった腕が軽々と持ち上げる。
雪が舞い落ちるみたいだった。どこからか現れた淡く白い光の粒が天井から降り注ぎ、広い室内を舞う。
かと思えば、瞬きの間に整然とした、高級ホテルのような室内が姿を変えていた。中央には銀色に輝くキッチン、壁際に背の高い冷蔵庫と大きなオーブンが並ぶ調理場へと。
以前も見たことはあるんだが、相変わらずスゴイな。
一瞬の内に部屋の構造そのものが変わるという、ど迫力な魔術に心が弾む。頭からは、自分が落ち込んでいたことなどすっかり抜け落ちていた。
おおっと口を半開きにしたまま、きょろきょろと部屋を見回してしまっていたんだ。
ふかふかの絨毯からタイル張りになっていた床へ、俺をそっと下ろしてくれたバアルさん。
彼の姿も変わっていた。白いシャツに黒のベスト、引き締まった腰にスネの辺りまでの長さがある黒いエプロンを巻いた、動きやすそうな服装へと。
「失礼致します」
バアルさんが、すらりと伸びた長身を傾け、綺麗な角度のついたお辞儀を披露する。
彼の手元には、いつの間にか深緑色の布地が。俺の経験上、調理実習でしか身に着けたことのない、肩紐のついたシンプルなエプロンが握られている。
そっと俺の首にかけてから、手早く後ろの紐を結んでくれる。続けて、これまたどこからか取り出したのか、同じ色の三角巾を頭に巻いてくれた。これで完璧だと言わんばかりに、俺の頭をぽん、ぽんと優しく撫でてくれながら微笑む。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、では準備もできたところで早速始めましょう。今から貴方様には、800枚ほどクッキーを焼いて頂かなければなりませんので」
「はっぴゃく!?」
想像していたよりも、はるかに桁が違う枚数に、つい、大きな声でオウム返しをしてしまっていた。
「ええ、お一人様6枚ずつとして……過不足なく配るとしたらそれくらいで十分かと」
驚く俺に対して、きょとんと見つめる緑の瞳。バアルさんが涼しい顔で、さも当然のように言葉を続ける。
「ですから、今回は調理工程の少ない型抜きクッキーを作りましょう。プレーンとココアパウダーを混ぜたニ種類でいかがでしょうか?」
想像しただけで途方も無い量のクッキーに、頭の中を埋め尽くされかけているってのに。
そもそも料理なんて、片手に収まる回数しかしたことないのに、彼以上にいい案なんて思い浮かぶ訳もない。
「え、あ……はい。じゃあそれで、お願いします」
それ以上の思考を放棄して、ただ頷き、彼におんぶに抱っこを決め込んでしまった。
「畏まりました。失礼致します」
柔らかい笑みを浮かべた彼の端正な顔が、ふいに迫ってきて額がそっと合わさる。
思いがけないスキンシップに、またあの変に上ずった声を漏らしそうになっていた瞬間。なにか温かいものが、彼と触れている部分から俺の全身へと流れた。すると、重力がなくなってしまったかのように、突然、身体が軽くなっていく。
なんとなくだけど、今ならフルマラソンでも余裕で走りきれそうだ。走ったことなんてないけどさ。
「あの……バアルさん、今のは?」
「一時的ではございますが、貴方様の身体能力向上と疲労を軽減する術を施させていただきました」
ゆっくり離れていってしまった彼が、平然と口にしたあまりにも便利すぎる魔術の内容は、ほんの序章にしか過ぎなかった。
「時間に関してはお気になさらず。こちらで一時間お過ごしになられても、外では十分程しか経たぬよう、時間の流れを変えております故」
続けて淡々と告げられた、チートすぎるというか、ご都合主義じみた彼の術に、ただただ感心してしまう。
……バアルさんに出来ないことなんて、この世にはないんじゃないか?
