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とある死神の懺悔

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 祈りを捧げるように、毎日繰り返す。お日様が顔を出す前に、あの方が目覚める前に、バアル様へと想いを託す。

 それは、僕にとって唯一許された懺悔の手段であり、ただの自己満足でしかない。決して、感謝されるようなものじゃないんだ。


 銀の装飾が施された、いくつもの青い石柱が並び立つ先にある階段の上。

 国旗を背負い、左右のステンドグラスからこぼれる光によって淡い光を帯びた玉座。

 荘厳な雰囲気が漂う座に向かって僕は、僕達は跪く。僕のせいで巻き込んでしまった師匠と共に、頭を垂れて言葉を待つ。

 地獄の主であるヨミ様の口から言い渡され、下される、僕らの罰を。

「……クロウ」

 地の底から響いてくるような、重たく低い声が師匠の名前を厳かに紡ぐ。

「はい」

 声色からひしひしと伝わってくる、全身を押さえつけられているような威圧感。息が苦しくなる重圧に、まだ呼ばれた訳じゃないのに、僕の身体は勝手に震え始めてしまっていた。

「そなたには、師として彼の間違いに気づくことが出来なかった罰として……減給及び向こう数十年、担当地区をA区画からD区画への異動とする」

「謹んでお受けいたします」

 粛々と処罰が言い渡され、凛とした声で受け答える師匠。彼の横で僕は、涙でボヤけた赤を、カーペットを、ただただ黙って見つめ続けていた。

「次にグリム」

「は、はいっ」

 弾かれたように思わず上げてしまっていた。滲んだ視界の先で、真っ直ぐに僕を見下ろす赤い瞳とかち合う。

 途端に、ヨミ様の美しいお顔が、どこか苦しげに歪んでいく。眉間に深いシワが刻まれ、唇が引き結ばれた。

「そなたの罪は、あまりにも大きい……本来死ぬべきではなかった魂を刈り……結果、死神の鎌の誤作動とはいえ、地獄へと落としてしまったのだからな」

 改めて、ヨミ様の口から告げられた僕の罪に、胸の奥が軋む。全身が鉛のように重くなっていく。上手く、息が出来なくなってしまう。

 頭の中に、あの人の顔が過る。声を震わせ、今にも泣いてしまいそうなのに。寂しそうな笑顔で僕の頭を撫でてくれた、アオイっていう人間さんが。

「……はい、どんな処罰であろうと、謹んでお受けします」

 あの人は、人間だった。僕が、僕達がよく知っている人間。なのに……泣き叫び、怒り狂いながら僕達を責めることも、口汚く罵ることもしなかった。

 僕に対して怒る正当な権利があるはずなのに、手を上げられて当然のことをしてしまったのに。僕を赦してくれた、とても優しい人間さんだった。

 だから僕は決心することが出来たんだ……本当は怖くて仕方がないけれど、痛いのはとてもイヤだけれど。あの人の気持ちが少しでも晴れるなら、地獄の業火に焼かれても構わないって。

