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とっくに気づいていたけれど、気づかないフリをしていた

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 真剣な眼差しで、服を吟味してくれているにも関わらず、繋いでくれている手は離さないまま。おまけに、空いている方でよしよしと、俺の頭を撫で回してくれる。

 お陰様で顔は熱いわ、胸の鼓動はさっきから、ひっきりなしに、はしゃぎまくっているわ。肝心の服を選び終わる前に、うっかり気絶してしまいそうだ。

「あの……さっきは何を考えていたんですか?」

 どうにか意識を彼の手の温もりから逸らそうと、すっかり聞きそびれていたことを、話題として振ってみる。

「どちらの好みのことかと考えておりました」

 気を抜けば、うっかり頬がだらしなく下がってしまいそうな俺とは違い、バアルさんは平然としている。

 数ある服の中から、モノトーンのTシャツやジャケットにズボン。控えめな装飾が、袖と襟の部分に施され、左側にだけ紺色のマントがついた衣装を選び出す。俺の目線に合わせて、宙に浮かばせた。

「単に、私めの好みの色やデザインを選べばよいのか、それとも……」

 言葉を濁した彼が、俺を撫でてくれていた手を止め、チラリと向けた瞳を細める。

 それだけでも鷲掴みされたみたいに心臓が大きく跳ねてしまったってのに。頬をゆるりと撫でてから額を合わせ、鼻先が触れてしまいそうな距離で、柔らかく微笑んだ。

 声が出なくなってしまった。胸どころか、喉の奥まで何故かきゅっとなってしまったのだ。

「私が、アオイ様にお召しになって頂きたい衣装を選べばよいのかと」

 ゆっくりと離れていった彼の背後には、いつの間にか、明るめのオレンジのパーカーや薄いピンクのカーディガン。

 袖や襟にフリルがついた白いシャツに、チェック柄のハーフパンツ。色とりどりのネクタイやリボンが、ふわふわと浮かんでいる。

「えっと……あっちのシンプルな感じが、バアルさんの好みで、こっちにあるのが、俺に着て欲しい服ってこと……ですか?」

 こっそり呼吸を整えて、少しだけ落ち着きを取り戻した頭で、整理したことを確認してみる。

「はい、左様でございます」

 成る程。確かに自分が好きで着る服と、相手に着て欲しい服は違うもんな。

 改めて見比べてみると、彼の好みだという服は、どれも落ち着いた色合いで大人っぽく。逆に着て欲しいっていう方は、明るめで少し可愛らしい感じだ。

 ……俺としては出来るだけ彼の期待というか、要望に応えたいんだけれど。

 ふと、いくつもあるネクタイの中から、とある一本に吸い寄せられるように目を引かれる。

 それは細く黒い紐状のネクタイで、留め具に銀の装飾が施され、鮮やかな緑色の石をあしらった物だった。

「こちらのループタイが、お気に召しましたか?」

「あ……はい」

「でしたら、こちらのシャツのいずれかと合わせてみてはいかがでしょうか?」

 どこか上機嫌なバアルさんが、額の触覚を揺らしながら、デザインの異なる白いシャツを数点広げる。

 さすがに袖や胸元がカーテンのレースかな? ってくらいに、フリルまみれのシャツを選ぶ勇気は俺にはなく。少し控えめなものを選び、ズボンはバアルさんが勧めてくれた、チェック柄のハーフパンツ。黒のハイソックスと長めのブーツを合わせることにした。


「では、失礼致します」

 パタパタと背中にある半透明の羽を、はためかせているバアルさん。

 彼の長い指が当たり前のように、ごく自然に俺のトレーナーの裾を摘まみ、持ち上げる。

 多少は慣れてきたとはいえ、ただの着替えの手伝いだとはいえ、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 しかも、今回は普段の洗面所とは違い、いつも二人で過ごしている室内だ。