喉まで出かかっていたその言葉を、俺は無理矢理飲み込んだ。
全力疾走した後みたいに、激しく高鳴り続けている俺の鼓動。バクバク煩いそれに混じってトクトクと、逞しい胸板から、押しつけた額を通して伝わってくる。気持ちが落ち着く、その優しい鼓動に、知らず知らずのうちに小さく息をついていた。
先ほどの触れ合いによる余韻のせいか、満たされすぎて、あふれそうになってしまっているせいか、その両方か。騒がしい胸と一緒に唇が、少しだけジンと疼いた気がした。
「……ご満足頂けましたか?」
「…………はい……その、とても……」
「……それは、何よりです」
結局、2回も強請ってしまったな……1回目の段階で完全に腰が砕けていたくせに。
今だって、バアルさんに支えてもらっていないと彼の膝から、ソファーからひっくり返って落ちるくらい、全身の力が抜けきってしまっているくせに。
ゆっくり俺から離れていく柔らかい温もりが、どうしても名残惜しくて、寂しくて。気がつけば、自分でも聞いたことのない情けない声で、彼の名前を呼んでしまっていた。
ただそれだけで、宝石みたいに綺麗な緑の瞳を細め、あっさり俺の望みを叶えてくれる彼は、優しすぎるっていうか……気配り上手すぎるっていうか……
「……アオイ様」
またしても、彼への好きって気持ちがあふれてしまいそうになっていた。
いっぱいいっぱいな俺の鼓膜を、どこか遠慮がちに発せられた低音が、耳元で熱い吐息と一緒に揺らす。
「ひゃ、ひゃいっ……なんですか? バアルさん」
お陰様で大げさなくらい肩が跳ねたどころか、声まで変に上擦ってしまった。
少し見上げた先にある鼻筋の通った彼の顔はいつ見ても、つい見惚れてしまうくらいカッコいい。
青いシャンデリアの明かりにより、淡い光を帯びている、いくつもの六角形のレンズで構成された複眼。穏やかな微笑みを浮かべる唇を見ているだけで、どんどん身体中の熱が勝手に、顔の中心へ集まっていってしまうんだ。
「すみません、呼んでみただけです」
バアルさんは、どこか上機嫌そう。キッチリ撫でつけられた、オールバックの生え際から生えている触覚を揺らしている。ほんのり頬を染め、笑みを深めた。
「へ?」
思いもよらない彼の言葉に、俺は間の抜けた声を漏らしてしまった。それどころか、だらしなく頬が緩んでしまっていた。きっと、いや絶対、好きな人の前で、するべきではない顔になってしまっているに違いない。
「先程は、夢のような時間を過ごさせて頂きましたので……本当に、現実なのかと…………申し訳ございません」
細長い指が俺の髪を、頬をそっと撫でてくれてから、するりと俺の指に絡んで繋がれる。
「あ、いえ……名前くらい、いくらでも呼んでくれて構わないっていうか…………むしろ、その……呼んで、ください」
「……お心遣いに感謝いたします」
目尻を下げたバアルさんは、ぱたぱたと背にある半透明の羽をはためかせている。
嬉し過ぎる彼の言葉が、熱を持ち、ぽやぽやしきって回っていない思考回路に、じわじわと遅れて入ってきたせいだ。
ただでさえ、縋りつくみたいに掴んでしまっていた彼のスーツに、ますます大きなシワを作ってしまった。
……いやいやいや、ちょっと待て、呼んでみただけってなんなんだよ。夢のような時間ってなんなんだよ。
え、そんなに嬉しかったってこと……なのか? バアルさんも俺と同じように、喜んでくれたってことなのか?
