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人間の方が、地獄の方々にとっては恐ろしい存在なのかもしれないのに

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「あ、あのっ……今日も、持ってきてくれていたんですね」

「ええ。いつも通り、朝日が上る少し前に……今日のお花は、ガーベラとのことです」

 突然、脈絡どころか主語もなく投げつけてしまっていた。

 しかし、察しのいい彼は、俺の目線の先を辿ったんだろう。毎朝、部屋に飾るお花を届けにきてくれている方の件だと即座に気づき、乗ってくれる。

「その際に、貴方様がお会いしたいと申していることを、お伝えしたのですが……」

 珍しく言葉尻を濁すバアルさん。ふと、俺の胸中に予感という名の確信が芽生えた。

 多分、いやきっと、その方は……俺には、人間には、会いたくないんだろうな。

 何故か、そう思い至ってしまっていたのだ。

 それでも、一縷の望みをかけて、尋ねてみる。

「どう、でしたか?」

 優しい手つきで、俺を撫でてくれていた手の動きが、ぴたりと止まる。

 少しだけ息を呑むような、呼吸を整えるような静かな息づかいが俺の耳に届く。

「……自分が好きでやっていることだと、面と向かってお礼を言われるほどのことではありませんと、丁重に断られてしまいました」

「そう、ですか……」

 どこか、寂しげな響きを含んだ低音で、彼の口から俺に伝えられた、やんわりとした優しい拒絶。

 ああ、やっぱりそうか、という納得が半分。どうしようもない、なんとも言えない寂しい気持ちが半分。だが、後者の半分が胸の奥で渦巻いて、こびりついて、少しだけ痛んだ。

「仕立て屋の方々は夕方であれば、厨房の方は繁忙時間でなければ、いつでも来ていただいて構わないそうです」

「分かりました、ありがとうございます……」

 きっと……今までが贅沢だったんだ。

 ここに来た経緯はどうあれ、なんの抵抗もなく受け入れてもらえて、普通以上に優しく接してもらえていたことが。

 そもそも俺だって、最初はバアルさんの人ならざる部分に驚き、見た目の差異に不安を抱いていたじゃないか。

 挙げ句にバアルさん以外の地獄の方々のことを、ただ恐ろしい世界に住んでいるからって、人間である俺とは違う、悪魔という種族だからってだけで、勝手に決めつけていたじゃないか。

 話をするどころか、会ってすらいないのに、怖い人しか居ないんじゃないかって。

 逆に俺の方が、人間の方が、地獄の方々にとっては恐ろしい存在なのかもしれないのに。

 …………でも、そうだとしたら……やっぱりここに住む方達は、優しい方々ばかりなんだな。

 だって、人間のことが、俺のことが苦手なハズなのに、それでもわざわざ、お花を届けにきてくれるんだからさ。

 それも、どこか懐かしいものばかり。通りがけの花屋さんや、花壇で見かけたことがあるような、現世で見慣れた花ばかりなのだ。

 だからかもしれなあ。その方の優しい気遣いというか、温かい思いが咲きこぼれる花々から伝わってくるんだ。じんわりと俺の心を癒やしてくれるんだ。

 いつの間にか、胸のもやもやは消えていた。代わりにふつふつと湧き上がってくる。やっぱり、なんとかして感謝の気持ちを伝えたいっていう、自分勝手な我が儘が。

「お礼の品を用意してみてはいかがでしょう?」

 俺の思いを汲み取ってくれたような提案が、彼の口から発せられる。

「お礼の品……ですか?」

「ええ。ただしお礼とは言わずに、あくまでお裾分けという形で」

「お裾分け……」

「はい。簡単なお茶菓子を……例えばクッキーなど、ご自分の為に作られたもののお裾分けであれば、受け取りやすいのではないでしょうか?」

 成る程、確かに。これ、いつものお礼ですっていうよりも。ちょっと作りすぎちゃったから、お一ついかがですか? っていう形にしてしまった方が、受け取ってもらえるかもしれない。渡してくれるのは、俺じゃなくて、バアルさんだし。

「いいですねっ! だったら……仕立て屋の方達と、厨房の方達に……それから、昨日のお礼に兵士さん達の分も……なんて、欲張り過ぎですかね?」

 お花の方にはお裾分けという形でするとして、他の方々には普通にお礼をしに行くのだから、手土産というか、菓子折り的なものは必須だろう。

 今現在、居候同然の身である俺には、先立つものは一切ない。だったら、超がつくほど料理ど素人である俺の手作りクッキーでも、なにもないよりはマシなハズだ。多分。

「ふふ、微力ながら私もお手伝いさせてい頂きます。些か無粋かもしれませんが、魔術でサポートさせて頂ければ、決して無理難題という訳ではございません」

「じゃあ、よろしくお願いしますっ」

 なんでもそつなくこなすバアルさんが、一緒に作ってくれるってだけでも頼もしい。おまけに彼の魔術まで加われば百人力だ!

 思わず俺は、握り締めてしまっていた。白い手袋に覆われた大きな手を、両手で包み込むようにガッシリと。

 心が弾みまくっている俺の頭の中で、気の早い光景が浮かぶ。

 バアルさんが指揮者のように細長い指を振るだけで、ひとりでに調理器具が動き出す。普段のティータイムに出てくるような、ナッツやイチゴのジャムがあしらわれたクッキー達が、次々と焼き上がっていく。

「畏まりました。ところで……」

 だから、気づいていなかった。

 意識が完全に、お礼のクッキー作りの方へと注がれてしまっていたもんだから。

「ようやく、此方を向いて頂けましたね」

 ゆるりと瞳を細めた彼に頬を撫でられ、手を握り返されるまで、全く気づけなかったのだ。

 ごく自然に、いつも通り彼の顔を見て、話が出来ていたことに。

「あっ……ぅ…………」

 反射的に距離を取ろうとでもしたのか。後ろへと反りかかっていた身体が、腰へするりと回った、引き締まった腕に阻まれる。抱き寄せられて、逆に距離を詰められてしまう。

「ば、バアルさん……」

「アオイ様……」

 指が絡んで、額が合わさる。昨日と同じ熱のこもった緑色に、唇に感じる熱い吐息に、壊れそうなくらい心臓が高鳴ってしまう。

 泣きたくなってしまうほどの嬉しさと同じくらいの恥ずかしさが、一気に込み上げてきてしまう。

「ごっ、ごめんなさいっ……」

 咄嗟に俺は瞼を固く閉じてしまっていた。下手をしなくても、拒絶にしかとられないような言葉を、何故か口にしてしまっていたんだ。
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