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期待して待ってるだけじゃダメだ

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 以前の部屋よりも数倍広く整然とした、高級ホテルのような室内。それを目にして安心するなんて。少し前の俺が聞いたら目が点になるどころか、大丈夫か? と心配されてしまいそうだ。

 部屋の奥で鎮座している、大人が三人川の字で並んでも、まだ余裕がありそうなベッド。ふかふかで弾力があるその上で沈んでいると、指の先を動かすことすら難しく感じる。

 満ち足りた一日を過ごせたことによる、気持ちのいい疲労感も相まって、正直、このまま朝まで眠ってしまいたいくらいだ。

「……アオイ様」

 夢と現の間でゆらゆら漂っていた俺の耳に、少し遠慮がちに発せられた低音が届く。

「ん……ぅ、はい……」

 心地のいい眠気に屈しかけている身体を、なんとか捻った俺の前には、バアルさんがいた。

 しかし、普通にいるのではない。

 いつかの俺がした、都合のいい甘ったるい妄想が、何故か現実になっていたのだ。

 覆い被さるように仰向けに転がる俺を跨いで、膝をついているバアルさん。彼の真剣な眼差しは、閉じかかっていた瞼をかっぴらかせるには十分過ぎた。それどころか、壊れそうになるくらい心臓を、鷲掴みにされてしまっていた。


 唇を引き結んだまま俺を見下ろす、宝石みたいに輝く緑色の瞳に、ただ見つめられているだけで、一気に身体中の熱が顔に集中してしまう。視界が、じわじわ滲んできてしまうっていうのに。

 白い手袋に覆われた細長い指が、俺の目元を、頬を、するりとなぞっていくように撫でていく。

 順当に顎へと、首へと。俺の胸元で淡い光を帯びている、彼の瞳に似た緑の石をあしらったループタイへと辿り着いた。

 片手で器用にそれを外した彼は、控えめなフリルのついた白いシャツのボタンまで、一つ一つゆっくり外していく。彼の大きな手によって首を、薄っぺらい胸板を、はだけさせられていく。

「ば、バアルさん……」

 震える俺の喉からは、自分でも聞いたことがない声が出ていた。変に上擦った、情けない音だった。

 挙げ句に俺は、引っ張ってしまっていた。新品みたくパリッとした彼の黒いスーツの裾を、シワがよるほどに強く。

 間近に迫っていた口元が、ふわりと綻ぶ。引き締まった長い腕が、するりと俺の腰に回り、優しく抱き起こしてくれる。

 バアルさんは慣れた手つきでするすると、俺の上半身を剥いていき、肌着一枚だけの姿にしてしまった。

 しかし、その最後の砦に手をかけることはない。かといって続けて下の、チェック柄のハーフパンツを脱がしにかかることもなかった。

 どこからか取り出したのか、いつも部屋着代わりに着ているトレーナーを俺の頭にすぽんと被せたのだ。

「お休みのところ、お手を煩わせてしまいすみませんが、袖を通していただけますか?」

 バアルさんは申し訳無さそうに眉を下げ、少し乱れてしまった俺の髪を整えてくれる。

「え、あ…………はい」

 ありがとうございますと、胸に手を当て軽く頭を下げた彼の表情は、いたって平静そのもの。手早く畳まれたシャツとループタイが、瞬く間に彼の手元から忽然と消えていく。

 代わりに、俺にとってはお馴染みと化してきた、フワフワの大きなタオルが手品みたいに現れる。

 どちらも、言わずもがな彼の魔術によるものだろうけど。

 その後も淡々と作業のごとく、いつものように腰にタオルを巻かれ、ハーフパンツからズボンへと履き替えさせてもらってしまった。

 黒のハイソックスも、ベッドの側で脱ぎっぱなしになっていた長めのブーツも、彼の手からどこかへと、ぽんぽん瞬間移動していってしまう。

 ……もしかしなくても、さっきのは、服にシワが着かないように、親切に脱がせてくれたってだけなんじゃ?

 俺が想像していたような……その、え、エッチなことをしてくれようとしていた訳ではないんだよな……やっぱり。

 …………何で俺、もやもやしているんだろう。

 バアルさんから服を着させてもらった時は、正直、ほっとしていたはずなんだけどなぁ。

 そういえば昼食の後も、似たような気持ちになったような……

 ふいに、ぽこりと、奥底で沈んでいた何かが浮かび上がってくるみたいに彼の言葉が。俺が、求めてくれるのを……いつでも待ってるっていう彼の言葉が、頭の中に浮かび上がってくる。

 ああ、そうだと。いつも期待して待っているだけじゃなく、俺からも何かアクションを起こさねばと。半ば衝動的に行動してしまったんだろう、思い立ったが吉日とばかりに。

 気がつけば俺は、握り締めてしまっていたんだ。隣で腰掛けるバアルさんの、一回り大きな手を。
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