いや、まぁ、そもそも……彼の方からしてくれたんだし。何回でも、俺が満足するまで喜んでしてくれるって……そう、言ってもくれたけどさ。
なんていうか……前も、今だって、いつも通りだったじゃないか。俺と違って、嬉しすぎて泣きそうになる訳でも、腰が抜けてしまう訳でもなかったじゃないか。普通に俺を、あやすみたいに撫でてくれていたじゃないか。
「アオイ様」
「は、はいっ」
俺の腰を支えていたはずの手が伸びてくる。ゆるりと頬を撫でてから、緑の瞳が熱のこもった眼差しを射抜くように向けてくる。
ほんの少し、少しだけ顔を近づけてしまえば触れ合える距離にある、喜びを湛えた唇。柔らかい微笑みに、再び心ごと釘付けになってしまっていた。頭の中が、ぽやぽやし始めかけていた時だった。
「本日のご予定は、クッキーを作製し、皆様方の元へと順次お届けに伺うということで宜しいでしょうか?」
いつの間にか、しっかりと元の調子に戻ってしまっていた彼の口から、うっかり吹き飛びかけていた、重大なミッションを告げられたのは。
「あっ……はい。よろしい、です」
「畏まりました。では、早速ご準備いたします」
……俺って、こんなに色ボケしちゃうタイプだったんだな。
さっきまで気合十分で臨もうとしていた、お礼のお菓子作りを忘れかけるなんてさ。
知らなかった、知りたくもなかった自分への情けなさと恥ずかしさ。それらで沈みかかっている俺を、長く引き締まった腕が軽々と持ち上げる。
雪が舞い落ちるみたいだった。どこからか現れた淡く白い光の粒が天井から降り注ぎ、広い室内を舞う。
かと思えば、瞬きの間に整然とした、高級ホテルのような室内が姿を変えていた。中央には銀色に輝くキッチン、壁際に背の高い冷蔵庫と大きなオーブンが並ぶ調理場へと。
以前も見たことはあるんだが、相変わらずスゴイな。
一瞬の内に部屋の構造そのものが変わるという、ど迫力な魔術に心が弾む。頭からは、自分が落ち込んでいたことなどすっかり抜け落ちていた。
おおっと口を半開きにしたまま、きょろきょろと部屋を見回してしまっていたんだ。
ふかふかの絨毯からタイル張りになっていた床へ、俺をそっと下ろしてくれたバアルさん。
彼の姿も変わっていた。白いシャツに黒のベスト、引き締まった腰にスネの辺りまでの長さがある黒いエプロンを巻いた、動きやすそうな服装へと。
「失礼致します」
バアルさんが、すらりと伸びた長身を傾け、綺麗な角度のついたお辞儀を披露する。
彼の手元には、いつの間にか深緑色の布地が。俺の経験上、調理実習でしか身に着けたことのない、肩紐のついたシンプルなエプロンが握られている。
そっと俺の首にかけてから、手早く後ろの紐を結んでくれる。続けて、これまたどこからか取り出したのか、同じ色の三角巾を頭に巻いてくれた。これで完璧だと言わんばかりに、俺の頭をぽん、ぽんと優しく撫でてくれながら微笑む。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、では準備もできたところで早速始めましょう。今から貴方様には、800枚ほどクッキーを焼いて頂かなければなりませんので」
「はっぴゃく!?」
想像していたよりも、はるかに桁が違う枚数に、つい、大きな声でオウム返しをしてしまっていた。
「ええ、お一人様6枚ずつとして……過不足なく配るとしたらそれくらいで十分かと」
驚く俺に対して、きょとんと見つめる緑の瞳。バアルさんが涼しい顔で、さも当然のように言葉を続ける。
「ですから、今回は調理工程の少ない型抜きクッキーを作りましょう。プレーンとココアパウダーを混ぜたニ種類でいかがでしょうか?」
想像しただけで途方も無い量のクッキーに、頭の中を埋め尽くされかけているってのに。
そもそも料理なんて、片手に収まる回数しかしたことないのに、彼以上にいい案なんて思い浮かぶ訳もない。
「え、あ……はい。じゃあそれで、お願いします」
それ以上の思考を放棄して、ただ頷き、彼におんぶに抱っこを決め込んでしまった。
「畏まりました。失礼致します」
柔らかい笑みを浮かべた彼の端正な顔が、ふいに迫ってきて額がそっと合わさる。
思いがけないスキンシップに、またあの変に上ずった声を漏らしそうになっていた瞬間。なにか温かいものが、彼と触れている部分から俺の全身へと流れた。すると、重力がなくなってしまったかのように、突然、身体が軽くなっていく。
なんとなくだけど、今ならフルマラソンでも余裕で走りきれそうだ。走ったことなんてないけどさ。
「あの……バアルさん、今のは?」
「一時的ではございますが、貴方様の身体能力向上と疲労を軽減する術を施させていただきました」
ゆっくり離れていってしまった彼が、平然と口にしたあまりにも便利すぎる魔術の内容は、ほんの序章にしか過ぎなかった。
「時間に関してはお気になさらず。こちらで一時間お過ごしになられても、外では十分程しか経たぬよう、時間の流れを変えております故」
続けて淡々と告げられた、チートすぎるというか、ご都合主義じみた彼の術に、ただただ感心してしまう。
……バアルさんに出来ないことなんて、この世にはないんじゃないか?
喉まで出かかっていたその言葉を、俺は無理矢理飲み込んだ。
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