 意識しないようにしていても、少し前に想像してしまったいかがわしい妄想が。

 優しい眼差しを向けてくれる彼から、ゆっくり丁寧に焦らすように一枚一枚。身につけているものを剥ぎ取られていくビジョンと勝手に重ねてしまう。

 全身が急激に熱くなり、彼に音が聞こえてしまうんじゃないかってくらいにドキドキと心臓が高鳴ってしまう。

「両手を上げて……はい、いい子ですね」

 そんな俺の状態なんて知る由もない彼は、いつも通り淡々としている。

 両手を上げた俺の腕から服を抜き取り、今度は先程のシャツを手に取ってから俺に羽織らせる。

 一つずつボタンを閉めていく度に、当然のことながら彼の彫りの深い顔が近づいてきて、身体が勝手に震えてきてしまう。心臓が壊れそうになってしまう。

 ふわりと漂う優しいハーブの香りに、思わず息を止めてしまっていた。

 真っ赤になっていた俺の、今にも泣き出しそうな情けない表情が、彼の緑の瞳に映った。

「ふふ、そのように可愛らしい顔を見せるのは、この老骨めの前だけになさってくださいね?」

「……え?」

「ただでさえ、今日の貴方様は、いつにも増して魅力的でいらっしゃるのですから」

 まだ完全に上まで閉めきっていないせいで、俺の首周りは無防備になっていた。

 そこに白い手袋に覆われた指先が触れ、鎖骨のラインをなぞるように撫でていく。

 途端に背筋に走った、擽ったさとは違う不思議な感覚。未体験の感覚に、変な声を上げそうになった口を慌ててつぐんだ。

「それに加えて、愛らしいお姿まで見られてしまえば、城の者達が放ってはおかないでしょう」

 ゆるりと微笑むバアルさんが、名残惜しそうに俺の頬を撫でる。襟元のボタンを閉め、どこからか取り出した、あの緑の石がついたループタイを俺の首に回す。

「もし万が一にでも、その中の誰かに貴方様が惹かれ、奪われることになってしまえば、私は……」

 留め具に指をかけたまま、バアルさんは辛そうに唇を歪ませ言葉を詰まらせた。

「バアルさん……」

 そんなこと、ないのに。あるはずがないのに。

 だって、俺が側に、一緒に居たいって思うのはバアルさんだけで。それは、これから先もずっと、何があっても変わる訳がないのに。

 だって、俺はバアルさんのことが……

 ポロリと、思いがけずこぼれそうになっていた、気づいていたけれど、ずっと気づかないふりをしていた自分の気持ちを。

 ムードなんてそっちのけで、口から出てしまいかけていた、たった二文字を、両手で覆い押し戻す。

「……アオイ様?」

 突然の奇妙な行動に、バアルさんは目を白黒させながら、俺の顔を覗き込むように見つめてくる。

「あ、いや……その……」

 自分のことながらタイミングが酷すぎる。いくらバアルさんが、まだ見ぬ誰かに嫉妬してくれて嬉しかったからって。そこで気づくか普通。もっと他にいい場面があったじゃないか。

 なんなら定期的にプロポーズしていただいたり、甘ったるい言葉をかけてもらっていたんだからさ。

 自分で自分を責めたところで、この場を乗り切れるような上手い言い訳も、誤魔化しも。ただ、ただ心配そうに俺を見つめる瞳の前では、浮かぶことも、それを口にすることも出来そうにない。

「……万が一は、ないと思います、絶対に」

「……何故、ですか?」

「…………き、だから……」

「はい?」

「俺が…………バアルさんを、す、好きだから……です」

 そこは、夜空に満点の星が降り注ぐような場所ではない。

 俺達を包み込むように淡いオレンジ色の光が照らしている訳でも、地面に色鮮やかな花が咲き乱れている訳でもない。

 少し豪華だけど、数日間、普通に彼と過ごした室内。そこで、生まれて初めて俺は……

 好きになった人に自分の想いを告白した。
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