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当然のように、腕枕

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 いくつもの六角形のレンズで構成された複眼に、口をぽかんと開けたままの、間抜けなツラをした俺が映る。

「いかがなさいましたか?」

 当たり前の様に、俺に穏やかな眼差しを向けてくれているバアルさん。微笑む彼は、ごく自然に俺のすぐ側で横になっていて、さも当然のごとく腕枕をしてくれていた。

「う…………いや、その、腕……痛く、ないんですか?」

 曇りのない瞳で真っ直ぐに俺を見つめてくる彼に「どうして、添い寝なんてしてくれているんですか?」などと尋ねるなんて。そんな勇気、俺には一欠片もない。

 それでも何か言わなければと、振り絞った結果がこれである。

 そんなの痛いに決まってんだろ。大した頭脳の持ち主でない俺でも、一応、それなりに、脳みそは詰まってんだぞ。

 重たいだろうし、下手すりゃ腕が痺れるわ。バアルさんに、迷惑をかける前に退かないと……

 そう思い、頭を上げようとした時だ。

「お心遣い痛み入ります。ですが、何も問題はございませんよ。こう見えて、私の身体は丈夫に出来ておりますので」

 かえって抱き寄せられてしまった。

 嬉しそうに口元を綻ばせた彼に、ぽん、ぽんっと優しく頭を撫でられてしまった。

「貴方様の身体は羽のように軽く、繊細でいらっしゃる。むしろ抱き潰してしまわないかと、案じております」

 一気に強まったハーブの香りに、頭がくらくらする。こんなの、抱き締められているのと変わらないじゃないか。

「勿論、そのような愚行は決して致しません。ですから、どうかゆっくりお休み下さいませ」

 細く長い指先が、俺の頬をするりと撫でてから、俺の腰辺りを支えるように添えられる。

 すっかり表情筋の力が抜けきってしまった。たった一撫でされただけだってのに。

 俺の口からは、もう気の抜けるような声しか、なんとも情けない声しか出すことが出来ない。

「ふぁい……ありがとうございまひゅ……」

 とことん噛み倒した俺の返事に、バアルさんは目を細めることで応えてくれた。

 俺が眠りやすいようにしてくれているんだろう。腕枕をしてくれている方の手で、短い俺の髪を梳くように撫でながら、反対の手を腰から背中へと滑らせる。一定のリズムで、とん、とん、と軽く叩き始めてしまった。

 ……全くもって信じられない。昨日の俺は、この状況下で一体どうやって眠ったっていうんだ? 

 だって、少しでも見上げれば、温かい光を帯びた緑色と目が合うんだぞ?

 閉じたら閉じたで五感が鋭敏になるせいか、彼の静かな息づかいや、手の温もりを余計に感じてしまう。彼の存在を、より強く意識してしまうせいで、心臓が煩くなってしまう。

 緊張からか頭はどんどん冴えてきていた。身体もだ。そわそわしてしまって落ち着かない。

 こんなの、眠れる訳がないじゃないか。

「アオイ様」

「ひゃいっ……ど、どうかしましたか?」

「しばしの間、お手をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「え、あ…………はい、どうぞ?」

 訳も分からず、頼まれるがまま右手を差し出す。

 俺の背に、規則正しいリズムを刻んでいた大きな手がそっと握ったかと思えば、親指の腹で器用に手のひらをムニムニ揉み始めた。

「手のひらには、労宮と呼ばれるツボがございます」

「ツボ……ですか」

「はい。大体、人差し指と中指の付け根の中間から少し下の辺り……ここですね」

 少し尖った爪の先が、指し示すようにちょんちょんと、そのツボがあるという箇所を軽くつつく。

「こちらを刺激することで心が静められ、快眠をもたらすそうです」

「へぇ……バアルさんは物知りですね」

「ふふ……いえいえ、年寄りの知恵というだけですよ」

「そんなこと、ありませんよ」

 礼儀正しい彼の言葉遣いや、洗練された所作は勿論だが、知識も豊富でダンスも上手なんて。まさに文武両道って感じで……

「スゴくカッコいいと思います」

 それは、完全に無意識だった。自分の口からこぼれてしまっていた、純粋な俺の気持ちだった。

「そのようなお褒めのお言葉を頂けるとは……大変光栄に存じます」

 気づいたのは、目の前にある彼の頬が、ほんのり赤く染まっていくのを目撃してから。

 それだけでも、あんまりなのに更に醜態を晒してしまった。釣られて俺まで、顔が熱くなってしまったんだ。

 互いに顔を赤くしたまま、無言で見つめ合う。

 俺達の間に流れ始めた、胸の辺りがムズムズする空気の前では、折角の彼からのご厚意なんて。ツボ押しのリラックス効果なんて、あっという間に失われてしまっていた。

 さっきよりも胸の高鳴りが大きくなり、頭がぽやぽやする。睡魔が、俺に一方的に別れを告げて、遥か彼方へと遠退いて行ってしまった。
 
「あー……ありがとうございますっ、お陰さまで、ぐっすり眠れそうです」

「左様でございますか……また何かございましたら、遠慮なく声をおかけくださいね」

「はいっお休みなさい」

 これ以上はホントにマズい。眠れなくなるのは勿論だけど、また、彼に触れて欲しくなってしまう。

 また、甘えたいって思ってしまう。

 目さえ瞑っていれば、いつの間にか眠ってしまうだろう。

 そう信じて、ぎゅっと強く閉じていたのは、その時の彼の表情を見ずに済んだといえば、正解だったのかもしれない。

「どうか、良い夢を……」

 額にそっと触れた柔らかい感触と、わざとらしいリップ音。続けて耳元で聞こえた優しい囁きに、ますます俺の心臓は、狂ったように暴れ始めてしまった。やっぱり眠れないじゃないか。
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