「よい心がけだ。では、そなたから死神として一人前の資格を剥奪し、再びクロウの元で見習いとしての修行を命ずる」

「はい……」

「以上だ」

「え? 他に、罰は……」

 あまりにもあっさりと告げられた、重たい罪に対して軽すぎる罰に、間の抜けた声が僕の口から漏れていた。

「以上だと申しておる」

「でも、僕……私は、取り返しのつかないことを……」

「それがアオイ殿の望みだとしても、そなたは厳罰を望むのか?」

 声が、出なかった。

 だって、おかしいじゃないか。僕さえ間違わなければ、今も現世であの人は、穏やかに暮らしていたはずなのに。

「アオイ殿は、そなたが業火に焼かれることは疎か、死神としての職を失うことさえ望んではおらぬ」

「そんな……だって、僕の、せいで……」

「……心根の優しい御仁だからだ。彼が赦したのだ、故に私も赦そう。そなた等の今後の活躍を期待する、下がるがよい」

 僅かに口元を綻ばせたヨミ様からのお言葉に、全身の力が一気に抜けていく。

 膝をついたまま動けなくなってしまっていた僕を、師匠が手を取り、立たせてくれる。

 ぐちゃぐちゃに滲んだ視界のまま、手を引かれながら歩く僕の背で、高い石造りの豪奢な扉が閉まる重たい音が、静かに響いていた。


 そこから先は、あまりよく覚えていない。

 ただ、僕の背中を宥めるように、優しく撫でてくれていた師匠にしがみついてしまっていた。

 師匠の灰色のマントがぐしょ濡れになってしまうまで、みっともなく声を上げて泣いていた。

 そして、気がつけば座っていた。中庭の隅っこにあるベンチ。何かあった時にはいつもくる僕のお気に入りの場所。

 そこで、ぼんやりとお日様に照らされてキラキラ光る、淡いピンクと薄紫を、水晶のお花達を眺めていたんだ。

 自分で来たんだっけ? それとも師匠に連れてもらって? 

 ……そういえば、ちょっと待っててくれって、師匠に言われたような気も……

「ちょっとお隣に失礼してもいいかのう?」

 おぼろげな記憶を掘り返していた僕に、誰かが尋ねてきた。

「え? あ、はい……どうぞ……」

 反射的に答えていた。

 真っ白なベンチを軋ませながら、僕の隣にどっしりと腰を下ろした厳つい身体。広い背中には、ついさっきまで対面していたヨミ様と同じ、真っ黒な羽が生えている。

 思わず横を向けば、見覚えしかない、立派なおヒゲと鋭い角。え、この方、まさか……

「さ、サタン様っ!? す、すみません僕……いえ、私、ぼーっとしてまして」

 声だけじゃない。身体までひっくり返りそうになってしまった。

「いいんじゃよ、そんなに固くならんでも。わしは、もう引退した身じゃしの」

 お腹の芯まで響くような野太い声で、豪快に笑うサタン様。僕の顔より大きな手をひらひらと振ってから、気にしなくていいよと言ってくれているように、優しく僕の肩をぽん、ぽんっと叩いてくれる。

「ですが……」

「まぁまぁ……そんなことより花はよいのう。見ているだけで、心が癒やされるわい」

「そう、ですね。なんて言ったら分からないんですけど、不思議と気持ちが落ち着くような……笑顔になれるような……そんな気がします」

 お花は何も言わないし、言ってはくれないけど、疲れた心にそっと寄り添ってくれるような気がする。

 気持ちが後ろ向きになってしまった時。土砂降りの中でも、強風にさらされても、懸命にキレイな花を咲かせようとしている姿を見ると、もう少しだけ……僕も頑張ろうって、そう思えるんだ。

「……じゃのう。ところで、お主ら死神だけが行くことが出来る、地獄と現世の狭間には珍しい花があるんじゃろ?」

「ええ。地獄の一部が混ざってしまうのと同時に、現世の方も混ざってしまうので、ここでは手に入らない現世の……お花が、咲いて……」

 現世という言葉にふと、あの人間さんのお顔が浮かぶ。

 くしゃりと歪んだ、思い出すだけで、胸がきゅっと締めつけられる切ない微笑みが。

 ……僕があの人に、あの方にして差し上げられることなんて、何もないのかもしれない。

 こんなことをしたって、何の解決にもならない。ただの自己満足でしかないだろう。でも……

「……あの、サタン様に、お願いがあるのですけど」

「なんじゃ? 申してみい」

「現世のお花をあの方に……アオイ様に渡すことは出来ませんか?」

 もし、馴染みのあるお花を見ることで、あの方の心を少しでも癒やすことが出来るのなら。

 ほんの少しだけでも、あの方の顔を曇らせている寂しさを拭うことが出来るのなら。

「今、アオイ殿にはバアルを仕えさせておる。あやつは口が堅いからの、夜明け前までに手渡せばバレることなく、お主の代わりに飾ってくれるじゃろう」

「…………あ、ありがとう……ございますっ」

 わしは、なにもしてはおらんよと、微笑むサタン様に頭を下げ、石造りの道を全力で蹴る。

 こんな小さなことで、償いになるなんて思わないけれど。それでも、今の僕に出来る精一杯をあの方に、アオイ様に届けたかったんだ。
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